2004年05月29日

「一神教」と「多神教」に含まれるもの

「一神教」「多神教」という言葉は、宗教を見るときの枠組としてよく使われる。それらは最近は時節柄、宗教学や神学の敷居を出て、文化論や政治絡みの議論にまで出て来る。ただ、この概念をめぐって世間でよく言われることが、ぼくとしては胸のうちであまりにすっきりしないことが多い。つまり「一神教」に批判されるべきものがあることには十分同意するにしても、「一神教は偏狭で、多神教は寛容だ」といった言説となると、簡単にそんなことが言えるのか、と思う。つまり、その論とは反対に「一神教から偏狭さを越えるような論理や実践が出てきたり、逆に多神教から偏狭と暴力が出てくる」といった可能性はないのだろうか。そうした可能性を全然検討しないで、「一神教は偏狭、多神教は寛容」といっていい気になるならば、そのような言説を述べる者(多神教論者)やその周囲が、却って偏狭になって排他性・暴力性を帯びることになってもそれに無自覚になり、少なくともナルシシズムに陥りかねないのではないだろうか。これはぼくの神経症か。そうかもしれない。が、そうだとしても、この言葉の周辺には、なかなか安閑とできない、哲学的・論理的な問題やその実践性といった問題が含まれているのではないか、とぼくには感じられる。

最近世間に流れて「一神教否定=多神教肯定」論で一番顕著なのは、たとえば岸田秀(『アメリカの正義病・イスラムの原理病−一神教の病理を読み解く』春秋社、2002年、『一神教vs多神教』新書館、2002年)だろう。けれど、養老猛司『バカの壁』もある意味では一神教否定論で出来ているといってもいい。(しかし、それに「皆がものすごく殺到する」ということはどういうことか。人々の良識を示すものか。それともそれ自身バカを示すものか)。あるいは、以前からある、「森の思想、砂漠の思想」というような文明論や、梅原猛、河合隼雄といった人の議論も、言い方はいろいろだけれど、同じ趣向だといえる。このモチーフは、歴史的に振り返ると、和辻哲郎以来の、あるいはそれ以前の本居宣長の「漢意(からごころ)批判」以来の、日本人の言説の続いて来たパターンのひとつだという面もあると思う。先にも少し示唆したように、ぼくは、その「一神教否定=多神教肯定」論が、半分は──つまり一神の専横に対する批判としては──当たっているだろうと意義を認めるが、しかしもう半分はピント外れで飛躍を含む「いい気な論」ではないかと思っている。「往相はいいとしても還相はよくない」ように思う。少なくとも、この概念とくにそれの実践的な適用について、粗雑な単純さをもう少し整理しなければいけないのではないだろうか。

少し、しち面倒くさくなるが、まず意味・定義について考えてみる。一神教と多神教は、辞書等では、それぞれ「唯一神への信仰」「多数の神々への信仰」などと定義されていることが多い。これは、一神教と多神教の原語、monotheismとpolytheismがふくむものを、mono=only one、 poly=many, multipleと敷衍したもので、文字通りはどうということはない。ただ、とくに一神教の場合、唯一(only one)が何を意味するかが問題である。というのは、現実には周囲にそのonly oneではない神威(たち)があるわけで、それをどう見るか・どんな態度を取るかによって、バリエーションが出てくる。つまり事は自己・他者・世界といった問題になりそれは当然実践的な問題に関わってくる。そのあたりさらに定義ができる。一神教には、
  (a)「この一神しかどこだって絶対あり得ない」
というのももちろんある。この場合、monotheismは、the belief in a single, universal, all-encompassing deityなど畳み掛けて定義される。いちばん勝義の一神教はこれだろう。しかし、もっと緩い態度のものもある。
  (b)「この一神を自分は信仰するが他の神々がいるかどうか関知しない(いても関わらない)」
としたり、
  (c)「他にもいるだろうが、この神こそが一番だ。他のものはランクが低い」
などとすることもある。それらは拝一神教(monolatry,monolatrism)、単一神教(henotheism)などというらしい。

すなわち、only oneというだけでは此処其処にわたる基準がまだ(十分には、とくに実践性を帯びた面では)定義されてないところがある。その点をめぐって、自己の神=絶対基準として、それを他にも無理やり押し及ぼすとき(a)になる。その基準の(適用の)絶対性は、実践的な無理矢理さ、肯定と否定のつよさになるわけである。他方、自己の神=基準とするが他をも低めながら秩序づけ・位置づけするのが(c)だといえる。これはonly oneよりnumber one という感じになってくる。これに対して、(b)は、いわば此処其処・自他にわたる基準をあまり立てないわけで、「無視」「我関せず」「それぞれ」「いろいろ」「自分はとにかくこうする」「立てこもり」「引きこもり」いろいろニュアンスが考えられる。日本人の用法でのonly one はだいたいこれである(──小泉流のいい加減と一徹を裏腹にするのもその間を適当に動かしているわけだ)。

ともあれ、一神教、多神教の論には、何らかそこで重視されるものの他への適用をめぐっての、同一性や複数性をめぐる論理がある。それが宗教的な人格やら世界をあらわす表象・制度・物語等に形づくられるときに、一神教・多神教といった諸形態になるといえる。もちろん後者の形に前者の論理が含まれているといっても同じことだ。そして、心理学や神話学の類型論を援用すると、(これは論理的に証明できるようなことではないし、具体例を挙げればきりがないが)一神教は男性性を優位にし、多神教は女性性を優位にするようだ。男性性は理・義・自由を原理として立つ・分ける・裁くなどの機能を重んじ、女性性は愛を原理として包む・結ぶ・育むなどの機能を優位とするという(これはユング派の説)。

一神教と多神教という分類論は、先にも述べたように、一定の宗教や文化に帰着してそれぞれ排他的に論じられることが多い。しかし、ぼく自身は、その教説の主観性の内部にとってはともかく、思想・宗教の現象として見るときには、「どちらかだけ」ということは実際あり得ないのではないか、と思っている。一神教の起源・典型とされている、モーセ五書にしてからが、紀元前数世紀頃のバビロン捕囚後にまとめられたようだし、むろんその前に伝承をつくったとして想定されるヤハウィストも紀元前900〜1000頃のことらしい。そして、その周辺世界は、文字通り多神教的な空間だったのだ。ユダヤのラビの息子であるE.フロムが指摘しているように、その一神教は、周囲の女神たちの世界を想定しそれとの戦いとその圧伏の中に、自らの宗教を形作ってきたのだった(『愛と性と母権制』ほか)。つまり、一神教とは、独立して存在し単独に定義できるものではなく、多神教を想定して立ち上がる宗教現象なのだ。

