2004年02月26日

傷つきやすさ続考──赤ちゃん論

このところ仕事が膨大にあって、思考を続けることがあまりできなかった。
といっても、面白い話を聞いた──つまり人から聴いたのだが、日本テレビ系列の「爆笑問題のススメ」2004.2.23に大槻ケンヂが出演して、興味引かれることを言った。

ケンヂによれば、「少年」というのは、結構いい背広を着て活躍しているような輩について、「少年の眼をしている」などと言って自他称えたりするもので、それはイヤらしいことなのだそうだ。ではケンヂは「(少年などと言わずに)いっそしっかり大人たれ(その方がいい)」というのかというと、むろんそうではない。ケンヂはむしろ自分は「赤ちゃん大人になりたい」、そして「だだをこねて生きたい」のだそうだ。
調べてみると、大槻ケンヂは、2003年12月に出した「オムライザー」というCDに、「子供じゃないんだ赤ちゃんなんだ」という曲を入れている。彼は「赤ちゃん」という主張の確信犯らしい。何だか面白い考え方だ。

「永遠の少年」(プエル・エテルヌスpuer aeternus)という原型をユング心理学などでいうことがある。しかしその場合は、「永遠の」という形容詞に示されているように、おとなになれない・成長成熟できない、ということにひとつの重要な強調点がある。心理学はそこに少年の創造性もむろん見るのだが、しかし、やはり成熟すべきプロセスが考えられていて、そうなっていない、ということが指摘される。
しかし、ケンヂが「少年」が「イヤらしい」というのは、ちょっとニュアンスが違っていて、むしろ「大人」であることのestablishment性を享受し誇る者が欺瞞的にもつナルシシズム、「ええ格好しい」のロマンチシズムみたいなものを「少年」の語に見出し、それを批判している。つまり、ケンヂは、「大人にならない」といって批判しているのではなく、「結構大人になっているくせに」といって批判している。翻っていえば、ケンヂは、「もっと子どもであるべし」という当為を抱いている。それどころか彼は「子ども」でも満足しない。そこで「子どもじゃないんだ赤ちゃんなんだ」というわけである。何と過激な。。。

原型の話にもどると、少年よりもっと幼い者の原型というのはある。日本の物語などの「童子」はだいぶ少年っぽいが「赤ちゃん」性も帯びているようだ。柳田国男などのいう「小さ子」や、幼な子イエス(聖クリストファー)、ホムンクルス、そしていわゆる泰西名画に描かれる聖母子や、エンゼルは、あきらかに「赤ちゃん」である。(現代では、森永のキャラメルやキューピーもそうだが、あれはどういう表象だろうか。)
それらの話や画像は、その「赤ちゃん」がじつは重要な存在なのだ、と語っている。赤ちゃん自身が聖なるものを背後に持ち、その使いであったり、物語中でみずからそういう聖なる存在になったり・なることが予想されたりする。「子はみな神の子」というように、たしかに、赤ちゃんは、それより大きくなった場合の、意識的活動や実践性からくるナルシシズム・欺瞞・悪意といった余計な人為性や主我性を帯びておらず、その意味で、聖なるものの受肉そのものともいえる。

とはいえ、ケンヂは、その種の聖なる世界との関連を言いたいのだろうか。意外にそういうところもじつはあるのかもしれない。ただ、表立っては、彼はそういう世界像とは関連づけていないようだ。それより、彼は、つべこべ理屈づけしないで、笑ったり泣いたり飲んだりウンチをしたりしている、そのいのちの発揮そのもの、それこそが原理だ、と言っているように思える。赤ちゃんは、欺瞞も自己陶酔もしない、泣くけれども怒りやうらみは持たない。赤ちゃんは弱く、戦争などしない。とすれば、これは究極の傷つきやすさ、傷つきやすさの極限だといえる。

「赤ちゃん」を考えていたら思い出した。宮沢賢治を読んでいたら、イカだったかタコだったか、その存在を「立派」だと言っている箇所があった。たしかに、木を一本でもよく見たら、片隅に生えている小さな野草の花を一輪でもよく見たら、立派だといって尊敬するほかないようなものがある。それをぼくらは何と踏みにじるのだが。。。

