2004年07月03日

幸福を求めること

アリストテレス『ニコマコス倫理学』は冒頭で、「どんな実践も技術も善を求める」「万物は善を希求している」といい、そして「その善の最上のものは、だれもが『幸福』だという」と述べている。アリストテレスは、その幸福の希求をおおむね肯定して議論を進める。ただ、その幸福には種々ある、として、幸福とされるいろんな種類の生活を論じていく。

少し前、原始仏典だとされる『スッタニパータ』を読んでいたら、そのある章が幸福論であることに改めて気づかされた(中村訳「こよなき幸せ」、漢訳「吉祥品」)。その章は、「多くの神々と人間とは、幸福を望み・思う。最上の幸福とはなにか」という提起から始まる。そして、「生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ。」「いかなる生き物生類であっても、……目にみえるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くにすむものでも、すでにうまれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ」と述べている。

「幸せであれ」というのは、言語の用法としては少し変なようだが、ブッダが提示する涅槃も「最上の幸福」だとされるのであるから、そのことも含めて、ブッダが、自他幸福であれかし、という悲願のようなものを抱いてことがわかる。それはまた万物自身の願いだとも、やはり捉えられていた。幸福の内容はともあれ、「存在者たちが幸福を求めている」という認識自体は、アリストテレスであれブッダであれ、彼らはそれを分かっているのだった。

なぜ幸福を求めるのか。それは生きものであることと関連がある。石コロもある方向に動くが、それは幸福を求めているわけではない。しかし、生き物になったとたん、植物であれ、小さな虫であれ、自分という生き物にとっての、よき環境であれ何であれ、何かの幸福を求める。動物はもちろん、たとえば、ネコは気持のよさを求める。ひとも、やはり自分の生をよきものにしようとする。その「よき生」は、とくに人になってくると、もちろん他人とある程度は同じ部分があっても、さらには相当に違ってくる。それはぼくらの経験する通りである。その幸福の「ある程度同じ部分」でさえ、時には人によって真っ逆さまである場合もある。食べることが幸せの人もあれば、食べないことが幸せの人もいる。つまり《幸せの内容》はひとによって多様に分節化していく。ただ、多様に分節化しているからといって、それが求められていないわけでは決してない。幸福は明らかに求められている。

《幸せとして感得する領分》も、場合によって違いが起こってくる。たとえば、少し変わった見方かもしれないが、(通常の個人としての)自己の身心の内部の幸福を考えてみよう。そのさい、身心の内部の在り方、その幸福の求め方は一様ではなく、ある部分の幸福を追求するために、別の部分の不幸を無視しているなどということはよくある。また、身心の外部を視野にいれて考える際にも、やはり幸せの識域にはひとによって違いがある。幸せが、もっぱら個体としての自己自身に全く完結したようなひともいれば、極めて自己中心的でありながら且つ大きく他者をそのために巻き込んでいるようなひともいる。茫洋と大きく無中心的なひともいる。あるいは、他者が中心になって動いており、自己がそのために出ていってもう戻ってこないようなひともいる。さらに、一見するとその人自身は不幸と見えるような自己犠牲をみずから生きるひともいる。とはいえ、それはまた大きな次元でその人にとっては幸福かもしれない。ただ、それをじつはそれも自己完結的な幸福に収束するものだと捉えてしまうのも少し無理なところがある。

自己を完結的な中心だと堅く感じているような人は、たいてい自己の身心の内部の多様性も単純に一元化している場合が多い。だが、注意すべきだが、幸福を感得する際に自己が自己完結的に捉えられているとしても、それがたんに先天的・生理的な普遍的構造から来るものだとは必ずしもいえない。そのような自己の背後には、種々の幸福をもっぱら「私」に集中して認知するような、そのひとが置かれた社会組織・思想組織の仕組みがたいていある。その仕組がそのひとに一種「取り憑いた」ようになってその固定局限した「私」をもたせ幸福の私への集中を生じているのである。しかし、動物をみても植物をみても、たとえ自分の幸福を求めていても、そう簡単にそれが自己だけで完結して他者を度外視するような仕組みにはなっていない。その反対の自己犠牲もおいても、状況や思想においては、ひとはあたかも容易かのように従容とそうすることがある。

ともあれ、いろんなバイアスや重心を含みながらも、《幸福の領域》は、自己だけでなく他者をも含んだような広がりの展開のうちにある。幸福には複雑性がある。先に、幸福を求めるのは生きものであるからだ、と言ったが、そもそも生き物は、とくに動物などは個体としては比較的短時間で死ぬようになっているのだから、そこにも、当然、幸福をめぐる様々な贈与の弁証法があるにちがいない。犠牲の問題もそれとかかわっているようだ。とはいえ、それにしても、やはり生き物は幸福を求めているのである。

このように、内容においても感得する領域においても複雑ではあるが、しかしともかくその幸福を生き物は求めている。だからこそ、古来から「万物は幸福を求める」と言われたわけである。ところが、そこでとらえられていたものは、近代になって忘れ去られたか置き換えられてしまったようだ。というのは、善さやあるべきもののとらえ方が、しばしば個々の生から離れて取り出され、さらに単純な基準や秩序に還元されるようになったからだ。そうすると、人・物がそれぞれに何か自分たちの生にとってよきものを求めているという「様々な生の姿」が見えなくなった。

すなわち、人々の生を一定の義務やルールによって規制する規範論──現代の経営学だとcomplianceなどということばにあたるかもしれないが──が全面に出て来て、その残余が「自由」のブラックボックスに入れられた。このことは、人々を「自分たちが一体何を求めているか」を、(何かの宗教倫理にでも裏打ちされていない限りは)見失わせ、畢竟は、国家社会の規範に従わせるのか、市場社会の利潤原則に己れを取り憑かせるか──先ほどふれたよう自己を単一の実体のようにとらえる感覚もそうした「あらまほしきものの単純化」とセットになっているのではないかと思われるが──、いずれにせよ、幸福についての内省と問いを失わせた結果になったと思う。

このような問題に対して、功利主義(utilitarianism)は、問題に対処したとも問題をいっそう失わせたともいえる両義的な働き方をした。功利主義は、むろん幸福を語り、その自他における最大化を議論したわけである(*)。そのことの意義はもちろんある。↓

【(*)ちなみに、utilitarianismの「功利」という訳語は、伝統的な漢語の「功利」という語感をまったく踏まえていないものである。漢語で功利というのは、徳性や他者への配慮を度外視し、自己の利益と業績を求めたり、これを法家的に管理したりする在り方を言っている(と思う)。utilitarianismが、そうしたものに転化しうることは確かだが、utilitarianismは元来、幸福(利益)の配分・調整を図ろうという考えだから、漢語的な「功利」を必然的に含むものではない。そこからすると、(経済学のように)効用主義とでもいう方がまだいい。効利主義や交利主義ならまだよかったかもしれない。他方、明治初期に、utility「利」、utilitarianism「利学」などと訳したのには、仏教の「利」概念も勘案されたという面もあったようだから──利他、利己、自利といった語はその伝統を負っている──、それだったら、utilitarianismは利益(りやく)主義とでも言ったらよかったかとも思われる。いずれにせよ、「功利」は、rightが、権理とか権義とか言われていたのに、これを「権利」にしてしまったのと同じぐらい阿呆な言葉遣いである。とはいえ、その阿呆さは、当時の「功利」や「権利」イメージそのものの浅薄さが投影されて定着したのだから、もって瞑すべしというべきか。】

↑しかし、その幸福観は、幸福の一般的な配分を考察するものである。むろん、そうした配分はとても重要な問題である。たとえば、同じ世界に生きている、ある人の幸福があまりに大きく、他の人の幸福があまりに小さい場合、それを何らかの仕方で再配分しようとする要請が出てくる。幸福の資源が有限であるならそれは必然的だし、あるいは仮りに有限性が問題にならなくても、同じ人間だと感じられている限りやはりそうだろう。このような幸福の配分の問題は、まずは、ひとの幸福のいわば必要条件のようなものにとって重要である。人の基本的な幸福の可能性が欠如/剥奪されているときに、功利主義的な議論を正義論と結びつけて議論する必要は、したがって倫理的には──また現代法的には──絶対にあるだろう。つまり、それは憲法にある「幸福追求権」──生存権以下の基本的人権にかかわる問題になるからだ。

が、にもかかわらず、通約された幸福の一般的な配分が充足されたからといって、ひとが必ずしも幸福になるとは言えないことも、同時に知るべきだ。というのも、衣食足りて礼節を知る、とも言うが、しかし、衣食住足りたあとでも、人は生き甲斐を失ったり死にたくなったり、(パンを盗んだジャンバルジャンや永山則夫「無知の涙」とは違った意味で)──「小人閑居して不善をなす」のかカミュのムルソーのようになるのかしらないが──犯罪を犯したり、人を殺したくなりさえするからだ。したがって、功利主義は、幸福の剥奪問題や必要条件問題については、有効であっても、それ以上の問題については、十分有効ではなかった(とぼくは思う)。(もちろん、もっといろんな考え方でぼくが知らない展開がたくさんあるに違いないが、ここでは一応の話。) 言うなれば、ひもじいなかで、ミカン箱の上で勉強していた子供に、そうだろうそうだろうと言って、どんどん飽食にしてやりヒカリサンデスクとゲームを買い与えてやった。そしたらその子は幸福になるか。そんなに簡単なものではない。

ここには、功利主義の、幸福の「最大化」というアプローチの過誤と、また功利主義は、幸福に多様性や次元の違いがあるというものの、その次元の認知や多様性についての思考と実践の不十分さがあるようである。別の局面からいうと、功利主義の幸福の「一般性」という観念自体が、ある程度の有効性はあるにしても明らかに限界を含んでいる。ということは、そもそもある幸福の「限界」という問題について、功利主義がはたして十分に考えていたのかはいぶかしい。

幸福は、個々の生き物が、自分自身をよきものにしようとすることに関わる。もちろん、花や樹を育てるならそれなりの一般条件の充足が必要である。が、それでも「その花」「その樹」を見なければ、花も樹もちゃんと育たない。ましてや、ここに生きるのは動物であり、それぞれのひとである。だから、広く客体面からいって、要するに「幸福の複雑性」という問題に功利主義はそれほど有効な接近法を示せていない。そうして他方、この問題の核心には、幸福の主体面としての人格というか「ひと」という問題がある。幸福の複雑性の根には、生き物が、ひとがいるのだ。また、この複雑性はただ拡散しているのではなく、ある限界をもち、次元をつくったり他に転換したりしているのだが、そうしたことについても、まだまだ十分に考えられていなかったのではないか。(以上の、功利主義批判の問題はぼくはまだ従来の所説を十分検討してないので、いまはちゃんとしたことが言えない。さらに要検討)。

子供は、与えられる物自体がうれしいのか。まったくそうではない。その物によって、自分が生きる感じがすることがうれしい。また、その物を介して、自分というひとを見ているひと、承認してくれているひと(びと)がいることが重要で、そのことが子供にとってその物を意味づけている。だれでも、本当にうれしい(贈り)物であれば、どんなささやかなものでも「あのひとがぼくにくれたものだ」と思うではないか。あるいは「このものをあのひとに見せよう」と思うのではないか。

何らかの物の価値をたとえば、物的(さらには商品的)価値から来るものと人格的価値から来るものと両面からとらえてみる。すると、前者を介して後者が存在する局面はもちろんありうる。だからこそそこに物があるのだ。とはいえ、前者だけに後者を置き換えてしまうことはできない。もしそうなったら、そこに倒錯がある。あるいはもう「ひと」はいなくなっている。少なくとも贈り物の場合、そこでは「贈ったひと」は消えている。そのとき、「贈られたひと」もそこからたぶん無くなるのだろう。

格好いい女性/男性がいて、宝石やいい服を貰ったか得たとする。そして彼女/彼は、それで「これであのひと(たち)がふりむくわよ/ぜ」と思うかもしれない(こういうことはよくわからんが)。この場合でさえ、その物をめぐる価値は、「もの」それ自体ではなく、「ひと」によって底礎されている。およそ価値──「よさ」というものは、それに関心をもつ「ひと」がいて生起している。

もとより、天地にとっては、石コロもダイヤモンドも、人も蛇蝎も資格に差異はない(この考え方は、日本思想ではよく出てくるが、西欧的ないしキリスト教的ではないかもしれない)。ただそれでも、ひとは価値(よさ)を求めて生きる。それは生き物が生きるということの仕方である。幸福は、生きるということ、ひとである・あろうとすることから出て来る。

すると、翻って、A)死んだら同じ、億万年の物差しを取れば同じである。だとすれば、幸福の問題を問う必要はないという考えも出てくる。が、そうではないし、またそうすべきでもない。なぜなら、すでにひとは生きているからだ。幸福はひとの在り方に結局は依存するに過ぎないから、それを考えることは、無駄だと生きている者が考えるのはおかしい。しかし逆に、幸福はひとの在り方に結局は依存するのだから、B)生はどんな在り方であろうとすべて意義がある──ひとに関わるものであるゆえにどんな幸福もよい、といえるだろうか。しかし、そうではなく、そうだとすれば、それも幸福の自殺だといえよう。

