2009年05月23日
2009年04月29日
新しいブログの倫理的意味
ブログというのは、日記なのだが、しかもそれが極端には地球上に広がっている。その広がりは、よくもわるくも問題になることである。そこに経済や政治が人を動かす価値のように結びつくことがあり、ならば、そこには大きな問題がよくもわるくも生まれる。あるいは、文字通りの個人性がそこでは失われてしまう。そのことも、よくもわるくも問題である。
私自身、その問題に出会って、一端、これをほとんど閉じてしまった。けれども、ときに書こうかとも思い始めた。なぜなら、そこに「開くこと」は、何ほどか倫理的に必要事項でもあるからだ。
私自身、その問題に出会って、一端、これをほとんど閉じてしまった。けれども、ときに書こうかとも思い始めた。なぜなら、そこに「開くこと」は、何ほどか倫理的に必要事項でもあるからだ。
Posted by krzm at
16:33
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2009年02月06日
2009年、自然からの要請
2009年になり、もう2月になった。この年月は、大きな転機だと思う。
なぜなら、経済成長も、国内のみならずグローバルな構造において頭打ちになっている。環境問題も、ある人間だけでなく動植鉱物にまで関与するグローバルな構造になっている。そこに、成長や進化や近代化をとらえるだけでは済まない歴史がいまや発生しており、またある場所・ある世界だけでは済まない世界がここに発生している。そして、その世界史への対応が人間に要請されている。
人間的な問題は、世界史において、最近は、印刷・科学・技術によって生じた近代化として生まれた。だが現在は、それとは違った形での、電子データ・情報によって問題が生まれている。そこにはまた、自然そのものに対する、従来の無機物的な存在観を越える有機的存在観からの私たちへの関与がある。具体的にいうならば、人間、動植物は、情報であるにしても、ただデータでも物体でもない自己組織を生命として持っており、それによって互いに深く大きく関与し続けている。
だとすると、あるものを、ただ成長させ大きくさせる、あるいはただ殺し粉々にする、そのような営みが、本当にいいことなのか。それはやはりしばしば異常である。その異常さをただ進化のごとく捉えて何も思考することなく対応する学問や大学や生活や技術や経済が、果たしてまともだろうか。決してそうではない(何も考えないのなら、それは化け物である)。このような問題は、少なくとも最近、誰もが出会ってきたことだった。そしてこの2009年、その問いに対する答えが、どうしても要請されている。
私自身はといえば、予言するつもりもないし、それを言うこともできない。少しづつ活動するほかはない。ただ、その個々のロカリティーから、グローバルな構造が、少しづつでも生まれることを願っている。おそらくそこに、自分という存在が生きている意味があるに違いなく、それを見出すべきなのである。それは、自分が、仏教としていえば大乗・菩薩、キリスト教としていえばキリスト・教会、そのような宗教性にも繋がるような、倫理的な活動を、世界においてコスモスにおいて、することであり、それが私たち自身に要請されているのだろう。
なぜなら、経済成長も、国内のみならずグローバルな構造において頭打ちになっている。環境問題も、ある人間だけでなく動植鉱物にまで関与するグローバルな構造になっている。そこに、成長や進化や近代化をとらえるだけでは済まない歴史がいまや発生しており、またある場所・ある世界だけでは済まない世界がここに発生している。そして、その世界史への対応が人間に要請されている。
人間的な問題は、世界史において、最近は、印刷・科学・技術によって生じた近代化として生まれた。だが現在は、それとは違った形での、電子データ・情報によって問題が生まれている。そこにはまた、自然そのものに対する、従来の無機物的な存在観を越える有機的存在観からの私たちへの関与がある。具体的にいうならば、人間、動植物は、情報であるにしても、ただデータでも物体でもない自己組織を生命として持っており、それによって互いに深く大きく関与し続けている。
だとすると、あるものを、ただ成長させ大きくさせる、あるいはただ殺し粉々にする、そのような営みが、本当にいいことなのか。それはやはりしばしば異常である。その異常さをただ進化のごとく捉えて何も思考することなく対応する学問や大学や生活や技術や経済が、果たしてまともだろうか。決してそうではない(何も考えないのなら、それは化け物である)。このような問題は、少なくとも最近、誰もが出会ってきたことだった。そしてこの2009年、その問いに対する答えが、どうしても要請されている。
私自身はといえば、予言するつもりもないし、それを言うこともできない。少しづつ活動するほかはない。ただ、その個々のロカリティーから、グローバルな構造が、少しづつでも生まれることを願っている。おそらくそこに、自分という存在が生きている意味があるに違いなく、それを見出すべきなのである。それは、自分が、仏教としていえば大乗・菩薩、キリスト教としていえばキリスト・教会、そのような宗教性にも繋がるような、倫理的な活動を、世界においてコスモスにおいて、することであり、それが私たち自身に要請されているのだろう。
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07:25
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2008年10月29日
薔薇、または陽だまりの猫とは?
このブログを、少し前に一端ほとんど閉じたのは、なぜなのか。にもかかわらず、このブログを、やはりまた開こうとしたのは、なぜなのか。この両者の問題は、このブログで少しでも示そうとしている、ethics/ethosという状態に結局は関わっている。
思想史に敢えて関わらせていえば、「閉じた」のは、人間の状態としての、秘蹟(秘跡)に繋がっている。「開いた」のは、人間の状態としての、公共(社会)に繋がっている。簡単にいうならば、人間の営みには、「オープンにすべき」ものもあれば、「オープンにすべからざる」ものもある。様々な人間的な価値は、前者として働いているが、その根本は、後者において生まれ・作られている。素行も仁斎も宣長も、公共性を問題にしたけれども、それだけでない物事に出会っている。
最近、「薔薇、または陽だまりの猫」というサイトに出会った。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005
たいしたものだと感心した。このような表現によって、人は、存在者は、出来るだけ、まともに生きようとしている。その方向には共感する。私自身が、またこのブログを表現しようとしているのは、どうも秘跡だけではない物事があることに、やはり気付いたからだ。「薔薇、または陽だまりの猫」とは、このタイトルだけでも、感心する。
思想史に敢えて関わらせていえば、「閉じた」のは、人間の状態としての、秘蹟(秘跡)に繋がっている。「開いた」のは、人間の状態としての、公共(社会)に繋がっている。簡単にいうならば、人間の営みには、「オープンにすべき」ものもあれば、「オープンにすべからざる」ものもある。様々な人間的な価値は、前者として働いているが、その根本は、後者において生まれ・作られている。素行も仁斎も宣長も、公共性を問題にしたけれども、それだけでない物事に出会っている。
最近、「薔薇、または陽だまりの猫」というサイトに出会った。
http://blog.goo.ne.jp/harumi-s_2005
たいしたものだと感心した。このような表現によって、人は、存在者は、出来るだけ、まともに生きようとしている。その方向には共感する。私自身が、またこのブログを表現しようとしているのは、どうも秘跡だけではない物事があることに、やはり気付いたからだ。「薔薇、または陽だまりの猫」とは、このタイトルだけでも、感心する。
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05:38
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2008年10月09日
もう一度
このブログを閉じていたが、もう一度、少しづつ書くことにする。なぜなら、どうも表現せざるを得ない感がして来たから。どうしてか。少し元気になったからか。そうかもしれない。が、それだけではない。新井奥邃に関わるからか。それも確かにある。とにかく、少しづつ表の世界に向き合って言うことにする。少しづつ。
Posted by krzm at
07:45
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2007年11月03日
またお休み
またお休みすることにします。今度はいくつかの理由があるでしょうが、簡単にいうならば、ここでの「広がり方」が何か自分自身の現在の感覚とは違ってきているからです。つまり従来のわたしが「より開こう」としているとすれば、現在のわたしは、あまり「開こう」とするのではなく、むしろ「より閉じよう」としています。
その「開」にも「閉」にもそれぞれ良し悪しや問題があります。そのあたり、ベルグソンも丸山も開・閉を語っていますが、それは近代化に向けられたもので、あたってもいれば違ってもいるようです。そもそも倫理的には、そこに人生の流れを、また人称関係の様相を、自他のあり方の基本を、それらの有限と無限を、さらにより見出すべきです。
現在のわたしは、「より閉じる」方向をもちます。あるいはこことは違った形で「開こうと」する気持ももちます。で、もしもこのあたりに、異論があったり、さらに何か関係があるべきだと思われるならば、どうぞご連絡ください。少しづつ個々に目的に向けて――glocal ethicsとして――話し合い、問いをより開きたいと思います。
その「開」にも「閉」にもそれぞれ良し悪しや問題があります。そのあたり、ベルグソンも丸山も開・閉を語っていますが、それは近代化に向けられたもので、あたってもいれば違ってもいるようです。そもそも倫理的には、そこに人生の流れを、また人称関係の様相を、自他のあり方の基本を、それらの有限と無限を、さらにより見出すべきです。
現在のわたしは、「より閉じる」方向をもちます。あるいはこことは違った形で「開こうと」する気持ももちます。で、もしもこのあたりに、異論があったり、さらに何か関係があるべきだと思われるならば、どうぞご連絡ください。少しづつ個々に目的に向けて――glocal ethicsとして――話し合い、問いをより開きたいと思います。
Posted by krzm at
08:51
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2007年05月12日
少しお休み
この表現を少しお休みすることにします。なぜか。それは表現できないからです。うまくとか上手にとかその逆にとかいうことではなく、そのことがあるにしても、どうも表現したくないか/あるいはできないのです。
そうする理由はなにか。自分自身の内部の、というか、外部であっても、どこか他者とわかりあえるものであっても、ともかく容易に表現できないし、する気持にやはりなれないから。
表現しないとは何なのか。自分自身わかっているのか。絶望なのか失敗なのかいい加減なのか我儘なのか。どうであっても、ぼくはどこかいつも表現をしながら生きている。けれども表現できないものがとにかくここにある。それをどうとらえていいか。どう感じ考えたらいいのか。
新井奥邃という人は、少しは表現したが、結局それを使わなかったそうだ。彼は表現を燃やしたのか。そうではないのか。ともあれ、燃やす気持ちはあったのだろう。ぼくはまだ燃やしてはいない。が、ややそういう気持がして来た。
翻ってみると、表現するとはどういうことか。表現しないとはどういうことか。結局それは、自己自身、他者自身に関わっており、その自身の在り方から、そこでの出来事から、表現のする・しない、できる・できない、が生じているのだろう。だとすると、その問題はどうも奥の方にある。そして表現はしばしばすべきである。また何かすべきでない。
最近読んだジャーシルドという人の『自己を見つめる』という本があった。ずいぶん昔の本であるのに、感心することが多かった。彼は最後のところで、「共感」ということと「自己」ということをいっている。もう誰も彼のことを知らないだろう。1902年生まれとのこと。もう少し示唆されるところを見て感じ考えて行きたいと思った。
彼は科学者に近い人だ。が、にもかかわらず、あるいはだからこそ、最後のところで不思議なことを言っている。そこで彼がふれている世界は、とても孤独なにもかかわらずどこか華厳のような、パスカルが神学でみたようなものに繋がるようにもぼくには思えた。ティヤールにも、土居にも、その世界とその表裏への出会いがあったようだ。
ジャーシルドは子供の教育を基本的なテーマとした人らしい。ただ、現在は子供だけでない。大人自体、おかしなテレビやゲームによってまたインターネットによって会合によって、肯定するにせよ否定するにせよ、動かされ続けている。どこに本当の自己が人があり共感があり戦いがあり、そもそも存在があるのだろうか。そもそもどこに「表現」があるのだろうか。別にそれでもいいが、そもそもどこに私・私たちという父母の「子ども」がいるのだろうか。そのことをむしろ知りたい。
そうする理由はなにか。自分自身の内部の、というか、外部であっても、どこか他者とわかりあえるものであっても、ともかく容易に表現できないし、する気持にやはりなれないから。
表現しないとは何なのか。自分自身わかっているのか。絶望なのか失敗なのかいい加減なのか我儘なのか。どうであっても、ぼくはどこかいつも表現をしながら生きている。けれども表現できないものがとにかくここにある。それをどうとらえていいか。どう感じ考えたらいいのか。
新井奥邃という人は、少しは表現したが、結局それを使わなかったそうだ。彼は表現を燃やしたのか。そうではないのか。ともあれ、燃やす気持ちはあったのだろう。ぼくはまだ燃やしてはいない。が、ややそういう気持がして来た。
翻ってみると、表現するとはどういうことか。表現しないとはどういうことか。結局それは、自己自身、他者自身に関わっており、その自身の在り方から、そこでの出来事から、表現のする・しない、できる・できない、が生じているのだろう。だとすると、その問題はどうも奥の方にある。そして表現はしばしばすべきである。また何かすべきでない。
最近読んだジャーシルドという人の『自己を見つめる』という本があった。ずいぶん昔の本であるのに、感心することが多かった。彼は最後のところで、「共感」ということと「自己」ということをいっている。もう誰も彼のことを知らないだろう。1902年生まれとのこと。もう少し示唆されるところを見て感じ考えて行きたいと思った。
彼は科学者に近い人だ。が、にもかかわらず、あるいはだからこそ、最後のところで不思議なことを言っている。そこで彼がふれている世界は、とても孤独なにもかかわらずどこか華厳のような、パスカルが神学でみたようなものに繋がるようにもぼくには思えた。ティヤールにも、土居にも、その世界とその表裏への出会いがあったようだ。
ジャーシルドは子供の教育を基本的なテーマとした人らしい。ただ、現在は子供だけでない。大人自体、おかしなテレビやゲームによってまたインターネットによって会合によって、肯定するにせよ否定するにせよ、動かされ続けている。どこに本当の自己が人があり共感があり戦いがあり、そもそも存在があるのだろうか。そもそもどこに「表現」があるのだろうか。別にそれでもいいが、そもそもどこに私・私たちという父母の「子ども」がいるのだろうか。そのことをむしろ知りたい。
2004年11月16日
ブッシュかケリーか(追記)
「ブッシュ再選と世界―識者に聞く」の中で、前米国駐日大使柳井俊二氏も心配しているようだ。
「・・・欧州が互いに譲り合いながら統合を進める中で、米国と異なった世界観
を抱くようになっている。国々が協力し合えば問題は解決できるという考えだ。
一方米国は、世界はなお危険で敵意に満ちた場所だという見方を変えていな
い。・・・欧州はより世俗的になり、人種的にも多様化しつつあるのに対して、米
国は従来に比べて政治の場で信心深さが語られ聖書が引用されるなど保守化し
ている。・・・宗教的な言葉が政治の世界に入り込む米国の傾向は、イスラムを除
くと、世界ではあまり見られない現象だ。・・・(今度の選挙では)不思議な事が
起きた。小さな町に住む勤労者層が富裕層の利益を代表する共和党政権を支持
し、大都会の富裕層の方が現政権を批判してケリー氏に投票したのだ。・・・危険
なのは、内陸部対東西沿岸部とか、大都市住民対小さな町の住民という対立概
念が固定化してしまうことだ。民主党は内陸部を諦めてはいけない。米国が内
陸部と沿岸部で対立するようになることは、戦争に繋がった十九世紀の南北対
立とほとんど同様に危険なことだ。・・・」
「・・・欧州が互いに譲り合いながら統合を進める中で、米国と異なった世界観
を抱くようになっている。国々が協力し合えば問題は解決できるという考えだ。
一方米国は、世界はなお危険で敵意に満ちた場所だという見方を変えていな
い。・・・欧州はより世俗的になり、人種的にも多様化しつつあるのに対して、米
国は従来に比べて政治の場で信心深さが語られ聖書が引用されるなど保守化し
ている。・・・宗教的な言葉が政治の世界に入り込む米国の傾向は、イスラムを除
くと、世界ではあまり見られない現象だ。・・・(今度の選挙では)不思議な事が
起きた。小さな町に住む勤労者層が富裕層の利益を代表する共和党政権を支持
し、大都会の富裕層の方が現政権を批判してケリー氏に投票したのだ。・・・危険
なのは、内陸部対東西沿岸部とか、大都市住民対小さな町の住民という対立概
念が固定化してしまうことだ。民主党は内陸部を諦めてはいけない。米国が内
陸部と沿岸部で対立するようになることは、戦争に繋がった十九世紀の南北対
立とほとんど同様に危険なことだ。・・・」
2004年11月03日
ブッシュかケリーか
ブッシュかケリーか、開票が進められていて、いま(14:50JST)ブッシュ優勢だが(CNNで246:195、Yahooで246:216)、どうなるだろうか。あと数時間で決するのだろう。〔日本時間で4日午前1時頃、ケリーが電話してブッシュ勝利が決まった──後記〕
一般には、アメリカ人以外は、どちらかというとケリーに買ってほしいと思っている人が地球上では多いだろう。ブッシュはアメリカの内側ではともかく、アメリカの外側では、アメリカの単独主義と独善性を推し進めている(と見られている)からだ。日本のように、政権がブッシュの子犬になっていても、一般人はというと、どちらかと言われればブッシュは好きではなかろう。といっても、日本では多くの人がその点を決定的に重要視しているわけでもない。それは小泉支持率が、ブッシュを支持したからといって、それがあまり「応えない」ということにあらわれている。
ブッシュになるのとケリーになるのとどちらがいいか。どっちでもいい、どっちでもよくない、という言い方をしないなら、どちらがいいか。日本の国家方針との関係でいうと、軍事化や改憲を進めたいのであればブッシュ、そうでないならばケリー、ということになりそうである。が、じつはそう簡単でもない、とぼくは思う。というのは、日本に深く連関するような外交政策・軍事政策は、ケリーになったからといって、それほど変わるかどうかやや疑わしい。だとすると、ケリーになったら、現在の方針が、表向き「通しやすくなる」可能性もある。反対にブッシュになったら、その強引さがブッシュ像と結び付いてはっきり見えるので、「通しにくくなる」かもしれない。もちろん、それどころか、ブッシュだともっとひどいことが起こってくるかもしれないが──。
ブッシュは、南部でたくさんの票を取っている。ぼくの若い友人でハーバードの大学院に行っている人によれば、こんなことがあったという。──彼が、ハーバード大の学生ホールで、ブッシュとケリーのTV討論を大画面で他の学生と一緒に見たことがあった。その際、ブッシュを馬鹿にして笑う人が多く、その馬鹿にする仕方がいかにもエリートが田舎者をみる笑い方で、何か感じが悪かった、という。彼によれば、確かにブッシュは賢いという感じを与えず、立ち居振る舞いもこっけいなところが多い。しかし、そのブッシュを鼻でせせら笑っているアメリカのエリートの驕慢さが、田舎の反発を招いているといった回路もある。そのギャップやズレもあって、インテリ嫌いの保守的な(おおむね善良な)田舎の人々がいっそうブッシュ支持に回っていってしまう面もあるのだ、という。──こう言ってぼくの友人は、こうした問題にもっと危機意識を覚えるべきだ。そうしたことを感じ取れない都市育ちのエリートは視野が狭くひ弱だ。アメリカが貧富・教育格差で二極分解している現状を変えない限り、都市エリートがいくら自分の賢さを誇っても、社会の基層・周辺に追いやられた人を動かすことはできないだろう、と述べている。その点からいうと、クリントンは、田舎育ちで這い上がってきた人だから、強く、広く人々の支持をもらうような人柄があったと、とも付け加えている。
なるほどと思わされた。それぞれの生活圏なりにいろんな気持をもっている。それは認知であり徳性でもあり、その間に互いのギャップをも引き起こしている。都市部エリートは南部や中部の生活民のようなアメリカ人たちの保守的な政治・道徳意識が理解できない。他方、中・南部の人々は、東西部の都市エリートが当然視している、スマートな生き方や倫理感覚は分からないだろうし、後者がある程度は理解している他国との関係やコミュニケーションなどの状態については前者はたぶん関心がない。あったとしてもそれはおそらく(「悪との戦い」といった)単純な物語に置き換わっているのだろう。もちろん、都市エリートの中にもネオコンや宗教的保守主義者もいるし、田舎にもリベラルな人はいるだろうが、それにしても、以上のような大きな認知圏の分割という問題はあるのではないだろうか。
もちろん、アメリカの外にいる者としては、ケリー支持者たちのブッシュへの不快感のある部分は直ちによくわかる。ただ、その不快感にはもう少し別の部分も(アメリカの内部では)ある。それは生活感覚のようなものに根ざしている。そしてその部分は、ブッシュ支持者たちの側からいうと(これはぼくはTVで見たのだが)目に涙を溜めてブッシュを応援しているような部分と対応する。もちろん、彼らが頑として強硬な力を帯び、それに対して都市の知識層が「エリート的な軽蔑感」だけでなく、一種の恐ろしい感じや徒労感を抱くといったこともあるだろう。そのようなアメリカの「内部で働いているものの感じ」は、すぐには見えて来ない。
ちょっと似た話ということになるかどうか判らないが、佐藤卓己『言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)では、陸軍の言論検閲官となった将校とこれに反発する文化人との関係が、じつは、表立った思想というよりも、田舎出の真面目者と都市型知識人との間の一種の相互の階級的偏見ともいうべきものに根ざして増幅されていたことを明らかにしている。むろん、だから鈴木庫三がよくて、南部アメリカ人がいい、その政治判断が正当化できる、というわけではまったくない。ただ、少なくともそのような階級感覚に居直って自由であり客観的であると思うことがおかしいことには、いやしくも知識人たるのであれば自覚的であるべきだ。そこからいうと、旧制高校生流のまた官学アカデミズム内のリベラルというものは、いい気なものであり、それが恥ずかしいと思うぐらいの感覚はもつべきだ。そうでないと、21世紀になっても、ブッシュが勝ち、右翼が勝っていくだろう。つまり、問題の背後には、政治的主張というだけでなく、階級/ヘゲモニー問題があるのであり、それを解かねばならない。