もちろん、「赤ちゃん」のままで/だけで生きていくことはできない。赤ちゃんは、保護によってしか生きることができない。その存在は、もっぱら誰かに依存している。赤ちゃんは面倒をかけるばかりで、社会的・倫理的な「いいこと」をみずから一切できないしまた行わない。その地平からいえば、超無責任存在である。そしてその無責任な部分は、誰か赤ちゃんでない他の人の配慮や知識や情動や行為により満たされることが必要である。そのことが赤ちゃんを赤ちゃんたらしめ、その生をあらしめている。

したがって、「赤ちゃん」それ自体をぼくらの生き方に等置することはできない。だからこそケンヂは「赤ちゃん大人」になると言っているわけだ。しかし、赤ちゃんという究極的な生命から出発すると確認することは、正しい道をもたらすか、あるいはそのために役立つかもしれない。「だだをこねる」とケンヂはいった。最近は、だだをこねるものを虐待することが多いけれど、だだをこねる者の方が正しいことが少なくないのではないだろうか。少年の「だだ」はどうか知らないが、赤ちゃんの「だだ」はその意味をとにかく「聴くべきもの」ではないだろうか。

もちろん「だだ」がそのままもっと大きくなったら、それはパターナリズムに応じた「甘え」になり「たかり」になるだろう。しかし、赤ちゃんの「だだ」はそうではない。それは、そうした人為的要求以前の、それこそが「配慮すべきもの」であり、そのために人為があるべきものである。それは、人に自ら何かを考えさせ・行わせる生命の声というべきものである。「泣く子と地頭には勝てぬ」という諺があるが、この傷つきやすさの極限には、人に対する──自分の(思考であれ行為であれ)責任というものを振りかえさせる──一種絶対的な問いがある。
おそらく赤ちゃんは、そういう声を発し、それが十分に誰かによって応答されることの中から、次第に「赤ちゃんならざるもの」になっていくのだろう。赤ちゃんもまた、やがて「赤ちゃんならざるもの」をやがて身につけねばならない。が、それは何のためか。たぶんひとつには、別の赤ちゃんのためである。

社会的地平からはまったく無責任な赤ちゃんは、倫理の限界面に位置し、そこから逆に倫理的なものを位置づけている。ニーチェは「生成の無垢」ということを言っている。ただしニーチェ自身はどうだか知らないが、ニーチェを「語る人」はたいてい、無垢を振りかざすゆえに、やはり大槻ケンヂのいうイヤらしさの指摘を免れないのではないか。このような無垢は近代の化け物かもしれない。また、「赤ちゃん」が、一種の「かわいさ」として利用されたり消費されていくとき、やはり奇怪な赤ちゃん現象が起こる。
さらには、ファシズム期に言われた、(陛下の)「赤子」という概念も──それは記紀における天照に真向かい合いつつ降臨する孫のイメージにもつながるものだが──、「赤ちゃん」メタファーの倫理的簒奪だった。ここでは、「赤ちゃんの声を聞け」というのではなく、「赤ちゃんになって言うことを聞け」というのである。そこで「赤子」は、容易に手をひねられるような柔弱な受容性たれという絶対随順のメタファーに使われている。しかし、「赤子」はともかく、「赤ちゃん」はそうはいかない。陛下の赤ちゃんたれ!だと、何のこっちゃ、ということになる。

ともあれ、現代にはそうした擬似的な赤ちゃんが肥大し、社会を覆ってインフレを起こしているということもできる。そもそも、こうして赤ちゃんを肯定的に議論し、その生命の文明への批判的・根源的機能をもつべきことを敢えて蝶々していること自体、じつは文明の繭の内側に居座っているのであって、野生人は、それにあきれ果てるかもしれない──。巨大な機械や組織やシステムによって生き、それであたかも自己が万能であるかのように感じている現代人は、文字通り赤ちゃんの風上にも置けない異常な赤ちゃんである。

そうしたことを考えた上で、しかしそれでも、「赤ちゃん」にはどうも侮れない問題がある。思えば、老子がもう「嬰児」を論じている。それが何かもさらに考えてみたい。

  
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2004年02月14日

共commonの二つの側面・次元

共(common)あるいは間(between)は、古来の中(mean)とともに、グローカルな生き方にとって、重要な概念だと思う。

そのうち「共」についてだが、共とは、ひとの側からいうと、誰かと誰かが共にある・共に働くということであり、ものの側からいうと、何かに誰かと誰かが共に与るsahre・共に有つということである。それらの存在・活動・関与が、そのひと(たち)以外のひと(たち)に向かって開かれている場合は、公共public,open/disclosed commonといい、そうではなくそのひと(たち)の内に閉じている場合は、私共private, closed commonという。前者は、開共、後者は、閉共といってもいいかもしれない。たとえば、広場は公共であり、居間は私共である。どちらの面においても、蓄積・所有という問題がそこにつながっている。
公共と私共とは、もの(内容)が豊かである場合、より両立する流れ・領域となりうるが、それが乏しい場合、公共とより対立する流れ・領域になりやすい。