この点は、多神教の典型だとされるインド宗教においても、翻って見ることができる。
(続く)
  
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2004年05月27日

Blogの可能性

Blogのことを一番最初に知ったのは、伊藤穣一氏の「創発民主制」の話を伴ってだった。それが「民主制」にどう関わるのか関わらないのか、その議論からはいわば「個人の発信性を高めそれに他者が対話的に連関しうる」ことが読みとれ、なるほどdemocraticな方向性があるなとは思った。しかし、それが倫理的・政治的決定に本当にどう絡んでいくかはまだ空白部分が多いと思った。というのは、そうした方向づけについて、伊藤氏は、blogのネットワーク性が「創発的emergent」な動きを押し出して民主的たりうるという議論をしていたが、しかし事はそう簡単ではなさそうに思えたからだ。たしかにネットワークは、「分断されたり権威化されたりして固形化した知」の枠組をゆるがし、それを別のものに編成する可能性は与える。だからblogも民主化に結びつくかもしれない。けれども、それは予期されるものとは別の可能性をも与えうるかもしれない。よく指摘されているが、たとえば、ネットワークが市民的な自立や連帯に結びつくか、それとも究極の管理社会をもたらすか、それは両刃のつるぎのようなところがある。

かりにその可能性が「民主制」的方向に行き、破綻やおかしなループに入らないよう問題がネットワーク上で解決したとしても、それが現実の時空にどう媒介されるかという点はなおかつすぐに問題となる。ネットワークでよい議論や合意が醸成されても、実際の社会生活の方でそれを遮断するような体制がしっかり出来ていれば、事柄はそう簡単には動かないだろう。いやそもそも、ネット上の動きも安定も葛藤も、現実の時空の問題が、ネットに投影されて起こる面が少なくないかもしれない。とすれば、現実社会の側での権力や金力が、ネットワークをも支配しそのヘゲモニーを得る可能性だって(上にふれたように)十分にある。するとネットワーク空間は、民主制を可能にするどころか、たとえば《軍・産・情=複合体》に化する可能性すらあるだろう。

つい話がひろがってしまった。今回はそういうことがいいたかったわけではないので、blogに話を戻す。その後、blogを自分でもぼちぼちやりだして感じたことをいうと、いままさにわかったように、上にぼくがblogをめぐって最初に考えたことは、ネットワークをめぐる一般論ではあっても、blogがどうかという問題への解にはあまりなっていなかった。もとよりそういう問題系とつながってはいるが──。そして、blogはというと、対話的な部分はあるものの、様々なネット上の装置の中では「個人性」「自己性」が案外高いものだな、という印象がしている。なぜといって、一人が(共同でというやり方もあるが、とりあえずは一主体が)そのサイトを担いそれを書き続けるものであるから。その個人性=「自分がする」という点がやはりブログがもつ特徴といえるようだ。そしてもう一点、blogは時系列性をもつ。blogはlogであり「日誌」である。現にブログのサイトは、日記サイトを称している場合も少なくない。「時間の流れに従っている」という点も当然ながらブログの中心的な属性というべきである。

そしてこの二つは結びついている──後者が前者を強化している。いわば継起が自己を作っているわけだ。ソフトウェアとしては「更新」を容易にすることで、blogを書く者を存在させ表現させやすくしている。従来の「ホームページ」は、がんばって作っても、意味の体系性みたいなものに依存しており、そう「次々に繰り出していく」ことが出来ない。つい更新が途絶える。すると「お蔵」になり、だんだん廃墟と化す。すると人の出入りもだんだん無くなる──といったアイロニーに陥るところがあった。blogはそれをうまく乗り越えて、活を与え動かしている。

個人性・自己性が高いといったが、じつはその反対の側面もある。面白いのは、普通の日記は、(永井荷風みたいにあとのことをヒシヒシと考えて書いている場合もあるが)たいていはprivateなものである。他者を考えるにしても「いずれ」「いつか」これを見る他者である。ところが、blogの場合は、自己が書くにもかかわらず、「だれかがすぐ見ている(かも)」という感覚をだいぶ帯びている。実際に見ている人がいなくても(このblog自体そうかもしれないが)、この違いは案外大きい。

いうなればblogにはその「自己性」に対して、鏡のように「他者性・公共性」がむすびついている。その後者の大きさは──あるいは後者に反照された前者の大きさは──翻って生産の問題にも関わってくる。たとえば、ぼくの場合、このblogの内容の切れ端みたいなのは、長く自分のノートに書いていたけれども、しかし、まさに断片にとどまり、あまりしっかり書こうとしなかった。よほどでないと後からも見ない(著作のプロはそうではないだろう)。しかし、blogという形式になってから、以前よりは書き込むようになった。それは、パソコン奥にそれがあるから、というだけでなく、何かそれを掲示しているような感覚があるからである。少しは筋をもつように(あるいは人によっては美し画面にして)書こう・載せようというような気が、どこに向いているのか知らないが一種の向上心?が起こるようだ。あるいは作品化というほどでなくても何かの形・結果を見ようというような衝動が喚起されるようだ。早い話、自分自身ということから出発しながらも、それをただ自分しか読まないノートに書いているより、見えるところに書いた方がちょっとした「緊張感」を生じる。まして、その表わした場が、先に書いたような出入りが多く見る人が多いといったことになれば、たぶん「励み」にもなるだろう。(そうしたことがどれほど「励み」になるかならないかは、場合や人によるだろうが。)

他方、そのように「自分のものでありながら開かれている」というにもかかわらず、アクセスやプレゼン自体は容易なので、たとえば論文やエッセイをパブリッシュするよりは、よほど気が重くない。そこには日録であるという点も結び付いている。それほど仰々しく構え・構成しなくてもいい。だから、そうした従来のパブリッシュ形態よりは、よほどすんなり書くことができる。こういう自己ひとりであるのに意外にも対話性が貼り付いているというのは、PCというもの自体にあるものだが、それがstand aloneではなくnetwork上にあることによって、その側面がきわめて顕著に広がった。そうした地平に、blogもまた置かれている、あるいは成り立ったわけである。つまり、blogは、個々人のノートがネットワークにつながったもの、というべきか。