こうした問題は、じつは倫理−政治論としては、一番概括的にいえば、リベラリズム(リバタリアン)とコミュニタリアンの対立、という概念問題につながっているものがある。日本においても、現在、ある程度資産を持ち自由を享受できている層が、国家・共同体への回帰に反対し、(昔みたいにただの保守層というのではなく)家族や社会的連帯が解体したただ中にいる、元来は被害者といっていい層が、却って市民社会ではなく「お上の公」を求めているところがある(こうした対立構図は、55年体制での進歩か保守か、というのとはまた違った捻れ・裂け目がある)。そのアイロニーをどう克服するか、が問題である。そうなると、リベラルな「自己決定」というだけでなくよい意味での、コミュニタリアン的な要素も導入する必要が出てくる。少なくともそういう問題への想像力が必要になる。〔04.11.09 改訂・追記〕
一般には、アメリカ人以外は、どちらかというとケリーに買ってほしいと思っている人が地球上では多いだろう。ブッシュはアメリカの内側ではともかく、アメリカの外側では、アメリカの単独主義と独善性を推し進めている(と見られている)からだ。日本のように、政権がブッシュの子犬になっていても、一般人はというと、どちらかと言われればブッシュは好きではなかろう。といっても、日本では多くの人がその点を決定的に重要視しているわけでもない。それは小泉支持率が、ブッシュを支持したからといって、それがあまり「応えない」ということにあらわれている。
ブッシュになるのとケリーになるのとどちらがいいか。どっちでもいい、どっちでもよくない、という言い方をしないなら、どちらがいいか。日本の国家方針との関係でいうと、軍事化や改憲を進めたいのであればブッシュ、そうでないならばケリー、ということになりそうである。が、じつはそう簡単でもない、とぼくは思う。というのは、日本に深く連関するような外交政策・軍事政策は、ケリーになったからといって、それほど変わるかどうかやや疑わしい。だとすると、ケリーになったら、現在の方針が、表向き「通しやすくなる」可能性もある。反対にブッシュになったら、その強引さがブッシュ像と結び付いてはっきり見えるので、「通しにくくなる」かもしれない。もちろん、それどころか、ブッシュだともっとひどいことが起こってくるかもしれないが──。
ブッシュは、南部でたくさんの票を取っている。ぼくの若い友人でハーバードの大学院に行っている人によれば、こんなことがあったという。──彼が、ハーバード大の学生ホールで、ブッシュとケリーのTV討論を大画面で他の学生と一緒に見たことがあった。その際、ブッシュを馬鹿にして笑う人が多く、その馬鹿にする仕方がいかにもエリートが田舎者をみる笑い方で、何か感じが悪かった、という。彼によれば、確かにブッシュは賢いという感じを与えず、立ち居振る舞いもこっけいなところが多い。しかし、そのブッシュを鼻でせせら笑っているアメリカのエリートの驕慢さが、田舎の反発を招いているといった回路もある。そのギャップやズレもあって、インテリ嫌いの保守的な(おおむね善良な)田舎の人々がいっそうブッシュ支持に回っていってしまう面もあるのだ、という。──こう言ってぼくの友人は、こうした問題にもっと危機意識を覚えるべきだ。そうしたことを感じ取れない都市育ちのエリートは視野が狭くひ弱だ。アメリカが貧富・教育格差で二極分解している現状を変えない限り、都市エリートがいくら自分の賢さを誇っても、社会の基層・周辺に追いやられた人を動かすことはできないだろう、と述べている。その点からいうと、クリントンは、田舎育ちで這い上がってきた人だから、強く、広く人々の支持をもらうような人柄があったと、とも付け加えている。
なるほどと思わされた。それぞれの生活圏なりにいろんな気持をもっている。それは認知であり徳性でもあり、その間に互いのギャップをも引き起こしている。都市部エリートは南部や中部の生活民のようなアメリカ人たちの保守的な政治・道徳意識が理解できない。他方、中・南部の人々は、東西部の都市エリートが当然視している、スマートな生き方や倫理感覚は分からないだろうし、後者がある程度は理解している他国との関係やコミュニケーションなどの状態については前者はたぶん関心がない。あったとしてもそれはおそらく(「悪との戦い」といった)単純な物語に置き換わっているのだろう。もちろん、都市エリートの中にもネオコンや宗教的保守主義者もいるし、田舎にもリベラルな人はいるだろうが、それにしても、以上のような大きな認知圏の分割という問題はあるのではないだろうか。
もちろん、アメリカの外にいる者としては、ケリー支持者たちのブッシュへの不快感のある部分は直ちによくわかる。ただ、その不快感にはもう少し別の部分も(アメリカの内部では)ある。それは生活感覚のようなものに根ざしている。そしてその部分は、ブッシュ支持者たちの側からいうと(これはぼくはTVで見たのだが)目に涙を溜めてブッシュを応援しているような部分と対応する。もちろん、彼らが頑として強硬な力を帯び、それに対して都市の知識層が「エリート的な軽蔑感」だけでなく、一種の恐ろしい感じや徒労感を抱くといったこともあるだろう。そのようなアメリカの「内部で働いているものの感じ」は、すぐには見えて来ない。
ちょっと似た話ということになるかどうか判らないが、佐藤卓己『言論統制―情報官・鈴木庫三と教育の国防国家』(中公新書)では、陸軍の言論検閲官となった将校とこれに反発する文化人との関係が、じつは、表立った思想というよりも、田舎出の真面目者と都市型知識人との間の一種の相互の階級的偏見ともいうべきものに根ざして増幅されていたことを明らかにしている。むろん、だから鈴木庫三がよくて、南部アメリカ人がいい、その政治判断が正当化できる、というわけではまったくない。ただ、少なくともそのような階級感覚に居直って自由であり客観的であると思うことがおかしいことには、いやしくも知識人たるのであれば自覚的であるべきだ。そこからいうと、旧制高校生流のまた官学アカデミズム内のリベラルというものは、いい気なものであり、それが恥ずかしいと思うぐらいの感覚はもつべきだ。そうでないと、21世紀になっても、ブッシュが勝ち、右翼が勝っていくだろう。つまり、問題の背後には、政治的主張というだけでなく、階級/ヘゲモニー問題があるのであり、それを解かねばならない。
こうした問題は、じつは倫理−政治論としては、一番概括的にいえば、リベラリズム(リバタリアン)とコミュニタリアンの対立、という概念問題につながっているものがある。日本においても、現在、ある程度資産を持ち自由を享受できている層が、国家・共同体への回帰に反対し、(昔みたいにただの保守層というのではなく)家族や社会的連帯が解体したただ中にいる、元来は被害者といっていい層が、却って市民社会ではなく「お上の公」を求めているところがある(こうした対立構図は、55年体制での進歩か保守か、というのとはまた違った捻れ・裂け目がある)。そのアイロニーをどう克服するか、が問題である。そうなると、リベラルな「自己決定」というだけでなくよい意味での、コミュニタリアン的な要素も導入する必要が出てくる。少なくともそういう問題への想像力が必要になる。〔04.11.09 改訂・追記〕
2004年10月27日
田中正造はすごい
この何ヶ月か時を見ては田中正造を読んでいるが、まったく感心することばかり。ぼくは昔、田中正造全集が配本されていたころ、買っていたのだが、反公害の原点とか、抵抗者の神様みたいに言われるのが、何かいやで、そのうち読みもせずにその全集を売ってしまった。
いま田中を実際に読んでみて、何と浅はかだったか──当時耳目にした持ち上げ方が、というより、そういうものかと思った自分がというべきだが──に気づいた。戦前、田中に義人伝説があったが、70年代にあったのも新しい義人伝説だったかもしれない。ところが、ところが、田中自身はそういうものではなかった。脱帽する。
田中は、近代的な自由や正義や法といった考えを正面から受け止めながらも、しかし近代的なものに寄生していい気になるのではなく、むしろ最低の生活の現場に立っていった。そこから、日本のさらに近代の国家・文明に対して根本的な批判をしている。今時の格好のいいとか、見かけがどうというような種類のものではまったくない。安っぽい虚無でいい気にもならず、勇気をもち、何よりもひととしての情趣と、ひろやかな厚い愛を失わない。身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。昔はこんな人がいたのだ。名を残さなくても、他にもいろいろ居たのだろうな。
名利や功に駆られ官や威や文明を誇る者たちが、無数のひとや動植物のこころを潰していったのだが、それで天地に恥じないのか、と田中は言っている。平将門が祀られたように、田中霊祀が出来たのも宜なるかな。
いま田中を実際に読んでみて、何と浅はかだったか──当時耳目にした持ち上げ方が、というより、そういうものかと思った自分がというべきだが──に気づいた。戦前、田中に義人伝説があったが、70年代にあったのも新しい義人伝説だったかもしれない。ところが、ところが、田中自身はそういうものではなかった。脱帽する。
田中は、近代的な自由や正義や法といった考えを正面から受け止めながらも、しかし近代的なものに寄生していい気になるのではなく、むしろ最低の生活の現場に立っていった。そこから、日本のさらに近代の国家・文明に対して根本的な批判をしている。今時の格好のいいとか、見かけがどうというような種類のものではまったくない。安っぽい虚無でいい気にもならず、勇気をもち、何よりもひととしての情趣と、ひろやかな厚い愛を失わない。身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。昔はこんな人がいたのだ。名を残さなくても、他にもいろいろ居たのだろうな。
名利や功に駆られ官や威や文明を誇る者たちが、無数のひとや動植物のこころを潰していったのだが、それで天地に恥じないのか、と田中は言っている。平将門が祀られたように、田中霊祀が出来たのも宜なるかな。
2004年10月26日
子どもと老人にとってのことば・物語
戦後児童書出版をして来たTさんと夫人のMさんに、古今東西の神話・哲学に通じているHさん、世界の国々で長い経験を積んで来たKさんたちと会った。そのときの記録をまとめたので、以下に載せます。お母さんお父さん向けだから、少し柔らかタッチです。転載なので一部分変えてありますが、意を汲んで下さい。
子どもの本づくりの始まり
子どもの本や絵本がなぜ必要なのか、それはどこから出来てくるものなのだろうか。Tさんが、戦後、出版社を始め、「子どものことに着手しよう」とするとき、その選択には二つの側面があったようだ。一つは、ちょっとびっくりしたが、営業上の視点。出版社を託されたとき、やはり「子どもの本に将来があると思った」という。「私の家は代々は商人です」といわれた。ただ空想的だったりメルヘン志向というのとはまったく違って地に足が着いている。仕事は生活のなかから出て「持続可能」なものであるべきなのだな、と思わされた。
ただし、やっていければ、何でもいいというのではもちろんない。それがもう一つの側面になるが、松居さんは、戦後、紹介され始めた諸外国の絵本や児童文学をみて、「ほんとうにびっくりした。いいものがまわりになかったと思った」という。その「いいもの」をつくろう、と考えられたわけである。
「いいものがまわりになかった」といっても、聞いてみると、戦前、子どもの時から「コドモノクニ」(1922創刊)の愛読者だったそうだ。またご家族のあいだで絵に親しんでいたり、お母さんが毎日詠むお経をきいていた。「その絵や姿や声がまだ耳目に残っている」という。絵も言葉も体験が深かった。そこから、戦後のお仕事も出て来たわけである。
からだに染みこんだ「ことばの力」
Tさんは、生まれたお子さんを初めて抱いたとき、あやしながら、ふと、子守唄を口ずさんでいた。ずーっと忘れていた唄だった。それは、松居さんが「親から聞いたもので、それが突然出てきた」という。耳から聴いてこころとからだの中にじっくり入ったことば、それはまた次の世代に伝わっていく。「言葉は伝承なんですよ」。
その「ことば」は、声によって語られ直接耳で聞く。そして感情のひびきをもっている。「人称性」をもったやり取りの中に生きたことばがある。小さいときに、ことばを語りかけ本を読んでもらい、聞いたり話したりする。ことばを感じ味わい生きる。その体験から、こどもは育つ。おとなでもそうかもしれない。だから、子どもが「切れ」たりする事件があると「ああ、そういう体験がなかったのじゃないかな」とTさんは思うが、はたしてそうである場合が多い、という。
Hさんが、うなずいて、「歌もそうですが、川や山や自然の声・音、そして見ている風景や木々、動植物、そんなものにも養われていますね」というと、みな賛成した。Tさんも続けた。「五感はみなことばです。それをフルに動かして、寒い暑いとか痛いうれしい、美しいとか感じる。それが無かったら、自分の気持も他のひとの気持もわかりません」。Tさんは、おとながこどもに与えてやるべきものは「健康、ことば、愛情」であるという。たしかにそれが子ども自身が「生きていく力」になる。
ひとと交わす「ことば」、ひとびとの「ことば」
健康ないのちに、愛を伴ったことばが与えられるとき、こどもはのびのびとし他者たちへの想像力が生まれる。それはまた、自分自身でも話し、物を読んでいくことにつながる。こうして、ひとがことばを聞き・話し・読み・書くことには、ことばと共に人が育っていく「時のこもった」プロセスがある。そうした「充ちた時間」の経過が自分のなかになければ、ことばもたんに瞬間瞬間の〈反応〉のようになるほかないだろう。それでは人と対話することができない。「そういう「ことば」を持っていなければ、暴力に訴えるしか無くなってしまいますよ」とKさんも指摘する。クイズのような知識や情報が増えても、本当にひとと話したり、そして知恵を持っていったりすることができない。
順番も大事である。「あまり先に文字や分別にふれてしまうと、かえって声のことばがなくなる」とTさんはいう。これも面白い点である。
そうしたことばの「記憶」や「成長」は、個人のものだけではなく「人々のもの」でもある。かつては、昔話や伝承をたくさん憶えていてそれを語る「語り部」たちが各地で身のまわりにいた。そのありさまについて、皆で、ひとしきり会話がはずんだ。Kさんは、韓国にはいまでも、論語や孟子を憶えて語るひと、旧新約聖書を記憶している人がいることを紹介して、みなを驚かせた。
Hさんは、「そうしていろんな民がいろんな物語を持っていますね。身を持ってそれを憶えていた。それがあとになってテキストになったんです」と古代からの様々な事例を語った。東洋でも、むかしは漢文の素読をやったものである。百人一首もそうである。また、そこには、リズムや調子がある。そうしてこころの中に「種子」となったことば・歌・物語は、ひとびとを生かしてくれるわけである。
「気」を生かす・表わすこと
「ことばや物語は「息」です」「いのちです」とTさん・Hさんがいうと、Kさんは、「東洋でいうと気ですね。その気を殺さないで生かすことが大事です」といった。各人にことばと共にやどった「気を育くむ」ことが大事だ。しかし「日本では「場」を優先し過ぎて「気」を圧迫して来たきらいがある」とKさんがいう。そこから、現代の芸能や映画で沖縄を始めとする地方やアジアの活動が「元気がいい」ことに話がはずんだ。これは「生の現場」を大事にするという意味で、グローカルという問題にもつながってくる。
現代では、気を生かすよりも、ひとが枠にはめられ、それに対応して、遊びや気晴らしが提供されている。その遊びは、自分たちで工夫して作ったものではなく、TV・メディア等から与えられている。子どもたち同士や親子も、「互いに向き合う」のではなく、むしろTVやゲームやイベントの方に顔を向けている。その楽しさは、本当に「幸せ」といえるのか──という話にもなった。
Hさんも、わらべ歌や民謡のリズムが近代で唱歌や行進曲になるとき、「気が何か歪められてしまった感じがする」という。教育で、気が育つどころか、むしろ殺されることも多いのではないだろうか。
ひとを生かす物語
現実には「おかしな語り」も世にはたくさん供給されている。とすると、「どんな物語や表現がほんとうにひとを生かすのか」という問題になる。夫人のMさんは、聖書を素材に革の染色をなさっており、それと対話している。「それが無かったら生きていけない感じ」だという。Mさんは、病院で手術したときも、聖書の言葉ですっかり気持を入れ替えることさえ出来た、という。
Kさんは、最近、入院手術したとき、お医者さんから聴く音楽を選ぶように言われた。ヨハン・シュトラウスの曲を選んだが、ベッドに戻って麻酔が覚めたとたん、それが耳の奥から聞こえてきて、その余韻に驚いた、という。体に音楽が入って、手術の間、それがいわば息づいていたのである。絵やイメージにもそんなことがある。昔のひとが仏画や仏像を見ているときも、ただ鑑賞の対象だったのではない。きっとその像を自分の中で味わい生きていたのだろう。Tさんの育った京都では、子どもが主役の地蔵盆があり、町内ごとに地蔵があったという。町のひとは子どもと共に地蔵を祭り、これを生きていたのだ。
老人と子どもの物語
「どんなことば・物語を?」という問いは、お年寄りをめぐってはいっそう問題になる。ことば・物語は、現代では、子どものみならず、老人においても奪われている。Kさんが言うように、「現代の文化は、若者・壮年を中心に出来ている」からだ。
病んでいる人やお年寄りには、ことばやその語りかけが、とても大切である。病院で、患者に対して、高みからではなく視線を低く揃えて見てくれ、声によく耳を傾けてくれるなら、それだけでも、どんなに癒されることだろう。何かのバックボーンがある病院は、たんに儲け主義だったりひとを物扱いするということはないだろう、と少し安心する。設備も大事だが、医者や看護士さんたちが生きる物語が大事で、それに患者も生かされる。金所長は、そもそも医者・看護士・患者たちがそれぞれ対話が欠けていることが多いが、「お互い同士に話すことができることがまず何より大事だ」という。
病者やお年寄り自身には、どんな物語があるのか。事柄は意外にも、子どもの問題ともつながっている。というのは、老いの時間は、壮年を越えて、思いの外、子どもの時に結びついている。老いて落ち着いた豊かな時を、子どもの時の充実した時や思い出が可能にしてくれる。その意味でも、子どもの時が大事だし、今からでも「本当のいい子どもの物語をもっと読むといいですよ」とTさんはいう。物語を通して、時間はあとからでも発見できるのである。
そして死に向かっての物語もありうるだろう。それは、世界の「受容」や他者への「贈与」の物語なのか、それともKさんのいうような「夢」に関わる物語になるのか。いろんな話が出たが、私には、まだ簡単には見えない。様々な宗教や神話は、「永遠のいのち」の物語を語っている。自分という個体の「からだ」はもちろんなくなるだろう。しかし、「いのち」は、そのどこか・何かに帰っていくらしい。それに向けて「自己の生を全うする」ことは大事だ。そしておそらく、その「永遠のいのち」ゆえに、おとなは子どもを育て、また子どもが自ら育つのだろう。そして、それぞれの「時をもった」生者同士、生死ある者同士、お互いに「伝える」ことが必要なのだ。
決まった結論はむろん出ない。しかし、多くのことを考えさせられた。
子どもの本づくりの始まり
子どもの本や絵本がなぜ必要なのか、それはどこから出来てくるものなのだろうか。Tさんが、戦後、出版社を始め、「子どものことに着手しよう」とするとき、その選択には二つの側面があったようだ。一つは、ちょっとびっくりしたが、営業上の視点。出版社を託されたとき、やはり「子どもの本に将来があると思った」という。「私の家は代々は商人です」といわれた。ただ空想的だったりメルヘン志向というのとはまったく違って地に足が着いている。仕事は生活のなかから出て「持続可能」なものであるべきなのだな、と思わされた。
ただし、やっていければ、何でもいいというのではもちろんない。それがもう一つの側面になるが、松居さんは、戦後、紹介され始めた諸外国の絵本や児童文学をみて、「ほんとうにびっくりした。いいものがまわりになかったと思った」という。その「いいもの」をつくろう、と考えられたわけである。
「いいものがまわりになかった」といっても、聞いてみると、戦前、子どもの時から「コドモノクニ」(1922創刊)の愛読者だったそうだ。またご家族のあいだで絵に親しんでいたり、お母さんが毎日詠むお経をきいていた。「その絵や姿や声がまだ耳目に残っている」という。絵も言葉も体験が深かった。そこから、戦後のお仕事も出て来たわけである。
からだに染みこんだ「ことばの力」
Tさんは、生まれたお子さんを初めて抱いたとき、あやしながら、ふと、子守唄を口ずさんでいた。ずーっと忘れていた唄だった。それは、松居さんが「親から聞いたもので、それが突然出てきた」という。耳から聴いてこころとからだの中にじっくり入ったことば、それはまた次の世代に伝わっていく。「言葉は伝承なんですよ」。
その「ことば」は、声によって語られ直接耳で聞く。そして感情のひびきをもっている。「人称性」をもったやり取りの中に生きたことばがある。小さいときに、ことばを語りかけ本を読んでもらい、聞いたり話したりする。ことばを感じ味わい生きる。その体験から、こどもは育つ。おとなでもそうかもしれない。だから、子どもが「切れ」たりする事件があると「ああ、そういう体験がなかったのじゃないかな」とTさんは思うが、はたしてそうである場合が多い、という。
Hさんが、うなずいて、「歌もそうですが、川や山や自然の声・音、そして見ている風景や木々、動植物、そんなものにも養われていますね」というと、みな賛成した。Tさんも続けた。「五感はみなことばです。それをフルに動かして、寒い暑いとか痛いうれしい、美しいとか感じる。それが無かったら、自分の気持も他のひとの気持もわかりません」。Tさんは、おとながこどもに与えてやるべきものは「健康、ことば、愛情」であるという。たしかにそれが子ども自身が「生きていく力」になる。
ひとと交わす「ことば」、ひとびとの「ことば」
健康ないのちに、愛を伴ったことばが与えられるとき、こどもはのびのびとし他者たちへの想像力が生まれる。それはまた、自分自身でも話し、物を読んでいくことにつながる。こうして、ひとがことばを聞き・話し・読み・書くことには、ことばと共に人が育っていく「時のこもった」プロセスがある。そうした「充ちた時間」の経過が自分のなかになければ、ことばもたんに瞬間瞬間の〈反応〉のようになるほかないだろう。それでは人と対話することができない。「そういう「ことば」を持っていなければ、暴力に訴えるしか無くなってしまいますよ」とKさんも指摘する。クイズのような知識や情報が増えても、本当にひとと話したり、そして知恵を持っていったりすることができない。
順番も大事である。「あまり先に文字や分別にふれてしまうと、かえって声のことばがなくなる」とTさんはいう。これも面白い点である。
そうしたことばの「記憶」や「成長」は、個人のものだけではなく「人々のもの」でもある。かつては、昔話や伝承をたくさん憶えていてそれを語る「語り部」たちが各地で身のまわりにいた。そのありさまについて、皆で、ひとしきり会話がはずんだ。Kさんは、韓国にはいまでも、論語や孟子を憶えて語るひと、旧新約聖書を記憶している人がいることを紹介して、みなを驚かせた。