たとえば、裸の王様の話ではないが、自分は価値あるものをもっている、自分はよい、と思っているが、それは、ひと(他人)がよいと思っていることに支配されているに過ぎないことも多い。これも幸福か。──ある程度、ある条件においては。しかし、これが「そのひと」に結び付いていないのであれば、やはり幸福とは言えない。あるいは、似たようなものだが、ひとが何かの幸福にものすごく「執着」しているとする。そして何かを得ていると(信じて)いるとする。が、その極限において、そのひとはむしろ対象に支配されており、もう「ひと」ではなくなっている。それは壺の中に手をつっこんで中身を握りしめて手が抜けなくなった動物と同じだ。こんなときには、少しは先ほどの天地の観点や「無」を思い出すべきである。が、それは結局はすべてが無であるというためではなく、手をゆるめること、そしてその握った手にあるものを、少しは誰かに渡すためである。

以上のようなことを考えると、幸福の問題には、「自己実現」や「徳」の形成などの枠組をもつ必要がどうしても出てくる。それは、学問・思想としては、現代の教育や大学などで行われてきたものではむしろ全くなく、古代中世的なそれの方に近づく。ただし、西欧にも流れているインド・アーリア的思想におけるこうした伝統は、どうも結局のところ「自己論」であるようにぼくには思える。しかし、何でも「世界と自己」という枠組でとらえるのも、先にも示唆したように、実は、一定の社会関係・世界関係の歴史的産物なのである。ぼくは東アジア人だからかどうかしらないが、幸福の問題を、もっと最初から最後まで自他相関的なモデルのうえで考えた方がしっくりする。そうした面からも、従来の議論の地平は考え直す必要があると思っている。アマルティア・センの議論も、幸福をひとが不幸を乗り越えて公共的次元に関わらせるものと捉えることができるが、彼が述べている選好や選択についての考察も、以上の延長でさらに咀嚼していかねばならない。
  
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「予算」

組織のために使われてどうにも東奔西走しているようで忙しい。そこで数年前からふと考えさせられたこと。──ぼくのような所属組織では「予算委員」という名称のものがよくある。しかし、「予算」とはいったい何なのだろう。

予算とは、言葉としては「使えるだろうと考えられるお金の計算」あるいは「そのように計算されるお金の額・内容」というような意味だろう。計算の側面をいうにせよ、その額面の側をいうにせよ、そこには「予測計算」が含まれている。ふつう、今から何かしようという物事があって、そこにどれぐらい掛かるか、と考える。旅行に行く。予算はどれぐらいになるか、などと──。ちょっと町に出かけるときにも、財布をちらっと覗いて、「千円札3枚あるから何かして戻って来られるだろう」と考えたりするが、これも予算を立てているのだといえる。

あらかじめ計算して予定しておく費用。見積もり。国会でも予算委員会というのが、法案の審議をしている。けれど、いまの世の中はどうも予算では動かない、それだけでない動き方をしているようだ。このような当たり前のことをどうすればいいのか。予算に縛られ、そうでない動きに縛られている現在。
  
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2004年06月20日

「ひと」と「人間」

昔、ハイデガーを読んだとき、ひとは Daseinであり、いま・ここに実存している者である。しかし、それはしばしば周囲との関係によって埋もれている。その、Daseinを自覚させなくする一般的な人間がdas Manである、とされていた。そしてハイデガーでは、むろんDaseinが本来的で、das Manは頽落体なのだった。いま、もとの文に直接あたりもしないで書いているので違っているかもしれないが、大づかみなところでまあいいとして下さい。

で、その当時の版では、das Manは「ひと」、Daseinは「現存在」などと訳されていた。しかし、これはおかしいのではないか、と最近ある機会でふと気づかされた。Daseinの立場からいってひとを頽落させひとが空間化されるような存在者の地平とは、「ひと」ではなく「人間」ではないか。というのは、「人間」とは元来、仏教語でよく使われて、人という在り方、人の世みたいな意味である。また「人間(ジンカン)いたるところに青山あり」「人間万事塞翁が馬」というが、この場合も人の世というような意味である。こうした「人間」は「世間」という語とあまり違いがない。(面白いことに、その「人間」が日本では、人というものの一般名詞になった。「人」のことを「人間」と言っているのは、東アジア漢字文化圏では日本だけである)。「人間」が元来はそうした一般化・空間化された人なのであれば、das Manは「人間」でぴったりだといえる。

他方、「ひと」という言葉は、おそらくは、「ひ」(霊・日)と「と」(ポイント)の意から来るとも思われる。つまり「ひと」とは、存在のうちにおいてまさにいま・ここに止(とど)まり、それを機として生きるものである。それは、ハイデガーの言葉ではどちらかというとDaseinの方に近い。こうして、言葉に溯って考えるならば、Daseinに近いのは「ひと」の方、das Manに近いのは「人間」である。してみると、das Man, Daseinについての従来の訳語は、日本語の元来の意味からいうと、むしろ交差的に捻れてしまったといえる。

ただ、和辻が『人間の学としての倫理学』などでも言っているが、「ひと」は、他者のことを言い、さらに「人の目を気にする」などと世間的人々のことをもいうようになった。「ひと」もそうした展開をもつ。だから、「ひと」のそういう用法を考えるならば、das Manを「ひと」に当てるのも間違ってはいないといえる。が、そのような展開があるにせよ、もしも元来の語意を洗い出すならば、いま述べたように、das Manには「人間」を選ぶ方が相応しかった。ただし、「人間」という語の方には、他方、やがてhuman (beings)みたいな意味が展開し、それは普遍的人間とでもいった含みや重みも持ったようだ。それを思って、訳者たちは、人間はdas Manにはそぐわないと思ったのかもしれない。

「ひと」にも「人間」にもいわば世間化が起こった(詳しくいえば、「ひと」は世間化したが、「人間」はもと世間だったものが人にもなった)。ただし、和辻にとっては、その展開は、いずれにせよ否定的なことではなく、むしろ肯定的なことであった。つまり、das Man=世間的人間/世間的ひとは、実存の隠蔽ではなく、むしろその関係的在り方を示すものとして評価されるべきものであった。これに対して、ハイデガーのDaseinは、和辻にとっては、個人意識に傾き過ぎなのである。

で、ぼく自身の考えはといえば、確かにハイデガーのDaseinが「ひと」の様々なあり方を妙に個人意識に限り込んで狭く掘り固めているのは、納得できない。DaseinはDaseinであるにしても、そのDaはまた別のDaとやり取りする者である。生まれて「死に向かう」(Sein zum Tode)のだとしても、その死も別のDaに返され、それによって別のDaを生かしている。またそうしたものを介しての「ひとのいとなみの生成界」のようなものもある。そうした生成界がハイデガーでは「存在の家」といわれる「言語」なのかもしれないが、そこに様々な人々は息づいているのだろうか。そうとは思えない。(ついでながら、そもそも20世紀に起こったといわれる「言語」論的展開とやらは、私か公か、実存(個的主体)か世界かといった分裂反転構造を持っているようで、おかしい。ぼくは歪んだ枠組(選択)だと思われる)。しかし他方、和辻が、ひとの世間化をこれまた「人間存在の理法」などと妙に重視するのも納得できない。

よくハイデガーと和辻は、逆の立場みたいに言われる。だが、両者は、メダルの裏を描いたか表を描いたか──私を書いたか公を書いたかみたいなもので、意外にも背中合わせの似た構造の中にいるのではないだろうか。さらにいえば、ぼく自身は、ひと/人間をめぐって、じつは
          ひと─人間─ひと─人間─ひと
とでもいった生成の在り方の中にとらえた方がすっきりすると考えている。そこからいうと、ハイデガーは「ひと」に、和辻は「人間」に中心をおいて他項を外部化したような仕儀になっている。しかしどちらも「存在」といったハコか実体かに嵌っている。もっと動的なあり方のうちに見ることはできないのだろうか。

ところで、日本で「人」はなぜ「人間」になったのだろうか。このことはちゃんと調べる必要がある。しかも「ニンゲン」と呉音でいうのは、仏教とのつながりを思わせる。溯ると、江戸時代の一般名詞用法には「人間」という語はあまり見ないように思う。明治初期の福沢には「人間交際」などという語があるが、これは人と人との交わりという意味である。ジンカンコウサイなどと言ったらしい。それにしても、福沢にとって「人」=「人間(人間)」ではなかった。実際、「天は人の上に人をつくらず」であって、「天は人間の上に人間をつくらず」だと間抜けである。福沢はそんな言葉遣いはしていない。

ところが、どこかで、たぶん仏教的用法をも引きずりながら、あるいは近代の翻訳と関係してか、おそらくは明治も少し経ってから、「人間というものは……」「私は人間だ」といった用法が生まれた。ちなみに、たまたま見た明治16年の松田敏足「人間生存の組立」では、こうした言い方に近いものが散見する。そこでは「人間」は、「人間界」「人間社会」「人類」といった意味でだいたい使われている。二字熟語にして「重し」をつけたかった面もあるのかもしれないし、当時の一種の生物学や進化論や社会学の影響もあるかもしれない。いずれにしても、「人間」という言葉には、人一般、人類、さらには世間という意味とが、重なるようにして、いわばひとの空間的定義として行われることになった。

それだけではない。これはもっと新しい語用だと思うが、現在、「人間的」というときは、それを重んじ認められるべきものだという外的なニュアンスに加えて、内容的には──ここが特徴的だが──「弱みがある」「立派(な聖人君子)ではない」という意味が含まれているようだ。しかもそれがどちらかというと肯定的に主張されるようである。「そういうところは人間的ですね」などというときは、たいてい弱みやくずれがあって、それがむしろ共感・承認されるべきもの、とされていることが多い。もちろん、humanにも、I'm human.=「私も人間だ(から間違いもする)」というような用法はある。「GodでもSaintでもない」ということだろう。が、「だから、同じじゃない、いいじゃない」といったところまでそこに意が込められているだろうか。どうもそうではなさそうだ。

これに対して、「ひと」は、「人となり」という。そして古語で「人となる」とは、一人前になる、大人になる、という意味である。つまり「ひと」とは、何らかの承認や認知をふくむ、ある成就した存在者のことである。古い用法では、その重心は身近な他者に向けられ、たとえば恋人、相手、従者などを「人」という。15年ぐらい前だったか、「わたし作る人! ぼく食べるひと!」というCMがあった。いまでも、「わたしはこういうひとなの」「わたしはこれはできないひとなの」などという(どうも女性がいう場合が多いような気がする)。そうしたとき、この「ひと」には、そういう存在なのだ、それ以外ありえない、さらには承認せざるえない存在だ、という意味が含まれているようである。むろん、この承認の契機が横に広がっていけば、「一般的なひと」が出てくるのではあろう。ただそれにしても、「ひと」には存在の主張──いわば「da」があるわけだが、しかし、それはあまり弱さの主張ではない。つまり、「人間」には弱さの一般化がかなり含まれるが、「ひと」はそうではない。世に人気のある相田みつをは、「にんげんだもの」といったが、「ひとだもの」とはいわなかった。そこには理由がある。相田みつをは、「同じ弱い人間じゃないか」と言っているわけである。

「人間」は、認められるべきものという含意があるのだとしても、なぜそれがhumanityとかrightとかを越えて「にんげんだもの」になったのか。やはり、そこには、「人間」という語が「ひと」という語とは違って持つ空間性/一般性が関わっているのではないか。その点からして「人間」は「ひと」よりも共同性にまたパターナリズムに訴えやすい言葉なのだ。もちろんパターナリズムも共同性も、無くていいものではなく、あっていいものではある。しかし、あまり切り札的に訴えるなら、当然、陥穽にはまる。「人間一般」はひとをそこに入れたり・出したりする枠になる。そんなカテゴリーをわれわれは使い過ぎなのではないか。だから、これからは、あまり「人間」「人間」というよりは、「ひと」「ひと」といい、「ひと」であれといいたい。現在、ひとは「人間として認められる」よりもまず、「ひととして認められる」必要があるのではないか。
  
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2004年06月15日

日常性の意味

身辺のこと。自身も健康を一応保持していて家族や生きている限りの親きょうだいも元気でいる。また現在、(無茶な忙しさに苦しんでいるが)特別にどうしても困った難事にぶつかってはいない。そのことはとてもありがたいことだ。昔は、「無事是好日 実篤」などと書いた茄子の絵などが時々かかっているのを見ると、「何を馬鹿なことを」と思った。しかし、だんだん、そんな言葉があるのももっともだなと思うようになった。

最近は、実篤のそういう言葉をあまり見ない。その代わり、相田みつをの日めくりや色紙などがよく掛かっている。これは自己納得的というか人生論風ナルシシズムというべきものである。これについては「いいな」とはぼくはどうにも到底思えない。同様にして、相田みつをとは違うけれど、五木寛之が「生きるヒント」を書いたり、新聞に連載したりするエッセイも、本当のことを言って不愉快である。以前、五木のエッセイが「いい」というある先生とぼくは論争したことがあった。その先生は、五木のそれが「肩の力が抜けていていい」という。しかし、ぼくは、むきになってこんなことを言った──「こういうだらけた、しかし埒が明かないことを彼はしょっちゅう書いているが、本人は結局これで大儲けしているのじゃないか。現代のような時にそんなものを丸薬みたいにばらまいて人をだましている。それにあぐらを書いて平気なのはどういう気か知れない。退廃の極だ。若い五木を知る者からすると考えられない」と。すると、その先生は笑って「いや若いときから五木にはそんな受けねらいのとこはあったよ。それでもまた彼は彼のいいところがあるんだ」という。どうも、ぼくは怒りんぼうに過ぎるのかも知れない──。