ただ、自己表現の形というか表現された物として見ると、現在のblogはまだまだ発展形態の一コマに過ぎないという感じがする。というのは、blogは述べてきたように、日誌であって、時間系列で物事を書き付けていく形が基本である。それが書きやすくなるゆえんでもある。例の野口悠紀雄氏の「超整理法」がこれが一番簡単と標榜するのと似たようなものである。ただ、野口の整理法も、少ししてみるとすぐ判るが、時系列やその系列上での並べ換えだけで、どこまでも物事が処理しやすくなったり生産性が高まるかというと、そんな単純な話にはならない。それ(時系列上)だけで処理できるのは、それ相応の「そんな単純な物事」に対してだけである。ある意味をもつ物事Aと(時間的には離れているが意味的には必然的なつながりのある)物事B、物事Cとをつなげ、時系列から切り離してグルーピングしてしまう必要は当然出てくるし、それをしないでどこまでも時系列の中にそれらを埋め込もうとするなら、そこから出てくる「あたらしい意味の立ち上がりや構築」には十分立ち向かえないことになってしまう。

blogの場合も、時系列での参照の仕方がソフトウェアとしてある程度展開したら(それも現時点ではまだそれほど立派なものとも思えないが)、次に出てくるのは、意味による編集に対する要求だろう。これに対しては、現在のblogでは「カテゴリー」などが少し導入されたり、「索引」があったりするが、まだそれをいろいろ編集加工に持っていくには、とうてい十分便利だとまでは言えない。いずれ、自分自身の文章をも含めて「リンク」やら「網状化」やら、「目次」やら「樹状化」やら、いろんな要求が生まれるはずだから、そういう部分にどう展開して「形」をもたらすかという問題が起こるだろう。ただ、それはもうblogではなく、blogのデータにもとづいて変換する別箇のソフトウェア的作業かもしれないが。。そして、この《編集》問題は、自分のものについてだけではない。他とのやりとりについても、さらに言える。現状でのコメントやトラックバックは、面白いものの、まだまだそれほど見やすいものではない。それは「議論を発展させる」には物足りない感じがする。何かもっと出来そうであるのに。blogをプログラミング〔ソフトウェア作り〕に生かしているということもあるらしいが、そうしたオープンな地平のもとでの知的生産を目指すのだったら、現在のblogの形態はあまり充実したものではない。もしもblogがネットワークにつながったデジタルなノートであるのなら、もっと自由自在で生産的なノートであってほしい。

意味による編集の要求ということを追いかけたら、結局、(ソフト的にいうと)昔ながらのホームページビルディングに戻ってしまうかもしれない。つまり、そのような要求は、従来型の文章やらエッセイやらに、あるいはもっとimaginativeなものを扱ったとしても、やはり従来型の記述の体系に回収されてしまうかもしれない。むろん、そういうことはあるだろうし、それはあってもいいと思う。それならそれで立派なものもみたい。ただ、ここで考えたいのは、「ただ、そうした体系に収束してしまう」のではないあり方もあるはずだ、ということである。つまり、時系列性と意味性とを自由に行き来し、自己性と他者性を往復共働化するようなあり方がどこかに可能なのではないだろうか。その可能性を形として見てみたい。面白いことに、その可能性とは、人間的にいうと、「夢」のなかに近いものである。その連想的なものをコントロールできるような形での文字や画像としてまた論理的な命題としても扱うこと、それはできないのだろうか。

(こういうことを言っているのは、ぼくがMovable Typeなどを直接使っていない初心者だからで、それを直接使ってサーバーにアップしたなら、もっと目眩くような世界がもう現に展開しているのかも知れない。それならそれが楽しみだ。)

可能性だから話が少し飛躍してきた。ともあれ、blogやその他の形態が今後さらにどうなるかまだまだ判らない。もっと発展するだろう。そしてその可能性の基礎はというと、もう一度もどって上の《編集》ということでいえば、現にblogでも行われているように、電子データの場合は、編集したからといってその(物理的な)物自体の配置を変えなくてもよく、それを違う形に写し出せばいいということにある。実体的な言い方をするならば、現物はそのままにして、コピーを取ってそれを別の形にすればいいわけである。またネットワークとは、今・此処(here and now)が其時・其処(there and then)に、自が他に媒介されうる、ということである。そんなことは当然といえば当然だが、しかし現実の硬い構造は到底そうはなっていない。にもかかわらず、そうした媒介的なものが日常的な人間の事わざに繋がってくるということに大きな意味がある。そうした可能性はもっと展開できるし、するはずである。そして、その展開した姿が跳ね返って、従来の知的生産や書き物といったものの概念が変わってくる可能性もやはり大いにある。
  
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2004年05月24日

正しさや善さの述べ方

昨晩午後11時からの『ニュースJAPAN』(フジTV)を見ていたら、アメリカ軍がイラクの結婚式を誤爆して50人ほどの人が死んだという事件を伝え、これをアメリカ軍は否定しているが、イラクではまったくこれは事実で本当にひどいという反応だと、イラク側の映像もたどりながら報道していた。ぼくは、どうもこれはイラク民のいうことの方が本当らしいなあ、と思って視た。

が、びっくりしたのは、そのあとキャスター(松本方哉)が、「もしもこれが本当なら、アラブ社会の批判が高まりそうです」と述べたことである。喫驚したのは、「もしもこれが本当なら」という仮定法を付けたという点ではない。仮定法はたしかに完全な信憑性が取れず議論が分かれているのだから、あっていいとも言えよう。しかし、ひどい映像を見たあとで、仮定法を付けながらなお、「アラブ社会の批判が高まりそう」という人ごとみたいな言い方をぺろっとしたことである。

ちゃんとしたキャスターなのなら、「もしもこれが本当なら、アメリカ軍の行動は正しいとは言えません。……アラブ社会の批判も高まるでしょう」となぜ言えないのだろうか。つまり、なぜ、自分自身の判断を一言も喋ろうとせず、それを避けて、「物事の動き」みたいな言い方をするのだろうか。もちろん、これは言い方自体としてはその反対に、「もしもこれが虚偽なら、アメリカ軍の行動は悪くはありません」という言い方でもいいのである。つまり、そもそも仮定法で喋っているわけだから、その条件節が逆であるなら、それに応じて、アメリカ軍を肯定するならしてもいい。しかしこのキャスターの語りは、そのどちらにせよ、自分の判断をまったく避けて事を語ろうとしている。まるで《超然たる奴隷》ともいうべき言い方である。

このことは、言い方の問題ではあるが、さらにもちろん次の実践的な問題にすぐつながる。もし誤爆じゃなくテロリスト攻撃だったとしたら、アメリカ軍はそりゃそうだ、というだけのことである。しかし、もし誤爆だったならば、これはとんでもないことだ。それによって50人の人が死んで血まみれになり瓦礫の下に埋もれたのだから。しかも、ニュースの中身は、アメリカの誤爆らしい、というニュアンスが強かった。そういうことが先に見えていても、「アラブ社会の反発が強まるでしょう」だろうか。まったく、このおじさんがツルッとした顔をして人の家の火事みたいな言い方をするのは、どこか問題があるのじゃないかと感じた。これは傍観的なのか、アメリカに逆らいたくないのか。客観主義を取りたいのか長い物に巻き込まれたいのか。おそらく両方ではないか。