Hさんは、「そうしていろんな民がいろんな物語を持っていますね。身を持ってそれを憶えていた。それがあとになってテキストになったんです」と古代からの様々な事例を語った。東洋でも、むかしは漢文の素読をやったものである。百人一首もそうである。また、そこには、リズムや調子がある。そうしてこころの中に「種子」となったことば・歌・物語は、ひとびとを生かしてくれるわけである。
「気」を生かす・表わすこと
「ことばや物語は「息」です」「いのちです」とTさん・Hさんがいうと、Kさんは、「東洋でいうと気ですね。その気を殺さないで生かすことが大事です」といった。各人にことばと共にやどった「気を育くむ」ことが大事だ。しかし「日本では「場」を優先し過ぎて「気」を圧迫して来たきらいがある」とKさんがいう。そこから、現代の芸能や映画で沖縄を始めとする地方やアジアの活動が「元気がいい」ことに話がはずんだ。これは「生の現場」を大事にするという意味で、グローカルという問題にもつながってくる。
現代では、気を生かすよりも、ひとが枠にはめられ、それに対応して、遊びや気晴らしが提供されている。その遊びは、自分たちで工夫して作ったものではなく、TV・メディア等から与えられている。子どもたち同士や親子も、「互いに向き合う」のではなく、むしろTVやゲームやイベントの方に顔を向けている。その楽しさは、本当に「幸せ」といえるのか──という話にもなった。
Hさんも、わらべ歌や民謡のリズムが近代で唱歌や行進曲になるとき、「気が何か歪められてしまった感じがする」という。教育で、気が育つどころか、むしろ殺されることも多いのではないだろうか。
ひとを生かす物語
現実には「おかしな語り」も世にはたくさん供給されている。とすると、「どんな物語や表現がほんとうにひとを生かすのか」という問題になる。夫人のMさんは、聖書を素材に革の染色をなさっており、それと対話している。「それが無かったら生きていけない感じ」だという。Mさんは、病院で手術したときも、聖書の言葉ですっかり気持を入れ替えることさえ出来た、という。
Kさんは、最近、入院手術したとき、お医者さんから聴く音楽を選ぶように言われた。ヨハン・シュトラウスの曲を選んだが、ベッドに戻って麻酔が覚めたとたん、それが耳の奥から聞こえてきて、その余韻に驚いた、という。体に音楽が入って、手術の間、それがいわば息づいていたのである。絵やイメージにもそんなことがある。昔のひとが仏画や仏像を見ているときも、ただ鑑賞の対象だったのではない。きっとその像を自分の中で味わい生きていたのだろう。Tさんの育った京都では、子どもが主役の地蔵盆があり、町内ごとに地蔵があったという。町のひとは子どもと共に地蔵を祭り、これを生きていたのだ。
老人と子どもの物語
「どんなことば・物語を?」という問いは、お年寄りをめぐってはいっそう問題になる。ことば・物語は、現代では、子どものみならず、老人においても奪われている。Kさんが言うように、「現代の文化は、若者・壮年を中心に出来ている」からだ。
病んでいる人やお年寄りには、ことばやその語りかけが、とても大切である。病院で、患者に対して、高みからではなく視線を低く揃えて見てくれ、声によく耳を傾けてくれるなら、それだけでも、どんなに癒されることだろう。何かのバックボーンがある病院は、たんに儲け主義だったりひとを物扱いするということはないだろう、と少し安心する。設備も大事だが、医者や看護士さんたちが生きる物語が大事で、それに患者も生かされる。金所長は、そもそも医者・看護士・患者たちがそれぞれ対話が欠けていることが多いが、「お互い同士に話すことができることがまず何より大事だ」という。
病者やお年寄り自身には、どんな物語があるのか。事柄は意外にも、子どもの問題ともつながっている。というのは、老いの時間は、壮年を越えて、思いの外、子どもの時に結びついている。老いて落ち着いた豊かな時を、子どもの時の充実した時や思い出が可能にしてくれる。その意味でも、子どもの時が大事だし、今からでも「本当のいい子どもの物語をもっと読むといいですよ」とTさんはいう。物語を通して、時間はあとからでも発見できるのである。
そして死に向かっての物語もありうるだろう。それは、世界の「受容」や他者への「贈与」の物語なのか、それともKさんのいうような「夢」に関わる物語になるのか。いろんな話が出たが、私には、まだ簡単には見えない。様々な宗教や神話は、「永遠のいのち」の物語を語っている。自分という個体の「からだ」はもちろんなくなるだろう。しかし、「いのち」は、そのどこか・何かに帰っていくらしい。それに向けて「自己の生を全うする」ことは大事だ。そしておそらく、その「永遠のいのち」ゆえに、おとなは子どもを育て、また子どもが自ら育つのだろう。そして、それぞれの「時をもった」生者同士、生死ある者同士、お互いに「伝える」ことが必要なのだ。
決まった結論はむろん出ない。しかし、多くのことを考えさせられた。
2004年09月30日
活物・死物と生活世界
江戸時代の人はよく「活物」か「死物」か、ということをよく言う。一見、哲学的でもない語のようだが、伊藤仁斎は、倫理的問題の根底がそこに掛かっていることを的確に指摘している。と同時に彼は、活物かどうかと無関係に知や理によって規範提示することが、じつは「生きた」物事を捉え損なったり、そうした態度の専横は暴力や虚無に至るとさえ考えていた。──こうした感じ方は、いまでもちょっと敏感な庶民は知恵としてわかっていることだが、残念ながら、そうした生命感覚に根ざしたコモンセンスのようなものが最近は崩壊してきたみたいだ。
西洋哲学の「生活世界」という概念には、ぼくも昔、フッサールやアルフレート・シュッツが言っていることなどにふれたことがある。しかし彼らの用法を詳しくは調べなかった。が、最近聞いた専門家の話では、多くの場合、この概念は、基本的に「倫理性をもたない」概念なのだそうだ。ハーバーマスも言及はしているがちゃんと扱ってない、という。そう聞いて、ぼくはじつは内心、喫驚した──生活世界に倫理性を基礎付けなくて、どこに基礎づけるのか、と。だが、考えてみると、それはもうそういう牧歌的な?世界がもう無い、ということなのだ。
その昔、吉本隆明が「大衆の原像」ということを言ったことがあるし、左翼学生は「大衆」「民衆」といわれると切り札、ジョーカーを出されたような気がしたものである。しかし、大衆とか民衆とかいえばいい、というもんじゃないことが、判ってくる。大衆・民衆といったって信頼おけずひどいもんだ、ということが増えてくるから。それと同様に、「生活世界」も位置を失ってくるのだろう。このような変化は、現代もそれなりに感じるものだが、それは仁斎に対して徂徠が、また昔だと、孟子に対して荀子が感じたものにつながっている。ホッブズやロックが混乱や専制を克服しようとして「契約」とか一種の人為的な構成態を持ち出すのもその点に関わっている。
とはいえ、それは、生活世界が、構造的に壊れている、あるいは疎外されているのであって、それを生の基礎に「求める」ことも出来ないということとは違う。それは「求める」ことはできるのではないか。たとえば、動物や植物を育てるときにも、ある環境設定をして、そこから、生の持続可能性を展開していく。動物の場合は、そうした環境を自ら設定しようとする。それと同様に、ひとにとっての生活世界は求められており、求めうるのではないか。
活物といえば、荻生徂徠は、上の仁斎的な意味だけでなく、「世界の複雑な生成」というような意味でもっと使っている。そこから、物事の生・複雑性を踏まえての、いわば戦略的思考や方策──それを彼は「わざ」「術」などと言っているが──を展開している。この点もきわめて重要なものを含んでいる。どうも現代でも、生活世界の崩壊とセットになってか、機敏で柔軟な思考・対応のようなものも(それは想像力と関係するわけだが)、だんだん人が出来なくなっているように思える。むかしはそういう「実践人」ともいうべきひと(徂徠のいう「巧者」)がどこにもいたに違いないが、最近は、企業等の金儲けの世界以外には、そういう実践性は無くなってしまったみたいだ。ということは、そういう実践性の行く先に目的が無い、ということである。(金儲け・地位・利権といったものへの一見巧緻の限りを尽くしたしかし結局は直接的で駆り立てられた追求以外に)大きな方位・戦略が無いわけである。つまりは、生きている目的がない。生活が持続したり交代したりするとしても、そもそもその道筋が無いのだ。
むかしの人(アリストテレス)は、幸福とはよき生であり、よき生には、名利はある程度必要だが、しかしその究極のものたりえない、と述べている。では究極は、というと、彼は観想(イデアの瞑想)を挙げる。それはそうだろうと思うが、それを生活世界のプロセスと切り離して、階層化して考えているごとくであるのは、まちがっていると思う。これがいわゆるロゴス中心主義の所以なのだ。何らかのイデアが見られるとしても、しかし、倫理や美は、生から立ち上がってまた生を目指すという一種の回帰的構造をもたざるを得ないように思う。それを──つまり生を生へと──もたらす「わざ」が元来は「知」であり「行」であるのだろう。外部に対象化されたものは、「死物」になっている。死物も痕跡も重要だが、にもかかわらず、生きて知ったり感じたり振る舞ったりするのは、活物としてそうしているのだからだ。
西洋哲学の「生活世界」という概念には、ぼくも昔、フッサールやアルフレート・シュッツが言っていることなどにふれたことがある。しかし彼らの用法を詳しくは調べなかった。が、最近聞いた専門家の話では、多くの場合、この概念は、基本的に「倫理性をもたない」概念なのだそうだ。ハーバーマスも言及はしているがちゃんと扱ってない、という。そう聞いて、ぼくはじつは内心、喫驚した──生活世界に倫理性を基礎付けなくて、どこに基礎づけるのか、と。だが、考えてみると、それはもうそういう牧歌的な?世界がもう無い、ということなのだ。
その昔、吉本隆明が「大衆の原像」ということを言ったことがあるし、左翼学生は「大衆」「民衆」といわれると切り札、ジョーカーを出されたような気がしたものである。しかし、大衆とか民衆とかいえばいい、というもんじゃないことが、判ってくる。大衆・民衆といったって信頼おけずひどいもんだ、ということが増えてくるから。それと同様に、「生活世界」も位置を失ってくるのだろう。このような変化は、現代もそれなりに感じるものだが、それは仁斎に対して徂徠が、また昔だと、孟子に対して荀子が感じたものにつながっている。ホッブズやロックが混乱や専制を克服しようとして「契約」とか一種の人為的な構成態を持ち出すのもその点に関わっている。
とはいえ、それは、生活世界が、構造的に壊れている、あるいは疎外されているのであって、それを生の基礎に「求める」ことも出来ないということとは違う。それは「求める」ことはできるのではないか。たとえば、動物や植物を育てるときにも、ある環境設定をして、そこから、生の持続可能性を展開していく。動物の場合は、そうした環境を自ら設定しようとする。それと同様に、ひとにとっての生活世界は求められており、求めうるのではないか。
活物といえば、荻生徂徠は、上の仁斎的な意味だけでなく、「世界の複雑な生成」というような意味でもっと使っている。そこから、物事の生・複雑性を踏まえての、いわば戦略的思考や方策──それを彼は「わざ」「術」などと言っているが──を展開している。この点もきわめて重要なものを含んでいる。どうも現代でも、生活世界の崩壊とセットになってか、機敏で柔軟な思考・対応のようなものも(それは想像力と関係するわけだが)、だんだん人が出来なくなっているように思える。むかしはそういう「実践人」ともいうべきひと(徂徠のいう「巧者」)がどこにもいたに違いないが、最近は、企業等の金儲けの世界以外には、そういう実践性は無くなってしまったみたいだ。ということは、そういう実践性の行く先に目的が無い、ということである。(金儲け・地位・利権といったものへの一見巧緻の限りを尽くしたしかし結局は直接的で駆り立てられた追求以外に)大きな方位・戦略が無いわけである。つまりは、生きている目的がない。生活が持続したり交代したりするとしても、そもそもその道筋が無いのだ。
むかしの人(アリストテレス)は、幸福とはよき生であり、よき生には、名利はある程度必要だが、しかしその究極のものたりえない、と述べている。では究極は、というと、彼は観想(イデアの瞑想)を挙げる。それはそうだろうと思うが、それを生活世界のプロセスと切り離して、階層化して考えているごとくであるのは、まちがっていると思う。これがいわゆるロゴス中心主義の所以なのだ。何らかのイデアが見られるとしても、しかし、倫理や美は、生から立ち上がってまた生を目指すという一種の回帰的構造をもたざるを得ないように思う。それを──つまり生を生へと──もたらす「わざ」が元来は「知」であり「行」であるのだろう。外部に対象化されたものは、「死物」になっている。死物も痕跡も重要だが、にもかかわらず、生きて知ったり感じたり振る舞ったりするのは、活物としてそうしているのだからだ。
2004年09月27日
「戦争と平和」論再考
現在の「戦争」をめぐっての、思潮の動きを受け止めているうちに気づいてきたことがある。それは、現在働いている国際間の権力や軍事の対立・紛争をめぐる議論の従来からの枠組は、結局は、欧米の近現代政治の中で成り立ってきた「戦争及び平和」論の地平/延長のうちにある。そして、それは東洋流にいうならば「覇道」論だ、ということである。
その「戦争及び平和」論は、「政治は戦争の継続」だとまではしないととしても、(とくに国などの外・相互においては)「戦争はある・する傾向のもの」ということが前提になっている。だからその「平和」というのも、要するにそれを前提にした戦争停止・抑止論を意味している(──ただし、その議論の地平には「裾野」ないし「延長」がありうるが、その局面についてはいまは措く)。むろんこれに対して、トルストイを挙げずとも、理想主義的な平和論・非戦論もいろいろある。が、それにしても、多くのリアリズムを標榜する政治論や戦争・平和論は、まずはだいたい「放っておけば戦いになるのが関係というもの」といった枠組を議論の前提においている。要するにある個体(集団を含む)の外部に危機やハザード状態を基本的に想定し、その〈付き合い〉ならぬ〈噛み付き合い〉から議論を立てているわけである(──カントの永久平和論でもそういうところがあるのではないだろうか。要検討)
これに対して、「平時をまず前提にする」立論もある。孔子は有名な「怪力乱神は語らず」の語を残している。彼は春秋時代のもう相当に無秩序な世界を動き回ったが、何度か難に遭ったときも、「天が文を滅ぼそうとしない限り、相手は自分を殺すことなど出来ない」と言っている。天は文化的秩序を守るはずだ、と考えているわけである。これがたぶんのちの「王道」論になる。おそらくそういう伝統をさらに推し進めて、孟子は、いろんな覇王たちに「王道」を高唱している。仁義の徳・道を守りそれを充実することが、軍備と専制による内外の支配堅めよりは、よほど価値的にいいばかりか、実際に天下に王たるべきためにも有効なのだ、と孟子はいう。孟子は、孔子よりはるかに甚だしい戦国時代の戦争とパワーポリティクスの世界に、その王道を説くのだから、彼の言説は観念的に聞こえる。
ただし、孟子は「天」のサンクション(応報)を説いて、その論の有効性を主張している。この点は見過ごすことができない。よく批判されるが、孟子の議論は、あくまでも「王」=為政者のための議論であって、民本主義ではあっても、民主主義ではない。が、今いったその「天」/「民心」のサンクションが「革命」に結びつくことになっているから、大きな意味では、政権交代の問題も、そこに含意されていると見ることができる。王道論を支えるものとしての、天/民心は大きい。つまり、政権交代であれ、個々の戦略上のプロセスであれ、結局は、天/民心が最終的な帰趨を握っている。そしてそれは徳をサンクションする──徳治・礼治を保全すべく動き、その動きは信頼できるものだ、というのが、孟子の立場である(この時の孟子の眼には、民は究極的には無辜の民であって、ずうずうしい大衆などではなかった)。そして、東洋(日本)思想史では、表立っては、この王道論、すなわち天/民心は結局徳治・礼治を保全すべく動くのであり、道はその恒常性に根ざすべきだ、という考えが、政治思想の伝統になって流れていく(*)。
(*)なお、日本では、孟子の道徳論はだいたい容れるが、革命論は(つまりそれが位を根から交替させてしまうところは〔とくに皇統について〕)容れない、という国学流の議論も出てくる。これは一種の伝統主義・保守主義に立つのであって、それゆえに安危に関わる部分をタブー化したのだ、と考えられる。それは、究極的なところで戦争論を排除しているのだともいえる。この「戦い排除」の保守主義は、日本の島国的環境とも共同体性とも絡んで、問題も大きい。一番の問題は、(次段落以下に述べることにも関係するが)「内だけ・ここだけ平和、外や後のことは知らない」ということに陥りがちな点である。ただし、それはネオコン流の攻撃論ではない。その意味ではいまや長所もある。国学イデオロギーみたいになれば問題だが、そうでなければ、生活保守、文化保全主義ぐらいに落ち着く。いまの自民党にはそういう懐かしい?保守派は(野中・後藤田・古賀・亀井などに尾骶骨を残しているだけで)もうあまりいないようだ。
そうした孟子の議論を、とんでもない空想論と見るか(長尾龍一氏『古代中国思想ノート』)、それともそれは観念的にとどまらず本当に現実にも有効な議論だとみるか、は問題として検討すべきである。また、それが仮りに通用するとしても、その底流や現実のうちに何らかの「覇道」が伴ったのではないかということも考える必要がある。つまり、「王道ないし徳治・礼治論」が通用することの、「結果や範囲をも含めた効用の正負」も、よく考える必要がある。というのは、王道論流の「軍事や刑政にではなく、徳・礼による」という考えが、掲げられることで、むろん、平和構築にプラスになることも大いにあるだろう。早い話、論理的にいっても、「その〔王道論流の〕考えの人が皆」であれば、戦争など皆無になることは、明白である。とはいえ、現実には、そうはいかず、悪や戦いがあるわけである──結果において、あるいはある範囲をとれば──。
だとすると、そういう要素・次元があるにもかかわらず、ただ平和論を空想的に説くことは、戦略的思考を欠いた主観主義に結果し、それどころか、悪や戦いを防止できずに引き込むことになる可能性もあるだろう。また、王道論風のよき倫理的装置・時空の想定が、かえって、裏面にアナーキーな暴力を貼り付かせて構造的なセットになっていることもありうる。たとえば、日本の「戦後の平和」は国内的にはその繁栄の裏面に相当に制度的な抑圧や破壊を伴っていたし、周囲の国外・同時代における戦争の代償として成り立っていた。また、近代のヨーロッパにおける民主主義や国際的な公法秩序は、大きくいえば、暴力をヨーロッパ外に転化することで成り立っていた(──それらの「内部状態」がよくないというわけではないが)。現代という時代は、そうした構造的な「仕切り」が取れたことにより、暴力が噴出して来ているのだ。
では、そうだから、覇道によればいいか、というと、そうともいえない。というのは、王道論が、裏面ないし他面に暴力を隠していかねないのに対して、覇道論は覇道論で、いわば、悪夢に入ったがごとく、それだけでは悪循環を起こし、そこから抜けられない可能性が大いにあるからだ。たとえば、天木直人は、現在のアメリカの戦略と、これに加担する日本の策を批判して次のような趣旨の議論を展開している(同氏「メディア裏読み」2004/9/26)。
米国の「テロとの戦い」に巻き込まれる形で日本の安全が脅かされつつある。加えて、「日本近辺における有事」もある。これら(とくに後者)に対して、《軍事的な脅威だけに着目すれば、安全を確保するには米国の軍事力に頼るほかはない。憲法を改正し米軍との軍事同盟を強化することによって北朝鮮や中国からの軍事的脅威に対抗する》というのが政府、官僚、御用学者、財界の主張である。これは一見すれば問答無用の意見のように見える。しかし少しでも冷静に考えれば、この考えこそますます日本の立場を危うくすることになることに気づくはずだ。〔要約〕
このように天木は述べ、(1)戦略的にも、莫大な経費を投じて迎撃ミサイルシステムを作ったとしても完璧な防衛にはならないこと、(2)そのような軍事費を支出することはできないし無理であること〔民生を破壊するがゆえに〕、〔こうして自分たちにとって(1)軍事的不全、(2)民生的破壊であるのみならず〕、さらに対他的に、(3)対決姿勢を強めれば強めるほどそれが相手国への脅威となって相手国を刺激する、かくして軍事競争がエスカレートしていくだろうこと、を指摘している〔要約〕。いわば、覇道にただ与することは、それ自体直接的にも有効でないばかりか、自身の「健康」を持たなくさせるし、相手との関係においても、敵対の悪循環に陥る、というわけである。
そのあとで天木氏は、土山實男著「安全保障の国際政治学」(有斐閣)の書評(坂元一哉)を引いている。この土山の本はぼくはまだ読んでいない。が、坂元一哉は、土山の言を引きながらこう述べている──「……安全保障は人間の幸せにどこか似ている……。貧しくても幸せな人がいるように、安全の十分な備えがなくても安心している国がある。逆に豊かなのに幸せになれない人がいるように、十分な備えがあっても、何かに怯えている国がある……今の米国を見ていると、強者であるがゆえにその優位な立場を失う事の不安に怯え、軍事力で敵をねじ伏せようとするあまり抵抗者の反撃に怯えなければならないという自己矛盾に撞着しているようだ」と。そのような「自己矛盾」は、《安全保障のパラドクス》といわれ、「プロスペクト理論」(何かを失うことの恐れが意思決定に与える影響を論じる)の応用から出てくるのだそうだ。もうひとつ、《安全保障のジレンマ》が言及されているが、これは、天木のいう、(3)〔=対抗や憎悪の連鎖〕のことである。
要するに、覇道論は、「敵」を正面に立ててこれと戦おうとする訳であるが、それは、自身を〈恐れ〉に向けて追い込んでいくと共に、相手との関係相互においてもそうだ、ということである。このことが起こす「失調」は、心理的のみならず、経済的・軍事的、そして何より生活世界的に、いろんな面でいえるだろう。
してみると、まとめると、こういうことになろうか。すなわち、善悪・生殺の相混じる現実というものに対して、単純な王道論は、「敵」を立てまいとする「善の悪循環」から来る、事態の隠蔽/欺瞞をはらみ、結果無責任を生んでしまう。しかし、単なる覇道論も、「敵」を正面立てる「悪の悪循環」からくるジレンマ/パラドクスに至り、やはり結果無責任を引き起こす──と。だとすると、望ましい道筋は、「覇道をも想定しつつ、しかし、王道を理念として堅持して」、前者を後者へと持っていく「プラスのスパイラル」(これは上の「善の悪循環」とはちがう)を構成すること、それが戦争と平和の課題だ、ということになる。それが(戦争と平和をめぐる)戦略的思考というものなのだろう──抽象的な言い方ではあるが──。