日常に幸せを見いだすというのは、メーテルリンクの「青い鳥」のモチーフでもある。日本思想史にそれをさぐってみると、伊藤仁斎は、「米塩柴薪の細に至るまで、総て是れ道に非ずということなし」と言っている(童子問)。「俗の外に道無し。但し一点の俗気と雖も著け得ず」──これを読んだとき、ちょうどそのころ、観念の世界からたちもどると人間も鳥虫も生きている(という当たり前の)ことに驚くように気づかされていた。そこで仁斎にはいたく納得させられた。ただしかれは、ただhere and now にもどることを説いただけではなく、じつはあるラディカリズムを有している。しかし石門心学流の「知足安分」はどうだろうか。それはその頃のぼくにも、どうにもいやな思想の一つだった。けれど、いまはそういう生活というものがあるのだということは、少なくとも理解するようになった。

本居宣長は、さらに「ほどほどにあるべきかぎりのわざをして、穏しく楽く世をわたらふほかなかりしかば、今はたその道といひて、別に教へを受て、おこなふべきわざはありなむや」(直毘霊)と述べている。こちたく道・教えなどをいうことはない、あるべき限りのことをして楽しく穏しく世を生きるほかないではないか、というわけである。この言葉を読んだとき、「何かひどい、あんまりだな」とぼくは思った。が、しかし、年がたつほどに、惻々とおそろしいほどの言葉だな、と思うようになった。ぼくは今でもこの宣長の言葉もあまり認めたくない気持がどうしてもする。とはいえ、宣長の言葉は、いうまでもなく、メディアの上に寝そべっているような五木の言葉とは、掛けたもの・煮詰めたものが格段に違っている。

宣長はもちろん心学にもその他の過去の多くの考えにも、多くの人々が積み重ねてきた、普通に生きることの平淡にみえるが凝縮した意味が、大人しいがしかし動かし得ないように込められている。けれども、そのような思考があったことはもうあまり知られてない。そもそも、日常性というものに含まれた意味には、計り知れないものがある。中国古典の易や中庸はもちろん、デカルトやカントでさえ、常識や生の恒常性ということを生き方を考える出発点にしている。それは故ないことではない。そのことの意味はしかし、学問的にも忘却されている。学者はたいてい逆立ちしているから、忘却するのも当然かもしれない。しかし、一般人からそういう知恵のようなものが忘れられることこそ震撼すべきことだ。

日常性にはアルファ=オメガであるようなものがある。しかしたとえそうだとしても、それになおどんな態度をとるかという問題はやはり出てくる。宣長は、表立ってはもっぱら「回帰すること」を述べている。その考えは(その神学的枠組を取り払ってみると)「生活世界保守主義」とでもいうべきものである。それはそれであなどりがたい深みがあり、そのことはもっと考えていかねばならない。とはいえ、現在という時の問題は、そのような生活的保守主義が、どうもそのままでは成り立たなくなった、ということにある。それはやはり危機に違いない。たぶん、そのことともからんで、ぼくは、日常性を重んずるにもかかわらず、危機意識をどこかに孕んでないものを認めたくないらしい。アカデミズムであれ何であれ。。

ただ、何も危機が好きだとか、シュミット流の枠組に立ちたいというわけではない。その逆であり、まず生活世界を認めること・それを伸ばすこと。それが基礎であり目的なのではないか、とぼくは思う。だから、それ以外の権力もシステムも、本当なら全部いらないと言いたい。しかし今あるのは、その日常性の上にあるいは外部に人間が作り出したものが反転して日常性を掘り崩しているという「生活世界の危機」である。そして、その危機の意味を追っていくならば、「生活世界を守る、それを持続させる」ということを、たんに宣長風の随順主義とはちがった形での、知恵と人権をもち他者に開かれたものに転換していく可能性と課題とがあるのではないか、と思う。危機というのは、そのような思考・態度が要請されるという意味においてである。
  
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2004年06月13日

知の生成と人間の時

若い10代の人たちと話していると、つくづく「主体的な時の感覚」ともいうべきものが、50代も越えた自分とは違うな、と感じる。が、わたしと接した80代の人はまた、わたしとの間で違いを感ずるだろう。いずれにせよ、(5月22日にもふれたように)人生の「時、時において」物事の感覚や認知がそれぞれにある。むろん「処、処においても」──この「処」は、地理的な意味でも社会的な意味でも、その双方においても──、それぞれ主体的なパーセプションがそこにあって生成している。

時の問題を中心に考えてみると、そもそも若い人との違いなどということを感得する・察知するということ自体が、(自分でも)若い時には無かったことだ。むろん若い時にも「年をくうとこうだよ」とか「こうなるとこうだよ」といった話を聞かされると、「そんなものかな」とは思う。しかし、それは言葉の上であって、実経験ではない。だが、加齢後には、それが実経験になっている。そして前の経験は、記憶の中にある。その二つの経験が対比されることによって、なるほどこういうことかと考えさせられるわけだ。これに対して、若年においては、振り返るような記憶との参照はあまりなく、むしろ前に向かって認知をつくろうとしている。いや、認知をつくろうとしているというより、向かう現実のただなかに自分を身を持て余すかのように生かそうとしているようだ。

もちろん、中老年であっても、記憶が無い(意味づいていない)のであれば、その経験の二重性──もう一つの経験による照らし合わせ──がないのだから、考えさせられることもないことになる。それはボケなのか、意識がもっぱら先に向いてしまっているのか、それとも感傷その他のために物事が溶けてしまっているのか──「健忘症」の理由はいろいろあるだろう。がしかし、そうでないのであれば、ここでは現在に対比された記憶というものが認知を生じているわけだ。荻生徂徠は、人間がものを知ることは「巧者になる」(物事に習熟する)ことだが、「巧者とはだいたい老人である」と言っている。こうした場合、記憶はむろん一つならずたくさん蓄えられている。そうした綜合という意味でも、知が成立してくることになる。

ところが、面白いことに、人間は「何かの表象に捉われてしまう」ことによって物事の認知が出来なくなることも多い。これは記憶であれ現在であれ将来感覚であれそうだ。たとえば、中老年では、一方で記憶により引っ張られ、他方でこれをリセットする将来感覚が乏しいか選択肢が狭くなってしまっており、その結果、認知がもう固定化してしまうことがよくある。いわゆる老年の「こだわり」や「頑固」というのはそれである。

これに対して、幼年や青少年では、そういう陥穽から元来は自由である。したがってそこでは、認知が(じっくり熟するというのではないにしても)新しい経験の側から次々に供給されて一種新鮮な認知が生成されるはずである。ところが、幼年や青少年でも、外部からのつよい刷り込みによって、そういう流れが止められることがある(それはほとんど大人や制度のせいで起こった、固定であるのみならず破壊であるから傷ましい)。また青少年では、何かをしよう/したいという将来感覚や欲動が強すぎて、逆に認知を縛ってしまっている場合も多い。それが上の外部からの刷り込みとリンクしていることも少なくない。青年であれ中年であれ「野心」に駆られている場合はたいてい視野狭窄になっている。志をもちかつ経験の複雑さを十分配慮するできるように、その心を野心ではなく大志に変えることはなかなか難しいことだと思う。

「捉われ」に対しては、「忘れる」ことの意義は大きい。むろん「全然忘却してしまう」のではだめである。同様に、始めから「何かをしよう」とも思わないでいわば「志」なく、「降りてしまっている」のでも、やはり認知は生まれない。しかしそうではなく、(諸々の)表象をある程度、前後にわたって把持しながらも、しかしその現場性への捉われからは放たれる、という意味である程度忘れるならば、物事の成り形がとらえられてくる。

「ミネルヴァの梟は夕暮れとともに飛び立つ」とヘーゲルも『精神現象学』で書いていたが、これはそのように(「もうその事の最中ではなく、それが少し済んだころ、しかしまだ覚えてはいるころ」に)知識が生まれるということを言っているのだろう。世阿弥の「離見の見」は、ことを演技の場において考え、演じ手が所作のただ中にあるだけでなくいわば「幽体離脱」するときに真実が見える場が生まれることを述べているわけだ。(この時の離見の「見」はたぶん観客とイコールではなく、その少し先にある。その意味でそれは「梟」のことだともいえる。) 近松門左衛門も、「虚にして虚にあらず 実にして実にあら」ざる「虚実皮膜の間」にこそ「慰め」があると説いた。「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの」だという(『難波土産』)。これは認知というよりカタルシス論だといえようが、しかし感情のこの昇華には同時に認知の構造が含まれてもいる。これらは、わたし流の問題意識からいうと、glocal論にもつながるものだ。

逆にいうと、以上にも見てきたように、まったく忘れることとまったく捉われることは──この二つはじつはある表象をめぐってのメダルの裏表であるが──ともに認知を生じない。そうした典型として、たとえば、状況からまったく離脱してしまうこと、瞬間瞬間の刹那に入ってしまうこと、ただ前へ前へ行動に没入すること、それらはそれだけでは認知に乏しい。それらは、それぞれ《超越的な世界》にいるといえるが、しかし、忘却によってか捉われによってか、いずれにせよ、近松的にいえば、「虚にして虚 実にして実」であって、真実についての認知を生成しない。そうではなく、つまり、「天」に上ってしまうのでも「地」に伏してしまうのでも、ニルヴァーナに入るのでも地獄に入るのでもなく、その間に「人」として生きることによってこそ、人は物事を知る。

しかし、「忘れる」のも「捉われる」のも、じつはその背後に自己や他者が──「ひと」がいる。そうだからこそ人は捉われ、また忘れるのだ。この「ひと」は、ホモサピエンスという意味ではなく、人称的なものであり、伝統的なfolk etymologyによって「霊止」とでも呼びたくなるものだ。そしてこうした「ひとの境域」は、昔風・物語的に言えば、天使であるか悪魔であるか、ともかく様々な「霊」や「魔」が取り憑く時・処でもある。精神医学的に言えば、それは大いに分裂病的な時空でも躁鬱病的なそれでもありうる。たしかに、子どものような溌剌さをわたしたちにもたらすのは、時であるが、それを失わせるのもまた時である。わたしたちから健やかな生成の時を失わせるのは、世界に対する前夜祭(アンテ・ポストゥム)的な「期待」の歪みによってか、後の祭り(ポスト・フェストゥム)的な「終わってしまった」という桁の外れによってか、いずれにせよ時がわたしたちをとらえることによってである。だがそうした時のいとなみの背後には、結局やはり、時を構成する者=《時の主》としての「ひと」がいる。

わたしたちを「捉える」ものも、また「忘れさせる」ものも、実はそれ自体時を宿した「ひと」(霊魂)である。と同時に、そこからわたしたちを導き出されるのも、やはり「ひと」(霊魂)が時を生成してくれることによってである。その時を満たすものが、寛やかな愛の力なのか見通しのある理義の道なのか、いずれにせよ、わたしたちは他者と共に時をつくり、そして動き出す。

ついまた話がしつこくなってしまった。時における認知という話に戻る。(続) ──と思ったけれど、これはここでおしまい。また別項で始めます。(完)

  
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人生の時間による感覚の変化

10代終わり頃の若い人たちと話していると、つくづく「主体的な時の感覚」ともいうべきものが、50代もゆうに越えた自分とは違うな、と感じる。

そもそもそんなことを感得する・察知するということ自体が、(自分でも)若い時には無かったことだ。むろん若い時にも「年をくうとこうだよ」とか「こうなるとこうだよ」といった話を聞かされると、「そんなものかな」とは思う。しかし、それは言葉の上であって、実経験ではない。だが、加齢後には、それが実経験になっている。そして前の経験は、記憶の中にある。その二つの経験によって、なるほどこういうことかと考えさせられるわけだ。

もちろん、中老年であっても記憶が無い(意味づいていない)のであれば、その経験の二重性──もう一つの経験による照らし合わせ──がないのだから、考えさせられることもないことになる。それはボケなのか、意識がもっぱら先に向いてしまっているのか、それとも感傷その他の情念・感情のために物事が溶けてしまって認知が無くなっているのか、健忘症の理由はいろいろあるだろう。ともかく、ここでは、記憶というものが認知を生じているわけだ。

荻生徂徠は、人間がものを知ることは「巧者になる」(物事に習熟する)ことだが、「巧者とはだいたい老人である」と言っている。こうした場合、記憶はむろん一つならずたくさん蓄えられている。そうした綜合という意味でも、知が成立してくることになる。

瞬間瞬間の刹那系人間や、ただ前へ前へ行動系人間が認知に乏しいのは、忘却の大きさによる。「ミネルヴァのふくろうは夕暮れとともに飛び立つ」とヘーゲルもたしか『精神現象学』に書いていた。けれども、現在の飛び立っているのは、何なのだろうか。
  
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2004年06月05日

システムの外に踏み出す

荻野弘之氏が、例の六本木ヒルズの回転自動扉の事故にちなんで、これに限らず日本では生活の隅々まで猛烈な「自動化」が進んでいると指摘、そしてこの「生活の様々な局面での自動化を、欧米先進諸国にまさる勢いで推進してきた精神的土壌」は、「日本社会のパターナリズム的な風土」にほかならない、と述べている(「六本木ヒルズ自動扉の功罪」『人間会議』vol.10(2004夏)28頁、2004.6)。自動化・機械化・システム化……どういったらいいかしらないが、そうしたものが生活に浸透していることはたしかだ。それを「パターナリズム」としっかり結びつけた主張に出会ったのはぼくは初めてだったので、興味ぶかかった。そうだとすると、こうした事件は「パターナリズムが(与えた制度・装置が)人を(育むどころかむしろ)殺した」事件だということになる。