ぼくは、どうでもいいことにこだわりすぎとも思われるかも知れない。しかし──というか、そのとおりというべきか──これはぼく自身の中では、子どものときに、近くの子どもがその親から「そういうことをすると警察がくるよ」と言われているのを聞いたとき以来の不審につながる。「そういうことをすると、おじさんが怒るよ」「世間が騒ぐよ」……そういう言い方を少年期以来現在まで何万回聞いたかわからないが、これが変だという気持が消えない。というのは、これは、正不正、善し悪しを何も定義しないで、人の反応に帰している。もちろん他者の意向をよく忖度するのはいいことだろうが、だからといっていつも正不正を語らないままにして、人々の反応にばかり帰するのは愚であり、ときには不正に陥るのではないだろうか。

警察が来るから悪いのであれば、警察が来なければ良いことになってしまう。あるいは警察が来るなら、良いことでも悪いことになってしまう。世間が騒ぐから悪いのであれば、世間がもてはやすものは善いものになる。ということは、「人気者(物)は善だ」「有力者は善だ」ということになる。(あるいはその同じものが反転急に「悪だ」ということにもなる)。こういう思考でいいのだろうか。「そういうことをすると警察が来るよ」といって止めさせるぐらいなら、「警察が来るかもしれないし、いろいろあるかもしれないが、やりたいならやってごらん」といった方がよほどすっきりする。少なくとも先に他人に基準を委ねるよりは、自分自身で物事を確かめる道につながるだろう。

日本思想史上では、理義や正を「勢い」で定義する歴史家などがよくいる。そういう認識にときに妥当性があることもわかる。しかし、あんまりそういうことであれば、状況の認識を社会学的に述べたようであっても、じつは勝てば官軍的なご都合主義になったり、あるいは強者・弱者の権威主義になったりする。これはどうにもぼくには納得できない。少なくともそこに倫理的なトラップがありそうな感覚ぐらいもってほしい。

(トラックバックがIMIWOKURAUさんから入っている。「正しさの基準」「根拠」はどうなるか、とある。そのとおりだな。本文に続けて書くのは変だけど、その点をさらにここに書き続ける。。。)

では正しさ・よさの基準は何か。そうなると、多くの論者がこれまたいやになるほど思弁を展開している(解答を出すにせよ、出さないにせよ)。が、思うところ、人間が生活を健康で気持よく送ってそれぞれの人々のcapabilityを伸ばそうとすることに向けて、正は定義されるし、その否定に向けて不正は定義されるだろう。ただし、そのことは実は複雑性のうちにあるから、一義的には語れない。だから、「正義論」も生まれるわけである。ただし、これが複雑であるからといって、不可知論やたんなる規約論に帰することにはぼくは賛成できない。なぜなら、ささやかな生活世界を場にして考える限りは、事柄はそう複雑ではなく、生きているという人間の生の感覚や良識・美意識・コモンセンスによってだいたい定義できるはずである。そうである限り、複雑性を解きほぐす基礎はあるはずだからだ。
  
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2004年05月23日

性と文化の関係2

先に《性を抑圧ないし転化することで日常性を離脱したヨリ精神的/普遍的世界をつくるという力学》のことを述べた。しかし、それはまた子を有する育てるといった、種々の生産をさらに持続したり促進したりする要因にもなりうる。あるいは、それを停滞したり阻害したりする要因にもなりうる。

事柄は心的なエネルギー論として、それだけではおさまらない。社会的空間に関ってもいる。また、そこにはエゴイズムの温床もある。

子育てとは何か。自分にも子供がないと、いわゆる人の子のことを考えようとする。あるいはそもそもそうでない場合もある。しかしともかく必ず何かの方向づけがある程度生じる。

むかしからフロイトにしても、性とその抑圧・離脱が主題化されおり、当然のようにその方向付けが描かれていた。しかし、その分析が当たっているのか。それが問題である。

そもそも性はどのような意味をもつのか。文学の場合、性はマイナスというよりプラスになるのではないか。物語の結婚もある。「徳のなかで子どもを創るものが哲学」ともいわれる。

「自分自身のもの」として子どもがいることは、私有財産、エゴイズムにもなる。しかし、何かを育てることは、さらに広がり、種になることもあり得、それが精神性にも公共性にもなりうる。

プラトン「死を習う」といっている。論語でも「朝に道を聞かば夕に死すとも可なり」という。直接的な性と生を乗り越えることを彼らは知っている。
  
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性-生と文化との関連

古来の宗教や哲学では、禁欲(ascesis)や独身制が強調されていた。おそらくそこには《性を抑圧ないし転化することで(日常性を離脱した)ヨリ精神的/普遍的世界をつくる》という力学があったのだろう。が、蕩尽さんが「ユーミン夫妻には子どもがいない。あきらかにそのぶんのエネルギーが仕事に注がれている」と述べている(昨22日のコメント参照)ことを追って考えてみると、そのような「離脱の力学」は、宗教や哲学だけでなく、音楽を始めとする芸術にも、また現代にも妥当する面があるのだなと思わされる。考えてみれば、古くは、芸術の生産と享受とは(現在のように個人的な趣味の領域に分類されるよりは)、もとより個人の私的内部への深い嵌入はあるにしても同時になおシャーマン的な営みに関わるものであり、それはガイストというか精神的普遍的な次元への参入・その勧請でもあった。その意味で、宗教も芸術も地続きであった。

古代・中世においては、哲学や宗教だけでなく芸術においても、「性エネルギーの個人的で通常の快楽・生理・生殖に向けた過程への使用」を「さらに別の次元への使用」に転化することは、当然あることだった。そこからいうと、ユーミンなどは、まさに現代の芸術・芸能をシーンとするシャーマンというべきで、古代・中世以来の芸術のそうした回路を現代に働かせているとも言えるのかもしれない。

これに対して、いまよく聞くワカモノのはやり歌では、一見新しそうでいて実はまるで昔の水前寺清子の人生歌と毛一筋も違わないような狭義の倫理道徳に収斂する芸能の類が意外に多い。そこにあるのは「シャーマン」的なものではなく、もっぱら既成性の中への(いじましい)回収と安心の動きのように感じられ、それにあまり多くのひとが喜んでいるようなのは却って悲しい。いかにも現代風なタレントの歌が、じつは武者小路実篤どころか相田みつをと親戚だったりする。しかもそれが大変な文化的な力をもつのだとしたら、それはなぜ・どこから生まれるのだろうか。がしかし、ユーミンの場合などは、そうしたものをはるかに凌駕したイメージや力を持っているようだ。それは、たぶん彼女のシャーマン性から来ているのであり、それと彼女の生活形態とも対応しているのだろう。