もう少し具体的な倫理として言えば、たしかに生起した悪や暴力に対して、抵抗はもちろん対抗と威嚇が必要なときはあるだろう。そこでは、〈道徳の黄金律〉の「裏」すなわち「自己のしてほしくないことを、相手にせよ」「自己がしてほしいことを相手にするな」が正しいこともある。しかし、それがありうるとしても、イラク作戦名のごとき"Shock and Awe"(衝撃と恐怖)によるだけでは決して「治」や「幸福」はもたらせない。プラスの局面になると、先の〈黄金律〉は「表」になり、「自己のしてほしくないことを、相手にするな」「自己がしてほしいことを相手にせよ」が正しい解になってくるし、またその回路が必須である。関係の平和や幸福は、小さな信頼や贈与により、互いを成り立せることによって構築していくものである。前者(ウラの黄金律)があるとしても、それは結局、後者(オモテの黄金律)をあくまでも基本とし必ずこれにつながるものでなければならない。それが従来から、東洋で、「武」が「矛と止む」と訓じられ、孫子でさえ、壊滅ではなく仁を目的として掲げる所以である。だから、「戦争と平和」論も、戦いの連鎖はもちろん止めねばならないし、のみならず、ただ勝利や停止だけでもなく、そうした平和構築のプロセスを組み込んで、構成されねばならない。むろん政策論としてはいろいろ議論があるだろうが、思想的な問題としては、そういうことになる。
現在、日本では、戦後日本の王道論が欺瞞性をもちまた無効であろうといって、覇道論に転轍しようとする議論が多くなっている。しかし、それがまた修羅道につながることにも、自覚的でなければならない。天木は、「戦後生まれ変わった日本という国は、米国のような覇権国とは国の理念が根本的に異なる国なのだ」と述べているが、ぼくもこれに賛成だ。自衛隊が「自衛」隊であることを──つまり前回〔9.16〕的にいうと「コヨリ」で刀を結んであることを──束縛というよりむしろ奇貨として誇るべきである(自衛隊自身にとっても)。墨子的に考えれば、「自衛」隊は、「軍」ではないものでありえ、また実際、「従来型の軍」ではないものにすることができる。「普通の国」であることは、日本の道でも使命でもない。まして、覇権の一翼を担おうとするのは、誤っている(*)。戦後の一国平和主義の無責任性(上の「善の悪循環」)に対する反省は重要だが、しかし、その道は、翻って覇道に至るのではなく、結局、覇道を見据えながらその中にあってどこまでも王道をめざすものでなければならない。そして、さらに個人的な感をいうと、吉田満の「戦艦大和ノ最期」を読んだ者としては、そこに「大和」の逆説的な使命が、また古代道教や儒教・神道にも由来するその概念が、生かされるべきではないかと、そうした事柄の行方にも関心をもたざるを得ない。
(*)アメリカに寄り添って、それで国連常任理事国になろうというが、そんなことは、望ましくもない。たとえ望ましかろうと、それは現実にも「絶対にあり得ない」ことである。だれがアメリカの票をさらにもう一票増やしたいだろうか。
その「戦争及び平和」論は、「政治は戦争の継続」だとまではしないととしても、(とくに国などの外・相互においては)「戦争はある・する傾向のもの」ということが前提になっている。だからその「平和」というのも、要するにそれを前提にした戦争停止・抑止論を意味している(──ただし、その議論の地平には「裾野」ないし「延長」がありうるが、その局面についてはいまは措く)。むろんこれに対して、トルストイを挙げずとも、理想主義的な平和論・非戦論もいろいろある。が、それにしても、多くのリアリズムを標榜する政治論や戦争・平和論は、まずはだいたい「放っておけば戦いになるのが関係というもの」といった枠組を議論の前提においている。要するにある個体(集団を含む)の外部に危機やハザード状態を基本的に想定し、その〈付き合い〉ならぬ〈噛み付き合い〉から議論を立てているわけである(──カントの永久平和論でもそういうところがあるのではないだろうか。要検討)
これに対して、「平時をまず前提にする」立論もある。孔子は有名な「怪力乱神は語らず」の語を残している。彼は春秋時代のもう相当に無秩序な世界を動き回ったが、何度か難に遭ったときも、「天が文を滅ぼそうとしない限り、相手は自分を殺すことなど出来ない」と言っている。天は文化的秩序を守るはずだ、と考えているわけである。これがたぶんのちの「王道」論になる。おそらくそういう伝統をさらに推し進めて、孟子は、いろんな覇王たちに「王道」を高唱している。仁義の徳・道を守りそれを充実することが、軍備と専制による内外の支配堅めよりは、よほど価値的にいいばかりか、実際に天下に王たるべきためにも有効なのだ、と孟子はいう。孟子は、孔子よりはるかに甚だしい戦国時代の戦争とパワーポリティクスの世界に、その王道を説くのだから、彼の言説は観念的に聞こえる。
ただし、孟子は「天」のサンクション(応報)を説いて、その論の有効性を主張している。この点は見過ごすことができない。よく批判されるが、孟子の議論は、あくまでも「王」=為政者のための議論であって、民本主義ではあっても、民主主義ではない。が、今いったその「天」/「民心」のサンクションが「革命」に結びつくことになっているから、大きな意味では、政権交代の問題も、そこに含意されていると見ることができる。王道論を支えるものとしての、天/民心は大きい。つまり、政権交代であれ、個々の戦略上のプロセスであれ、結局は、天/民心が最終的な帰趨を握っている。そしてそれは徳をサンクションする──徳治・礼治を保全すべく動き、その動きは信頼できるものだ、というのが、孟子の立場である(この時の孟子の眼には、民は究極的には無辜の民であって、ずうずうしい大衆などではなかった)。そして、東洋(日本)思想史では、表立っては、この王道論、すなわち天/民心は結局徳治・礼治を保全すべく動くのであり、道はその恒常性に根ざすべきだ、という考えが、政治思想の伝統になって流れていく(*)。
(*)なお、日本では、孟子の道徳論はだいたい容れるが、革命論は(つまりそれが位を根から交替させてしまうところは〔とくに皇統について〕)容れない、という国学流の議論も出てくる。これは一種の伝統主義・保守主義に立つのであって、それゆえに安危に関わる部分をタブー化したのだ、と考えられる。それは、究極的なところで戦争論を排除しているのだともいえる。この「戦い排除」の保守主義は、日本の島国的環境とも共同体性とも絡んで、問題も大きい。一番の問題は、(次段落以下に述べることにも関係するが)「内だけ・ここだけ平和、外や後のことは知らない」ということに陥りがちな点である。ただし、それはネオコン流の攻撃論ではない。その意味ではいまや長所もある。国学イデオロギーみたいになれば問題だが、そうでなければ、生活保守、文化保全主義ぐらいに落ち着く。いまの自民党にはそういう懐かしい?保守派は(野中・後藤田・古賀・亀井などに尾骶骨を残しているだけで)もうあまりいないようだ。
そうした孟子の議論を、とんでもない空想論と見るか(長尾龍一氏『古代中国思想ノート』)、それともそれは観念的にとどまらず本当に現実にも有効な議論だとみるか、は問題として検討すべきである。また、それが仮りに通用するとしても、その底流や現実のうちに何らかの「覇道」が伴ったのではないかということも考える必要がある。つまり、「王道ないし徳治・礼治論」が通用することの、「結果や範囲をも含めた効用の正負」も、よく考える必要がある。というのは、王道論流の「軍事や刑政にではなく、徳・礼による」という考えが、掲げられることで、むろん、平和構築にプラスになることも大いにあるだろう。早い話、論理的にいっても、「その〔王道論流の〕考えの人が皆」であれば、戦争など皆無になることは、明白である。とはいえ、現実には、そうはいかず、悪や戦いがあるわけである──結果において、あるいはある範囲をとれば──。
だとすると、そういう要素・次元があるにもかかわらず、ただ平和論を空想的に説くことは、戦略的思考を欠いた主観主義に結果し、それどころか、悪や戦いを防止できずに引き込むことになる可能性もあるだろう。また、王道論風のよき倫理的装置・時空の想定が、かえって、裏面にアナーキーな暴力を貼り付かせて構造的なセットになっていることもありうる。たとえば、日本の「戦後の平和」は国内的にはその繁栄の裏面に相当に制度的な抑圧や破壊を伴っていたし、周囲の国外・同時代における戦争の代償として成り立っていた。また、近代のヨーロッパにおける民主主義や国際的な公法秩序は、大きくいえば、暴力をヨーロッパ外に転化することで成り立っていた(──それらの「内部状態」がよくないというわけではないが)。現代という時代は、そうした構造的な「仕切り」が取れたことにより、暴力が噴出して来ているのだ。
では、そうだから、覇道によればいいか、というと、そうともいえない。というのは、王道論が、裏面ないし他面に暴力を隠していかねないのに対して、覇道論は覇道論で、いわば、悪夢に入ったがごとく、それだけでは悪循環を起こし、そこから抜けられない可能性が大いにあるからだ。たとえば、天木直人は、現在のアメリカの戦略と、これに加担する日本の策を批判して次のような趣旨の議論を展開している(同氏「メディア裏読み」2004/9/26)。
米国の「テロとの戦い」に巻き込まれる形で日本の安全が脅かされつつある。加えて、「日本近辺における有事」もある。これら(とくに後者)に対して、《軍事的な脅威だけに着目すれば、安全を確保するには米国の軍事力に頼るほかはない。憲法を改正し米軍との軍事同盟を強化することによって北朝鮮や中国からの軍事的脅威に対抗する》というのが政府、官僚、御用学者、財界の主張である。これは一見すれば問答無用の意見のように見える。しかし少しでも冷静に考えれば、この考えこそますます日本の立場を危うくすることになることに気づくはずだ。〔要約〕
このように天木は述べ、(1)戦略的にも、莫大な経費を投じて迎撃ミサイルシステムを作ったとしても完璧な防衛にはならないこと、(2)そのような軍事費を支出することはできないし無理であること〔民生を破壊するがゆえに〕、〔こうして自分たちにとって(1)軍事的不全、(2)民生的破壊であるのみならず〕、さらに対他的に、(3)対決姿勢を強めれば強めるほどそれが相手国への脅威となって相手国を刺激する、かくして軍事競争がエスカレートしていくだろうこと、を指摘している〔要約〕。いわば、覇道にただ与することは、それ自体直接的にも有効でないばかりか、自身の「健康」を持たなくさせるし、相手との関係においても、敵対の悪循環に陥る、というわけである。
そのあとで天木氏は、土山實男著「安全保障の国際政治学」(有斐閣)の書評(坂元一哉)を引いている。この土山の本はぼくはまだ読んでいない。が、坂元一哉は、土山の言を引きながらこう述べている──「……安全保障は人間の幸せにどこか似ている……。貧しくても幸せな人がいるように、安全の十分な備えがなくても安心している国がある。逆に豊かなのに幸せになれない人がいるように、十分な備えがあっても、何かに怯えている国がある……今の米国を見ていると、強者であるがゆえにその優位な立場を失う事の不安に怯え、軍事力で敵をねじ伏せようとするあまり抵抗者の反撃に怯えなければならないという自己矛盾に撞着しているようだ」と。そのような「自己矛盾」は、《安全保障のパラドクス》といわれ、「プロスペクト理論」(何かを失うことの恐れが意思決定に与える影響を論じる)の応用から出てくるのだそうだ。もうひとつ、《安全保障のジレンマ》が言及されているが、これは、天木のいう、(3)〔=対抗や憎悪の連鎖〕のことである。
要するに、覇道論は、「敵」を正面に立ててこれと戦おうとする訳であるが、それは、自身を〈恐れ〉に向けて追い込んでいくと共に、相手との関係相互においてもそうだ、ということである。このことが起こす「失調」は、心理的のみならず、経済的・軍事的、そして何より生活世界的に、いろんな面でいえるだろう。
してみると、まとめると、こういうことになろうか。すなわち、善悪・生殺の相混じる現実というものに対して、単純な王道論は、「敵」を立てまいとする「善の悪循環」から来る、事態の隠蔽/欺瞞をはらみ、結果無責任を生んでしまう。しかし、単なる覇道論も、「敵」を正面立てる「悪の悪循環」からくるジレンマ/パラドクスに至り、やはり結果無責任を引き起こす──と。だとすると、望ましい道筋は、「覇道をも想定しつつ、しかし、王道を理念として堅持して」、前者を後者へと持っていく「プラスのスパイラル」(これは上の「善の悪循環」とはちがう)を構成すること、それが戦争と平和の課題だ、ということになる。それが(戦争と平和をめぐる)戦略的思考というものなのだろう──抽象的な言い方ではあるが──。
もう少し具体的な倫理として言えば、たしかに生起した悪や暴力に対して、抵抗はもちろん対抗と威嚇が必要なときはあるだろう。そこでは、〈道徳の黄金律〉の「裏」すなわち「自己のしてほしくないことを、相手にせよ」「自己がしてほしいことを相手にするな」が正しいこともある。しかし、それがありうるとしても、イラク作戦名のごとき"Shock and Awe"(衝撃と恐怖)によるだけでは決して「治」や「幸福」はもたらせない。プラスの局面になると、先の〈黄金律〉は「表」になり、「自己のしてほしくないことを、相手にするな」「自己がしてほしいことを相手にせよ」が正しい解になってくるし、またその回路が必須である。関係の平和や幸福は、小さな信頼や贈与により、互いを成り立せることによって構築していくものである。前者(ウラの黄金律)があるとしても、それは結局、後者(オモテの黄金律)をあくまでも基本とし必ずこれにつながるものでなければならない。それが従来から、東洋で、「武」が「矛と止む」と訓じられ、孫子でさえ、壊滅ではなく仁を目的として掲げる所以である。だから、「戦争と平和」論も、戦いの連鎖はもちろん止めねばならないし、のみならず、ただ勝利や停止だけでもなく、そうした平和構築のプロセスを組み込んで、構成されねばならない。むろん政策論としてはいろいろ議論があるだろうが、思想的な問題としては、そういうことになる。
現在、日本では、戦後日本の王道論が欺瞞性をもちまた無効であろうといって、覇道論に転轍しようとする議論が多くなっている。しかし、それがまた修羅道につながることにも、自覚的でなければならない。天木は、「戦後生まれ変わった日本という国は、米国のような覇権国とは国の理念が根本的に異なる国なのだ」と述べているが、ぼくもこれに賛成だ。自衛隊が「自衛」隊であることを──つまり前回〔9.16〕的にいうと「コヨリ」で刀を結んであることを──束縛というよりむしろ奇貨として誇るべきである(自衛隊自身にとっても)。墨子的に考えれば、「自衛」隊は、「軍」ではないものでありえ、また実際、「従来型の軍」ではないものにすることができる。「普通の国」であることは、日本の道でも使命でもない。まして、覇権の一翼を担おうとするのは、誤っている(*)。戦後の一国平和主義の無責任性(上の「善の悪循環」)に対する反省は重要だが、しかし、その道は、翻って覇道に至るのではなく、結局、覇道を見据えながらその中にあってどこまでも王道をめざすものでなければならない。そして、さらに個人的な感をいうと、吉田満の「戦艦大和ノ最期」を読んだ者としては、そこに「大和」の逆説的な使命が、また古代道教や儒教・神道にも由来するその概念が、生かされるべきではないかと、そうした事柄の行方にも関心をもたざるを得ない。
(*)アメリカに寄り添って、それで国連常任理事国になろうというが、そんなことは、望ましくもない。たとえ望ましかろうと、それは現実にも「絶対にあり得ない」ことである。だれがアメリカの票をさらにもう一票増やしたいだろうか。
2004年09月16日
軍事は専守防衛・国境まで、民生活動は積極的に海外へ
民主党の岡田代表(以下、岡田)の発言をきっかけに、8月3日の項で、「貢献」は武力行使でするのか非武力でするのか、という問いを考え始めた。ただ、見ればおわかりのように、例のごとく話がくどくなってしまって、言いたいことまでなかなか行き着かない。そうこうしているうちに、岡田のこの関連の記事にまた出会った。日本記者クラブで話し、「PKOでの武器使用基準は二重基準をとるのがいい」といい(この場合の二重基準は、日本流の武器制限を使い分けで緩めろ、という話である)、また重ねて、「今の憲法では海外での武力行使はできない。改憲で海外で武力行使まで含めてできるようにするべきではないか」と述べ、湾岸戦争を例に、「イラク軍を国境に押し返すところまでは、日本も一緒にやるべきではないか」と説明したという(朝日04.09.16)。
岡田は、以前見たTVでは、これは問題提起だという言い方をしていたが、どうも今回で真意がすっきりわかった。要するに、「普通の国になって、武力行使にも参加したい。そうすると(他国にも役立つし)日本のプレゼンスも上がるだろう」というわけである。しかし、この方向の考え方には、ぼくはまったく反対である。というか、戦略判断としても、歴史と将来の筋見としても、間違っていると思う。
同じ朝日の紙面では、小沢一郎前代表代行(以下、小沢)が、水害・ヘリ事故にすぐ行くべきだったといって、岡田のフットワークの悪さと党の官僚主義を批判している。これはこれで興味ぶかい。岡田の、「安定感がある」かもしれないが、官僚出身の「どちらかというと上の世界だけ見ていて思考が固定的である」という性格がよく指摘されていると思われるからだ。小泉流のサイテーでかつ危なっかしいのよりはよほどいいだろうが、この岡田の筋で、本当に人々のための平和や幸福が見いだされるのかは疑問である。よい方向に変われるなら、変わってほしいものだが、無理だろうか。。。
最初の問題にも関連するが、小沢はそこで、今後の選択について、政党問題の次元においてだが論じて、「内向きで伝統的なもの、コンセンサスを重んじる日本的な色彩の濃い政党と、オープンでフリー、もっと外向きで積極的な政党、この哲学の差が二大政党だ」と述べている。で、彼自身は、結局後者を選ぶ、というのだ。この分類もそれ自体としては面白く、その「フリー、もっと外向きで積極的」というところに、小沢のグローバリズム志向がよく出ている。ただ、この二分法は、じつは、ぼくの考えでは、単純で現実を見誤るという意味で間違っており、それが現在の種々の混迷の原因でもある。逆にいうと、その両概念を組み替えたところに出る解に、じつは「あるべき筋」が見えるはずである。つまり、本当のあるべき筋は、その二つの対立葛藤ではなく、その間の「中」であるようなあり方、つまり「内や伝統を重んじながら、しかも外に開かれている道」を求めていくことにある。それはグローカリズムでもある。(我田引水みたいになるけれど)
外交政策でいうと、《軍事はあくまでも、専守防衛で、しかも国内だけにとどめ、しかし、民生的な意味での平和活動は、積極的に海外に出ていく》、そのような道こそ日本の道だ。20世紀に出来た「普通の国」型のことをしたり、アメリカ流グローバリズムの資本や軍事の同伴者になったりして、だれが喜びだれが尊敬するだろうか。国や国民の市場戦略としても、そんなだれも欲しくないものをしたり作ったりするよりは、地球上の百姓民草が欲しいと思っているものをこそしたり作ったりすべきだ。その方が、理念的にはもちろん、国益としても正しい選択だと思う。また国内的にも、「外に出る回路」が閉じていてみんな窒息しているのだが、その出方がピストルだというのは馬鹿で、逆切れの子ども以下(大人なのだから)である。もっとそれ以外に、世のため人のため自分のためにすることがあるだろう。むろん、そのためにはいろんな隘路があるが、それを解決することに努力が注がれるべきだ。その意味でも、岡田の、武力行使へと筋を通したくて仕方がない、それで周りに認めてもらいたがっている論は、目指す方向がそもそも間違っている。
戦後の日本がした一番の「貢献」というか、世界に受け入れてもらえたことは何だったのか。生産物でいうと、家庭や生活世界のための、民生機器をいろいろ作ったこと、サブカルチャーを種々生んだこと、それしかない。ODAが軍事的でなかったのはいいのだろうが、上からいろいろ政府や大企業中心でやったことには問題も多いのだろう。むしろ、個々の人の活動でいうと、お父さんが沖仲士の親分だったアフガンの中村哲さんを始め、世界にいろいろ散って動いている人がいる。それこそ、「尊敬」すべきことだ。実際、個々の戦後日本人の国際活動は、物売りでも協力隊でもスポーツなどの指導員も坊さんも、意外に評判がいい。そうした信用を潰すことは馬鹿であり、まるで小泉である。「メダル」を取るみたいに勝って強いぞということになったら喜び、他人も尊敬してくれ、世界が治まると思うのは、幼稚園児かやくざである──それをする個々の人はもちろん結構で立派だが、世界をメダル取りみたいに思っているのは、やはり阿呆である。
言わずもがなだが、戦後日本の「思想」は9割方、まったくの受け売りのやり続けか、さもなければ、「無」とか「絶対矛盾」とかいっているばかりで、使い物にならなかった。知識人というか、子どものオヘソいじりのようなものだった。そこでは、もちろん高い理想も愛も平和ももう語られてはいない(それをいうのは今やTVで時々やられるチャリティー番組だけである)。それが大人げないといって、最近は、オヘソいじりをしないで、ピストルを持ちたいという人種が増えてきた。ぼくは職業としての警察も軍人も現在ではあるほかないし、それはそれで尊いものたりうると思っているが、ピストルを「持ちたい」とやたらいう人種は大嫌いだ。それはブッシュや小泉や金正日を見ればわかるが、子ども大人である〔自分の子どもの時を振り返っても、銃器や戦艦・戦闘機などに関心をもち、それが何かリアルな現実に関わるかにおもったのは小学校の3年ぐらいまでだった〕(*)。しかし、その手合いが実際にものすごいパワーを手にしてそれを使い出すのだから怖い。子どもなら子どもになってほしい。大人なら立派な大人になってほしい。──話がそれたが、戦後の日本は、いうなれば、理想も愛も戦争と平和も、民や子どもたちの生活のうちに、そのカルチャーのうちにだけ込められている。実際には大きな戦艦も作らず、他国のように産業や政治が軍事に掣肘されることも(一応)なかった。そのことの可能性を考えるべきである。
(*)そう書いたのだが、あとで「軍事マニア」みたいでも、すごく面白い人がいるのを知った。加藤健二郎さんだ。ここの議論はちょっと雑に過ぎた。意を汲んでください〔04.09.19記〕
戦後(近代)日本がしたり作ったりしたカルチャーや民生技術のいいものは、意外にも(というか当然というべきか)、平安文化や江戸文化につながるものがある。それがたとえ「偉大」なものでなくても難があっても、それを文化と言わずして何といおう。美的なものや手仕事はいいものが多い。技術だって、電気釜に始まる白物家電やら家庭物・生活物の技仕事はいい。しかし、ロケットなどは、いまだ人工衛星も上げられない有様で、神様がやめろといっているのかとさえ思いたくなる。そう考えてみると、何が出来ることか、何が自分にとっても人にとっても、大事なことかがわかる。だれが、日本がミサイルを飛ばすことを喜んでくれるだろうか。だから、自衛隊は、国内的にとどまるのがいい。海外的には、個々人やNGOの活動がますます重要で、それを日本の老若男女のこれからの仕事にしてもいいぐらいだ。そしてそれでは足りない部分を、土木・医療・救援・警察等を主眼とする公的部隊や組織が担うといった形に進むのが大事だろう。──そうぼく自身は思っている。現に自衛隊がやっていることもその範疇の内側ではないか。もし部隊が行くならば、「従来型の軍」では全くなく、専ら「生活世界構築のための部隊」であることを標榜して、それを徹底して守り発展させていくべきだ。そうしたことこそ、誇るべきことだ。非軍事活動にもっぱら徹底する存在であることは、日本の歴史的使命であるばかりか、現在のような暴力の連鎖の世界にあって、平和のために貴重で真に現実的な行動でもある。もちろん、それは「日本の伝統文化」にも「アジアの精神文化」にも叶っているし、どんな他地域の文化にも叶うことができる。人々が生活することをこそ大事にする営みだからだ。