機械化あるいは人間の周囲を道具的な物で覆っていくという志向──それについては、オーウェル『1984年』のビッグブラザーなどと重なって、一種父性的な絶対権力による管理社会をイメージしがちである(この父性的な絶対権力というのが、オーウェル解釈としても妥当かどうかも一つ問題だが、いまは措いておく)。そのビッグブラザーは、ネオコンやブッシュ、ラムズフェルドといった人の顔を見ると納得しやすいが、それよりは、セーターを着たビル・ゲイツに相応しいのかもしれない。しかし、日本においては、ビル・ゲイツの顔すら消えている。管理するcomplex(複合体)というより、足腰を萎えさせるmatrix(母体)というべきかもしれない(とすればこれはパターナリズムというよりマターナリズムまたはパタマタナリズムとでもいうべきか)。ともあれ、ビッグブラザーなら、むしろ対抗しやすいとも言えるだろう。しかし、お節介でしかも目を光らせた母体的システムに対しては、それから自由になることにも、またその正しさその他を議論することにも、特有の難しさがある。荻野氏が「自動文明」と呼んでいるこの自動化・機械化・システム化された「パターナリズム」は、森岡正博『無痛文明』(トランスビュー、2003.10)での指摘にもつながっている。

ぼくも、「日本の現代社会では、このところ人間がだんだんシステムの繭に入ったみたいになっているな」と感じていた。よく若者の「引きこもり」をいうが、多かれ少なかれ程度や形はいろいろあるにせよ、「一億総引きこもり」みたいなところがある。永田町は永田町の、象牙の塔は象牙の塔の、霞ヶ関は霞ヶ関の、アカデミズムの「専門」は「専門」の、業界は業界の、会社の上司は上司の、平は平の、若者は若者の、中年は中年の、老人は老人の……。われわれは皆タコでありタコツボに住んでいる。そのタコツボ周辺をタコ網ならぬ「自動文明」「無痛文明」の組織がつなげて?くれている。(本当のタコがそんな存在なのかどうかは怪しい。これは比喩であることをタコに断わっておく)。

荻野氏は、その「生活の様々な局面での自動化」=「自動文明」を、「人間同士のコミュニケーションを堀り崩し、同時に自己責任、主体性、自立といった契機を蝕んでいく」ものと述べている。つまり、そういう自動化された道具や環境を「主体的な自己」の反対物だととらえ、前者に依存しない後者の復権を唱えているわけである(森岡氏の議論は複雑なのでまた別個に検討する)。ぼく自身は、半分ぐらいはそれに同意するが、じつはそういう主体的自己なるものがそもそも成り立つのか、と感じているところもある。だから、(荻野氏の文章でいうと)むしろその前半の「コミュニケーション」の部分をまず強調したい。そして「自然や他者との間のしっかりしたやり取りやコミュニケーションこそ大事だ。その中から互いの主体性や責任性が成り立っていくはずだ」というふうに考えたい。

道具や機械によって、人間のすることを置き換えていく、というのは、人間が有史以来やり続けてきたことでもある。しかし、当然、何かを他に委ねそれを自分でしなければ、その部分は人間から退縮していく。ヘーゲルが「主人と奴隷の弁証法」で述べたように、奴隷に仕事をしてもらう主人は、その果て、奴隷によって支配される存在になる。この場合でいうと、機械や物によって埋もれる人間は、じつは自分自身では何もできない存在になっていく。

が、そんなことは判っている。それでも、道具や機械は、人間の弱さを補ってくれるものだし、そのことによって、人間の従来抑圧されるほかなかった可能性を伸ばしたり、あたらしい人間の交わりが可能になることもあるだろう。またよい道具(の使い方)は、下手な道具や機械や社会やらによって退縮どころか破壊された生活や自然をむしろ存在させる可能性も逆にあたえる。だから、道具や機械の本末わきまえた人間的使い方こそ重要であり、その人間的な、つまり世界や自己・他者との対話的で仁智ある使用こそが、自然から生まれ言語や道具や観念を手にした人間の「教養」というものだろう(この「教養」はむろん、物知りという意味ではなく「自己形成」Bildungという意味である)。ところが、日本社会では、そういう展開が薄く、世間はシステム過剰(システム依存)で人々はますますタコになっている。これは、どうしてか。

これは結局は、明治近代以来の日本社会での「文明崇拝」みたいなものに関わるが、それは社会的には、極端な「公・私」分裂、「公・私二元」化の発展史につながっている。つまり、近代日本の文明キャッチアップ社会では、富と繁栄を与えることを黙契とする国家や企業がいわば親となって社会を「公」的に系列化し、そのパターナリズムに帰属するように「私」が方向づけられた。上位組織としての「公」は、社会的市民的自然的「公共性」を吸収・独占し、その残余として「私」が存在した。その公と私の間の、自然であれ地縁であれ血縁であれ、同業・同好団体であれ、教会・協会であれ、あらゆる自然的なものや中間集団やcommonsは解体されるか、残存しても自立性を失ってせいぜい国家・企業にもっぱら従属するものになった。

このようにして近代日本で、人々に準備し与えられる諸々の「システム」やそれにまつわる「グッズ」(モノ・商品)は、子どもが本当には成長しないために、その真に望むものとは違うものとして与えたいろいろな玩具の群れようなところがある。たしかにそれで生活は向上し便利になったようにみえるが、しかしそれが本当に「面白い」のか自分を「伸ばす」ものなのか。いや自己の心身の自然を破壊しこれとの繋がりをなくしてそれははたして「便利」ですらあるのか。高かろうと安かろうとどんなジャンルだろうと、そんなに「ブランド」を求め、そういう「格」に支配されてサイテーだと思わないのか。

日本の中にいると、そのことをあんまり何とも感じないが、一歩外国に出ると、いかに日本が公=公共であって、市民的な公共性がきわめて無いところであるか、孤立した個人が貧寒たるシステムによってつながれた場所であるかを実感する。そして序列化された奇妙な欺瞞的な玩具を与えられ、それに支配されて、驕ったり威張ったり恨んだりしている。それでも、というかそれだからこそ、みんな、何でもお上に期待し、商品に期待し、企業に期待し、有名性に、authenticとされるものに期待する。それ以外に為すすべが失われているのだ。

ただしこのような環境が、本当に「繭」なら、それでも、いいかもしれない。しかし、今や、その繭は枯れているし、幻想のなかにいるのでしかない。少なくともあと何年間かしたらこの繭は完全にザルのようになるだろう。お上によって「悪いようにはならないから付いてくるように」と(理性と感性の発揮と引き換えに)保証された無前提の理由である「富と繁栄と平和」(PHP?)は、じつは破綻していた。それが分かったことに現在の混乱の原因がある。昔は草もなびいていたが、今はなびかない。しかし、代わるハビトゥスは生まれていない。では、もう一度「繭」を作るか?──「よい子」「家族」「日本人」「ふれあい」こういった理念が筋違いだということは、はっきりしている。ましてITで教室や社会を「仲良く」? そんな教育や社会政策が誤謬であることは教育勅語が誤謬であるのと同じだ。では、「主体性」か?──うーん。どこにそれがあり/あったか。少なくとも従来の「卓越性」は、自己の力ではなく制度の力だったのではないか。

これをどうしたらいいか。この解答は、個々の仕方はともかく、筋道としては、ありふれているようだが、先の「自然や他者との間のしっかりしたやり取りやコミュニケーション……その中から互いの主体性や責任性」ということの延長上にしかない。蕩尽氏も「子ども時代に自然のなかで遊ばせることは決定的に大事……そのあれこれの体験が無意識のうちにその後の感覚や感受性が育つゆりかごになる。……ネット世界より自然のほうがはるかに複雑だ」と述べている(2004.6.5頃の掲示板)。こうしてぼくらは、「自然」へか、身近なまた地球上の、それ自身自然である「人間」へか、一歩を踏み出さねばならない。「智」「仁」「勇」をもってか、「真」「善」「美」を求めてか──。ともかく、そうした自然や生や聖に根ざしたものに歩を進めてこそ、システムはむしろ人間的なものとして用いられ、再定義できるものになるはずだ。このような意味では、人間は──というか日本社会の人間は、間柄や全体性によってというより、その外に立つことで実存(ex-sistere)しなければならないのだと思う。

無痛文明論
  
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2004年05月29日

「一神教」と「多神教」に含まれるもの

「一神教」「多神教」という言葉は、宗教を見るときの枠組としてよく使われる。それらは最近は時節柄、宗教学や神学の敷居を出て、文化論や政治絡みの議論にまで出て来る。ただ、この概念をめぐって世間でよく言われることが、ぼくとしては胸のうちであまりにすっきりしないことが多い。つまり「一神教」に批判されるべきものがあることには十分同意するにしても、「一神教は偏狭で、多神教は寛容だ」といった言説となると、簡単にそんなことが言えるのか、と思う。つまり、その論とは反対に「一神教から偏狭さを越えるような論理や実践が出てきたり、逆に多神教から偏狭と暴力が出てくる」といった可能性はないのだろうか。そうした可能性を全然検討しないで、「一神教は偏狭、多神教は寛容」といっていい気になるならば、そのような言説を述べる者(多神教論者)やその周囲が、却って偏狭になって排他性・暴力性を帯びることになってもそれに無自覚になり、少なくともナルシシズムに陥りかねないのではないだろうか。これはぼくの神経症か。そうかもしれない。が、そうだとしても、この言葉の周辺には、なかなか安閑とできない、哲学的・論理的な問題やその実践性といった問題が含まれているのではないか、とぼくには感じられる。

最近世間に流れて「一神教否定=多神教肯定」論で一番顕著なのは、たとえば岸田秀(『アメリカの正義病・イスラムの原理病−一神教の病理を読み解く』春秋社、2002年、『一神教vs多神教』新書館、2002年)だろう。けれど、養老猛司『バカの壁』もある意味では一神教否定論で出来ているといってもいい。(しかし、それに「皆がものすごく殺到する」ということはどういうことか。人々の良識を示すものか。それともそれ自身バカを示すものか)。あるいは、以前からある、「森の思想、砂漠の思想」というような文明論や、梅原猛、河合隼雄といった人の議論も、言い方はいろいろだけれど、同じ趣向だといえる。このモチーフは、歴史的に振り返ると、和辻哲郎以来の、あるいはそれ以前の本居宣長の「漢意(からごころ)批判」以来の、日本人の言説の続いて来たパターンのひとつだという面もあると思う。先にも少し示唆したように、ぼくは、その「一神教否定=多神教肯定」論が、半分は──つまり一神の専横に対する批判としては──当たっているだろうと意義を認めるが、しかしもう半分はピント外れで飛躍を含む「いい気な論」ではないかと思っている。「往相はいいとしても還相はよくない」ように思う。少なくとも、この概念とくにそれの実践的な適用について、粗雑な単純さをもう少し整理しなければいけないのではないだろうか。

少し、しち面倒くさくなるが、まず意味・定義について考えてみる。一神教と多神教は、辞書等では、それぞれ「唯一神への信仰」「多数の神々への信仰」などと定義されていることが多い。これは、一神教と多神教の原語、monotheismとpolytheismがふくむものを、mono=only one、 poly=many, multipleと敷衍したもので、文字通りはどうということはない。ただ、とくに一神教の場合、唯一(only one)が何を意味するかが問題である。というのは、現実には周囲にそのonly oneではない神威(たち)があるわけで、それをどう見るか・どんな態度を取るかによって、バリエーションが出てくる。つまり事は自己・他者・世界といった問題になりそれは当然実践的な問題に関わってくる。そのあたりさらに定義ができる。一神教には、
  (a)「この一神しかどこだって絶対あり得ない」
というのももちろんある。この場合、monotheismは、the belief in a single, universal, all-encompassing deityなど畳み掛けて定義される。いちばん勝義の一神教はこれだろう。しかし、もっと緩い態度のものもある。
  (b)「この一神を自分は信仰するが他の神々がいるかどうか関知しない(いても関わらない)」
としたり、
  (c)「他にもいるだろうが、この神こそが一番だ。他のものはランクが低い」
などとすることもある。それらは拝一神教(monolatry,monolatrism)、単一神教(henotheism)などというらしい。

すなわち、only oneというだけでは此処其処にわたる基準がまだ(十分には、とくに実践性を帯びた面では)定義されてないところがある。その点をめぐって、自己の神=絶対基準として、それを他にも無理やり押し及ぼすとき(a)になる。その基準の(適用の)絶対性は、実践的な無理矢理さ、肯定と否定のつよさになるわけである。他方、自己の神=基準とするが他をも低めながら秩序づけ・位置づけするのが(c)だといえる。これはonly oneよりnumber one という感じになってくる。これに対して、(b)は、いわば此処其処・自他にわたる基準をあまり立てないわけで、「無視」「我関せず」「それぞれ」「いろいろ」「自分はとにかくこうする」「立てこもり」「引きこもり」いろいろニュアンスが考えられる。日本人の用法でのonly one はだいたいこれである(──小泉流のいい加減と一徹を裏腹にするのもその間を適当に動かしているわけだ)。

ともあれ、一神教、多神教の論には、何らかそこで重視されるものの他への適用をめぐっての、同一性や複数性をめぐる論理がある。それが宗教的な人格やら世界をあらわす表象・制度・物語等に形づくられるときに、一神教・多神教といった諸形態になるといえる。もちろん後者の形に前者の論理が含まれているといっても同じことだ。そして、心理学や神話学の類型論を援用すると、(これは論理的に証明できるようなことではないし、具体例を挙げればきりがないが)一神教は男性性を優位にし、多神教は女性性を優位にするようだ。男性性は理・義・自由を原理として立つ・分ける・裁くなどの機能を重んじ、女性性は愛を原理として包む・結ぶ・育むなどの機能を優位とするという(これはユング派の説)。