ともあれ「通常の(性的)生産」と「文化的生産」との間には次元の差異がある。文化の生産者は、言葉を上から下すのか下からこみ上げさせるのか、表出するのか孵卵させるのか知らないが、通常の生のプロセスとは差異をもつ次元をその身に媒介してもたらし、現実のうえに重ね合わせる。が、通常の性−生的生産と高次の文化的生産との関連あるいは差異のあり方になお踏み込んでみると、「芸術」的な文化生産においては、その両者の間に連続面も大いに見られる。これに対して、「宗教」や「哲学」では、少なくとも従来のものは、かなり非連続であったようだ。具体的には、禁欲や独身制は、芸術生産では必ずしも必然的ではなかったが、哲学や宗教では長い間必然的なものとされた。これはどうしてだろうか。

この問題は、おそらく従来の主流となった哲学や宗教が、logocentricだったせいなのだろう。「次元上昇」がただロゴス的なものなのであれば、性や生に対しては抑圧的になり──少なくともそれを直接的な自己からは完全に排除し、自身はもっぱら(インド哲学的にいうならば)サトヴァ(純質)的になるほかはない。が、それは、性や生を、他者に投影するか、自己の深層に投影物をつくるか、いずれにせよ、それらと奇妙な鏡像的な共軛関係に陥った生の形成をもたらすことになると思われる。そのような思想史の実践は、しかし、じつは自己言及どころか自己破壊また他者破壊にも至る。しかし、芸術においては、必ずしもそのような袋小路はなかった。というのも、芸術の生産はつねにエロスと東洋風にいえば「気」と共にあったから。それはいうなれば、世界を変えるにしても、エロスと一緒に動いていく。「つくられる」新しい世界は「うまれる」ものでもある。

ただ「ロゴス」といっても、(ぼくは正確なところは全然知らないが)、紀元後少したったころまでのロゴスは、現在みたいに痩せこけていたのだろうか。たぶんそうではないだろう。それはソフィアの女神と関係が果たして無かっただろうか──あったのではないか。プラトンのイデアにしても、美や愛の蔵のようで、だからこそ、それを認識することが想起することが憧れや愛にもつながっていたのだろう。蕩尽さんがさらっとだが次のようにぼくにはまさに「真実だ」としか思えないことを書いている(参照)。「私たちは近代哲学にだまされてプラトンの「想起」をもっぱら知的・思弁的なメカニズムだと思っている。しかし想起されるものとは知的な意味での真理であると同時に、性的かつ生命的な対象でもある。そこには濃厚なエロティシズムがある」と。つまり、想起は深々とした呼吸とともに訪れ、胸いっぱいになり、そのことによって自分の現在の「殻」が溶け出していくようなものであるにちがいない。まこと、そのような「愛」さえ充実してあればひとはこの肉体を失ってそこに行ってもいいのだ。そして翻っていえば、哲学のもつ憧れはもちろん、プラトンが「死に習う」ことも、浄土教が「往生」するのも、もとはそういうことだったのだろう。──ぼく(たち)はそこから遠く離れて来てしまったが。

しかしそうした究極の飛翔はできないとしても、人にはその生命体のなかにおいて「夢」のような形でそれがいつもあり、無いわけではない。そこからいうとやはり蕩尽氏がいうように「想起とはたんなるメカニズムではなく、人生を賭けた探究であり、くりかえされる悟達の体験でもある」(前同)。そうした心的な実質としてのピークあるいは深みを手がかりにしてこそ、じつはぼくらは生きようとしている。そして、それ以外の社会的構築物こそがむしろ「影」ではないだろうか。だとすると、もしも生や倫理にふれようというならば、それは社会秩序からではなく、そのような無意識に根差すような物語的流れからこそ導出されねばならず、社会秩序の方が「そのための方便」である。このような考えは転倒というべきか。いやむしろ現代的に形作られた「現実」の方が転倒しているのではないのか。
  
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2004年05月22日

生の世界の変化とそれに堪える物事・作品

小学校の何時頃だったか、年嵩の人が漱石の小説をめぐって話していて、ひとりが「漱石の作品は読む年齢によって変わるんだよね」といい、他の人が「そうそう」と言っているのを聞いた。「そんなものか、そういうことがあるのかな」と思った。

で、あとから思えば、年を重ねるとともに、やはり「そんなこと」はあった。漱石がそうだというだけではない。何につけ、「世界の変化」はあるものだ。その「世界の変化」は、客体的に変わっているというより、同じ物事であっても、主体の側にある時ある時なりのモノの相貌があり、それが人生の過程に応じて変わりながらつむぎ出されているということだ。世界は人生上の時間性・空間性に応じて現れている。

そのような相貌の変化を、しかし、「人の生」という物事の側はそれ自身一手に引き受けているのであり、それはバラバラであることもあろうが、たぶんある一貫した変容でもあろうから、そのような様相を紡ぎ出すという意味で、「人生」というのは大した物語だということになる。が、同様に、創造された作品・作者についても、そのものひとつでそうした相貌変化に堪えるというのは大したことである。だから漱石はやはりコイ・ユタカナものであって、一過性のドギツクてもウスイものあるいは一時の「流行」とは違うものがあるということだろう。(私自身はこのところ漱石自体については実験していないが。)

ある作品が、ある受け手の人生での相貌の変化に堪えられるのだとする。だとしたら、その作品は、たぶん、その一世代に享受されるのみならず、別の世代(時代)にもやはり享受されるだろう──世の中がすっかり入れ替わってしまわず、人生というものが依然としてある限り──。するとそれは要するに(ちょっと硬い言い方をすれば)古典とか名作ということになるし、まあ別にそんな権威を帯びないとしても、スルメのような味のある作品・言葉ということになるだろう。芭蕉の「不易」というのもそういう種類のことだろう。

蕩尽さんが、ユーミンについて「その歌はいつまでも愛され、新しい世代のもとでも歌われつづけるだろう。それはいわば彼女の子どもたちとして私たちに愛され、きっと不滅の生を生きることになるだろう」と書いている(参照)。ぼくはじつはユーミンそのものについてはふれる資格がない。けれどここで言われている問題は考えてみると、面白い。つまり、そういう名作かスルメかは、その作品の側にたってみると、個々の人間より「長生き」なのだ。これが、古来、"Art is long"と言われていたことなのだな。