したがって、憲法だとか武器輸出制限の原則だとか、いろいろ縛りがあることは、束縛ではなく、むしろチャンスだったしまた今後もそうなのである。ただし、日本だけのためでなく、他のひとびとのためにも──。勝海舟は、暗殺の横行した幕末に、「危なっかしいから、却って刀を抜けないようにコヨリで結んだ」ということを『氷川清話』に書いているが、さすが勝である。下手な斬り合いに入らないようにしたのである。しかし勝が、では危険を避けるだけだったかというとそうではなく、彼は、いろんなところに動き回って「話し続けた」のだ。それが、最終的に、江戸の町を市民を巻き込んだ流血の巷にすることから救うことにもなった。だから、その「コヨリ」に当たる憲法の条項というは、よいことなのである。そして、そのコヨリ=縛りを元々アメリカがつくったのだったら、それは好都合でさえある。親分が「殺し合いに出ろ」といっても、「うちの家訓だ」というだけでなく、「あんたの方でその家訓づくりやったんじゃないか」と言えるからだ。そしてその好都合によって、戦後日本を何かを作ったりしたりして生きたのである。それが卑屈だとか「血も汗もかかない」という人士がいる。そもそも、鉄砲を持ったら卑屈じゃなくなるという感覚がぼくにはわからないが、たしかに民生に傾注しても利潤を自分にだけ戻したら卑屈だろう。しかし、自分のみならず人の民生のために尽力するのであれば、それとミサイルを発射するのとどちらがエライのか、前者であることは明白ではないか。だから、力を民生に注いだ/注ぐということ自体は恥ずべきことでも何でもなく、よいことである。大事なのは、そのよい事を、自分のためだけでなく、他のひとのためにも役立て、ひとびとと共有していくことである。だから改憲するなら、もっと平和主義にしてもいいぐらいだ。自衛隊も、もっと民生防衛隊・構築隊にして展開すればいい。それはもちろん国是に(平和憲法はもちろん、日本文化の歴史にも、19世紀までの天皇制にさえ)叶うことである。のみならず、それは大地の上〔地球上〕に生きるひとびとが望むことであり、ちゃんとやれば自他ともに(ドンパチや威張り合いではなく)互いに尊敬や理解を高め合うことにもつながる。
翻って、逆にそうした平和原則をはずしたら、どんな修羅道に引き込まれるか、判ったものではない。いまの日本は、麻薬やハジキを持ったやくざの親分に誘われているようなものである。それについて行ったらどうなるというのだ。国を誤るべきではない。いや日本の問題だけではない。世界にとっても、専ら非軍事で活動する希有な国が失われてしまうではないか。こんなもったいないことはない。その可能性を潰して、やくざの仲間入りするのがそんなに一人前でうれしいか。彼らと背丈が揃い、ちょっと凌いでみせられるならそんなに晴れがましいか。そんなことを思っている人も国も、まったく下(げ)である。哲さんを見てみろ、あんなにチビで汚い格好をして淡々と動き回っていて、それこそ神々しいではないか。
ぼくのこの考えからいうと、岡田・小沢の意見は問題を外しているし、小泉はまったく間違っている。岡田については、期待がなくもないから、いろいろ検討してみたのだが、如何せん、目が官僚的・上空的というか、従来型の国際関係論・国際政治などといった馬鹿な知識にやられている──。とはいえ、現実の方はもっとひどい方向に向いている。同じ今日の新聞に載っているが、小泉首相の私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」では、1957年に定めた基盤的防衛構想の「独立国として必要最小限の防衛力を整備する」という考え方に批判が相次いで、これに縛られてはならないという観点から、もっとアメリカとの連携を強めるとか、自衛隊の海外任務を中心的な仕事にするとか、武器輸出三原則をハズすとか、積極的な軍事力整備の方向づけをするのだそうだ。こういう考えが政府から進められることは間違いないだろう(会議の現物はここ。知り合いの川瀬氏もこの点についてふれている)。それにしても、この懇談会に入っている田中明彦については、もう分かっていたが、山崎正和とか五百旗部真といったひとは何を考えているのかなと唖然とする。ところが、あにはからんや、こうした人や小泉すら、ネット右翼からは猛然と叩かれている。何という世界だろう。ブッダでなくとも「無明」というほかはない。修羅界からみんなで抜けねばだめだ。
生活にとってもっとも内でありかつ外にもあること、もっとも右でありかつ左でもあること、もっとも低くかつ高いこと、それを求めることから解は出てくる。嘉納治五郎だって「柔よく剛を制す」「精力善用自他共栄」といっている。「暮らしは低く思いは高く」(ワーズワース)、「卑近の中に光明あり」(伊藤仁斎)ではないか。そのような方向に、文明は転換するに違いないし、そうでなければひとも地球も持たないだろう。もちろんひとりのぼく自身も。
岡田は、以前見たTVでは、これは問題提起だという言い方をしていたが、どうも今回で真意がすっきりわかった。要するに、「普通の国になって、武力行使にも参加したい。そうすると(他国にも役立つし)日本のプレゼンスも上がるだろう」というわけである。しかし、この方向の考え方には、ぼくはまったく反対である。というか、戦略判断としても、歴史と将来の筋見としても、間違っていると思う。
同じ朝日の紙面では、小沢一郎前代表代行(以下、小沢)が、水害・ヘリ事故にすぐ行くべきだったといって、岡田のフットワークの悪さと党の官僚主義を批判している。これはこれで興味ぶかい。岡田の、「安定感がある」かもしれないが、官僚出身の「どちらかというと上の世界だけ見ていて思考が固定的である」という性格がよく指摘されていると思われるからだ。小泉流のサイテーでかつ危なっかしいのよりはよほどいいだろうが、この岡田の筋で、本当に人々のための平和や幸福が見いだされるのかは疑問である。よい方向に変われるなら、変わってほしいものだが、無理だろうか。。。
最初の問題にも関連するが、小沢はそこで、今後の選択について、政党問題の次元においてだが論じて、「内向きで伝統的なもの、コンセンサスを重んじる日本的な色彩の濃い政党と、オープンでフリー、もっと外向きで積極的な政党、この哲学の差が二大政党だ」と述べている。で、彼自身は、結局後者を選ぶ、というのだ。この分類もそれ自体としては面白く、その「フリー、もっと外向きで積極的」というところに、小沢のグローバリズム志向がよく出ている。ただ、この二分法は、じつは、ぼくの考えでは、単純で現実を見誤るという意味で間違っており、それが現在の種々の混迷の原因でもある。逆にいうと、その両概念を組み替えたところに出る解に、じつは「あるべき筋」が見えるはずである。つまり、本当のあるべき筋は、その二つの対立葛藤ではなく、その間の「中」であるようなあり方、つまり「内や伝統を重んじながら、しかも外に開かれている道」を求めていくことにある。それはグローカリズムでもある。(我田引水みたいになるけれど)
外交政策でいうと、《軍事はあくまでも、専守防衛で、しかも国内だけにとどめ、しかし、民生的な意味での平和活動は、積極的に海外に出ていく》、そのような道こそ日本の道だ。20世紀に出来た「普通の国」型のことをしたり、アメリカ流グローバリズムの資本や軍事の同伴者になったりして、だれが喜びだれが尊敬するだろうか。国や国民の市場戦略としても、そんなだれも欲しくないものをしたり作ったりするよりは、地球上の百姓民草が欲しいと思っているものをこそしたり作ったりすべきだ。その方が、理念的にはもちろん、国益としても正しい選択だと思う。また国内的にも、「外に出る回路」が閉じていてみんな窒息しているのだが、その出方がピストルだというのは馬鹿で、逆切れの子ども以下(大人なのだから)である。もっとそれ以外に、世のため人のため自分のためにすることがあるだろう。むろん、そのためにはいろんな隘路があるが、それを解決することに努力が注がれるべきだ。その意味でも、岡田の、武力行使へと筋を通したくて仕方がない、それで周りに認めてもらいたがっている論は、目指す方向がそもそも間違っている。
戦後の日本がした一番の「貢献」というか、世界に受け入れてもらえたことは何だったのか。生産物でいうと、家庭や生活世界のための、民生機器をいろいろ作ったこと、サブカルチャーを種々生んだこと、それしかない。ODAが軍事的でなかったのはいいのだろうが、上からいろいろ政府や大企業中心でやったことには問題も多いのだろう。むしろ、個々の人の活動でいうと、お父さんが沖仲士の親分だったアフガンの中村哲さんを始め、世界にいろいろ散って動いている人がいる。それこそ、「尊敬」すべきことだ。実際、個々の戦後日本人の国際活動は、物売りでも協力隊でもスポーツなどの指導員も坊さんも、意外に評判がいい。そうした信用を潰すことは馬鹿であり、まるで小泉である。「メダル」を取るみたいに勝って強いぞということになったら喜び、他人も尊敬してくれ、世界が治まると思うのは、幼稚園児かやくざである──それをする個々の人はもちろん結構で立派だが、世界をメダル取りみたいに思っているのは、やはり阿呆である。
言わずもがなだが、戦後日本の「思想」は9割方、まったくの受け売りのやり続けか、さもなければ、「無」とか「絶対矛盾」とかいっているばかりで、使い物にならなかった。知識人というか、子どものオヘソいじりのようなものだった。そこでは、もちろん高い理想も愛も平和ももう語られてはいない(それをいうのは今やTVで時々やられるチャリティー番組だけである)。それが大人げないといって、最近は、オヘソいじりをしないで、ピストルを持ちたいという人種が増えてきた。ぼくは職業としての警察も軍人も現在ではあるほかないし、それはそれで尊いものたりうると思っているが、ピストルを「持ちたい」とやたらいう人種は大嫌いだ。それはブッシュや小泉や金正日を見ればわかるが、子ども大人である〔自分の子どもの時を振り返っても、銃器や戦艦・戦闘機などに関心をもち、それが何かリアルな現実に関わるかにおもったのは小学校の3年ぐらいまでだった〕(*)。しかし、その手合いが実際にものすごいパワーを手にしてそれを使い出すのだから怖い。子どもなら子どもになってほしい。大人なら立派な大人になってほしい。──話がそれたが、戦後の日本は、いうなれば、理想も愛も戦争と平和も、民や子どもたちの生活のうちに、そのカルチャーのうちにだけ込められている。実際には大きな戦艦も作らず、他国のように産業や政治が軍事に掣肘されることも(一応)なかった。そのことの可能性を考えるべきである。
(*)そう書いたのだが、あとで「軍事マニア」みたいでも、すごく面白い人がいるのを知った。加藤健二郎さんだ。ここの議論はちょっと雑に過ぎた。意を汲んでください〔04.09.19記〕
戦後(近代)日本がしたり作ったりしたカルチャーや民生技術のいいものは、意外にも(というか当然というべきか)、平安文化や江戸文化につながるものがある。それがたとえ「偉大」なものでなくても難があっても、それを文化と言わずして何といおう。美的なものや手仕事はいいものが多い。技術だって、電気釜に始まる白物家電やら家庭物・生活物の技仕事はいい。しかし、ロケットなどは、いまだ人工衛星も上げられない有様で、神様がやめろといっているのかとさえ思いたくなる。そう考えてみると、何が出来ることか、何が自分にとっても人にとっても、大事なことかがわかる。だれが、日本がミサイルを飛ばすことを喜んでくれるだろうか。だから、自衛隊は、国内的にとどまるのがいい。海外的には、個々人やNGOの活動がますます重要で、それを日本の老若男女のこれからの仕事にしてもいいぐらいだ。そしてそれでは足りない部分を、土木・医療・救援・警察等を主眼とする公的部隊や組織が担うといった形に進むのが大事だろう。──そうぼく自身は思っている。現に自衛隊がやっていることもその範疇の内側ではないか。もし部隊が行くならば、「従来型の軍」では全くなく、専ら「生活世界構築のための部隊」であることを標榜して、それを徹底して守り発展させていくべきだ。そうしたことこそ、誇るべきことだ。非軍事活動にもっぱら徹底する存在であることは、日本の歴史的使命であるばかりか、現在のような暴力の連鎖の世界にあって、平和のために貴重で真に現実的な行動でもある。もちろん、それは「日本の伝統文化」にも「アジアの精神文化」にも叶っているし、どんな他地域の文化にも叶うことができる。人々が生活することをこそ大事にする営みだからだ。
したがって、憲法だとか武器輸出制限の原則だとか、いろいろ縛りがあることは、束縛ではなく、むしろチャンスだったしまた今後もそうなのである。ただし、日本だけのためでなく、他のひとびとのためにも──。勝海舟は、暗殺の横行した幕末に、「危なっかしいから、却って刀を抜けないようにコヨリで結んだ」ということを『氷川清話』に書いているが、さすが勝である。下手な斬り合いに入らないようにしたのである。しかし勝が、では危険を避けるだけだったかというとそうではなく、彼は、いろんなところに動き回って「話し続けた」のだ。それが、最終的に、江戸の町を市民を巻き込んだ流血の巷にすることから救うことにもなった。だから、その「コヨリ」に当たる憲法の条項というは、よいことなのである。そして、そのコヨリ=縛りを元々アメリカがつくったのだったら、それは好都合でさえある。親分が「殺し合いに出ろ」といっても、「うちの家訓だ」というだけでなく、「あんたの方でその家訓づくりやったんじゃないか」と言えるからだ。そしてその好都合によって、戦後日本を何かを作ったりしたりして生きたのである。それが卑屈だとか「血も汗もかかない」という人士がいる。そもそも、鉄砲を持ったら卑屈じゃなくなるという感覚がぼくにはわからないが、たしかに民生に傾注しても利潤を自分にだけ戻したら卑屈だろう。しかし、自分のみならず人の民生のために尽力するのであれば、それとミサイルを発射するのとどちらがエライのか、前者であることは明白ではないか。だから、力を民生に注いだ/注ぐということ自体は恥ずべきことでも何でもなく、よいことである。大事なのは、そのよい事を、自分のためだけでなく、他のひとのためにも役立て、ひとびとと共有していくことである。だから改憲するなら、もっと平和主義にしてもいいぐらいだ。自衛隊も、もっと民生防衛隊・構築隊にして展開すればいい。それはもちろん国是に(平和憲法はもちろん、日本文化の歴史にも、19世紀までの天皇制にさえ)叶うことである。のみならず、それは大地の上〔地球上〕に生きるひとびとが望むことであり、ちゃんとやれば自他ともに(ドンパチや威張り合いではなく)互いに尊敬や理解を高め合うことにもつながる。
翻って、逆にそうした平和原則をはずしたら、どんな修羅道に引き込まれるか、判ったものではない。いまの日本は、麻薬やハジキを持ったやくざの親分に誘われているようなものである。それについて行ったらどうなるというのだ。国を誤るべきではない。いや日本の問題だけではない。世界にとっても、専ら非軍事で活動する希有な国が失われてしまうではないか。こんなもったいないことはない。その可能性を潰して、やくざの仲間入りするのがそんなに一人前でうれしいか。彼らと背丈が揃い、ちょっと凌いでみせられるならそんなに晴れがましいか。そんなことを思っている人も国も、まったく下(げ)である。哲さんを見てみろ、あんなにチビで汚い格好をして淡々と動き回っていて、それこそ神々しいではないか。
ぼくのこの考えからいうと、岡田・小沢の意見は問題を外しているし、小泉はまったく間違っている。岡田については、期待がなくもないから、いろいろ検討してみたのだが、如何せん、目が官僚的・上空的というか、従来型の国際関係論・国際政治などといった馬鹿な知識にやられている──。とはいえ、現実の方はもっとひどい方向に向いている。同じ今日の新聞に載っているが、小泉首相の私的諮問機関「安全保障と防衛力に関する懇談会」では、1957年に定めた基盤的防衛構想の「独立国として必要最小限の防衛力を整備する」という考え方に批判が相次いで、これに縛られてはならないという観点から、もっとアメリカとの連携を強めるとか、自衛隊の海外任務を中心的な仕事にするとか、武器輸出三原則をハズすとか、積極的な軍事力整備の方向づけをするのだそうだ。こういう考えが政府から進められることは間違いないだろう(会議の現物はここ。知り合いの川瀬氏もこの点についてふれている)。それにしても、この懇談会に入っている田中明彦については、もう分かっていたが、山崎正和とか五百旗部真といったひとは何を考えているのかなと唖然とする。ところが、あにはからんや、こうした人や小泉すら、ネット右翼からは猛然と叩かれている。何という世界だろう。ブッダでなくとも「無明」というほかはない。修羅界からみんなで抜けねばだめだ。
生活にとってもっとも内でありかつ外にもあること、もっとも右でありかつ左でもあること、もっとも低くかつ高いこと、それを求めることから解は出てくる。嘉納治五郎だって「柔よく剛を制す」「精力善用自他共栄」といっている。「暮らしは低く思いは高く」(ワーズワース)、「卑近の中に光明あり」(伊藤仁斎)ではないか。そのような方向に、文明は転換するに違いないし、そうでなければひとも地球も持たないだろう。もちろんひとりのぼく自身も。
2004年09月10日
生きている物語を知る
ひとは誰もたいてい自分の奥の方に何かの衝動のようなものをもっている。フロイトがリビドーといい、ユングは原型といい、仏教が、無明/渇愛だとか業だとか呼んだものに、それは関わる。いや、そこまで言わなくても、「夢」を見るときに、それをつなぐと、ぼくらが生きていることを何か動かしている質のような力があることがわかるが、そうした何かである。
子どものとき、図鑑を見ているうちに、いつのまにか一心不乱になっていた。また、面白いお話を読んだら、そのことばかり考えていた。そのときも、ぼくを何かが動かしていた。何か物に関心が入ってしまう場合もあったし、ひととの関係や愛/性のようなものによって、とらわれたり、わくわくしたり、潰れたりすることもあった。いずれにせよ、ぼくを何か奥の方で駆動するものがあった。たぶん、そうしたものは何十年も変化しながら心身の奥底に動いている。
衝動は、生きているうちにいろんな経験を経て大きくなったりしぼんだり、ねじれたりする。もちろん強い欲望になり、またひとを変なふうに動かすこともある。衝動は、つよい憧れを恐れや愛憎や生死に関わるような願望などに関わっている。そして思うに、物語──とくにファンタジーは、その奥底の力に関わって生まれるものだ。その意味で、ひとはたいてい自分の奥の方に、たとえはっきりと自覚していなくても、物語や夢を抱いて生きているのだ。世のいわゆる「物語」や「夢」はひとのそれを外化して形づけたものだともいえる。
少し前までは、ぼくは、目の前の物理的な現実がまあリアリティであり、その物語や夢の方が現実の派生物なのだろうな、と思っていた。そうともいえないという感じもしてはいたが、ともかくまあそう思うことにしていた。しかし、最近は、どうも、その物語や夢として捉えられるものの方がじつは実在(リアル)で、現実といわれているものの方がその写像なのではないか、という気がしてきた。
よく人が死んだときに、先立たれた人が、また私も行きます、という。あれはレトリックかと思っていた。が、最近は、そうでもないという気がしてきた。たとえば、亡くなった人について、そのひとの顔、言葉、交わした思い出がある。その記憶は、ぼくの「内面」だけのものか? そうではなく、そのコミュニケーションの記憶こそがじつは客観でありリアルなのではないのか。──そんなことを言う人がいたら、無理をしてそう思い込んでいるのだろうな、と以前のぼくは感じていた。しかし、最近は、たしかにそう思おうとしている場合もあるだろうが、まったく自然にそう感じている場合もあるんだな、と思えてきた。
歴史を振り返ると、中世以前のひとは、だいたい現代人からみると夢のような世界を実在として生きている。そのように生きて来た方が人類史にとっては長い。しかし、近現代ではそうではなくなった。近現代になって、強固な完結した意識が出来たからだ。それは近現代の人間の周囲を覆う諸システムの堅固さとも対応している。物が確かなものだから、意識も確かだと考えているのだ──浅はかなことだが(ちなみにデカルトのコギトの確実性はじつは物体についての信憑を内界に投影して自己意識の裏を取ろうとしているのだ)。ただ、たしかに近現代、意識が固まったのだとしても、その奥の方では、やはりむかしと同様なのではないか。いまも、だれだって、無意識裡に何かの物語やそれをめぐるカルマを抱いて生きているのではないか。
近現代では、そうした奥底の衝動について、事柄について、無いと思っていたり、あると思っても漫画にもならない単純な機械的図式だけで、じつは五里霧中である──つまりそれを「何も知らない」。だが、その分だけ、それに容易に取り憑かれる可能性が以前よりかえって大である。近現代のひとにとって世界はいっそう確実なのだろうが、その世界は翻っていっそう不確実である。中世までのひとにとって世界はもっと不確実だろうが、その世界はもっと確実だろう。だとすれば近現代人であるぼくは、その物語とは何なのか──「ぼくは何を生きているのか」──それを知らねばならない。
おそらく、ブッシュだって、強固な語りに取り憑かれて生きている。そこには彼自身が表で思っているレベルもあるだろうが、しかし彼自身が、みずから知らない、もっと深い物語のなかに捕囚されており、彼はそれに取り憑かれた狂人(猿といいたいが、猿に却って申し訳ない)かもしれない。小泉などはもうinsaneというか無茶苦茶というほか無いようなキャラクターで、ファミコン以下である。しかし、それに牛耳られ投影を起こしつづけている方も、もう質の悪い何かにやられているというほかはない。しかもその漫画や機械図から、現に災厄が起こるのである。
話がずれた。言いたいのは、奥に働いている物語がありそうで、それが何かを吟味する必要がある、ということだ。そして、その物語がもしも変容するならば、それは翻って自身の現にある生の変容にもつながるだろう。だが、そうしたことは──そのうち往相の道すじでさえ──当然、容易ではない。若いころ、ぼくは、「思考」はそれと何とか付き合って解決にもたらせるのに、「気分」はどうしてそうではなく容易に変化できないのか不思議だった。気づいたのは、気分が、(出来事や仕事、人間との関係といったことを別にして、自分に直接する部分でいうと)食べ物や眠りや環境や身体の具合や習慣といった身心の裾野・基底というべきものに深く関わっている、という事実だった。別言すると、その裾野・基底に関わるような一種の習慣的な「行」によって、気分は相当にコントロールすることができる。ところが、そのさらに奥のもの──さっきから仮りに「衝動」と呼んでいるもの──には、そう簡単には届かないのだ。
おそらく過去のひとたちは、それをいろんな形で扱おうとしたのだろう。いまぼくは、その部分に専ら「行」をふかめるという形では接近しようと思わないけれども、しかし「物語を知る」ことによって何ほどかは近づけるのではないか、と思う。そして『荘子』に有名な「胡蝶の夢」というのがあるが、その「物語を知る」ことも、実際に物語を生きることであると同時に、その荘子の話のように、自分を別の意識から知ることにもつながっている。その際、自我は転換をはらんで多元的なものになり、いわば別のものたちのうちに宿る。ウパニシャッドが問題にしているのも、そのようなことであるらしい。