一神教と多神教という分類論は、先にも述べたように、一定の宗教や文化に帰着してそれぞれ排他的に論じられることが多い。しかし、ぼく自身は、その教説の主観性の内部にとってはともかく、思想・宗教の現象として見るときには、「どちらかだけ」ということは実際あり得ないのではないか、と思っている。一神教の起源・典型とされている、モーセ五書にしてからが、紀元前数世紀頃のバビロン捕囚後にまとめられたようだし、むろんその前に伝承をつくったとして想定されるヤハウィストも紀元前900〜1000頃のことらしい。そして、その周辺世界は、文字通り多神教的な空間だったのだ。ユダヤのラビの息子であるE.フロムが指摘しているように、その一神教は、周囲の女神たちの世界を想定しそれとの戦いとその圧伏の中に、自らの宗教を形作ってきたのだった(『愛と性と母権制』ほか)。つまり、一神教とは、独立して存在し単独に定義できるものではなく、多神教を想定して立ち上がる宗教現象なのだ。

この点は、多神教の典型だとされるインド宗教においても、翻って見ることができる。
(続く)
  
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2004年05月27日

Blogの可能性

Blogのことを一番最初に知ったのは、伊藤穣一氏の「創発民主制」の話を伴ってだった。それが「民主制」にどう関わるのか関わらないのか、その議論からはいわば「個人の発信性を高めそれに他者が対話的に連関しうる」ことが読みとれ、なるほどdemocraticな方向性があるなとは思った。しかし、それが倫理的・政治的決定に本当にどう絡んでいくかはまだ空白部分が多いと思った。というのは、そうした方向づけについて、伊藤氏は、blogのネットワーク性が「創発的emergent」な動きを押し出して民主的たりうるという議論をしていたが、しかし事はそう簡単ではなさそうに思えたからだ。たしかにネットワークは、「分断されたり権威化されたりして固形化した知」の枠組をゆるがし、それを別のものに編成する可能性は与える。だからblogも民主化に結びつくかもしれない。けれども、それは予期されるものとは別の可能性をも与えうるかもしれない。よく指摘されているが、たとえば、ネットワークが市民的な自立や連帯に結びつくか、それとも究極の管理社会をもたらすか、それは両刃のつるぎのようなところがある。

かりにその可能性が「民主制」的方向に行き、破綻やおかしなループに入らないよう問題がネットワーク上で解決したとしても、それが現実の時空にどう媒介されるかという点はなおかつすぐに問題となる。ネットワークでよい議論や合意が醸成されても、実際の社会生活の方でそれを遮断するような体制がしっかり出来ていれば、事柄はそう簡単には動かないだろう。いやそもそも、ネット上の動きも安定も葛藤も、現実の時空の問題が、ネットに投影されて起こる面が少なくないかもしれない。とすれば、現実社会の側での権力や金力が、ネットワークをも支配しそのヘゲモニーを得る可能性だって(上にふれたように)十分にある。するとネットワーク空間は、民主制を可能にするどころか、たとえば《軍・産・情=複合体》に化する可能性すらあるだろう。

つい話がひろがってしまった。今回はそういうことがいいたかったわけではないので、blogに話を戻す。その後、blogを自分でもぼちぼちやりだして感じたことをいうと、いままさにわかったように、上にぼくがblogをめぐって最初に考えたことは、ネットワークをめぐる一般論ではあっても、blogがどうかという問題への解にはあまりなっていなかった。もとよりそういう問題系とつながってはいるが──。そして、blogはというと、対話的な部分はあるものの、様々なネット上の装置の中では「個人性」「自己性」が案外高いものだな、という印象がしている。なぜといって、一人が(共同でというやり方もあるが、とりあえずは一主体が)そのサイトを担いそれを書き続けるものであるから。その個人性=「自分がする」という点がやはりブログがもつ特徴といえるようだ。そしてもう一点、blogは時系列性をもつ。blogはlogであり「日誌」である。現にブログのサイトは、日記サイトを称している場合も少なくない。「時間の流れに従っている」という点も当然ながらブログの中心的な属性というべきである。

そしてこの二つは結びついている──後者が前者を強化している。いわば継起が自己を作っているわけだ。ソフトウェアとしては「更新」を容易にすることで、blogを書く者を存在させ表現させやすくしている。従来の「ホームページ」は、がんばって作っても、意味の体系性みたいなものに依存しており、そう「次々に繰り出していく」ことが出来ない。つい更新が途絶える。すると「お蔵」になり、だんだん廃墟と化す。すると人の出入りもだんだん無くなる──といったアイロニーに陥るところがあった。blogはそれをうまく乗り越えて、活を与え動かしている。

個人性・自己性が高いといったが、じつはその反対の側面もある。面白いのは、普通の日記は、(永井荷風みたいにあとのことをヒシヒシと考えて書いている場合もあるが)たいていはprivateなものである。他者を考えるにしても「いずれ」「いつか」これを見る他者である。ところが、blogの場合は、自己が書くにもかかわらず、「だれかがすぐ見ている(かも)」という感覚をだいぶ帯びている。実際に見ている人がいなくても(このblog自体そうかもしれないが)、この違いは案外大きい。

いうなればblogにはその「自己性」に対して、鏡のように「他者性・公共性」がむすびついている。その後者の大きさは──あるいは後者に反照された前者の大きさは──翻って生産の問題にも関わってくる。たとえば、ぼくの場合、このblogの内容の切れ端みたいなのは、長く自分のノートに書いていたけれども、しかし、まさに断片にとどまり、あまりしっかり書こうとしなかった。よほどでないと後からも見ない(著作のプロはそうではないだろう)。しかし、blogという形式になってから、以前よりは書き込むようになった。それは、パソコン奥にそれがあるから、というだけでなく、何かそれを掲示しているような感覚があるからである。少しは筋をもつように(あるいは人によっては美し画面にして)書こう・載せようというような気が、どこに向いているのか知らないが一種の向上心?が起こるようだ。あるいは作品化というほどでなくても何かの形・結果を見ようというような衝動が喚起されるようだ。早い話、自分自身ということから出発しながらも、それをただ自分しか読まないノートに書いているより、見えるところに書いた方がちょっとした「緊張感」を生じる。まして、その表わした場が、先に書いたような出入りが多く見る人が多いといったことになれば、たぶん「励み」にもなるだろう。(そうしたことがどれほど「励み」になるかならないかは、場合や人によるだろうが。)

他方、そのように「自分のものでありながら開かれている」というにもかかわらず、アクセスやプレゼン自体は容易なので、たとえば論文やエッセイをパブリッシュするよりは、よほど気が重くない。そこには日録であるという点も結び付いている。それほど仰々しく構え・構成しなくてもいい。だから、そうした従来のパブリッシュ形態よりは、よほどすんなり書くことができる。こういう自己ひとりであるのに意外にも対話性が貼り付いているというのは、PCというもの自体にあるものだが、それがstand aloneではなくnetwork上にあることによって、その側面がきわめて顕著に広がった。そうした地平に、blogもまた置かれている、あるいは成り立ったわけである。つまり、blogは、個々人のノートがネットワークにつながったもの、というべきか。

ただ、自己表現の形というか表現された物として見ると、現在のblogはまだまだ発展形態の一コマに過ぎないという感じがする。というのは、blogは述べてきたように、日誌であって、時間系列で物事を書き付けていく形が基本である。それが書きやすくなるゆえんでもある。例の野口悠紀雄氏の「超整理法」がこれが一番簡単と標榜するのと似たようなものである。ただ、野口の整理法も、少ししてみるとすぐ判るが、時系列やその系列上での並べ換えだけで、どこまでも物事が処理しやすくなったり生産性が高まるかというと、そんな単純な話にはならない。それ(時系列上)だけで処理できるのは、それ相応の「そんな単純な物事」に対してだけである。ある意味をもつ物事Aと(時間的には離れているが意味的には必然的なつながりのある)物事B、物事Cとをつなげ、時系列から切り離してグルーピングしてしまう必要は当然出てくるし、それをしないでどこまでも時系列の中にそれらを埋め込もうとするなら、そこから出てくる「あたらしい意味の立ち上がりや構築」には十分立ち向かえないことになってしまう。

blogの場合も、時系列での参照の仕方がソフトウェアとしてある程度展開したら(それも現時点ではまだそれほど立派なものとも思えないが)、次に出てくるのは、意味による編集に対する要求だろう。これに対しては、現在のblogでは「カテゴリー」などが少し導入されたり、「索引」があったりするが、まだそれをいろいろ編集加工に持っていくには、とうてい十分便利だとまでは言えない。いずれ、自分自身の文章をも含めて「リンク」やら「網状化」やら、「目次」やら「樹状化」やら、いろんな要求が生まれるはずだから、そういう部分にどう展開して「形」をもたらすかという問題が起こるだろう。ただ、それはもうblogではなく、blogのデータにもとづいて変換する別箇のソフトウェア的作業かもしれないが。。そして、この《編集》問題は、自分のものについてだけではない。他とのやりとりについても、さらに言える。現状でのコメントやトラックバックは、面白いものの、まだまだそれほど見やすいものではない。それは「議論を発展させる」には物足りない感じがする。何かもっと出来そうであるのに。blogをプログラミング〔ソフトウェア作り〕に生かしているということもあるらしいが、そうしたオープンな地平のもとでの知的生産を目指すのだったら、現在のblogの形態はあまり充実したものではない。もしもblogがネットワークにつながったデジタルなノートであるのなら、もっと自由自在で生産的なノートであってほしい。

意味による編集の要求ということを追いかけたら、結局、(ソフト的にいうと)昔ながらのホームページビルディングに戻ってしまうかもしれない。つまり、そのような要求は、従来型の文章やらエッセイやらに、あるいはもっとimaginativeなものを扱ったとしても、やはり従来型の記述の体系に回収されてしまうかもしれない。むろん、そういうことはあるだろうし、それはあってもいいと思う。それならそれで立派なものもみたい。ただ、ここで考えたいのは、「ただ、そうした体系に収束してしまう」のではないあり方もあるはずだ、ということである。つまり、時系列性と意味性とを自由に行き来し、自己性と他者性を往復共働化するようなあり方がどこかに可能なのではないだろうか。その可能性を形として見てみたい。面白いことに、その可能性とは、人間的にいうと、「夢」のなかに近いものである。その連想的なものをコントロールできるような形での文字や画像としてまた論理的な命題としても扱うこと、それはできないのだろうか。

(こういうことを言っているのは、ぼくがMovable Typeなどを直接使っていない初心者だからで、それを直接使ってサーバーにアップしたなら、もっと目眩くような世界がもう現に展開しているのかも知れない。それならそれが楽しみだ。)

可能性だから話が少し飛躍してきた。ともあれ、blogやその他の形態が今後さらにどうなるかまだまだ判らない。もっと発展するだろう。そしてその可能性の基礎はというと、もう一度もどって上の《編集》ということでいえば、現にblogでも行われているように、電子データの場合は、編集したからといってその(物理的な)物自体の配置を変えなくてもよく、それを違う形に写し出せばいいということにある。実体的な言い方をするならば、現物はそのままにして、コピーを取ってそれを別の形にすればいいわけである。またネットワークとは、今・此処(here and now)が其時・其処(there and then)に、自が他に媒介されうる、ということである。そんなことは当然といえば当然だが、しかし現実の硬い構造は到底そうはなっていない。にもかかわらず、そうした媒介的なものが日常的な人間の事わざに繋がってくるということに大きな意味がある。そうした可能性はもっと展開できるし、するはずである。そして、その展開した姿が跳ね返って、従来の知的生産や書き物といったものの概念が変わってくる可能性もやはり大いにある。
  
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2004年05月24日

正しさや善さの述べ方

昨晩午後11時からの『ニュースJAPAN』(フジTV)を見ていたら、アメリカ軍がイラクの結婚式を誤爆して50人ほどの人が死んだという事件を伝え、これをアメリカ軍は否定しているが、イラクではまったくこれは事実で本当にひどいという反応だと、イラク側の映像もたどりながら報道していた。ぼくは、どうもこれはイラク民のいうことの方が本当らしいなあ、と思って視た。

が、びっくりしたのは、そのあとキャスター(松本方哉)が、「もしもこれが本当なら、アラブ社会の批判が高まりそうです」と述べたことである。喫驚したのは、「もしもこれが本当なら」という仮定法を付けたという点ではない。仮定法はたしかに完全な信憑性が取れず議論が分かれているのだから、あっていいとも言えよう。しかし、ひどい映像を見たあとで、仮定法を付けながらなお、「アラブ社会の批判が高まりそう」という人ごとみたいな言い方をぺろっとしたことである。

ちゃんとしたキャスターなのなら、「もしもこれが本当なら、アメリカ軍の行動は正しいとは言えません。……アラブ社会の批判も高まるでしょう」となぜ言えないのだろうか。つまり、なぜ、自分自身の判断を一言も喋ろうとせず、それを避けて、「物事の動き」みたいな言い方をするのだろうか。もちろん、これは言い方自体としてはその反対に、「もしもこれが虚偽なら、アメリカ軍の行動は悪くはありません」という言い方でもいいのである。つまり、そもそも仮定法で喋っているわけだから、その条件節が逆であるなら、それに応じて、アメリカ軍を肯定するならしてもいい。しかしこのキャスターの語りは、そのどちらにせよ、自分の判断をまったく避けて事を語ろうとしている。まるで《超然たる奴隷》ともいうべき言い方である。