換言すれば、そのように人々に宿るものとして作品化されたものは、いわば「個」ではなく「種」になり「類」になるのだということになる。これはまたむろん物語論にもつながるし、そこにある「生」ということを考えていくと、西欧哲学流には「目的」という問題にもつながってくる。このあたり、どうも思想的にも面白い問題がありそうな気がする。
  
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2004年05月18日

暴力とその乗り越え

先の日曜日に出た会合にはいろんな国の人がいた。夕方ご飯を食べているとき、次のようなことを聞いた。

某氏が、その国の軍事政権時代、受けた拷問の話。すでに捕まった人が挙げた名前から邪推され、突然引っ張って行かれて三日、いたぶられたという。すぐ全裸にして、両手でつりさげられて全身をぶたれたり、唐辛子入りの水を鼻に入れられたり、爪を傷めたり、水に顔を長くつけられたり、云々。そして拷問の際に、必ずといって行われるのが、性器への虐待なのだそうだ。拷問する者は、むろん命令でやってはいるが、たいてい自らいたぶるのを喜ぶようなサディズムになっており、それが性的な攻撃になる。拷問者自身の抱えている社会的抑圧やコンプレックスや緊張がそのように化けていくのだ、という。

聞いていた日本人が「そんなひどい事になったら、もう私なんか何でも吐いてしまうと思う」と言ったら、彼は「地下の密室で何かを認めろとか言えとかいわれる。が、それに従ったら、すべてが終わり。それはできない。しかし、その三日が一週間になっていたら、持たないから死んでいたかもしれない」とのこと。

何とも棒を飲ませられるような話だった。イラクの虐待のときに、なぜ虐待米兵があんなに楽しそうにしているのか、理解できなかったが、少しわかるような気がした。と同時に、知識人といっても、こういうところを経ているのだから、現代日本人の甘ちゃんなのとずいぶん違うのだな、と思った。

ただ、これもあまり強調すると「パッション」みたいな世界になっていく。それをあまり特別視すると、暴力性をふまえないなら発言権は無い、というような議論になる。すると、これはまた変である。そのような「リアリズム」や「実感」はかえって世界の一面化を来たし、あるいは、その反転(対抗物)を生んでしまう可能性がある。

別の言い方をすると、この拷問の話ほどではないにしても、人間は結局は性にも結びつくような「暴力」を小さな形でも始終体験しているのではないか。だとすると、「暴力はいつも問題」なのだ。そして、暴力作用はつねにあるのだから、その直接的、間接的な形をまず意識化することが大事であり、また、その上で、そこからどう抜けるのかが問題である。この意味で、暴力は「特別」なものとして見るよりも、まず日常的な問題として、その形を見出し、解きほぐすことこそまず重要である。

ガンジーもM.L.キングもそのいとなみは非暴力の社会運動である。これらは、暴力を振われても振わないということだ。それらはどういう条件のもとに可能でまた有効だったのだろうか。たんに圧殺された非暴力とどう違うのだろうか。(心理学では、「非暴力トレーニング」というのがある。これは暴力を奮う自己を変化させる、ということのようだが、まだ詳しく知らない。)

戦後日本もある意味で、非暴力社会あるいは暴力タブー社会だった。ただ、日本が現実に非暴力だったとは簡単にはいえない。一見非暴力のようでも、暴力性はしばしば別の形で働いていた。日本の平和は、南北東西問題の形での「構造的暴力」のうちにあり、つまり日本の平和は、韓国や東・南アジアを始めとする外部に暴力を転移したに過ぎなかったし、アメリカやソビエトに代わりをやらせているに過ぎなかった。

国内的にも、「成長」は生活世界を破壊しつづけた。少し身近なことをいうと、日本の「学校」が人間のcapabilityをどれだけ破壊したか、一応大学院まで行ったぼく自身でさえ思い出したくもないほどだから、どれほど犠牲者がいるだろうか。ぼくの知るところでは、現代の学校は、馬鹿らしい一つの基準で人間を決めて抑圧し、人に烙印を押し続けている。しかもその枠付けがある程度妥当であるならまだしも、80%ぐらいは知的にも行為的にも愚劣極まりないものであり、それを制度であるがゆえに施行し・行わせ続けている。そのような「悪」をそのままにして、他方、これまた愚以外の何物でもないようなレジャーを、学校の内外に生産して、バランスを取ろうとしている(その楽しみは「善」なのか「悪」なのか)。これほど馬鹿らしい世界だから、その外で?麻薬の類が蔓延したり、少し真面目なのが神経がおかしくなするのも必然性があると思う。そのような愚の極というべき「学校」に対する恨みは、ぼくはいくら言ってもキリが無いほどだ。(ぼくは学校制度を心底うらんでいたから、教師だけにはなるまいと思っていたのだが。。。)

初等から高等にいたる学校や学壇それと社会政治秩序との結びつき、これに関わる人間の在り方、そこいは暴力の問題が深く刻み込まれている。が、それに深入りするのはまたにしよう。話をもとに戻すと、ともかく、戦後日本は暴力を外に発注してこれに依存していたし、内部にも人間を異常に均質化して統合しようとするそのブロイラー生産のような体制のうちにまたその上部にも下部にもとんでもない暴力をはらんでいた(一見すると、暴力が存在すること反対であるかのように見える「適応」もまた「放縦」も、じつは統制的な暴力とそれぞれ共犯関係にある)。このような欺瞞的な仕方で「無垢」を演ずることで、戦後日本は、むしろ暴力を意識化したりこれを抑止する道を却って失ったのではないだろうか。

原始仏典を読むと、そこには暴力を振るう在り方を乗り越えようとする努力が、性の力を昇華しようとする努力と一緒になって、基本衝動となってずっとある。ただし実際の歴史上の仏教では、祖師たち自身はともかく、社会的定着形態においては、暴力性は、体制と位における権威主義になり、そしてその体制と位の下部のところ(つまり末端の坊さん)は、禅修行の場合など非常にサディスティックな存在にしばしばなった(禅の作法は軍隊にも取り入れられた)。あるいは仏教は自身は暴力を持たないようでも外部的において暴力と結びつくことも少なくなかった。ブッダの意志は、そのような構造を乗り越えることにはまったく実現されず、むしろそうした暴力的構造の受容のために継承されたといえる。

アショーカ王の場合のように、またシャーカ族自身もそうであったように、仏教的であったが故に滅ぼされたこともあったようだ。が、このように(たぶん)暴力を拒否して破滅したというのでも、また先のように生きながらえたがじつは暴力を外部化または内制化したというのでもない、そうした在り方は、いかにあったのかなかったのか。これは「仏教は平和的」などといって問いを停止するのではなく、ちゃんと検討し考えていかねばならない。