最初に、実在(リアリティー)が反転してきたみたいなことを述べた。神道には「霊主体従」という考えがある。そういうと変なようだが、プラトンのイデア論だって、また西欧思想にずっと流れている、世界の基底に「言」が埋もれていて、それが事柄を生起している、といった考えだって、同じようなものである。要は、その「霊」「イデア」「言」と思っているものが一体何なのかである。むかしのひとは、それを「審神(さにわ)」したりその「業」(カルマン)を解読したりしたのだが、近代人はテキストに即してこれを「解釈」した。いま、それは占い師や種々の心理業者やメディア操作人たちの手に入ってしまい、科学や学問と名がつくものは(狭い専門性は誇っていても)じつは生の解読については痴呆同然になってしまった。しかし、それらとはちがう仕方で、それを知ることが問われている。そのことは、よき物語をぼくらの生に取り戻すことにつながる。いや、取り戻しにつながらねばならない。〔04/09/12補訂〕
子どものとき、図鑑を見ているうちに、いつのまにか一心不乱になっていた。また、面白いお話を読んだら、そのことばかり考えていた。そのときも、ぼくを何かが動かしていた。何か物に関心が入ってしまう場合もあったし、ひととの関係や愛/性のようなものによって、とらわれたり、わくわくしたり、潰れたりすることもあった。いずれにせよ、ぼくを何か奥の方で駆動するものがあった。たぶん、そうしたものは何十年も変化しながら心身の奥底に動いている。
衝動は、生きているうちにいろんな経験を経て大きくなったりしぼんだり、ねじれたりする。もちろん強い欲望になり、またひとを変なふうに動かすこともある。衝動は、つよい憧れを恐れや愛憎や生死に関わるような願望などに関わっている。そして思うに、物語──とくにファンタジーは、その奥底の力に関わって生まれるものだ。その意味で、ひとはたいてい自分の奥の方に、たとえはっきりと自覚していなくても、物語や夢を抱いて生きているのだ。世のいわゆる「物語」や「夢」はひとのそれを外化して形づけたものだともいえる。
少し前までは、ぼくは、目の前の物理的な現実がまあリアリティであり、その物語や夢の方が現実の派生物なのだろうな、と思っていた。そうともいえないという感じもしてはいたが、ともかくまあそう思うことにしていた。しかし、最近は、どうも、その物語や夢として捉えられるものの方がじつは実在(リアル)で、現実といわれているものの方がその写像なのではないか、という気がしてきた。
よく人が死んだときに、先立たれた人が、また私も行きます、という。あれはレトリックかと思っていた。が、最近は、そうでもないという気がしてきた。たとえば、亡くなった人について、そのひとの顔、言葉、交わした思い出がある。その記憶は、ぼくの「内面」だけのものか? そうではなく、そのコミュニケーションの記憶こそがじつは客観でありリアルなのではないのか。──そんなことを言う人がいたら、無理をしてそう思い込んでいるのだろうな、と以前のぼくは感じていた。しかし、最近は、たしかにそう思おうとしている場合もあるだろうが、まったく自然にそう感じている場合もあるんだな、と思えてきた。
歴史を振り返ると、中世以前のひとは、だいたい現代人からみると夢のような世界を実在として生きている。そのように生きて来た方が人類史にとっては長い。しかし、近現代ではそうではなくなった。近現代になって、強固な完結した意識が出来たからだ。それは近現代の人間の周囲を覆う諸システムの堅固さとも対応している。物が確かなものだから、意識も確かだと考えているのだ──浅はかなことだが(ちなみにデカルトのコギトの確実性はじつは物体についての信憑を内界に投影して自己意識の裏を取ろうとしているのだ)。ただ、たしかに近現代、意識が固まったのだとしても、その奥の方では、やはりむかしと同様なのではないか。いまも、だれだって、無意識裡に何かの物語やそれをめぐるカルマを抱いて生きているのではないか。
近現代では、そうした奥底の衝動について、事柄について、無いと思っていたり、あると思っても漫画にもならない単純な機械的図式だけで、じつは五里霧中である──つまりそれを「何も知らない」。だが、その分だけ、それに容易に取り憑かれる可能性が以前よりかえって大である。近現代のひとにとって世界はいっそう確実なのだろうが、その世界は翻っていっそう不確実である。中世までのひとにとって世界はもっと不確実だろうが、その世界はもっと確実だろう。だとすれば近現代人であるぼくは、その物語とは何なのか──「ぼくは何を生きているのか」──それを知らねばならない。
おそらく、ブッシュだって、強固な語りに取り憑かれて生きている。そこには彼自身が表で思っているレベルもあるだろうが、しかし彼自身が、みずから知らない、もっと深い物語のなかに捕囚されており、彼はそれに取り憑かれた狂人(猿といいたいが、猿に却って申し訳ない)かもしれない。小泉などはもうinsaneというか無茶苦茶というほか無いようなキャラクターで、ファミコン以下である。しかし、それに牛耳られ投影を起こしつづけている方も、もう質の悪い何かにやられているというほかはない。しかもその漫画や機械図から、現に災厄が起こるのである。
話がずれた。言いたいのは、奥に働いている物語がありそうで、それが何かを吟味する必要がある、ということだ。そして、その物語がもしも変容するならば、それは翻って自身の現にある生の変容にもつながるだろう。だが、そうしたことは──そのうち往相の道すじでさえ──当然、容易ではない。若いころ、ぼくは、「思考」はそれと何とか付き合って解決にもたらせるのに、「気分」はどうしてそうではなく容易に変化できないのか不思議だった。気づいたのは、気分が、(出来事や仕事、人間との関係といったことを別にして、自分に直接する部分でいうと)食べ物や眠りや環境や身体の具合や習慣といった身心の裾野・基底というべきものに深く関わっている、という事実だった。別言すると、その裾野・基底に関わるような一種の習慣的な「行」によって、気分は相当にコントロールすることができる。ところが、そのさらに奥のもの──さっきから仮りに「衝動」と呼んでいるもの──には、そう簡単には届かないのだ。
おそらく過去のひとたちは、それをいろんな形で扱おうとしたのだろう。いまぼくは、その部分に専ら「行」をふかめるという形では接近しようと思わないけれども、しかし「物語を知る」ことによって何ほどかは近づけるのではないか、と思う。そして『荘子』に有名な「胡蝶の夢」というのがあるが、その「物語を知る」ことも、実際に物語を生きることであると同時に、その荘子の話のように、自分を別の意識から知ることにもつながっている。その際、自我は転換をはらんで多元的なものになり、いわば別のものたちのうちに宿る。ウパニシャッドが問題にしているのも、そのようなことであるらしい。
最初に、実在(リアリティー)が反転してきたみたいなことを述べた。神道には「霊主体従」という考えがある。そういうと変なようだが、プラトンのイデア論だって、また西欧思想にずっと流れている、世界の基底に「言」が埋もれていて、それが事柄を生起している、といった考えだって、同じようなものである。要は、その「霊」「イデア」「言」と思っているものが一体何なのかである。むかしのひとは、それを「審神(さにわ)」したりその「業」(カルマン)を解読したりしたのだが、近代人はテキストに即してこれを「解釈」した。いま、それは占い師や種々の心理業者やメディア操作人たちの手に入ってしまい、科学や学問と名がつくものは(狭い専門性は誇っていても)じつは生の解読については痴呆同然になってしまった。しかし、それらとはちがう仕方で、それを知ることが問われている。そのことは、よき物語をぼくらの生に取り戻すことにつながる。いや、取り戻しにつながらねばならない。〔04/09/12補訂〕
2004年09月09日
原稿/outputすべきものの滞貨をどうしよう
ブログがどうにも書き指しばかりになる。あれも書き次がねば、これも……と思っているが、それが出来ない。ブログがまるで現在の自分の抱えた原稿みたいになってくるな。原稿の方、ちゃんと原稿化して議論を展開したいトピックがいくつもあるのだが、蝸牛の歩みである。
10年ほど前までは、トピックがあるということと、それに追いついて喰らいついて書くということとが、何とかバランスシートが合っていた。別のトピックというのもあるが、それはバランスシートの外にあって、また取りかかることができるものとしてその傍に置いてある感じだった。しかし、現在は、8か9つぐらいのバランスシートがあって、滞貨しつつ、ゆっくり一つづつしか出来てない感じだ。これでは、この時間競争のうちで、積み残しのままでそのうちくたばってしまうな、と思う。展開すべき図式は自分のなかにあるのだから、それが死んでしまうのは、どうにももったいない。どうすればいいだろうか──。
65歳過ぎて暇になったらやればいい? それはそうだが、そのとき気力が落ち、手間をこなす環境がなくなっていたら、できなくなるだろう。若いときは、たくさん追われているようでも、時間があった=気力のようなものがあった。若いときは、むしろその気力が自家中毒することによる、陥没を避けて、水流をうまく流すことが大事だった。年をくってくると、そういう過剰エネルギーがなくなり、事と自分との間のマッチングは取れてくる。ところが、関わるものがあまりに複数化しすぎて、手が回らなくなってしまう。もっと年をくったら??
たぶん、ここで一方で、自分が何か構造変化することと、他方で、他の人に事を委任することができなければだめなのだろう。ひとによっては、抱えすぎが悪循環を生じて過労死する場合もある。他に譲るということは、世代交代の始まりである。ただ、世代交代も、委任できる人も、ぼくのまわりにはどこにも無い。たしかに専門業では、若い人が彼らなりにどんどん育ってくれていて、うれしいことだが、アイデアとして動いていることは委任できないし、ぼくの身辺そのものは、どうにも片付かない。改札口に立って切符を切りつづけているような感じだ。どうすればいいだろうか。
10年ほど前までは、トピックがあるということと、それに追いついて喰らいついて書くということとが、何とかバランスシートが合っていた。別のトピックというのもあるが、それはバランスシートの外にあって、また取りかかることができるものとしてその傍に置いてある感じだった。しかし、現在は、8か9つぐらいのバランスシートがあって、滞貨しつつ、ゆっくり一つづつしか出来てない感じだ。これでは、この時間競争のうちで、積み残しのままでそのうちくたばってしまうな、と思う。展開すべき図式は自分のなかにあるのだから、それが死んでしまうのは、どうにももったいない。どうすればいいだろうか──。
65歳過ぎて暇になったらやればいい? それはそうだが、そのとき気力が落ち、手間をこなす環境がなくなっていたら、できなくなるだろう。若いときは、たくさん追われているようでも、時間があった=気力のようなものがあった。若いときは、むしろその気力が自家中毒することによる、陥没を避けて、水流をうまく流すことが大事だった。年をくってくると、そういう過剰エネルギーがなくなり、事と自分との間のマッチングは取れてくる。ところが、関わるものがあまりに複数化しすぎて、手が回らなくなってしまう。もっと年をくったら??
たぶん、ここで一方で、自分が何か構造変化することと、他方で、他の人に事を委任することができなければだめなのだろう。ひとによっては、抱えすぎが悪循環を生じて過労死する場合もある。他に譲るということは、世代交代の始まりである。ただ、世代交代も、委任できる人も、ぼくのまわりにはどこにも無い。たしかに専門業では、若い人が彼らなりにどんどん育ってくれていて、うれしいことだが、アイデアとして動いていることは委任できないし、ぼくの身辺そのものは、どうにも片付かない。改札口に立って切符を切りつづけているような感じだ。どうすればいいだろうか。
2004年08月21日
身辺思い出モード──ネコとイヌ
8月になって初旬はいろいろあり、その後、原稿書いているうち、Blogの更新が長く止まってしまった。考えているときは頭が憑依状態になるが、原稿書きのときは、それを一つに方向づけているので、そこから出られなくなる。あんまり出られなくなると、固まって発想が生まれない。しかし、あんまり出てしまうと、発送が拡散してしまう。そのあたりが難しい。ともかく、現在はやや出られないように缶詰づくりというか結晶作用というかに傾いているので、Blogの方に出てくるべきものが消えてしまう。身辺雑記モードか回想モードにすれば、いいかもしれない。
で、突然、イヌ・ネコのことを書く。(記憶を縷々記すので、その点、お許しねがう。)
ぼくは子どものときおもに犬を飼っていた。しかし3歳前のころは、犬だけでなく猫もいた。そのころ、猫はたしかミーといった。板の間でヘドを吐いたら、父親に首のうしろをつまんで縁側の外に放り出されていた。「えっ大丈夫か」と思ったが、ストンと着地した。大人が「猫は高いとこから落ちても大丈夫よ」と言ったので、感心した。と同時に、その後、子ども時代、猫はどのくらい高くてもストンと安全に着地するのか(あんまり高いと無理ではないか)、上から投げ下ろされたらさすが猫でも駄目ではないか、などと頭のすみで引き続き考えていた。大丈夫であるために否定的条件を考えており、大丈夫で無くするため(危険を生じさせるため)に条件を考えていたわけではない。だから、実際に実験もしてない。しかし、見た範囲ではそのネコはどんなに放られてもいつも無事だった。それでも、思えば、あの猫がよくヘドを吐いたのは、毛玉のせいか、食料事情が悪かったせいか。あわれである。
姉(下の「浮浪児」のひとり)の話によると、ミーは、ネズミを全然取らず、代わりにモグラをよく捕まえてきていて、そのたびに、大人からバカにされてれていた。思うにその頃の猫は、ネズミ捕りのために飼われていたので、ミーは、仕事しない役立たずの猫だったわけだ。ミーはあまり名前を呼ばれることもなく、だれからもほとんど可愛がられなかった、という。ぼくも、ミーがだれかの膝の上でゴロゴロ言っていた、撫でられていた、という「ネコの幸福」(「人間の幸福」というべきか)の情景を見た記憶がない。それでも、本人は、いたってのんきそうに、よく庭の大きな石の上で昼ねをしていたらしい。〔つまり、どうも動物は投げられても撫でられなくても、トラウマと思わず、トラウマであっても溜めていない(ことがあるらしい)。さすがにえらい。現代だったら、「心のケア」をやらなきゃいかん、ということになるだろうに。〕
もうひとつ覚えているのは、隣の棟に住んでいたお婆さんが、とても猫を可愛がっていたこと。「コニー、トトまんまぁ!(コニーちゃん、お魚ご飯よ)」と言って呼ぶと、猫がどこからか現れてご飯を庭先で食べた。思えば、「コニー」なんて名前をつけていたあのお婆さんはハイカラだったのだ。そのお婆さんは、ぼくが遊びに行って、ふとオナラをすると、「『うぐいすが一声泣きました』というのよ」とぼくに教えた。それで、家に戻って、その機に「うぐいすが一声……」と言ったら、「どこで覚えて来たんだ」と笑われたものだ。不思議なお婆さんだったな。たしか高橋さんといった。
これも姉の話によると、コニーは、いつもたいていウトウトと目をつぶっていることが多かった。高橋さんおばあさんは、それをみると、「ほら、コニーがお祈りしているよ」と、ぼくらに言っていたという。高橋さんは敬虔なクリスチャンだったらしい。〔このことはぼくはおぼえていなかった。ぼくは「おなら」で姉は「おいのり」である。なるほど視点も概念も3歳前児とは違うなと、聞いたら感心した。〕
憶えているもう一景は、その「コニー」が他の猫と出会ったときのことだ。(普段はうとうと眠っているのに)突然、ものすごく背中を盛り上げて、ふーっといって、猫同士で、睨みあい、睨みあいし、挙句、フニャラ、フニャフニャ、ガァーと取っ組み合いながら外の柱の上に登ったり走ったりしてわけわからなくなった。その形相と取っ組み合いの激しさには感嘆した。最近は、そういうのがあまり見られない。残念である。思うに、猫が眠っていたり、喧嘩をしていたりする。そんな情況はなぜか幼年期と大いに結びついている。たとえば、「庭の大きな石」といえば、ぼくは、その石の上によく、立派なトカゲがよく背中を陽光に見せびらかすようにして日向ぼっこしていたことを憶えている。それをぼくはその後、なぜか何度も思い出した。それは何だったのだろうか。あのトカゲたちは誰だったのだろうか。
その後、ネコは何故か記憶から消えている。居なくなったのではないか。これに代わって記憶に出てくるのは、黒白の斑のイヌで、「ラミ」と言った。どうしてラミなのか知らない。少し洋犬の入った雑種だったが、もらった犬かもしれない。やせて眼の大きな、白と黒の貧相な犬で、どうにも愚犬だった。それでも、子どもながらによく遊んでもらった。ラミを連れてきょうだい三人で浮浪児のような服を着て並んで明るく笑っている写真が残っている。その貧しさと明るさをみれば、ラミと付き合った──ラミに付き合ってもらった部分が多いのはわかる。
写真では子犬だったが、もっと大きくなった記憶がある。そして、彼が台所の外の土間で、みそ汁のぶっかけご飯をもらってガツガツ食べていたのも憶えている。ぼくらも浮浪児同然だったが、犬も今の愛玩犬のようではなかった。犬は何でも食べた。「ラミは馬鹿だ」とは大人たちがよく言っていた。実際、雑種だろうと何だろうとほんとに利口な犬はいるもので、馬鹿な犬だったことは確かだろう。ただ、おとなになってからふと、その犬のことを思い出したとき、「ラミは馬鹿じゃなかったんだ」と気づいた。
というのは、ぼくらはラミを外に置き放しにしていた。彼とはあんまり会話をしなかった。しかし、もししばしばラミと話していれば、彼は(すごくとはいかないだろうが)もうすこしは利口になっただろう。ぼくは大人になるにつれて、話しかけながら対話的なやり取りをしていくと、どんなに動物が(人間もだが)賢くなるものかを知った。動物だってこちらに何かを教えるほどになる。もちろん程度はあるにしても、少なくとも無いものがあるほどには、変化するのである。逆に、コミュニケーションからまったく放っておかれると、動物も人間も、停頓してしまう。(よほど独習を憶えたあとは別である。停頓の度は、生活から浮き上がりがちな幼若および老年には、その程度は甚だしい。)だから、ラミは馬鹿なのではなく、ぼくらがラミを馬鹿にしたのだな、とふと気づいたのだ。(続く)
で、突然、イヌ・ネコのことを書く。(記憶を縷々記すので、その点、お許しねがう。)
ぼくは子どものときおもに犬を飼っていた。しかし3歳前のころは、犬だけでなく猫もいた。そのころ、猫はたしかミーといった。板の間でヘドを吐いたら、父親に首のうしろをつまんで縁側の外に放り出されていた。「えっ大丈夫か」と思ったが、ストンと着地した。大人が「猫は高いとこから落ちても大丈夫よ」と言ったので、感心した。と同時に、その後、子ども時代、猫はどのくらい高くてもストンと安全に着地するのか(あんまり高いと無理ではないか)、上から投げ下ろされたらさすが猫でも駄目ではないか、などと頭のすみで引き続き考えていた。大丈夫であるために否定的条件を考えており、大丈夫で無くするため(危険を生じさせるため)に条件を考えていたわけではない。だから、実際に実験もしてない。しかし、見た範囲ではそのネコはどんなに放られてもいつも無事だった。それでも、思えば、あの猫がよくヘドを吐いたのは、毛玉のせいか、食料事情が悪かったせいか。あわれである。
姉(下の「浮浪児」のひとり)の話によると、ミーは、ネズミを全然取らず、代わりにモグラをよく捕まえてきていて、そのたびに、大人からバカにされてれていた。思うにその頃の猫は、ネズミ捕りのために飼われていたので、ミーは、仕事しない役立たずの猫だったわけだ。ミーはあまり名前を呼ばれることもなく、だれからもほとんど可愛がられなかった、という。ぼくも、ミーがだれかの膝の上でゴロゴロ言っていた、撫でられていた、という「ネコの幸福」(「人間の幸福」というべきか)の情景を見た記憶がない。それでも、本人は、いたってのんきそうに、よく庭の大きな石の上で昼ねをしていたらしい。〔つまり、どうも動物は投げられても撫でられなくても、トラウマと思わず、トラウマであっても溜めていない(ことがあるらしい)。さすがにえらい。現代だったら、「心のケア」をやらなきゃいかん、ということになるだろうに。〕
もうひとつ覚えているのは、隣の棟に住んでいたお婆さんが、とても猫を可愛がっていたこと。「コニー、トトまんまぁ!(コニーちゃん、お魚ご飯よ)」と言って呼ぶと、猫がどこからか現れてご飯を庭先で食べた。思えば、「コニー」なんて名前をつけていたあのお婆さんはハイカラだったのだ。そのお婆さんは、ぼくが遊びに行って、ふとオナラをすると、「『うぐいすが一声泣きました』というのよ」とぼくに教えた。それで、家に戻って、その機に「うぐいすが一声……」と言ったら、「どこで覚えて来たんだ」と笑われたものだ。不思議なお婆さんだったな。たしか高橋さんといった。
これも姉の話によると、コニーは、いつもたいていウトウトと目をつぶっていることが多かった。高橋さんおばあさんは、それをみると、「ほら、コニーがお祈りしているよ」と、ぼくらに言っていたという。高橋さんは敬虔なクリスチャンだったらしい。〔このことはぼくはおぼえていなかった。ぼくは「おなら」で姉は「おいのり」である。なるほど視点も概念も3歳前児とは違うなと、聞いたら感心した。〕
憶えているもう一景は、その「コニー」が他の猫と出会ったときのことだ。(普段はうとうと眠っているのに)突然、ものすごく背中を盛り上げて、ふーっといって、猫同士で、睨みあい、睨みあいし、挙句、フニャラ、フニャフニャ、ガァーと取っ組み合いながら外の柱の上に登ったり走ったりしてわけわからなくなった。その形相と取っ組み合いの激しさには感嘆した。最近は、そういうのがあまり見られない。残念である。思うに、猫が眠っていたり、喧嘩をしていたりする。そんな情況はなぜか幼年期と大いに結びついている。たとえば、「庭の大きな石」といえば、ぼくは、その石の上によく、立派なトカゲがよく背中を陽光に見せびらかすようにして日向ぼっこしていたことを憶えている。それをぼくはその後、なぜか何度も思い出した。それは何だったのだろうか。あのトカゲたちは誰だったのだろうか。
その後、ネコは何故か記憶から消えている。居なくなったのではないか。これに代わって記憶に出てくるのは、黒白の斑のイヌで、「ラミ」と言った。どうしてラミなのか知らない。少し洋犬の入った雑種だったが、もらった犬かもしれない。やせて眼の大きな、白と黒の貧相な犬で、どうにも愚犬だった。それでも、子どもながらによく遊んでもらった。ラミを連れてきょうだい三人で浮浪児のような服を着て並んで明るく笑っている写真が残っている。その貧しさと明るさをみれば、ラミと付き合った──ラミに付き合ってもらった部分が多いのはわかる。
写真では子犬だったが、もっと大きくなった記憶がある。そして、彼が台所の外の土間で、みそ汁のぶっかけご飯をもらってガツガツ食べていたのも憶えている。ぼくらも浮浪児同然だったが、犬も今の愛玩犬のようではなかった。犬は何でも食べた。「ラミは馬鹿だ」とは大人たちがよく言っていた。実際、雑種だろうと何だろうとほんとに利口な犬はいるもので、馬鹿な犬だったことは確かだろう。ただ、おとなになってからふと、その犬のことを思い出したとき、「ラミは馬鹿じゃなかったんだ」と気づいた。
というのは、ぼくらはラミを外に置き放しにしていた。彼とはあんまり会話をしなかった。しかし、もししばしばラミと話していれば、彼は(すごくとはいかないだろうが)もうすこしは利口になっただろう。ぼくは大人になるにつれて、話しかけながら対話的なやり取りをしていくと、どんなに動物が(人間もだが)賢くなるものかを知った。動物だってこちらに何かを教えるほどになる。もちろん程度はあるにしても、少なくとも無いものがあるほどには、変化するのである。逆に、コミュニケーションからまったく放っておかれると、動物も人間も、停頓してしまう。(よほど独習を憶えたあとは別である。停頓の度は、生活から浮き上がりがちな幼若および老年には、その程度は甚だしい。)だから、ラミは馬鹿なのではなく、ぼくらがラミを馬鹿にしたのだな、とふと気づいたのだ。(続く)