  
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専門知と公共知

〔専門性への信頼の崩壊〕
「専門的である」ということはかつては「信頼してよい」ということと同義のごとく感じられていた。そこには、「専門家」が一種のパターナリズムをもって専門知やそれにもとづく対処を示し、「素人」はこれに依頼するという関係があった。ところが、現在、専門的であることは必ずしもそのまま信頼できることだとはいえなくなった。
その信頼の不成立は、パターナリズム的な権威と依存とが成り立たなくなったという側面と、「専門知」自身の有効性が失われたという側面と、両面があると考えられる。そのうち後者について考えてみる。

かつて専門知が妥当性・有効性をもつされていたとすれば、それはどういうことか。

〔知の有効性〕
まずそもそも知の有効性とは、1a)知が事象の複雑さを覆いうるということである。逆に知が有効でないとは、1b)知が把握するにはその対象があまりに「複雑だ」ということである。問題は要するに複雑性だ。ただ、もう少しいうと、その複雑性は3つぐらいの側面からとらえられそうである。
すなわち、
 1.事象それ自身の複雑さ。
 2.(なすべき)認知の複雑さ。
 3.(なすべき)対処の複雑さ。
そして上の1a) 1b)は、知の側からみた1.の問題である。
 これに対して、2.の場合については、こんなことも考えられる。すなわち、事象そのものは始めから十分に複雑だったのだが、しかしそれでも、ある知が有効だと「されており」、有効でなくともその無効に気づかれなかったか、気づいても黙っていた、などといった場合。この場合は、言い換えれば、それが無効だという反証が汲み上げらるような言路の制度や装置がなかった、ということである。それまで大体のところでおさまり・おさめていたが、様々なデータが汲み上げられる装置が出来たので、馬脚を現すというか、それじゃだめとか、別の考慮すべき要素もあるじゃないか、ということになったのである(──それは、「装置」自体が存在するようになったせいかもしれないし、まったく限られ・高いコストでしかあり得なかった装置が、そうでない形で存在するようになったのかもしれない)。いずれにせよ、これは、「見る目」が深くなり広がった、ということである。が、かつては、見る目が、浅くて、限られていたので、妥当・有効だと見えていた、というわけである。
 3.の場合は、実践的な問題である。あるレベルでわかっているけれど、それをより実現にもたらすような応用的な知がないとか、リソースが足りないとか、現実を構成するにあたっての問題である。

〔専門知とは〕
さて「専門知」にもどると、そもそも専門知とはなぜ生まれたのだろう。

(工事中)

専門知の有効性とは、それが社会的現実に向かって広げ適用される際にだいたい「当たっていた」ということである。そのことは、おそらくは専門知の「専門性」が一般社会の「社会性」との間で連続的であったか、それとも「専門家」が、専門知を取り巻く部分、インターフェース、「社会的な様々な諸世界についての基礎的な知をある程度もって補っていたか、そのどちらかまたはその両方であろう。

〔専門人と教養人〕
マックス・ウェーバーは、20世紀の初めに、いまや、たましいの無い専門人の世界になる、と予言したのだったが、その予言の背後には、これまでは、知は人間的に陶冶された「教養人」によって把握し所有されていたが、今後はそうではなくなるという認識があり、また、従来は理性的なものによって社会はほぼつらぬかれていたが、今後はそうではなくなる、という考えがあったのではないだろうか。(いまテキストがないので、読み返すことができないが)。

〔汎神論的宇宙の解体〕
ただ、日本社会にかつて何時だろうと理性による統一があったとは到底思えない。しかし、共通の知ともいうべきものが感得されていた、とは言えるかもしれない。たとえば、一芸に通じるとその道が他に通ずる、という考えは広く抱かれていた。今でも、その考えの支持者は少なくないだろう。そのような考え方は、一種の汎神論的な世界図式にまで繋がり、結局は、理でみるのであれ気でみるのであれ一種の有機体的存在論・世界観のようなものにも逢着する。が、そこまで至らなくても、「経験の同型性」ともいうべきものが、そうした場合は社会に広がっていたのである。もちろん、世の中は単純ではないし、知の複雑さや階型性や次元はいつの世にもある。が、そうしたことを、人々の経験の成長や、達人性・熟達masteryが把握・吸収していた。だが、それができなくなったのである。