「力」は、倫理的には、身心をしっかり作り、愛や正義や智恵を志向する意志や習慣(制度)になるべきもののはずである。そして「暴力」はそうならないような力の発露である。このような「力」そして「暴力」の問題に、フロイトはある程度、着手していたといえるだろう。またフーコーはまさにそのことに取り組んだといえる(ただ、フーコーは、彼自身、暴力に憑依されていたきらいもある)。アマルティア・センは、彼の角度から、暴力を生じないあり方を考えようとしたともいえるのではないか。先に少しふれたように仏教は、コンプレクスを解除しようとする「解脱」の考えのうちに非暴力の考えを持っていた(霊的にはともかく、社会的な展開においてはそれは限界や欺瞞を生じたのだったが)。そのことを考えると、さらには、西欧思想における伝統的な「自由」論も、束縛・抑圧からの解放・緩解をめざすという意味で、結局は、その裏側に「暴力」問題をいつもはらんでいたのだということに気づかされる。

とはいえ、理性であれ・ニルヴァーナであれ、整合的な状態をもっぱらモデルにすることだけでは、その反世界ともいうべき暴力を十分に扱えない。そればかりか、ここにある両極は、しばしば「対抗的な共犯関係」を生じてしまう(「理性」自身がしばしば「暴力」だと言われるように)。したがって、力−暴力の問題は、当然ながら、生やそれがはらむ複雑性をとらえながらでないと解けない。この意味で、暴力とそれを乗り越えることについての分析はまだまだ進んでいないし少なくとも総合されていないと思える。これまで、宗教論や心理論として、また社会や政治の論として、暴力についてどんな考えが展開されているのか、しっかり調べて考えてみる必要がある。
  
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2004年05月11日

菅と小泉の「徳性」

菅直人が民主党の代表を辞任した。一言、問題の頭出しをしておく(政治家敬称略)。

蕩尽さんが菅について「公人としての倫理にかかわる問題である。国民はまさにそこを見ている。公人としての政治家の倫理的・象徴的役割・・・・・・政治家というものがどんな仕事なのか、政治的ふるまいとは何を意味するのか、まるで考えたことがない。・・・・・・しょせん市民運動あがりと言わざるを得ない」と書いている。菅の政策的なところは問題にしてないし、かなり手厳しいが、菅の人間を問題にした点はかなり鋭く当たっている。詳しくは、http://www.mypress.jp/v2_writers/devenir/story/?story_id=399037
この「菅の勘違い」逆にいうと、菅がわかってない「倫理的・象徴的役割」とは何かを、ぼくなりにもう少し続けて考えてみたい。

ぼくは菅の政策的スタンス自体は、まったくすっきりしないとはいえ、小泉よりは判るところもあると思っていた。ただ、彼の「政治家としての人柄」については(個人としてはよく知らないが)、どうも釈然としなかった。鳩山の茫洋とした無責任さは、結果としてひどいことになりそうで、それよりはいいようにも少しは思った。しかし菅には何か足らない・違うなと思い、それが何かよく判らなかった。

去年の選挙に、妙に目を剥いた人相の悪いポスターを作ったので、何だろこりゃ、と思った(考えてみればこのあたりから問題があったのだ)。そのあと、党首対決で舌鋒に力みを入れているので、なるほど、(鳩山とちがって)「対決姿勢が必要」と思っているのだなと推測した。ただ、その後の、年金問題以後の菅の墓穴は、その「対決姿勢」のせいである。何か、辻本清美が、鈴木宗男を攻めているときはいいが、そのあとそれが墓穴になったのと似たようなものを、この人も持っている。というのは、政策では対決をしても、それは個人的な問題ではない、そして人間的なところでは信頼感が必要というようなところが、彼にはよく判らなかったのではないか。その攻めとは違うひろい公的な部分のような徳性については彼は自慢の?「笑顔」を引きつって作ってみせる以上には思い至らなかったのではないか。

「攻めの姿勢」というのは、党として・政策としてはあってもいい。しかし、政治家自身のあり方としては、通常、個々の攻めというのは、船でいうと駆逐艦か将棋でいうと香車みたいなもので、大艦というか「将」がすることではない。江角マキ子を呼べといって息巻いていたが、こういうのは手下にさせて、自分はうんまあそうかな、みたいな状態であってもいいはずだ。だのに、自分でやっているのは変である。これは、言い換えれば、彼には人が居ないということなのかもしれないが、さらに、古来政治家には「仁」が必要だといわれていたのだが、それが菅には無いということなのではないだろうか。政策的には仁があるのか無いのか知らないが、人柄的にはあきらかに仁が無い。たしかに市民運動的に「追求」をし、あとは体制と妥協をする、というスタンスでやってきたそのハビトゥスが抜けない感じだ。

対照的なのは小泉である。この人は政策的には不仁というべきだし、だいたい頓珍漢この上ない。外交政策なども詳しく書かないが、いい加減この上ないと思う。しかし、政策的・政治的レベルのイメージでは、ともかく「対決姿勢」「決断」を演出しおおせている。ところが注目すべきことに、彼は人柄的には、ぼくがテレビに映ったのを見たところでは、まったく空虚に威勢がいいにもかかわらず、個人攻撃の類や個人批判的な言を弄しているのを一度も見たことがない。誰のことも悪くいわず、まあ八方の幸せが大事でしょう、というような言い方をする。つまり、何か威勢はいいが、人にやさしいというか、少なくとも噛みつき犬ではなくて鷹揚みたいに感じさせる。無理にそう演じているとも思えず妙に板についている(たぶん政治家の子供だからだろう)。おそらくは結果倫理的には不仁な小泉が、国民的には支持される所以のひとつは、ここにもあるような気がする。

もし政権を与えて「結果的に」どちらがいいとは簡単にいえないようだ。また、こうした「菅の勘違い」と「小泉の勘所」が、墓穴になったり浮き輪になったりすること自体が政治的動きとしてはちょっと変な感じがする。しかしともかく、菅と小泉の人間的「徳性」のアイロニカルな対照性には興味ぶかい問題が含まれている。両方合わせて、日本の不幸というべきなのかもしれない。
(議論が未整理で途中だけれどひとまずここでストップ)

#ちなみに、トラックバックの表題が相手先で文字化けするのは迷惑かけてわるいが、どうしたら直るのだろう。
  
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2004年05月10日

笑いは硬い主体を揺るがすもの?

