2003年12月23日

イエスという経験

大貫隆『イエスという経験』をめぐって、セミナーがあった(「イエスについて論じてみます──信仰と学問のあいだ」2003年12月22日4:30-7:00過ぎ、東大駒場学際交流ホール)。

一番びっくりしたのは、小林康夫氏のイエス解釈。イエスは最後のところで、自分はサタンだったのだ、と気づいたのだという。仏魔一如というか、罪悪深重というか。。またイエスのもった「切迫」はただただ集中した時だととらえる。

その集中した一種終末論的な時を、大貫氏は、全時的今という言葉で抑えている。そしてそこから生命や責任を語る。筋はわかるにせよ、そこにはまだ飛躍があるようにも感じる。

小林氏のサタン論には何かドストエフスキー的な傾きもあって、ひきつけられ・解明せずば済まないものが感じられる。とともに、その「集中した時」論では、大貫氏のいう「責任倫理」は出てこないだろう。そうではないか、と尋ねると、もちろんだ、と小林氏は言った(あとで)。

大貫氏の議論は、ほんとうに学ぶべきものが多い。ただ、最後に出てくる「倫理」問題が、その倫理自体は理解できるが、しかし「絶叫」とどう繋がるのかがまだよく判らない。また、その倫理は、主権的な倫理は出てくるが、女性神学的な倫理ではない。そこがぼくは何か足りない気がする。しかしそれは、イエスがいいとかいけないとかいうのではなく、あの地域・時代のものなのだ。

イエスという経験
  
Posted by krzm at 00:30Comments(0)TrackBack(0)clip!