いかにそうならなくなったのか。技術知の独自の界域。発展。
(工事中)

なかなか公共知までたどりつかないが、この項、ぼつぼつ建築していく。

  
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2004年02月11日

傷つきやすさと怒りのなかから

「ぼくは自分自身の責任で生きていない。他の人に依存しながら、しかもそれに甘えている。そしてなすことも決して一人前ではない。要するにお前は弱いいい加減な存在であって、状況が少し変われば、浮き草のようにひどいことになりだろう。馬鹿にされても無理もない。。。。」

10代の後半から長い間、ぼくは、どちらかというと愚直に田舎者風の歩みをつづけたように思うが、その一方、どこかから聞こえてくる上のような言葉にしょっちゅう脅かされていたような気がする。「自分は、寄生・食客・部屋住みだ」。この感覚は自分がもと「次男」だったこととも関連があるかもしれない。また社会に出て担った仕事や環境の種類やその自分との適不適などといったことも当然関係するだろう。同じく脅かしを感得したとしても、担った人間関係や出会う状況によって、感じるものはまた違う様相になると思われる。が、ここでは一般的に考えみる。

〔脅かしの言葉が聞こえない条件〕
たとえそんな言葉がどこかにあるとしても、そもそも寄生者であることに安んじてどこかに完全に引きこり得たならば、その言葉はもう聞こえなくなるだろう。逆に、何か確かなものを自分は持っておりそれが他者たちから認められていると確信するときも、その言葉は消えるだろう。だから、ぼくにそんな声が聞こえたのは、ぼくがそのどちらの意識状態にもなく、寄生的存在圏から出た自立した存在になるべきだ・何かをなすべきだと思い、にもかかわらずまだ自分はそうなっていない・そうはしていないと感じていたからだろう。たしかに、何か小さな仕事でもなしとげたら、一時はそうした言葉を忘れる。そして仕事が厚みを増して承認してくれる人が増えると、少しはいい気持になる。けれども、そのような囁きはどうしても消えたとは思えない。

〔その言葉と人生〕
これは、「少年を脅かす言葉」であって、男というものは、容易にはそれから解放されないのではないだろうか。いや解放されているひともたくさんいるだろう。家族を養い資産を運用し人々を差配するような統率者は、そうした言葉は胸のうちに鳴らないだろう。というか、そんな言葉がどうのこうのということ自体、現実と切り結ばない、甘えていられる証しだというべきだろう。つまり、それは人生において、自己確信というものが成就してないか、懸命さを欠いたあるいは欠いていられることを意味することになる。だが、幸か不幸か、少なくともぼく自身は、まだ今でもそうした言葉の脅かしを聞き、そのことで葛藤を抱えているように思う。そして、このことは、たしかに、ぼくの仕事を「現実」から浮き上がらせ、ときには力や勇気を失わせる。その「内語」は、自己を肯定しエンパワーすることを妨げる。

〔言葉の克服と傷つきやすさ〕
そうならない在り方とは、もう少し端的に考えると、いったい何か。「脅かしの言葉を克服すること」で最も直接なものとして考えられるのは、自己が何らかの障害や敵に対して「勝つこと」、そして「勝ち誇(りう)ること」だろう。だが、やはりぼくは、今でもそうだが、子どもの時から、「勝負事」や「勝ち負け」というものが一番苦手で、嫌いといってよかった(勝ち負けの無いあり方は何かということにこそ関心があった)。
それをvulnerabilityといえば、いいようではある。たしかに、みながvulnerabilityを持ってくれれば、そうした脅かしの言葉や状況そのものがなくなる。これは「勝つこと」の反対の側の解決である。だが、そこに落とし穴がある。ちょうどよい例が本居宣長だ。

〔傷つきやすさと怒り〕
宣長は、vulnerabilityこそが人間的資質だとする、近代人にとって傾聴すべき人間論を説いた。しかしそれは大きな文脈においては、結局、奇怪なナルシシズムと服従の神学を呼び込んだのだった。そして、宣長は、一方で「繭」のような世界をつよくイメージしつづけ人間の「やさしさ」を説きながら、他方で、彼がやさしくないと決めた他者に対しては、粘りづよい怒りを投げ掛け続けた。たしかに、宣長の人間論は、とてつもなく重要な問題提起をはらんでいる。それはもっと立ち入って理解し検討すべきだ。にもかかわらず、彼の考えたソリューションは、あるべき筋道とはちがっている。