このことは、言い方の問題ではあるが、さらにもちろん次の実践的な問題にすぐつながる。もし誤爆じゃなくテロリスト攻撃だったとしたら、アメリカ軍はそりゃそうだ、というだけのことである。しかし、もし誤爆だったならば、これはとんでもないことだ。それによって50人の人が死んで血まみれになり瓦礫の下に埋もれたのだから。しかも、ニュースの中身は、アメリカの誤爆らしい、というニュアンスが強かった。そういうことが先に見えていても、「アラブ社会の反発が強まるでしょう」だろうか。まったく、このおじさんがツルッとした顔をして人の家の火事みたいな言い方をするのは、どこか問題があるのじゃないかと感じた。これは傍観的なのか、アメリカに逆らいたくないのか。客観主義を取りたいのか長い物に巻き込まれたいのか。おそらく両方ではないか。

ぼくは、どうでもいいことにこだわりすぎとも思われるかも知れない。しかし──というか、そのとおりというべきか──これはぼく自身の中では、子どものときに、近くの子どもがその親から「そういうことをすると警察がくるよ」と言われているのを聞いたとき以来の不審につながる。「そういうことをすると、おじさんが怒るよ」「世間が騒ぐよ」……そういう言い方を少年期以来現在まで何万回聞いたかわからないが、これが変だという気持が消えない。というのは、これは、正不正、善し悪しを何も定義しないで、人の反応に帰している。もちろん他者の意向をよく忖度するのはいいことだろうが、だからといっていつも正不正を語らないままにして、人々の反応にばかり帰するのは愚であり、ときには不正に陥るのではないだろうか。

警察が来るから悪いのであれば、警察が来なければ良いことになってしまう。あるいは警察が来るなら、良いことでも悪いことになってしまう。世間が騒ぐから悪いのであれば、世間がもてはやすものは善いものになる。ということは、「人気者(物)は善だ」「有力者は善だ」ということになる。(あるいはその同じものが反転急に「悪だ」ということにもなる)。こういう思考でいいのだろうか。「そういうことをすると警察が来るよ」といって止めさせるぐらいなら、「警察が来るかもしれないし、いろいろあるかもしれないが、やりたいならやってごらん」といった方がよほどすっきりする。少なくとも先に他人に基準を委ねるよりは、自分自身で物事を確かめる道につながるだろう。

日本思想史上では、理義や正を「勢い」で定義する歴史家などがよくいる。そういう認識にときに妥当性があることもわかる。しかし、あんまりそういうことであれば、状況の認識を社会学的に述べたようであっても、じつは勝てば官軍的なご都合主義になったり、あるいは強者・弱者の権威主義になったりする。これはどうにもぼくには納得できない。少なくともそこに倫理的なトラップがありそうな感覚ぐらいもってほしい。

(トラックバックがIMIWOKURAUさんから入っている。「正しさの基準」「根拠」はどうなるか、とある。そのとおりだな。本文に続けて書くのは変だけど、その点をさらにここに書き続ける。。。)

では正しさ・よさの基準は何か。そうなると、多くの論者がこれまたいやになるほど思弁を展開している(解答を出すにせよ、出さないにせよ)。が、思うところ、人間が生活を健康で気持よく送ってそれぞれの人々のcapabilityを伸ばそうとすることに向けて、正は定義されるし、その否定に向けて不正は定義されるだろう。ただし、そのことは実は複雑性のうちにあるから、一義的には語れない。だから、「正義論」も生まれるわけである。ただし、これが複雑であるからといって、不可知論やたんなる規約論に帰することにはぼくは賛成できない。なぜなら、ささやかな生活世界を場にして考える限りは、事柄はそう複雑ではなく、生きているという人間の生の感覚や良識・美意識・コモンセンスによってだいたい定義できるはずである。そうである限り、複雑性を解きほぐす基礎はあるはずだからだ。
  
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2004年05月23日

性と文化の関係2

先に《性を抑圧ないし転化することで日常性を離脱したヨリ精神的/普遍的世界をつくるという力学》のことを述べた。しかし、それはまた子を有する育てるといった、種々の生産をさらに持続したり促進したりする要因にもなりうる。あるいは、それを停滞したり阻害したりする要因にもなりうる。

事柄は心的なエネルギー論として、それだけではおさまらない。社会的空間に関ってもいる。また、そこにはエゴイズムの温床もある。

子育てとは何か。自分にも子供がないと、いわゆる人の子のことを考えようとする。あるいはそもそもそうでない場合もある。しかしともかく必ず何かの方向づけがある程度生じる。

むかしからフロイトにしても、性とその抑圧・離脱が主題化されおり、当然のようにその方向付けが描かれていた。しかし、その分析が当たっているのか。それが問題である。

そもそも性はどのような意味をもつのか。文学の場合、性はマイナスというよりプラスになるのではないか。物語の結婚もある。「徳のなかで子どもを創るものが哲学」ともいわれる。

「自分自身のもの」として子どもがいることは、私有財産、エゴイズムにもなる。しかし、何かを育てることは、さらに広がり、種になることもあり得、それが精神性にも公共性にもなりうる。

プラトン「死を習う」といっている。論語でも「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」という。直接的な性と生を乗り越えることを彼らは知っている。
  
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性-生と文化との関連

古来の宗教や哲学では、禁欲(ascesis)や独身制が強調されていた。おそらくそこには《性を抑圧ないし転化することで(日常性を離脱した)ヨリ精神的/普遍的世界をつくる》という力学があったのだろう。が、蕩尽さんが「ユーミン夫妻には子どもがいない。あきらかにそのぶんのエネルギーが仕事に注がれている」と述べている(昨22日のコメント参照)ことを追って考えてみると、そのような「離脱の力学」は、宗教や哲学だけでなく、音楽を始めとする芸術にも、また現代にも妥当する面があるのだなと思わされる。考えてみれば、古くは、芸術の生産と享受とは(現在のように個人的な趣味の領域に分類されるよりは)、もとより個人の私的内部への深い嵌入はあるにしても同時になおシャーマン的な営みに関わるものであり、それはガイストというか精神的普遍的な次元への参入・その勧請でもあった。その意味で、宗教も芸術も地続きであった。

古代・中世においては、哲学や宗教だけでなく芸術においても、「性エネルギーの個人的で通常の快楽・生理・生殖に向けた過程への使用」を「さらに別の次元への使用」に転化することは、当然あることだった。そこからいうと、ユーミンなどは、まさに現代の芸術・芸能をシーンとするシャーマンというべきで、古代・中世以来の芸術のそうした回路を現代に働かせているとも言えるのかもしれない。

これに対して、いまよく聞くワカモノのはやり歌では、一見新しそうでいて実はまるで昔の水前寺清子の人生歌と毛一筋も違わないような狭義の倫理道徳に収斂する芸能の類が意外に多い。そこにあるのは「シャーマン」的なものではなく、もっぱら既成性の中への(いじましい)回収と安心の動きのように感じられ、それにあまり多くのひとが喜んでいるようなのは却って悲しい。いかにも現代風なタレントの歌が、じつは武者小路実篤どころか相田みつをと親戚だったりする。しかもそれが大変な文化的な力をもつのだとしたら、それはなぜ・どこから生まれるのだろうか。がしかし、ユーミンの場合などは、そうしたものをはるかに凌駕したイメージや力を持っているようだ。それは、たぶん彼女のシャーマン性から来ているのであり、それと彼女の生活形態とも対応しているのだろう。

ともあれ「通常の(性的)生産」と「文化的生産」との間には次元の差異がある。文化の生産者は、言葉を上から下すのか下からこみ上げさせるのか、表出するのか孵卵させるのか知らないが、通常の生のプロセスとは差異をもつ次元をその身に媒介してもたらし、現実のうえに重ね合わせる。が、通常の性−生的生産と高次の文化的生産との関連あるいは差異のあり方になお踏み込んでみると、「芸術」的な文化生産においては、その両者の間に連続面も大いに見られる。これに対して、「宗教」や「哲学」では、少なくとも従来のものは、かなり非連続であったようだ。具体的には、禁欲や独身制は、芸術生産では必ずしも必然的ではなかったが、哲学や宗教では長い間必然的なものとされた。これはどうしてだろうか。

この問題は、おそらく従来の主流となった哲学や宗教が、logocentricだったせいなのだろう。「次元上昇」がただロゴス的なものなのであれば、性や生に対しては抑圧的になり──少なくともそれを直接的な自己からは完全に排除し、自身はもっぱら(インド哲学的にいうならば)サトヴァ(純質)的になるほかはない。が、それは、性や生を、他者に投影するか、自己の深層に投影物をつくるか、いずれにせよ、それらと奇妙な鏡像的な共軛関係に陥った生の形成をもたらすことになると思われる。そのような思想史の実践は、しかし、じつは自己言及どころか自己破壊また他者破壊にも至る。しかし、芸術においては、必ずしもそのような袋小路はなかった。というのも、芸術の生産はつねにエロスと東洋風にいえば「気」と共にあったから。それはいうなれば、世界を変えるにしても、エロスと一緒に動いていく。「つくられる」新しい世界は「うまれる」ものでもある。

ただ「ロゴス」といっても、(ぼくは正確なところは全然知らないが)、紀元後少したったころまでのロゴスは、現在みたいに痩せこけていたのだろうか。たぶんそうではないだろう。それはソフィアの女神と関係が果たして無かっただろうか──あったのではないか。プラトンのイデアにしても、美や愛の蔵のようで、だからこそ、それを認識することが想起することが憧れや愛にもつながっていたのだろう。蕩尽さんがさらっとだが次のようにぼくにはまさに「真実だ」としか思えないことを書いている(参照)。「私たちは近代哲学にだまされてプラトンの「想起」をもっぱら知的・思弁的なメカニズムだと思っている。しかし想起されるものとは知的な意味での真理であると同時に、性的かつ生命的な対象でもある。そこには濃厚なエロティシズムがある」と。つまり、想起は深々とした呼吸とともに訪れ、胸いっぱいになり、そのことによって自分の現在の「殻」が溶け出していくようなものであるにちがいない。まこと、そのような「愛」さえ充実してあればひとはこの肉体を失ってそこに行ってもいいのだ。そして翻っていえば、哲学のもつ憧れはもちろん、プラトンが「死に習う」ことも、浄土教が「往生」するのも、もとはそういうことだったのだろう。──ぼく(たち)はそこから遠く離れて来てしまったが。

しかしそうした究極の飛翔はできないとしても、人にはその生命体のなかにおいて「夢」のような形でそれがいつもあり、無いわけではない。そこからいうとやはり蕩尽氏がいうように「想起とはたんなるメカニズムではなく、人生を賭けた探究であり、くりかえされる悟達の体験でもある」(前同)。そうした心的な実質としてのピークあるいは深みを手がかりにしてこそ、じつはぼくらは生きようとしている。そして、それ以外の社会的構築物こそがむしろ「影」ではないだろうか。だとすると、もしも生や倫理にふれようというならば、それは社会秩序からではなく、そのような無意識に根差すような物語的流れからこそ導出されねばならず、社会秩序の方が「そのための方便」である。このような考えは転倒というべきか。いやむしろ現代的に形作られた「現実」の方が転倒しているのではないのか。
  
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2004年05月22日

生の世界の変化とそれに堪える物事・作品

小学校の何時頃だったか、年嵩の人が漱石の小説をめぐって話していて、ひとりが「漱石の作品は読む年齢によって変わるんだよね」といい、他の人が「そうそう」と言っているのを聞いた。「そんなものか、そういうことがあるのかな」と思った。

で、あとから思えば、年を重ねるとともに、やはり「そんなこと」はあった。漱石がそうだというだけではない。何につけ、「世界の変化」はあるものだ。その「世界の変化」は、客体的に変わっているというより、同じ物事であっても、主体の側にある時ある時なりのモノの相貌があり、それが人生の過程に応じて変わりながらつむぎ出されているということだ。世界は人生上の時間性・空間性に応じて現れている。

そのような相貌の変化を、しかし、「人の生」という物事の側はそれ自身一手に引き受けているのであり、それはバラバラであることもあろうが、たぶんある一貫した変容でもあろうから、そのような様相を紡ぎ出すという意味で、「人生」というのは大した物語だということになる。が、同様に、創造された作品・作者についても、そのものひとつでそうした相貌変化に堪えるというのは大したことである。だから漱石はやはりコイ・ユタカナものであって、一過性のドギツクてもウスイものあるいは一時の「流行」とは違うものがあるということだろう。(私自身はこのところ漱石自体については実験していないが。)

ある作品が、ある受け手の人生での相貌の変化に堪えられるのだとする。だとしたら、その作品は、たぶん、その一世代に享受されるのみならず、別の世代(時代)にもやはり享受されるだろう──世の中がすっかり入れ替わってしまわず、人生というものが依然としてある限り──。するとそれは要するに(ちょっと硬い言い方をすれば)古典とか名作ということになるし、まあ別にそんな権威を帯びないとしても、スルメのような味のある作品・言葉ということになるだろう。芭蕉の「不易」というのもそういう種類のことだろう。

蕩尽さんが、ユーミンについて「その歌はいつまでも愛され、新しい世代のもとでも歌われつづけるだろう。それはいわば彼女の子どもたちとして私たちに愛され、きっと不滅の生を生きることになるだろう」と書いている(参照)。ぼくはじつはユーミンそのものについてはふれる資格がない。けれどここで言われている問題は考えてみると、面白い。つまり、そういう名作かスルメかは、その作品の側にたってみると、個々の人間より「長生き」なのだ。これが、古来、"Art is long"と言われていたことなのだな。