2004年08月03日
「貢献」は武力か非武力か
民主党の岡田代表がアメリカで、海外派兵などをするのは、憲法改正してからであり、憲法改正して、国連主導のもとで武力行使もできるようにすることが望ましい──そうしない限りは、派兵すべきではない(それは憲法違反になる)──という趣旨の発言をした。このあたりは、たんに政治や政策の議論というより、倫理や政治をめぐって根本的な問題に関わると思うので、少し考えてみる。(以下敬称略)
岡田のその議論は、岡田や民主党のある部分の外交安保論者の以前からの持論でもあるらしい。これに対して、小沢は、憲法改正しなくてもPKOを始め出来ることがもっとある(軍隊とは別組織を作ってそれを出そう)、という考えらしく、岡田が短絡的に過ぎる、という趣旨の批判をした。両者が、立ち入ってどう違うのか、微妙なところはぼくは調べていない。ただ、岡田の議論は、彼らしい原則主義的なものであることは確かで、そこには「現憲法下では、イラク撤兵すべし」という命題と、「憲法改正すれば、かつ国連により正当化されるなら、(イラクだろうと)どこだろうと兵を出すべし」という命題と両方がウラハラに含まれている。これに対して、小沢は、彼も普通の政治家よりは筋を通す方だが、それでも岡田よりは、中間的なあり方を考える議論をしている。小沢は横路と相談してこのあたりの持論をまとめたらしいが、それが(武力行使の)「歯止め」をつくることになるのか、それとも「呼び水」を通すステップつくりになるのか、それがわからない(要、検討・シミュレーション)。これに対して、岡田の議論は、はっきりしているので、ここでも追って考えることができる。
岡田の議論のうち、国連主導を強調する点については、いまのブッシュとそんなに組んではだめだと思っているぼくとしては、ある程度評価する。世の中には、逆に、「アメリカと組んでこそ中国が掣肘でき、世界に参加できる」といった読売新聞によく見られる論者が相当いる。その論者は「寄らば大樹の陰で、国益になる」というのか、「(少々アメリカが無謀であっても)その危機を梃子に日本がもっと「力」が持ててマッチョになれるのはいい」というのか。どちらにせよ、ぼくは、その考えは、市民倫理的には不賛成だし、国家政策としてもじつは「国を売ることになる」と考えている。だから到底賛成できない(#1)。
(#1)むろん、逆にいつもただ宥和主義を取ればいいというわけではなく、イギリスの首相チェンバレンのappeasement(譲歩・融和政策)のため、チェコは滅びヒットラードイツが栄えることになったし、カーターではなく強面のレーガン、父ブッシュのときに冷戦が崩壊していった(冷戦崩壊の原因はそんなに簡単だとは思えない。が、軍事/国際戦略的にはそう捉えうる局面があることは事実だろう)。そうしたことがあるにしても、フセインの問題やテロ対策は、ヒットラーとはもちろんクレムリンの問題とも違う。まして、威嚇を超えてぶっ放すのに、やすやすと乗っていいことはない。ブッシュが尊敬されていないのは周知だが、アメリカ人にとって911の背後にあるものがヒットラーに重なって見えたとしても(それは間違っているにしても)少しは理解できる。しかし、日本にとって同じではないはずである。その日本がブッシュの「蛮行」に寄り添うのは、ブッシュ以上に思考と道義を欠いている。そんな国を、だれも尊敬するはずはない。最大限憐れんでくれるだけだろう。
これに比すれば、岡田の議論は、当然とはいえ、だいぶいいとぼくは思う。それを岡田がアメリカにわざわざ出かけて行って言ったというのは、いいのかよくないのかわからないが、小泉のように向こうでシッポをちぎれんばかりに振っているのに比べれば、アメリカの面前でそれをよく言ったというべきなのだろう。
とはいえ、寺島実郎のように、「アメリカとは協調・対話はしても、随順しては決して未来は開けない。アメリカの犬になるのではなく、アジア諸地域やヨーロッパとの結びつきを独自に育てた戦略をもつべきだ」ともっとはっきり立論する考えもある。石油も穀物もみんなアメリカの世界戦略のなかのズブズブに巻き込まれて、土地は荒れ、ひとは宦官のようになっている日本が、果たしてもはや、寺島のいうようなことを本当に出来るのかとは思う。しかし、少々困難でも、その方向を持たなければ先は無い。だから、ぼくは寺島の考えを支持する。そしてこの寺島の考えに比べると、岡田はまだ足りない。岡田は、国連といいつつも、固い顔をしてアメリカでしゃべくっている。その顔は小泉に比べればまじめでいいが、どうもヨーロッパもアジアも、そしてこれらの地域が担った文化や歴史についての想像力も、あまり感じられない。はたしてどうなのだろうか(#2)。不真面目に、種々の機をトリックに武力に擦り寄るのがよくないからといって、真面目に武力に進むのがいいということはならない。
#2 少し以前の発言で岡田は、靖国問題を捉えて、中国等との不和をもたらすがゆえに国益に反するという議論で小泉を批判している(2004.2.10予算委員会)。右派イデオロギー派はこれにずいぶん疑念をもったらしい。岡田のこの理由づけがいいのかどうかわからないが、彼のアジア論にかかわることは確かで注目される。ただ、まだぼくはよくわからない。
国連を強調するのは、正当化の手続き論である。またアメリカかアジア・ヨーロッパかというのは、形式的には地政学的な議論である。が、じつはそうした議論は、それだけではじつは済まない。たしかに、国連だとより多くの承認が必要で、アメリカだけだと超大国単独だという違いはある。そして多数に拠る方が、歯止めがかかってリスクが少ない、というぐらいのことは言える。しかし、国連決議があれば、それが「いいこと」だとは限らない。反対に、もしもアメリカが本当に「いいこと」をして、国連がそれに遅れをとっていることだって論理的にはありえ、アメリカと一緒に動くのがいいなどということもあるかもしれない(実際、今回がまさにそれだと思っている人もいるだろう。ぼくは、それには反対だが)。だから、問題は、結局、「することの内容」である。つまり、国連主導であるかどうか、だれと組むか組まないかというより、「何をするか」が大事である。「何を」があるから、「だれと」が出てくるのではないか。手続きや結合は大事だが、それにしても「何のために」「何を求めて」そうなのか。そこのヴィジョンが提示されずに隠れているのはおかしい。
問題になるのは、端的にいって、「武力というものをどうみるか」という点である。岡田は、武力を特に重んじるとはいわないが、それを容認するといい、そして、専守防衛か海外派兵か、という問題についても、現在のようなグローバルに状況が入り組んだ世界では、一国平和主義的な、一国の仕切りの内・外で防衛か攻撃かを決めることはできない。だから、もう外に出て行くべきである、ただしそれは国連によって正当化されることが必要、という論理らしい。たしかに紛争や戦いに際して、一国の仕切りが妥当しないというのは、ぼくもそのとおりだと思う。様々な問題の形態も現在では、入り組み広がっていて、それを国の仕切りの内・外では対処できないことは多い。むしろいっそう「国境の外に出」ねばならないだろう。ただし、岡田の議論は、議論が大事なところですっ飛んでいる。それは、その日本から外に出るものが、なぜそもそも武力=軍であるべきなのか、という点である。
このあたりから、「どんな行為」をするか、「ひとのために何をすべきか」といった倫理的な問題になってくる。「貢献」というのは奇怪な語で、contributionの訳語だろうか。たぶん外交や戦略などの用語なのだろうが、そのおかしな国際関係か何かを語る用語の下に、じつは倫理的な問題がかくれている。というか、国際関係とか政治云々といっても、結局はひととひとの倫理というか、それならまだしも、しばしば、こうしてやった、やられた、顔をつぶされた、顔を立てた、札びらを切った、取られた、腕まくりをしてみせた……といった、(一見スーツ着てフランス料理で乾杯しているみたいでも)結局やくざのふるまいみたいなものが基礎になっていることには、本当のところ唖然とする。──話がそれたが、「貢献」というのは、倫理的な地平でいうと、要するに他者に対してお役に立つとか、何らかの責任をもつ・取るといったことだろう。政治や外交みたいな話でも、根は結局そういう人と人のやりとり・振る舞い、といった世界に繋がっているのだろう。
実際、岡田は、問題をそうした次元に据えて、TVで「ヒットラーなり、湾岸戦争のときのクェート侵略なり、もしもだれがみても悪い存在が出て来た場合、それに対して武力行使をしないこと(あるいは誰かがそれをするのに、自分は参加しないこと)は、無責任ではないか。血と汗を流さなくていいのか」と述べていた。たしかに、凶悪者の暴力がある場合、まったく「拱手傍観」していては問題である。「お金を出す」のも、(重要なことだが)それだけではその場合の当事者的な倫理(的圧力)にとっては不足であることがある(*1)。では何を「する」か。このとき、「非暴力で立ち向かう」ことは、ただ自分がやられるというだけであれば、自己犠牲を覚悟しその結果を引き受けることで責任は取れるだろう。しかし、自分はともあれ、誰か他者が犠牲になる状況であれば、たんなる非暴力は、結局手を拱いてその凶悪者の暴力を止める働きをしないことになり、犠牲になる他者に対して責任ある態度ではないことになる。従来の日本の「一国平和主義」がその種の無責任とひとり身奇麗であるかのごときナルシシズムというか独善を孕んでいたことは明らかである(これは、戦争に参加しなったから独善だという意味ではない。朝鮮戦争であれベトナム戦争であれ、日本はじつは構造的には戦争によって繁栄していた。だのに、うちは平和だという顔をしていたのは変ではないか、という意味である)。
(*1)ただしここに働く「倫理(的圧力)」は、後述のようにいつも妥当するものではない。その「不足」とは何かをよく吟味しなければならない。
他者における暴力に対して立ち向かわないことの無責任の度合いは、(国境を越えて他者が縦横に現れてくる)現在のようなグローバリゼーション下ではいっそうあらわになる。現れる暴力を見過ごすことはできない。だから、たしかに「力に対して力を」という局面はあり、その必要もあるだろうことは認められる。とはいえ、「みながそうすべきなのか」。あるいはそれが「つねに」有効なのか。そもそも、責任を取る(「血と汗を流す」?)とは武力行使を担うことだけなのか。「武力ではない立ち向かい方」が(ただ金を出すというの以外に)あり、それは意外に重要なのではないか。「拱手傍観(ないし金を出す)」でなければ「武力行使」というのは飛躍がある。「その間」があるのではないか。
現在の地球を大きな町だとしたとき、町から警官を無くせ、警官にピストルを持たせるな、といっても無理だし、やはり無責任になるだろう。警官は必要である。ただ、それでも、警官が居ればいいのか。みんな警官であるべきなのか。ドンパチに出ないと無責任なのか。つまり、「本当に町を平和にする」ということが目的であり課された責任だとするとき、たしかに、誰もそれに立ち向かわないのは問題である。それに立ち向かわねばならない。そこで、起こる暴力に対してこれを銃をもちつつも身を挺して抑止するならば、それは尊い責任の取り方だろう(パウエルなんかはそういう言い方をする)。しかし、それだけで町は平和になるのか。それは責任の取り方の「ひとつ」なのではないか。たしかに、銃によって立ち向かうことは、時には決定的に重要なひとつかもしれない。しかしつねにどこでもそうだとは限らない(*2)。だからそれは「ひとつに過ぎない」。つまり、銃によるような仕方は、責任の取り方として、必要ではあっても「限られた」ものである。ほかに、「銃によってではなく立ち向かう仕方」はたくさんあり、じつは、それなくしては結局、町は平和にはならないのではないか。
(*2)イラク派兵のおかしな点は、それが「決定的に重要だ」〔=大量破壊兵器がある云々〕と言われながらも、じつはそうではなく、じつはアメリカという「親分」の力関係を無視できない「子分」「小親分」が、脅されたり阿ったりしてそこに調達されていることである。
以上は、武力が有効に働く場合、しかしそれも有限であることを述べたのだが、それだけではない。そもそも武力が無効であるか、さらには平和に対して否定的に働く場合もありうる。その場合は、以上の責任論は、じつは裏返ってしまう。つまり、もしも「力に対して力を」という手法が、悪循環を生じたり、「平和」のために逆効果になる局面があるならば、銃を取ることは、結果責任を裏切ってしまう。そしてその責任の取り方は、心情倫理になってしまう場合さえある。(ネオコン好きの人は、たいてい、じつは世界は結局、力だという一流の「リアリズム」を強調するが、と同時に、その力に拠らねばならない/拠るべきだという(ぼくに言わせれば)「心情倫理」とがアマルガムを起こしていることが多い。だが、ネオコンのきらいな抽象的な平和主義と同様、じつは冷静な現実感では無くなっている。)
武力だけではない金力についてもそうだが、世界がもっぱら腕まくりや札びらで出来た威嚇や誘導のシステムだと思うような考えに取り憑かれると、それらが無効ないし否定的に働く局面は、みえてこなくなる。しかし、そうしたことは大いにある。そもそも考えなければいけないのが、現在の対「テロ」戦争を始めとする地球上の治安状況を、20世紀の帝国主義時代の戦争と類比するひとがいるが、むろん重なる点がある程度あるにしても、はたしてそう十分に重なるものだろうか。現在の対「テロ」戦争や治安の悪さは、覇権を取ろうとする者同士の戦いだろうか。(続く)
岡田のその議論は、岡田や民主党のある部分の外交安保論者の以前からの持論でもあるらしい。これに対して、小沢は、憲法改正しなくてもPKOを始め出来ることがもっとある(軍隊とは別組織を作ってそれを出そう)、という考えらしく、岡田が短絡的に過ぎる、という趣旨の批判をした。両者が、立ち入ってどう違うのか、微妙なところはぼくは調べていない。ただ、岡田の議論は、彼らしい原則主義的なものであることは確かで、そこには「現憲法下では、イラク撤兵すべし」という命題と、「憲法改正すれば、かつ国連により正当化されるなら、(イラクだろうと)どこだろうと兵を出すべし」という命題と両方がウラハラに含まれている。これに対して、小沢は、彼も普通の政治家よりは筋を通す方だが、それでも岡田よりは、中間的なあり方を考える議論をしている。小沢は横路と相談してこのあたりの持論をまとめたらしいが、それが(武力行使の)「歯止め」をつくることになるのか、それとも「呼び水」を通すステップつくりになるのか、それがわからない(要、検討・シミュレーション)。これに対して、岡田の議論は、はっきりしているので、ここでも追って考えることができる。
岡田の議論のうち、国連主導を強調する点については、いまのブッシュとそんなに組んではだめだと思っているぼくとしては、ある程度評価する。世の中には、逆に、「アメリカと組んでこそ中国が掣肘でき、世界に参加できる」といった読売新聞によく見られる論者が相当いる。その論者は「寄らば大樹の陰で、国益になる」というのか、「(少々アメリカが無謀であっても)その危機を梃子に日本がもっと「力」が持ててマッチョになれるのはいい」というのか。どちらにせよ、ぼくは、その考えは、市民倫理的には不賛成だし、国家政策としてもじつは「国を売ることになる」と考えている。だから到底賛成できない(#1)。
(#1)むろん、逆にいつもただ宥和主義を取ればいいというわけではなく、イギリスの首相チェンバレンのappeasement(譲歩・融和政策)のため、チェコは滅びヒットラードイツが栄えることになったし、カーターではなく強面のレーガン、父ブッシュのときに冷戦が崩壊していった(冷戦崩壊の原因はそんなに簡単だとは思えない。が、軍事/国際戦略的にはそう捉えうる局面があることは事実だろう)。そうしたことがあるにしても、フセインの問題やテロ対策は、ヒットラーとはもちろんクレムリンの問題とも違う。まして、威嚇を超えてぶっ放すのに、やすやすと乗っていいことはない。ブッシュが尊敬されていないのは周知だが、アメリカ人にとって911の背後にあるものがヒットラーに重なって見えたとしても(それは間違っているにしても)少しは理解できる。しかし、日本にとって同じではないはずである。その日本がブッシュの「蛮行」に寄り添うのは、ブッシュ以上に思考と道義を欠いている。そんな国を、だれも尊敬するはずはない。最大限憐れんでくれるだけだろう。
これに比すれば、岡田の議論は、当然とはいえ、だいぶいいとぼくは思う。それを岡田がアメリカにわざわざ出かけて行って言ったというのは、いいのかよくないのかわからないが、小泉のように向こうでシッポをちぎれんばかりに振っているのに比べれば、アメリカの面前でそれをよく言ったというべきなのだろう。
とはいえ、寺島実郎のように、「アメリカとは協調・対話はしても、随順しては決して未来は開けない。アメリカの犬になるのではなく、アジア諸地域やヨーロッパとの結びつきを独自に育てた戦略をもつべきだ」ともっとはっきり立論する考えもある。石油も穀物もみんなアメリカの世界戦略のなかのズブズブに巻き込まれて、土地は荒れ、ひとは宦官のようになっている日本が、果たしてもはや、寺島のいうようなことを本当に出来るのかとは思う。しかし、少々困難でも、その方向を持たなければ先は無い。だから、ぼくは寺島の考えを支持する。そしてこの寺島の考えに比べると、岡田はまだ足りない。岡田は、国連といいつつも、固い顔をしてアメリカでしゃべくっている。その顔は小泉に比べればまじめでいいが、どうもヨーロッパもアジアも、そしてこれらの地域が担った文化や歴史についての想像力も、あまり感じられない。はたしてどうなのだろうか(#2)。不真面目に、種々の機をトリックに武力に擦り寄るのがよくないからといって、真面目に武力に進むのがいいということはならない。
#2 少し以前の発言で岡田は、靖国問題を捉えて、中国等との不和をもたらすがゆえに国益に反するという議論で小泉を批判している(2004.2.10予算委員会)。右派イデオロギー派はこれにずいぶん疑念をもったらしい。岡田のこの理由づけがいいのかどうかわからないが、彼のアジア論にかかわることは確かで注目される。ただ、まだぼくはよくわからない。
国連を強調するのは、正当化の手続き論である。またアメリカかアジア・ヨーロッパかというのは、形式的には地政学的な議論である。が、じつはそうした議論は、それだけではじつは済まない。たしかに、国連だとより多くの承認が必要で、アメリカだけだと超大国単独だという違いはある。そして多数に拠る方が、歯止めがかかってリスクが少ない、というぐらいのことは言える。しかし、国連決議があれば、それが「いいこと」だとは限らない。反対に、もしもアメリカが本当に「いいこと」をして、国連がそれに遅れをとっていることだって論理的にはありえ、アメリカと一緒に動くのがいいなどということもあるかもしれない(実際、今回がまさにそれだと思っている人もいるだろう。ぼくは、それには反対だが)。だから、問題は、結局、「することの内容」である。つまり、国連主導であるかどうか、だれと組むか組まないかというより、「何をするか」が大事である。「何を」があるから、「だれと」が出てくるのではないか。手続きや結合は大事だが、それにしても「何のために」「何を求めて」そうなのか。そこのヴィジョンが提示されずに隠れているのはおかしい。
問題になるのは、端的にいって、「武力というものをどうみるか」という点である。岡田は、武力を特に重んじるとはいわないが、それを容認するといい、そして、専守防衛か海外派兵か、という問題についても、現在のようなグローバルに状況が入り組んだ世界では、一国平和主義的な、一国の仕切りの内・外で防衛か攻撃かを決めることはできない。だから、もう外に出て行くべきである、ただしそれは国連によって正当化されることが必要、という論理らしい。たしかに紛争や戦いに際して、一国の仕切りが妥当しないというのは、ぼくもそのとおりだと思う。様々な問題の形態も現在では、入り組み広がっていて、それを国の仕切りの内・外では対処できないことは多い。むしろいっそう「国境の外に出」ねばならないだろう。ただし、岡田の議論は、議論が大事なところですっ飛んでいる。それは、その日本から外に出るものが、なぜそもそも武力=軍であるべきなのか、という点である。
このあたりから、「どんな行為」をするか、「ひとのために何をすべきか」といった倫理的な問題になってくる。「貢献」というのは奇怪な語で、contributionの訳語だろうか。たぶん外交や戦略などの用語なのだろうが、そのおかしな国際関係か何かを語る用語の下に、じつは倫理的な問題がかくれている。というか、国際関係とか政治云々といっても、結局はひととひとの倫理というか、それならまだしも、しばしば、こうしてやった、やられた、顔をつぶされた、顔を立てた、札びらを切った、取られた、腕まくりをしてみせた……といった、(一見スーツ着てフランス料理で乾杯しているみたいでも)結局やくざのふるまいみたいなものが基礎になっていることには、本当のところ唖然とする。──話がそれたが、「貢献」というのは、倫理的な地平でいうと、要するに他者に対してお役に立つとか、何らかの責任をもつ・取るといったことだろう。政治や外交みたいな話でも、根は結局そういう人と人のやりとり・振る舞い、といった世界に繋がっているのだろう。
実際、岡田は、問題をそうした次元に据えて、TVで「ヒットラーなり、湾岸戦争のときのクェート侵略なり、もしもだれがみても悪い存在が出て来た場合、それに対して武力行使をしないこと(あるいは誰かがそれをするのに、自分は参加しないこと)は、無責任ではないか。血と汗を流さなくていいのか」と述べていた。たしかに、凶悪者の暴力がある場合、まったく「拱手傍観」していては問題である。「お金を出す」のも、(重要なことだが)それだけではその場合の当事者的な倫理(的圧力)にとっては不足であることがある(*1)。では何を「する」か。このとき、「非暴力で立ち向かう」ことは、ただ自分がやられるというだけであれば、自己犠牲を覚悟しその結果を引き受けることで責任は取れるだろう。しかし、自分はともあれ、誰か他者が犠牲になる状況であれば、たんなる非暴力は、結局手を拱いてその凶悪者の暴力を止める働きをしないことになり、犠牲になる他者に対して責任ある態度ではないことになる。従来の日本の「一国平和主義」がその種の無責任とひとり身奇麗であるかのごときナルシシズムというか独善を孕んでいたことは明らかである(これは、戦争に参加しなったから独善だという意味ではない。朝鮮戦争であれベトナム戦争であれ、日本はじつは構造的には戦争によって繁栄していた。だのに、うちは平和だという顔をしていたのは変ではないか、という意味である)。
(*1)ただしここに働く「倫理(的圧力)」は、後述のようにいつも妥当するものではない。その「不足」とは何かをよく吟味しなければならない。
他者における暴力に対して立ち向かわないことの無責任の度合いは、(国境を越えて他者が縦横に現れてくる)現在のようなグローバリゼーション下ではいっそうあらわになる。現れる暴力を見過ごすことはできない。だから、たしかに「力に対して力を」という局面はあり、その必要もあるだろうことは認められる。とはいえ、「みながそうすべきなのか」。あるいはそれが「つねに」有効なのか。そもそも、責任を取る(「血と汗を流す」?)とは武力行使を担うことだけなのか。「武力ではない立ち向かい方」が(ただ金を出すというの以外に)あり、それは意外に重要なのではないか。「拱手傍観(ないし金を出す)」でなければ「武力行使」というのは飛躍がある。「その間」があるのではないか。