そのような落とし穴に陥らない、しかしただ勝つというのではない、上の言葉の克服とは、一体どういう在り方なのだろうか。

〔怒りの行方〕
たとえば、「温厚な」?ぼく自身も、横暴な大小タイラントがぼく(たち)を侵害し縛り付けることに、どうしようもない怒りや憎しみを覚えることが少なくない。ぼくは他方で、怒りん坊なようだ。たしかに不条理な権力が大きすぎるのだから、怒り自体あって当然だし、それがよくないわけではない。だが問題は、怒りが、ちょうど子どもの怒りのように、ナルシシズムを強化する回路として働いてしまうことだ。そうすると、その怒りは、たとえ、雄々しいものとなり、そうした行動をもたらしたとしても、それでいいとは決して言えない。つまりそれは要するに「暴力」だからだ。もちろん、暴力しかない、といったことが人間にはどうしてもある。がその限界的事態を認めた上で、それにしても暴力をそのまま肯定することはできない。

〔怒りと傷つきやすさの新しい次元としての徳〕
怒りは、個人性を乗り越えて自他に関与するとき、勇気や責任といった徳を帯びながら(正)義の価値につながる。したがって、怒りの心的エネルギーは、それが、ほんとうの共生のための、創造のためのものとなっているかどうか、そうしたものとして働いているかどうかが問題である。が、そうした次元に関わってくるとき、怒りは、しかしもう別のものに変容しているはずである。人称論、対話論の地平で言えば、その変容は、そうした価値を他者との関連において自分自身にむすびつけるmissionとしておそらく感得されるのだと思われる。興味ぶかいのは、そうした次元においても、他者の受容という意味でのvulnerabilityがふたたび、反対物の一致のように現れていることだ。

考えてみれば、vulnerabilityとassertion(mission)は、人間が元来もつ両極性polarityかもしれない。ただ、それが、「傷つきやすく・怒りんぼ」なのか、「寛やかでかつ勇気をもつ」のか、どのように形成され働くのかが問題だ。

ひとは何かを集中することで、よろこびやたのしみを持つ。ぼくがとりわけ好きなのは、考えて何かが判ることであり、そして何かの真実や愛のもとで、ひとと相互にわかりあえることだ。その探求が、鬱屈した運命の打開や共生へと展開すれば、それこそがうれしい。自他のエネルギーがそのように流れるように自己形成できれば、その時ぼくは、「寛やかで勇気をもつ」ことになっているのではないか。

〔幸福の希求におけるひと〕
もう一度、最初にもどろう。その脅かしの言葉・声は、幼いとき、兄弟姉妹や友、父・母たちと一緒に団欒の中にいるときには、聞こえなかった。そこからぼくが出たときに聞こえ始めた。一般には、多くの他者たちからの承認や制度的位置づけを自己が得て安心や自信をもったら、そうした不安の言葉はなくなるのだろう。そのことは確かに望ましいことで、そうなる「幸福」をぼくは希求し続けていたし、いまも希求しているにちがいない。

だが、それにもかかわらず、その言葉はじつは他者承認や制度保障で必ず消えるとばかりはいえないようだ。というのは、先に述べたように、ある程度、自己が承認・保障されても、その言葉はやはり残っている。つまり、そこにはいわば「制度によっては解消されない」ものがあるのだ。またさらに、たとえ自己がそんな言葉を大体持たなくなったようでも、自分のなかで別の部分が、その言葉をやはりもつ。つまり、聞こえるその言葉は、たんに特定の自分だけによってではなく、「いろんな人(他者)の声が遠くからひびいている」のだ。

そのように不安が残りつづけ、むろん勝ち誇ることもできない。にもかかわらず、何によってぼくは、生きているのか。それは、昔の人の言い方を使えば、「ときどきイデアにふれるような気がたしかにするから」、また「道があるから」「道を歩いていると思うから」である。そのイデアや道は、ふれたり得たりするときたしかにぼくのものなのだが、にもかかわらず、ひとびとに開かれたよろこびであり真実、真理であるようなものだ。そのような在り方をしたものが与える、わずかな確かさと希望と、しかしつよい力とによって、ぼくは生きる。おそらくひとも──。