換言すれば、そのように人々に宿るものとして作品化されたものは、いわば「個」ではなく「種」になり「類」になるのだということになる。これはまたむろん物語論にもつながるし、そこにある「生」ということを考えていくと、西欧哲学流には「目的」という問題にもつながってくる。このあたり、どうも思想的にも面白い問題がありそうな気がする。
  
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2004年05月18日

暴力とその乗り越え

先の日曜日に出た会合にはいろんな国の人がいた。夕方ご飯を食べているとき、次のようなことを聞いた。

某氏が、その国の軍事政権時代、受けた拷問の話。すでに捕まった人が挙げた名前から邪推され、突然引っ張って行かれて三日、いたぶられたという。すぐ全裸にして、両手でつりさげられて全身をぶたれたり、唐辛子入りの水を鼻に入れられたり、爪を傷めたり、水に顔を長くつけられたり、云々。そして拷問の際に、必ずといって行われるのが、性器への虐待なのだそうだ。拷問する者は、むろん命令でやってはいるが、たいてい自らいたぶるのを喜ぶようなサディズムになっており、それが性的な攻撃になる。拷問者自身の抱えている社会的抑圧やコンプレックスや緊張がそのように化けていくのだ、という。

聞いていた日本人が「そんなひどい事になったら、もう私なんか何でも吐いてしまうと思う」と言ったら、彼は「地下の密室で何かを認めろとか言えとかいわれる。が、それに従ったら、すべてが終わり。それはできない。しかし、その三日が一週間になっていたら、持たないから死んでいたかもしれない」とのこと。

何とも棒を飲ませられるような話だった。イラクの虐待のときに、なぜ虐待米兵があんなに楽しそうにしているのか、理解できなかったが、少しわかるような気がした。と同時に、知識人といっても、こういうところを経ているのだから、現代日本人の甘ちゃんなのとずいぶん違うのだな、と思った。

ただ、これもあまり強調すると「パッション」みたいな世界になっていく。それをあまり特別視すると、暴力性をふまえないなら発言権は無い、というような議論になる。すると、これはまた変である。そのような「リアリズム」や「実感」はかえって世界の一面化を来たし、あるいは、その反転(対抗物)を生んでしまう可能性がある。

別の言い方をすると、この拷問の話ほどではないにしても、人間は結局は性にも結びつくような「暴力」を小さな形でも始終体験しているのではないか。だとすると、「暴力はいつも問題」なのだ。そして、暴力作用はつねにあるのだから、その直接的、間接的な形をまず意識化することが大事であり、また、その上で、そこからどう抜けるのかが問題である。この意味で、暴力は「特別」なものとして見るよりも、まず日常的な問題として、その形を見出し、解きほぐすことこそまず重要である。

ガンジーもM.L.キングもそのいとなみは非暴力の社会運動である。これらは、暴力を振われても振わないということだ。それらはどういう条件のもとに可能でまた有効だったのだろうか。たんに圧殺された非暴力とどう違うのだろうか。(心理学では、「非暴力トレーニング」というのがある。これは暴力を奮う自己を変化させる、ということのようだが、まだ詳しく知らない。)

戦後日本もある意味で、非暴力社会あるいは暴力タブー社会だった。ただ、日本が現実に非暴力だったとは簡単にはいえない。一見非暴力のようでも、暴力性はしばしば別の形で働いていた。日本の平和は、南北東西問題の形での「構造的暴力」のうちにあり、つまり日本の平和は、韓国や東・南アジアを始めとする外部に暴力を転移したに過ぎなかったし、アメリカやソビエトに代わりをやらせているに過ぎなかった。

国内的にも、「成長」は生活世界を破壊しつづけた。少し身近なことをいうと、日本の「学校」が人間のcapabilityをどれだけ破壊したか、一応大学院まで行ったぼく自身でさえ思い出したくもないほどだから、どれほど犠牲者がいるだろうか。ぼくの知るところでは、現代の学校は、馬鹿らしい一つの基準で人間を決めて抑圧し、人に烙印を押し続けている。しかもその枠付けがある程度妥当であるならまだしも、80%ぐらいは知的にも行為的にも愚劣極まりないものであり、それを制度であるがゆえに施行し・行わせ続けている。そのような「悪」をそのままにして、他方、これまた愚以外の何物でもないようなレジャーを、学校の内外に生産して、バランスを取ろうとしている(その楽しみは「善」なのか「悪」なのか)。これほど馬鹿らしい世界だから、その外で?麻薬の類が蔓延したり、少し真面目なのが神経がおかしくなするのも必然性があると思う。そのような愚の極というべき「学校」に対する恨みは、ぼくはいくら言ってもキリが無いほどだ。(ぼくは学校制度を心底うらんでいたから、教師だけにはなるまいと思っていたのだが。。。)

初等から高等にいたる学校や学壇それと社会政治秩序との結びつき、これに関わる人間の在り方、そこいは暴力の問題が深く刻み込まれている。が、それに深入りするのはまたにしよう。話をもとに戻すと、ともかく、戦後日本は暴力を外に発注してこれに依存していたし、内部にも人間を異常に均質化して統合しようとするそのブロイラー生産のような体制のうちにまたその上部にも下部にもとんでもない暴力をはらんでいた(一見すると、暴力が存在すること反対であるかのように見える「適応」もまた「放縦」も、じつは統制的な暴力とそれぞれ共犯関係にある)。このような欺瞞的な仕方で「無垢」を演ずることで、戦後日本は、むしろ暴力を意識化したりこれを抑止する道を却って失ったのではないだろうか。

原始仏典を読むと、そこには暴力を振るう在り方を乗り越えようとする努力が、性の力を昇華しようとする努力と一緒になって、基本衝動となってずっとある。ただし実際の歴史上の仏教では、祖師たち自身はともかく、社会的定着形態においては、暴力性は、体制と位における権威主義になり、そしてその体制と位の下部のところ(つまり末端の坊さん)は、禅修行の場合など非常にサディスティックな存在にしばしばなった(禅の作法は軍隊にも取り入れられた)。あるいは仏教は自身は暴力を持たないようでも外部的において暴力と結びつくことも少なくなかった。ブッダの意志は、そのような構造を乗り越えることにはまったく実現されず、むしろそうした暴力的構造の受容のために継承されたといえる。

アショーカ王の場合のように、またシャーカ族自身もそうであったように、仏教的であったが故に滅ぼされたこともあったようだ。が、このように(たぶん)暴力を拒否して破滅したというのでも、また先のように生きながらえたがじつは暴力を外部化または内制化したというのでもない、そうした在り方は、いかにあったのかなかったのか。これは「仏教は平和的」などといって問いを停止するのではなく、ちゃんと検討し考えていかねばならない。

「力」は、倫理的には、身心をしっかり作り、愛や正義や智恵を志向する意志や習慣(制度)になるべきもののはずである。そして「暴力」はそうならないような力の発露である。このような「力」そして「暴力」の問題に、フロイトはある程度、着手していたといえるだろう。またフーコーはまさにそのことに取り組んだといえる(ただ、フーコーは、彼自身、暴力に憑依されていたきらいもある)。アマルティア・センは、彼の角度から、暴力を生じないあり方を考えようとしたともいえるのではないか。先に少しふれたように仏教は、コンプレクスを解除しようとする「解脱」の考えのうちに非暴力の考えを持っていた(霊的にはともかく、社会的な展開においてはそれは限界や欺瞞を生じたのだったが)。そのことを考えると、さらには、西欧思想における伝統的な「自由」論も、束縛・抑圧からの解放・緩解をめざすという意味で、結局は、その裏側に「暴力」問題をいつもはらんでいたのだということに気づかされる。

とはいえ、理性であれ・ニルヴァーナであれ、整合的な状態をもっぱらモデルにすることだけでは、その反世界ともいうべき暴力を十分に扱えない。そればかりか、ここにある両極は、しばしば「対抗的な共犯関係」を生じてしまう(「理性」自身がしばしば「暴力」だと言われるように)。したがって、力−暴力の問題は、当然ながら、生やそれがはらむ複雑性をとらえながらでないと解けない。この意味で、暴力とそれを乗り越えることについての分析はまだまだ進んでいないし少なくとも総合されていないと思える。これまで、宗教論や心理論として、また社会や政治の論として、暴力についてどんな考えが展開されているのか、しっかり調べて考えてみる必要がある。
  
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2004年05月11日

菅と小泉の「徳性」

菅直人が民主党の代表を辞任した。一言、問題の頭出しをしておく(政治家敬称略)。

蕩尽さんが菅について「公人としての倫理にかかわる問題である。国民はまさにそこを見ている。公人としての政治家の倫理的・象徴的役割・・・・・・政治家というものがどんな仕事なのか、政治的ふるまいとは何を意味するのか、まるで考えたことがない。・・・・・・しょせん市民運動あがりと言わざるを得ない」と書いている。菅の政策的なところは問題にしてないし、かなり手厳しいが、菅の人間を問題にした点はかなり鋭く当たっている。詳しくは、http://www.mypress.jp/v2_writers/devenir/story/?story_id=399037
この「菅の勘違い」逆にいうと、菅がわかってない「倫理的・象徴的役割」とは何かを、ぼくなりにもう少し続けて考えてみたい。

ぼくは菅の政策的スタンス自体は、まったくすっきりしないとはいえ、小泉よりは判るところもあると思っていた。ただ、彼の「政治家としての人柄」については(個人としてはよく知らないが)、どうも釈然としなかった。鳩山の茫洋とした無責任さは、結果としてひどいことになりそうで、それよりはいいようにも少しは思った。しかし菅には何か足らない・違うなと思い、それが何かよく判らなかった。

去年の選挙に、妙に目を剥いた人相の悪いポスターを作ったので、何だろこりゃ、と思った(考えてみればこのあたりから問題があったのだ)。そのあと、党首対決で舌鋒に力みを入れているので、なるほど、(鳩山とちがって)「対決姿勢が必要」と思っているのだなと推測した。ただ、その後の、年金問題以後の菅の墓穴は、その「対決姿勢」のせいである。何か、辻本清美が、鈴木宗男を攻めているときはいいが、そのあとそれが墓穴になったのと似たようなものを、この人も持っている。というのは、政策では対決をしても、それは個人的な問題ではない、そして人間的なところでは信頼感が必要というようなところが、彼にはよく判らなかったのではないか。その攻めとは違うひろい公的な部分のような徳性については彼は自慢の?「笑顔」を引きつって作ってみせる以上には思い至らなかったのではないか。

「攻めの姿勢」というのは、党として・政策としてはあってもいい。しかし、政治家自身のあり方としては、通常、個々の攻めというのは、船でいうと駆逐艦か将棋でいうと香車みたいなもので、大艦というか「将」がすることではない。江角マキ子を呼べといって息巻いていたが、こういうのは手下にさせて、自分はうんまあそうかな、みたいな状態であってもいいはずだ。だのに、自分でやっているのは変である。これは、言い換えれば、彼には人が居ないということなのかもしれないが、さらに、古来政治家には「仁」が必要だといわれていたのだが、それが菅には無いということなのではないだろうか。政策的には仁があるのか無いのか知らないが、人柄的にはあきらかに仁が無い。たしかに市民運動的に「追求」をし、あとは体制と妥協をする、というスタンスでやってきたそのハビトゥスが抜けない感じだ。

対照的なのは小泉である。この人は政策的には不仁というべきだし、だいたい頓珍漢この上ない。外交政策なども詳しく書かないが、いい加減この上ないと思う。しかし、政策的・政治的レベルのイメージでは、ともかく「対決姿勢」「決断」を演出しおおせている。ところが注目すべきことに、彼は人柄的には、ぼくがテレビに映ったのを見たところでは、まったく空虚に威勢がいいにもかかわらず、個人攻撃の類や個人批判的な言を弄しているのを一度も見たことがない。誰のことも悪くいわず、まあ八方の幸せが大事でしょう、というような言い方をする。つまり、何か威勢はいいが、人にやさしいというか、少なくとも噛みつき犬ではなくて鷹揚みたいに感じさせる。無理にそう演じているとも思えず妙に板についている(たぶん政治家の子供だからだろう)。おそらくは結果倫理的には不仁な小泉が、国民的には支持される所以のひとつは、ここにもあるような気がする。

もし政権を与えて「結果的に」どちらがいいとは簡単にいえないようだ。また、こうした「菅の勘違い」と「小泉の勘所」が、墓穴になったり浮き輪になったりすること自体が政治的動きとしてはちょっと変な感じがする。しかしともかく、菅と小泉の人間的「徳性」のアイロニカルな対照性には興味ぶかい問題が含まれている。両方合わせて、日本の不幸というべきなのかもしれない。
(議論が未整理で途中だけれどひとまずここでストップ)

#ちなみに、トラックバックの表題が相手先で文字化けするのは迷惑かけてわるいが、どうしたら直るのだろう。
  
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2004年05月10日

笑いは硬い主体を揺るがすもの?