現在の地球を大きな町だとしたとき、町から警官を無くせ、警官にピストルを持たせるな、といっても無理だし、やはり無責任になるだろう。警官は必要である。ただ、それでも、警官が居ればいいのか。みんな警官であるべきなのか。ドンパチに出ないと無責任なのか。つまり、「本当に町を平和にする」ということが目的であり課された責任だとするとき、たしかに、誰もそれに立ち向かわないのは問題である。それに立ち向かわねばならない。そこで、起こる暴力に対してこれを銃をもちつつも身を挺して抑止するならば、それは尊い責任の取り方だろう(パウエルなんかはそういう言い方をする)。しかし、それだけで町は平和になるのか。それは責任の取り方の「ひとつ」なのではないか。たしかに、銃によって立ち向かうことは、時には決定的に重要なひとつかもしれない。しかしつねにどこでもそうだとは限らない(*2)。だからそれは「ひとつに過ぎない」。つまり、銃によるような仕方は、責任の取り方として、必要ではあっても「限られた」ものである。ほかに、「銃によってではなく立ち向かう仕方」はたくさんあり、じつは、それなくしては結局、町は平和にはならないのではないか。
(*2)イラク派兵のおかしな点は、それが「決定的に重要だ」〔=大量破壊兵器がある云々〕と言われながらも、じつはそうではなく、じつはアメリカという「親分」の力関係を無視できない「子分」「小親分」が、脅されたり阿ったりしてそこに調達されていることである。
以上は、武力が有効に働く場合、しかしそれも有限であることを述べたのだが、それだけではない。そもそも武力が無効であるか、さらには平和に対して否定的に働く場合もありうる。その場合は、以上の責任論は、じつは裏返ってしまう。つまり、もしも「力に対して力を」という手法が、悪循環を生じたり、「平和」のために逆効果になる局面があるならば、銃を取ることは、結果責任を裏切ってしまう。そしてその責任の取り方は、心情倫理になってしまう場合さえある。(ネオコン好きの人は、たいてい、じつは世界は結局、力だという一流の「リアリズム」を強調するが、と同時に、その力に拠らねばならない/拠るべきだという(ぼくに言わせれば)「心情倫理」とがアマルガムを起こしていることが多い。だが、ネオコンのきらいな抽象的な平和主義と同様、じつは冷静な現実感では無くなっている。)
武力だけではない金力についてもそうだが、世界がもっぱら腕まくりや札びらで出来た威嚇や誘導のシステムだと思うような考えに取り憑かれると、それらが無効ないし否定的に働く局面は、みえてこなくなる。しかし、そうしたことは大いにある。そもそも考えなければいけないのが、現在の対「テロ」戦争を始めとする地球上の治安状況を、20世紀の帝国主義時代の戦争と類比するひとがいるが、むろん重なる点がある程度あるにしても、はたしてそう十分に重なるものだろうか。現在の対「テロ」戦争や治安の悪さは、覇権を取ろうとする者同士の戦いだろうか。(続く)
2004年07月14日
参議院選挙が終わった
参議院選挙が終わった。このところ他の仕事や事務・応対あまりに忙しくて、しっかり書く余裕がないので、メモ程度のことだけ、記しておくことにする。
・二大政党制の流れが如実になり、中小の集団が代議制に関与することが、決定的に不可能になってきた。巨大政党・巨大組織にかかわるか、さもなければ、マスメディアに顔を出しているというのでなければ、政治への積極的参加が何も出来ないような仕組みになってきている。票の動きは全体としては、社共などの中小の分が無くなり民主に移ったというだけの話である。たしかに民主党は善戦して自民党が苦戦したとはいえるだろうが、それは民主が取りこぼさなかったということであって、別にマスコミが騒ぐように民主が勝ったというほどでもない。国民の判断は「死に票になりそうな中小党には入れなかったが、その分を自民には回らないようにした」ということである。その意味で、選挙開票の当夜に、民主党の岡田が全然ぬか喜びもせず、二大政党制の流れがはっきりした、とけろっと言っていたのは、たいへんに冷静でよく見ているな、と思った。
・二大政党制というのが、それほどいい仕組みなのかどうかぼくは以前からわからなかった。まあ、問題意識としては、一党支配を相対化して、もう少し動態化してダイナミズムをもたせたいということなのだろうか。しかし、小選挙区制と相俟って、二大政党制によって、党内部的には派閥の力が(よくもわるくも)低下して党中心化が強まるだろうが、有権者の場においても、選択肢が少なくなることになる。しかし、派閥であれ立候補者・議員であれ、その絞り込みによって、無駄なものが無くなるならともかく、有益な存在が排除されるようになるのであれば、元も子もない。下手をすると結局、「自民党の派閥が二つの党になって、他に誰もいなくなっただけ」ということになりかねない。
・そんなことにならないためには、「その二つに収斂しない」第三極を担保して、それによって外からあるいは内から、その二党を(いい意味で)掣肘し方向付けていくほかはない。つまり、そのような「他者」が必要だ。この点では、公明党の意味はたいへんに大きい。今回、公明党がプレゼンスを高めたことが、自民党をよく方向付けるのならいいが、どうもこの2年ほどを見てみると、ワルイおやじにくっついた、世間体を気にする強欲なおばばといった感じで、冬柴などはイラク人質事件のときに率先して叩きに回っていたし、神崎も目のあたりの人相がどんどん悪くなっている。仏法の理想と平和をこころに抱いているような顔では到底ないように見えるのは、残念なことだ。
・権威的組織が、外的には平和と愛のために機能するということはありうる。創価学会も共産党も、どれほど内部が対話的なのか大いにあやしい。カトリックでもその問いを到底免れない。とはいえ、宗教政党なら、せめて現在のカトリックの動きぐらいは真似してもいいと思うが、それは期待できないのだろうか。ヨーロッパの社民党の背景にも、多かれ少なかれキリスト教があるのではないか。だとすると、仏教が──アジア宗教が、いかに政治とかかわるかという問題が、いまここで出て来ているのだといえる。
・このところの公明党をみると、仏教が、自我論に立てこもって、近代になってすら、社会思想・政治思想をあまりにいい加減にしていたことのツケが回っているかに思える。牧口常三郎や戸田城聖は何を言っていたのだろうか。少なくとも、公明党・創価学会は、仏教・平和を標榜するだけに、その理想をちゃんと守って、自民党(の軍拡路線)に対して「寄り添う」のではなく「他者」でなければならないはずではないか。
・二大政党制において他者を担保するという問題は、政党の問題だけではない。結局は、社会的次元の問題でもある。二大政党制によって、果たして現在の生活や制度の多様さや複雑さが本当によく吸収できるのだろうか。それでも、たとえば、アメリカのように、中間集団が猛烈にたくさんあるとか、イギリスのようにいろいろ経験に学ぶプロセスがあるところなら、ある程度よく機能する面もあるのかもしれない。しかし、中間集団というものが、すべてといっていいほど崩壊していて、「官」と「メディア」と「企業/系列」だけが支配しているような日本で、そんなことをやって何がいいのか大いに疑問である。
・けれど、いずれにせよ、弱小な(側にされてしまった)者たちが、このままへこむのではなく、結集して自分たちの主体性を形成する、ということが課題であることだけは確かだ。もしもそれが無ければ、健全な諸力がいっそう弱い分だけ、日本はアメリカよりひどい世界になってしまうだろう。それほど、いまは岐路なのだ。田中正造は、人道をもち正直である善人こそ、ただの善人であってはならず、権利を説き・知恵をもち・結合力をもたねばならない、と述べている(M37頃)。依存体質をあらためて、対話と連帯の体質に変えなければ、後がもうなく、そうでなければ一生、制度とメディアと有名人のドレイであるほかはない。
・政権交代という話題も、その後の新聞ではいろいろ書いてある。ただ、今回の民主党票は、政権交代が無いことを前提にしてのものが相当に多い(現に、その後の世論調査(朝日、04.7.14付)では、全体の56%、民主支持者でも3割が、政権は自民党(小泉)のままでいいと述べていた)。だから、本当に政権交代がアリアリと見えるようになって、本当に民主党に入れるかというと、そう簡単ではないと思う。むろんよりそうなるかもしれないが。
・ただ、政権交代がどうであれ(二大政党のうちのどちらになろうと)、実際の国の動き、とくに憲法や外交政策等については、いろんな人が言っているようにそう楽観できない。議員の7〜8割が改憲を許容する時代であり(これも朝日の記事)、民主党内には自民党もびっくり、というようなタカ派がたくさんいる。それが多数になり、また「戦争を知らない世代」の短慮や不満がそこに加わることになったら、何が起こるかわからない。とはいえ、9条的な理念の支持者は潜在的に少なくない面もあるだろう。だから、ただ危ないだけでもない、とも思う。
・戦後の革新というのは、結局「狼少年」だったのじゃないだろうか。来る来るといって騒いで何をしたのか。少年はじつは狼に依存していた。無意識のうちに、狼と少年はグルだったのだ。少なくとも狼を呼ぶ少年であることに安住していた。しかし、本当に重要なことは、適切に語り・適切に行うということしかない。要は、9条的な理念が(引きこもりでも騒ぎ立てでもなく)どう「形になる」か「勢力になる」かが問題である。ここでも、田中正造がいうように、人道こそが声と形と力とをもたねばならないのだ。
・ぼく自身は、従来の護憲を高唱するだけのような護憲派の論理はもうだめではないか、と感じている。たしかに護憲の主張は戦略的にはいまでも十分ありうると考える。けれども、護憲をアプリオリに立てるというのは(改憲をアプリオリに掲げるのと同様)変である。自主憲法じゃないといけないというのも馬鹿だが、護憲しかないというのも同類ではないか。感傷的であってもいいが、無論理であってはならない。理念を実現するためには、しっかりした論理構築が必要なはずだが、従来の護憲派にそれがあったかぼくには疑わしい。いろいろやった人がいるのだろうが、少なくともぼくには見えない。
・何よりも、法はつくるべきものであり、その意味で、ただ9条を守れというのだけではなく、「9条を9条として再定義すること」がむしろ必要かと思われる。法や制度が守られなくなったり乗り越えられたりしそうなとき、たしかに「守れ」ということが決定的に重要な場合も多い。しかし、何かが動こうとしているとき、ただ守勢に回ったのでは、結果責任からいってももっとひどいことを招来することもある。そうでないために、「つくる」という方向で、その動きを受け止めるよりよいものを提示した方がよいことも大いにある。つまり、護憲護憲というだけでなく、新しい理念をそこに鍛え直さないといけない。もっといい平和憲法をつくればもっといいのだ。それができれば。。法は、金科玉条などではなく、自分自身および地球市民の実際の生活幸福にそれが結びつくような実践の方策・論理こそが重要だ。アカデミズムも法官僚も護憲派も自民党もみんな「パリサイ」的な呪物崇拝から抜け出ていなかったのではないか。
・どうもこの5年ぐらいうちに、明治の10年代ではないが、憲法案をいろいろ提起する中で戦いが生まれるような局面が起こりそうだ。明治のときのように、それを天下りでさらわれるのではなく、またタイミング的に虚をつかれるのではなく、むしろ戦略的・理念的に進むことができることが大事で、またそうすべきだ。そしてそのさい、文明史的には、アジア的思惟がそこで何をつくれるのか、それが問題だ。仏陀、ガンジー、タゴール、田中正造……といったひとたちの霊を呼び込むようでないとだめだ。現実のセクトには、せめて創価学会は仏法に立ち戻り、神道派は国家神道を乗り越えて原点に立ってくるよう願う気持ちだ。
・昭和10年ころ、戦争に入りまたさらに入ろうとしている日本をめぐって、哲学者や宗教家が、「日本の世界史的使命」を説く文章をいろいろ書いている。むろん時局迎合的なものも多い。しかし、そういう微妙な言い方のもとで日本が(帝国主義・侵略主義ではなく)道義的であるべし、という主張をしている場合もある。とはいえ、そんなものでも、結局/あるいは結果的に「欺瞞の言説」であったことは逃れられない。そして、敗戦後・平和憲法のころは、「一億総懺悔」が語られた。だが、考えてみれば、「一億総」というのもおかしいし、みんな丸坊主というような「懺悔」のニュアンスもおかしい。だが、その当時あった(庶民の)自省や理想は、それだけのものだったはずはない。そのことはジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』からだけでもわかる。だが、それを誰もぼくらにわかるように取り出してくれてはいない。それが問題だ。
・生活者は生きることが仕事であり、知識人は生活者でありかつそれを自覚することが仕事だ。理論や言説が面白くてもいいが、それが生活と無関係であれば、それは遊び、と自覚すべきだ。しかし、戦後思想は何を作って来たのか。輸入や遊びはしたかもしれないが、作ったものも自覚したものも皆無ではないか。近世からだともちろんだが、近代になってからでさえ、思想的な貧困は、戦後数十年は、飛び切りのものではないか。しかし、この敗戦にこそ、日本史的・アジア史的・世界史的・生活史的意味が発見できるはずであるのに──。重要な問題のひとつは結局、日本の知識人の「たましいと知力のなさ」に帰着する。猛省して進むしかない。
・二大政党制の流れが如実になり、中小の集団が代議制に関与することが、決定的に不可能になってきた。巨大政党・巨大組織にかかわるか、さもなければ、マスメディアに顔を出しているというのでなければ、政治への積極的参加が何も出来ないような仕組みになってきている。票の動きは全体としては、社共などの中小の分が無くなり民主に移ったというだけの話である。たしかに民主党は善戦して自民党が苦戦したとはいえるだろうが、それは民主が取りこぼさなかったということであって、別にマスコミが騒ぐように民主が勝ったというほどでもない。国民の判断は「死に票になりそうな中小党には入れなかったが、その分を自民には回らないようにした」ということである。その意味で、選挙開票の当夜に、民主党の岡田が全然ぬか喜びもせず、二大政党制の流れがはっきりした、とけろっと言っていたのは、たいへんに冷静でよく見ているな、と思った。
・二大政党制というのが、それほどいい仕組みなのかどうかぼくは以前からわからなかった。まあ、問題意識としては、一党支配を相対化して、もう少し動態化してダイナミズムをもたせたいということなのだろうか。しかし、小選挙区制と相俟って、二大政党制によって、党内部的には派閥の力が(よくもわるくも)低下して党中心化が強まるだろうが、有権者の場においても、選択肢が少なくなることになる。しかし、派閥であれ立候補者・議員であれ、その絞り込みによって、無駄なものが無くなるならともかく、有益な存在が排除されるようになるのであれば、元も子もない。下手をすると結局、「自民党の派閥が二つの党になって、他に誰もいなくなっただけ」ということになりかねない。
・そんなことにならないためには、「その二つに収斂しない」第三極を担保して、それによって外からあるいは内から、その二党を(いい意味で)掣肘し方向付けていくほかはない。つまり、そのような「他者」が必要だ。この点では、公明党の意味はたいへんに大きい。今回、公明党がプレゼンスを高めたことが、自民党をよく方向付けるのならいいが、どうもこの2年ほどを見てみると、ワルイおやじにくっついた、世間体を気にする強欲なおばばといった感じで、冬柴などはイラク人質事件のときに率先して叩きに回っていたし、神崎も目のあたりの人相がどんどん悪くなっている。仏法の理想と平和をこころに抱いているような顔では到底ないように見えるのは、残念なことだ。
・権威的組織が、外的には平和と愛のために機能するということはありうる。創価学会も共産党も、どれほど内部が対話的なのか大いにあやしい。カトリックでもその問いを到底免れない。とはいえ、宗教政党なら、せめて現在のカトリックの動きぐらいは真似してもいいと思うが、それは期待できないのだろうか。ヨーロッパの社民党の背景にも、多かれ少なかれキリスト教があるのではないか。だとすると、仏教が──アジア宗教が、いかに政治とかかわるかという問題が、いまここで出て来ているのだといえる。
・このところの公明党をみると、仏教が、自我論に立てこもって、近代になってすら、社会思想・政治思想をあまりにいい加減にしていたことのツケが回っているかに思える。牧口常三郎や戸田城聖は何を言っていたのだろうか。少なくとも、公明党・創価学会は、仏教・平和を標榜するだけに、その理想をちゃんと守って、自民党(の軍拡路線)に対して「寄り添う」のではなく「他者」でなければならないはずではないか。
・二大政党制において他者を担保するという問題は、政党の問題だけではない。結局は、社会的次元の問題でもある。二大政党制によって、果たして現在の生活や制度の多様さや複雑さが本当によく吸収できるのだろうか。それでも、たとえば、アメリカのように、中間集団が猛烈にたくさんあるとか、イギリスのようにいろいろ経験に学ぶプロセスがあるところなら、ある程度よく機能する面もあるのかもしれない。しかし、中間集団というものが、すべてといっていいほど崩壊していて、「官」と「メディア」と「企業/系列」だけが支配しているような日本で、そんなことをやって何がいいのか大いに疑問である。
・けれど、いずれにせよ、弱小な(側にされてしまった)者たちが、このままへこむのではなく、結集して自分たちの主体性を形成する、ということが課題であることだけは確かだ。もしもそれが無ければ、健全な諸力がいっそう弱い分だけ、日本はアメリカよりひどい世界になってしまうだろう。それほど、いまは岐路なのだ。田中正造は、人道をもち正直である善人こそ、ただの善人であってはならず、権利を説き・知恵をもち・結合力をもたねばならない、と述べている(M37頃)。依存体質をあらためて、対話と連帯の体質に変えなければ、後がもうなく、そうでなければ一生、制度とメディアと有名人のドレイであるほかはない。
・政権交代という話題も、その後の新聞ではいろいろ書いてある。ただ、今回の民主党票は、政権交代が無いことを前提にしてのものが相当に多い(現に、その後の世論調査(朝日、04.7.14付)では、全体の56%、民主支持者でも3割が、政権は自民党(小泉)のままでいいと述べていた)。だから、本当に政権交代がアリアリと見えるようになって、本当に民主党に入れるかというと、そう簡単ではないと思う。むろんよりそうなるかもしれないが。
・ただ、政権交代がどうであれ(二大政党のうちのどちらになろうと)、実際の国の動き、とくに憲法や外交政策等については、いろんな人が言っているようにそう楽観できない。議員の7〜8割が改憲を許容する時代であり(これも朝日の記事)、民主党内には自民党もびっくり、というようなタカ派がたくさんいる。それが多数になり、また「戦争を知らない世代」の短慮や不満がそこに加わることになったら、何が起こるかわからない。とはいえ、9条的な理念の支持者は潜在的に少なくない面もあるだろう。だから、ただ危ないだけでもない、とも思う。
・戦後の革新というのは、結局「狼少年」だったのじゃないだろうか。来る来るといって騒いで何をしたのか。少年はじつは狼に依存していた。無意識のうちに、狼と少年はグルだったのだ。少なくとも狼を呼ぶ少年であることに安住していた。しかし、本当に重要なことは、適切に語り・適切に行うということしかない。要は、9条的な理念が(引きこもりでも騒ぎ立てでもなく)どう「形になる」か「勢力になる」かが問題である。ここでも、田中正造がいうように、人道こそが声と形と力とをもたねばならないのだ。
・ぼく自身は、従来の護憲を高唱するだけのような護憲派の論理はもうだめではないか、と感じている。たしかに護憲の主張は戦略的にはいまでも十分ありうると考える。けれども、護憲をアプリオリに立てるというのは(改憲をアプリオリに掲げるのと同様)変である。自主憲法じゃないといけないというのも馬鹿だが、護憲しかないというのも同類ではないか。感傷的であってもいいが、無論理であってはならない。理念を実現するためには、しっかりした論理構築が必要なはずだが、従来の護憲派にそれがあったかぼくには疑わしい。いろいろやった人がいるのだろうが、少なくともぼくには見えない。
・何よりも、法はつくるべきものであり、その意味で、ただ9条を守れというのだけではなく、「9条を9条として再定義すること」がむしろ必要かと思われる。法や制度が守られなくなったり乗り越えられたりしそうなとき、たしかに「守れ」ということが決定的に重要な場合も多い。しかし、何かが動こうとしているとき、ただ守勢に回ったのでは、結果責任からいってももっとひどいことを招来することもある。そうでないために、「つくる」という方向で、その動きを受け止めるよりよいものを提示した方がよいことも大いにある。つまり、護憲護憲というだけでなく、新しい理念をそこに鍛え直さないといけない。もっといい平和憲法をつくればもっといいのだ。それができれば。。法は、金科玉条などではなく、自分自身および地球市民の実際の生活幸福にそれが結びつくような実践の方策・論理こそが重要だ。アカデミズムも法官僚も護憲派も自民党もみんな「パリサイ」的な呪物崇拝から抜け出ていなかったのではないか。
・どうもこの5年ぐらいうちに、明治の10年代ではないが、憲法案をいろいろ提起する中で戦いが生まれるような局面が起こりそうだ。明治のときのように、それを天下りでさらわれるのではなく、またタイミング的に虚をつかれるのではなく、むしろ戦略的・理念的に進むことができることが大事で、またそうすべきだ。そしてそのさい、文明史的には、アジア的思惟がそこで何をつくれるのか、それが問題だ。仏陀、ガンジー、タゴール、田中正造……といったひとたちの霊を呼び込むようでないとだめだ。現実のセクトには、せめて創価学会は仏法に立ち戻り、神道派は国家神道を乗り越えて原点に立ってくるよう願う気持ちだ。
・昭和10年ころ、戦争に入りまたさらに入ろうとしている日本をめぐって、哲学者や宗教家が、「日本の世界史的使命」を説く文章をいろいろ書いている。むろん時局迎合的なものも多い。しかし、そういう微妙な言い方のもとで日本が(帝国主義・侵略主義ではなく)道義的であるべし、という主張をしている場合もある。とはいえ、そんなものでも、結局/あるいは結果的に「欺瞞の言説」であったことは逃れられない。そして、敗戦後・平和憲法のころは、「一億総懺悔」が語られた。だが、考えてみれば、「一億総」というのもおかしいし、みんな丸坊主というような「懺悔」のニュアンスもおかしい。だが、その当時あった(庶民の)自省や理想は、それだけのものだったはずはない。そのことはジョン・ダワーの『敗北を抱きしめて』からだけでもわかる。だが、それを誰もぼくらにわかるように取り出してくれてはいない。それが問題だ。
・生活者は生きることが仕事であり、知識人は生活者でありかつそれを自覚することが仕事だ。理論や言説が面白くてもいいが、それが生活と無関係であれば、それは遊び、と自覚すべきだ。しかし、戦後思想は何を作って来たのか。輸入や遊びはしたかもしれないが、作ったものも自覚したものも皆無ではないか。近世からだともちろんだが、近代になってからでさえ、思想的な貧困は、戦後数十年は、飛び切りのものではないか。しかし、この敗戦にこそ、日本史的・アジア史的・世界史的・生活史的意味が発見できるはずであるのに──。重要な問題のひとつは結局、日本の知識人の「たましいと知力のなさ」に帰着する。猛省して進むしかない。