  
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2004年02月10日

みずから考えるという「いのち」

現代日本の論壇では、20世紀に言語論的転回があったといい、また少し前から物語論だといっている。が、その内容はというと、相当部分は、すでに17C後半から18Cころには日本をふくめ世界の各地で考えられていたことだ。というか、指摘されているその言語の働きそして物語論的な認知とは、そもそもが「健全な悟性」ならもう十分に知っている事柄である。

その17〜18Cと20〜21Cの二つの思潮はどちらも、理性的主体の専横に対して、対抗または補完して、立ち上がってくるという点で、同じ流れに棹差している。そのようにして、ひとの「認知の全体性」がところを得ようとしている。また、その当時なりの「生の欲求」というべきものが浮かび上がろうとしている。

問題だと思うのは、そうした言説の提起のされ方である。言語論的展開であろうと物語論であろうと、学者たちは、どこかの「偉い物語」を引用することによってそれを語る。足元の日常をみることによってでも、周囲の史的状況を対象化することによってでもなく──。これはどういうことだろう。どうして学者の言説は、いつも「お父さんはこう言っている」というのだろうか。むろん適切に論じるために誰がどう言ったということを挙げるのは大事なことだ。が、どうして何時までも、「誰が」が「権威」を帯び、ことばが「自分のことば」にならないのだろうか。

自分自身の言葉として考え語らないということは、論語でいう「学んで思はざれば則ち罔〔くら〕し」そのものだ。荻生徂徠なら「阿房」(あほう)だというだろう。とはいえ、その空白はしばしば報いられるようにもなっている。つまり、生の具体的文脈を捨象し、権威への依存と専門(バカ)性によって議論を提出する。そのような捨象のご褒美として、代わりに、別のシステムによって名誉や権勢が供給され、あたかもそれがリアリティであるかのように承認されるようになっている。

生きるための糧も他者の承認ももちろんある程度は必須なものだが、そのリアリティ造成システムは、「道」とはしばしばまったく食い違っている。その「逆立ちしたリアリティ」と「道」との間で、そうしたリアリティは虚偽と権勢が癒着しているのではないかと批判し反省しつづけるなら、ひとは辛抱しつづけねばならない。

その尽力のなかで、自分自身の思考により、具体性との対話の経験のなかであらわれてきた〈もの〉は、幸運に恵まれれば、人生を越えて、個的所有を越えて、いわばpublic domainとなって人々の中で生きる種や土となる。そうして生成するものこそが、世代と空間を越えてつたわる人間の思考のいのちなのだ。その背後には、膨大な真実や虚偽の屍体と残骸とが埋もれている。が、それでも、そのいのちは芽吹き、生き続けねばならない。希望によってか信仰によってか生き続け、そして自分を別のいのちへと手渡さねばならない。


  
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2004年02月08日

人称問題と生活世界

人称という問題を考えている。人称とはpersonの訳として、江戸時代末期の蘭語学で使われ始めた。それは「言語としての人称」だが、その背後には「事態としての人称」がある。その意味をもっと考える必要がある。

生命倫理でパーソン論というときは、人間を人間と認め、そう認められない人体や動物を差異化する人間特定論を意味している。そのように、personの概念は、少なくとも現代のそのとらえ方は異様に偏狭である。しかし、人称は、もっとひろい縁暈をもち、そして「非人称的なもの」もまた、一筋縄ではいかない豊かさがある。

人称は、そしてpersonも、またそこに受肉している自我や自己も、近代では、在り方を極度に単純化され、ただ論理的実体か機能かのように捉えられてきた。それは、世界を自然科学の界面に投射するためには適当だし妥当性もあった。しかし、かといって、それを生活世界における通常の人間による認知と重ねたり、それと置き換えたりしてしまうと、そこには一種「統合失調症」的な時空がつくられてくる。

その点を適切に批判し、科学の科学性と生活の生活性をきちんと両立させるように、世界経験の健全性を再構築しなければならない。健全性とは、社会秩序を基準にしての「正常」という意味ではなく、また五体満足か否かということではなく、ひとの心身の働きのホメスタシスやリズムや生成、様々な他者とのコミュニケーション能力が担保されているという意味だ。やすらかに育っている草木や花、穏やかななかで溌剌とした動物を見ると(逆にその条件を失わされた迫害された生き物を見ると)、いのちの健全さということの意味が、そしてそれを畏敬するということの意味がわかる。

  
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