「トラックバックとは?」(2004年5月07日)にコメントが続くうち、「中間的な主体」(5月9日)で考えていることとじつは合流するような筋になっていることに気づいた。

詳しくはそこ(5月7日コメント)を参照してほしいが、蕩尽さんは、「安楽共同体」(藤田省三)がじつは他者恐怖や猜疑心にさいなまれている、つまり「安楽共同体と他者恐怖」がセットだと指摘している。ここから出てくるひとつの顕著な態度が、(「中間的な主体」の項で書いた)「傷つきやすさが反転、強面に」という在り方なのかもしれない。

で、「妙に傷つきやすい」「妙に強面」というそのどちらでもないものは何か、というわけだが、蕩尽さんは、
>笑いのなかで自他を肯定する哲学というものを(ベルクソンとバタイユの驥尾にならい)私は模索している
>ようするにユーモアという態度を倫理の根拠に据えてみようというわけです。
という。ふーん、なるほど。笑いにも哄笑とか、引きつった笑い、高笑いとかもあるけれど、そもそも笑いには、寛容ということや、自己対象化といったことともつながるものが含まれているようだ。面白い。

学生時代、ぼくは、哲学者の笑い論を2,3読んだけれど、何かよくわからず、忘れてしまった。しかし年を食ったから、ニュアンスが判るようになっているかもしれない。そういえば、ぼく自身、どういう笑いか知らないが、日常的にしょっちゅう笑っているし、会合などが硬直すると冗談をつい飛ばしてしまう。それは何なんだろう。

最近は少なくなったけれど、和顔愛語などと言われて、ニコニコ笑っているのがいいのだよ、という教えが昔からあった。またそういう人がよくいた。武士的エートスではそれはないが、庶民にはよくあった。外国と付き合うようになると、日本人の薄笑いというのが、気持ち悪いものということになった。

むかし新渡戸稲造を読んでいたら、「夫が死んだ妻がアメリカ人の前で、骨壺を抱いてはかなそうに笑ったら、アメリカ人が、夫が死んだのに笑うとはなんと残虐なという反応をした。笑いの意味がちがって解釈されたので、おどろいた」という主旨の話が出てきた。ここには一体、何があるのだろう。

他方、日本人のよくある習慣として、少し親しくなったら緊張をほぐす儀礼のように変な「じゃれ笑い」をすぐしたがるような気がする。TVのバラエティ番組など、ほとんどそれを増幅しているようなものである。これも妙な感じがする。少なくとも欧米のトーク番組などで笑わせているのとずいぶん質がちがう。ただ、その「じゃれている」のは、イエスをいたぶるローマ兵士の笑い──いまでいうと、イラク人を虐待するアメリカ兵士の笑い──と、どこかで繋がっているが、ちょっと違ってもいるようだ。

何かすっきりしない笑いばかり思い出してしまったけれど、ともかく、自他の関係において笑いの働きが面白い意味をもつのだということが何か判ってきた。笑いは構造が固定せず、ゆれるときの生命の振動みたいなもので、とにかくもとの安定性にしがみつくことから外に出ている。その意味で、「中間的な主体」?を生むのだろう。

ただし、いろんなハレーションやジャンプもあるので、だから超越的主体を生んだら、高笑いになったり、従属する主体になったら、卑屈な笑いになり、しかしそれでも何とかしてやるぞと奴が主たろうとするときは、イヒヒ笑いになるのだろうか。いろいろ考えさせられる。
  
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2004年05月09日

中間的な主体の生成

昨晩、台湾出身で日本国籍をとっていま官僚に近いような仕事をしている人と会った。35歳の人。この人は、様々なサイドの人たちと付き合いがあり、自身、単純な右とか左とかいった人ではない。

彼の言によると、日本人の35歳以下の人の多くは、関心が国内だけに閉じ、また総じて身辺・身近なことばかりに生きている。そのことを、日・中・台の複雑な間で生きてきた彼の体験からいうと、とても痛感するという。むろんそう内向きではなく、政治や国境を越えた事情のことに関心をもつ人もいる。しかしそういう人(の若い人)は8割方は「右翼」だ、と彼はいう。外務省の若手も、いまやときには防衛庁以上の軍備論者・強面論者になっている人が少なくない、と彼はいった。

もうひとつ興味ぶかかったのは、外務省の官僚などが中国等とやり取りするに当たって、「中国の方はとてつもなくしたたかだが、しかしこっちはこっちであまりに傷つきやすい。だから日中関係はなかなかうまく行かない」という話。そういう対外的なつきあいにせよ、外交政策にせよ、押さえの利いた粘りづよい言い方や態度が中国と持てるのは、もう70歳以上になってしまうようだ、と彼はいう。

彼の言がどれほど当たっているか、わからない。むろん彼自身の視点やサンプリングが何ほどか偏ってないはずはないから、簡単に「それが実際の傾向だ」とはいえない。右翼的・左翼的というのも、むろん俗な言い方にいま乗っているので、じつはむつかしい。とはいえ、その中に含まれた、「傷つきやすさ」が反転して「強面」になる──という、この両者のセット構造は、ぼくもやはり、現在の「右翼的」潮流の構造にどうもあるような気がする。もちろんそれは「左翼的」であってもいいわけだが。

(彼の話では、日本ではリベラル派のように見られている民進党は、台湾内では政権を取ったマルキシズムのように「強面」で、行政の中立性を無視すること甚だしく、自由を圧殺することも多いのだそうだ。むろん台湾独立派は、対中・対米関係的にはリベラルというべきだろうが、しかし対内的には別の文脈をもつ。また、対日的には日本の右派と結びついてく。事柄は何とも複雑性を帯びている。ただ、ともあれ、この場合も、従来の被抑圧グループが反転、強硬論者になる現象が見られる。)

似たような問題として、たとえば実際の軍人であったなど戦争を経験した人が、むしろ軍事的動きに対して抑制的であり、逆に、そういう暴力性を実際には知らず、頭の中だけで知っている人が、かえって過激な手法を取ろうとする──そうした例が、意外に多い。たとえば、前者の例として、アメリカだとパウエル、日本だと後藤田。後者の例として、アメリカだとネオコン、日本だと新世代の軍事増強論者。ちょっと喧嘩を知らない少年が却って「切れる」というような話にも近いが──。

この問題は、よく考えてみると、丸山真男の「実感信仰と理論信仰」という話にもつながるし、あるいは諺の「弱い犬は吼える」という話にもつながる。「力」にせよ「知」にせよ、何かが「有る」ことと「無い」ことのその両端は、じつは「共軛関係」にあり、「反対物が一致」している構造をもっていることが少なくない。

しかし、望ましいのは、中間の道・徳である。内に生まれたvicious circleであるコンプレックスAを抜ける道は、notAではない。「中」のうちにある。アリストテレスだろうとブッダだろうとそういう「中」を言っている。それは、妥協的な「中程」などというのとはまったく違う。いうなれば、物事が「こなれる」とか「成熟する」、「理性的である」あるいは「情緒がある」──そういったのに近いことだ。

これは「形成」の問題でもある。ヘーゲルは理性の狡知といった。それと重なるのか、いや重ならないかもしれないが、ともあれ──さまざまなアイロニーを越え、悪循環や膠着に陥らないで、物事を進める、そういう生を導いていくようなボン・サンスが人間の「よい営み」には働いてはいないだろうか(温和だという意味ではなく、過激であってもいいのだ)。もしそうしたものがあるとしたら、それは市民的公共性にとって必要であるにちがいない。
  
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2004年05月06日

老いた親のからだ

ちょっとまったく身辺のこと。田舎に一人住まいをしている老母が、肩から手にかけて神経痛だという。とくに朝起きたときズキンズキン痛み、日中、昼過ぎには少し軽減するが、痛みはなくならないそうだ。むろん病気といえばそれまでだけれど、それもいわば経年変化だとすれば、どうしてそうなるのだろうか。またどうしてそうならないのだろうか。身体のことを考えさせられる。

ぼくの中に過(よ)ぎる考えは、いわゆる現代医学というのではまったくなく、「専門家」からは馬鹿にされるだろうけれども、何を感じ考えたかを少しだけ書いてみる。

どうして痛みが生じるのだろうか。体外からの刺激はないわけだから、何らかのものが体内に出来ていて、それが除去されないことによるのだろう。その桎梏をうむものとは、何かの物質かもしれないし、あるいは組織上の変異なのかもしれない。が、いずれにしても、普通の幼児の体には神経痛は無く、年老いるとともにそれが起こるという面は大いにあるだろう。(実際、調査したわけではないが、母の話では、そうなってみてから、いろいろ聞くと、老人は神経痛だらけ、なのだそうだ。)

東洋医学系の言い方だと、「気血の流れが悪くなっている」とか、「体が硬くなっている」という。年を取ったら、放っておけば身体の各部が萎縮し・こわばり、そのことと運動量の逓減とが、相互循環を為すようになる。それが、気血の鬱滞や堅さになるわけだろう。それが、神経系に何かの形で持続的に反応を与えつづけている。

そうしたことを理解する際に、東洋医学系の見方では(あるいは西欧でも文脈によっては)いわゆる物理化学的な身体とは別の身体やその系列を考え、それを前者に重ねて見る。
(続く)
  
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2004年05月03日

知覚媒体による統合・連想・失調

このところ山中に来ていて、一日に一度ぐらい電波が繋がるところでしか、メール・Webチェックが出来ない。しかし、住んでいる友人には、Yahoo!BBにつないで、アルジャジーラとやり取りしている人もいる。

このことは一般的にいうならば、物理的な時空のうえに、通信手段による時空が被さっており、その如何によってコミュニケーションの可能性が伸縮しているわけである。もちろん、身体をもった人間自体が、それによって伸縮するわけではない。しかし技術的な手段によって可能性が開け、マクルーハン的にいうと「人間/知覚の拡張」が行われているわけである。ただし、彼自身も指摘しているように、それは人間の知覚の「ある部分」が変容しているのであって、その部分があまりに拡張すれば、他の部分は退縮することも多い。むろん一部が伸びることで、他も連れて伸びるということもあるだろう。いずれにせよ、ここでは諸知覚が(仮に元の状態が安定していたとしても)元の範囲をさらに破って動くことになり、その組み直しが要請されることになる。しかし諸知覚の平衡あるまとまり──人間の全体性を適切につくることは容易ではない。その問題は、個人的のみならず、社会的次元においても問題になる。

こうしたことは、あらゆるジャンルの媒体についてもいえるのだろう。たとえば、従来の手書き画像が、写真により、映画により、また映画がさらにCGによって、「人間の拡張」を起こす。しかし、それは、いうなればその時その時なりの現代的な「魔法」でもある。それを経験したあとで、もう一度、現実の自己の肉体的あるいは社会的身体に「戻る」ことは簡単ではない。たとえば、魔法が直接の自分であるような気持が残ったり、逆に、魔法に比べると、実際上の肉体性・社会性が余計に陥落や閉塞に思えるかもしれない。

他方、実際の肉体性・社会性だと思い込んでいるものが、じつは錯誤や圧迫である場合、新しい媒体によってもたらされる知覚の次元は、そのような思い込み(ドクサ)を訂正する可能性もある。そして、人のあるいは人々の「より本当の」身体に結びついたコミュニケーション可能性が形成されるのであれば、そのような「魔法」は魔法というよりは、治癒であり解放であり、人間の正当な発展だといってよいことになる。このようなことは、もちろん、画像に限らず文字でも音でも同様である。「教養」と呼ばれているものは、元来は、そういう知覚の調整を含んだ発達なのだろう。
(そして知覚媒体の統合や歪みを含みこんだまま個人も社会も「発達」しているのだが。)

コンピュータの世界も、当然、そうしたことに関わっている。そのさい、日本人の一般的なPCユーザーのシーンでは、様々な感覚経験を連想的につなげ・発展させることは多いが、知覚情報を混乱なく秩序づけようとする志向は少ないように、ぼくには思える。たとえば、自分自身の作った種々のデータを一箇所にまとめたり、(エクスプローラーを利用して)フォルダー、ファイルを整理したり、その履歴を管理したりすることは、ぼく自身はPCを使い出してからやっと、必要から次第に覚え、そういう考えがPCの中にあることがわかってきた。そしてそれが、事務であれ図書館であれ、ドキュメンテーションの考えとして、過去からある伝統にもつながっているのだ、と遅まきながら気づいた。が、たぶん欧米の多くのユーザーはそんなことは当たり前なのではないだろうか。しかし、日本のユーザーの多くは、ぼくの知る限り、データーをまとめたり、これを階層化したりすること自体知らない人さえ少なくないのは驚く。それ以上に、売り手の方も、そういう部分はどこか無視していて、「感性的な面白さ」を前に出すようにしているのも、変な感じがする。

蕩尽氏のいうトラックバックや引用の作法もそうだ。これも、上の知覚情報をめぐっての、自他関係や対話の作法と明らかに結びついている。しかし、現実に学生さん(特に大学でも1,2年生)と付き合うと、「誰の言葉か」ということへの意識がとても希薄で、ただ内容を連想的に面白くしようとすることにだけ意識が注がれている、その程度は驚くほどだ。しかし、それで、体制的か反体制的かはどうであれ、「批判」的であることができようとは思えない。もちろん、最後のところで、書き手・つくり手(の著作権など)が問われない次元、つまりpublic domain があることには、可能性があると考えられるのだが──。

以上では、連想や感性的経験のプラスの意義をあまり述べてない(蕩尽氏のコメントが示唆してくれたとおり)。またたんなる歪みや鈍磨ではなく、文字通りの「統合失調」が起こる次元についても考えが足りないので、さらに論を続ける必要がある。(この段落、5月4日追記)
  
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2004年04月27日

「非国民!」続々考

人質問題をめぐって「「非国民!」再生」(2004.4.18)以来少し書き、まだひとこと書くことがあったのだが、止まっていた。身辺がとても忙しく、なおかつ「パッション」についての議論が自分の中に入ってきたからだ。で、その続きを書いて、取りあえず区切りをつけたい。(と言ったが、またディスターブされるものが入った。この続きは、2,3日後になりそう。)

  
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