「トラックバックとは?」(2004年5月07日)にコメントが続くうち、「中間的な主体」(5月9日)で考えていることとじつは合流するような筋になっていることに気づいた。

詳しくはそこ(5月7日コメント)を参照してほしいが、蕩尽さんは、「安楽共同体」(藤田省三)がじつは他者恐怖や猜疑心にさいなまれている、つまり「安楽共同体と他者恐怖」がセットだと指摘している。ここから出てくるひとつの顕著な態度が、(「中間的な主体」の項で書いた)「傷つきやすさが反転、強面に」という在り方なのかもしれない。

で、「妙に傷つきやすい」「妙に強面」というそのどちらでもないものは何か、というわけだが、蕩尽さんは、
>笑いのなかで自他を肯定する哲学というものを(ベルクソンとバタイユの驥尾にならい)私は模索している
>ようするにユーモアという態度を倫理の根拠に据えてみようというわけです。
という。ふーん、なるほど。笑いにも哄笑とか、引きつった笑い、高笑いとかもあるけれど、そもそも笑いには、寛容ということや、自己対象化といったことともつながるものが含まれているようだ。面白い。

学生時代、ぼくは、哲学者の笑い論を2,3読んだけれど、何かよくわからず、忘れてしまった。しかし年を食ったから、ニュアンスが判るようになっているかもしれない。そういえば、ぼく自身、どういう笑いか知らないが、日常的にしょっちゅう笑っているし、会合などが硬直すると冗談をつい飛ばしてしまう。それは何なんだろう。

最近は少なくなったけれど、和顔愛語などと言われて、ニコニコ笑っているのがいいのだよ、という教えが昔からあった。またそういう人がよくいた。武士的エートスではそれはないが、庶民にはよくあった。外国と付き合うようになると、日本人の薄笑いというのが、気持ち悪いものということになった。

むかし新渡戸稲造を読んでいたら、「夫が死んだ妻がアメリカ人の前で、骨壺を抱いてはかなそうに笑ったら、アメリカ人が、夫が死んだのに笑うとはなんと残虐なという反応をした。笑いの意味がちがって解釈されたので、おどろいた」という主旨の話が出てきた。ここには一体、何があるのだろう。

他方、日本人のよくある習慣として、少し親しくなったら緊張をほぐす儀礼のように変な「じゃれ笑い」をすぐしたがるような気がする。TVのバラエティ番組など、ほとんどそれを増幅しているようなものである。これも妙な感じがする。少なくとも欧米のトーク番組などで笑わせているのとずいぶん質がちがう。ただ、その「じゃれている」のは、イエスをいたぶるローマ兵士の笑い──いまでいうと、イラク人を虐待するアメリカ兵士の笑い──と、どこかで繋がっているが、ちょっと違ってもいるようだ。

何かすっきりしない笑いばかり思い出してしまったけれど、ともかく、自他の関係において笑いの働きが面白い意味をもつのだということが何か判ってきた。笑いは構造が固定せず、ゆれるときの生命の振動みたいなもので、とにかくもとの安定性にしがみつくことから外に出ている。その意味で、「中間的な主体」?を生むのだろう。

ただし、いろんなハレーションやジャンプもあるので、だから超越的主体を生んだら、高笑いになったり、従属する主体になったら、卑屈な笑いになり、しかしそれでも何とかしてやるぞと奴が主たろうとするときは、イヒヒ笑いになるのだろうか。いろいろ考えさせられる。
  
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2004年05月09日

中間的な主体の生成

昨晩、台湾出身で日本国籍をとっていま官僚に近いような仕事をしている人と会った。35歳の人。この人は、様々なサイドの人たちと付き合いがあり、自身、単純な右とか左とかいった人ではない。

彼の言によると、日本人の35歳以下の人の多くは、関心が国内だけに閉じ、また総じて身辺・身近なことばかりに生きている。そのことを、日・中・台の複雑な間で生きてきた彼の体験からいうと、とても痛感するという。むろんそう内向きではなく、政治や国境を越えた事情のことに関心をもつ人もいる。しかしそういう人(の若い人)は8割方は「右翼」だ、と彼はいう。外務省の若手も、いまやときには防衛庁以上の軍備論者・強面論者になっている人が少なくない、と彼はいった。

もうひとつ興味ぶかかったのは、外務省の官僚などが中国等とやり取りするに当たって、「中国の方はとてつもなくしたたかだが、しかしこっちはこっちであまりに傷つきやすい。だから日中関係はなかなかうまく行かない」という話。そういう対外的なつきあいにせよ、外交政策にせよ、押さえの利いた粘りづよい言い方や態度が中国と持てるのは、もう70歳以上になってしまうようだ、と彼はいう。

彼の言がどれほど当たっているか、わからない。むろん彼自身の視点やサンプリングが何ほどか偏ってないはずはないから、簡単に「それが実際の傾向だ」とはいえない。右翼的・左翼的というのも、むろん俗な言い方にいま乗っているので、じつはむつかしい。とはいえ、その中に含まれた、「傷つきやすさ」が反転して「強面」になる──という、この両者のセット構造は、ぼくもやはり、現在の「右翼的」潮流の構造にどうもあるような気がする。もちろんそれは「左翼的」であってもいいわけだが。

(彼の話では、日本ではリベラル派のように見られている民進党は、台湾内では政権を取ったマルキシズムのように「強面」で、行政の中立性を無視すること甚だしく、自由を圧殺することも多いのだそうだ。むろん台湾独立派は、対中・対米関係的にはリベラルというべきだろうが、しかし対内的には別の文脈をもつ。また、対日的には日本の右派と結びついてく。事柄は何とも複雑性を帯びている。ただ、ともあれ、この場合も、従来の被抑圧グループが反転、強硬論者になる現象が見られる。)

似たような問題として、たとえば実際の軍人であったなど戦争を経験した人が、むしろ軍事的動きに対して抑制的であり、逆に、そういう暴力性を実際には知らず、頭の中だけで知っている人が、かえって過激な手法を取ろうとする──そうした例が、意外に多い。たとえば、前者の例として、アメリカだとパウエル、日本だと後藤田。後者の例として、アメリカだとネオコン、日本だと新世代の軍事増強論者。ちょっと喧嘩を知らない少年が却って「切れる」というような話にも近いが──。

この問題は、よく考えてみると、丸山真男の「実感信仰と理論信仰」という話にもつながるし、あるいは諺の「弱い犬は吼える」という話にもつながる。「力」にせよ「知」にせよ、何かが「有る」ことと「無い」ことのその両端は、じつは「共軛関係」にあり、「反対物が一致」している構造をもっていることが少なくない。

しかし、望ましいのは、中間の道・徳である。内に生まれたvicious circleであるコンプレックスAを抜ける道は、notAではない。「中」のうちにある。アリストテレスだろうとブッダだろうとそういう「中」を言っている。それは、妥協的な「中程」などというのとはまったく違う。いうなれば、物事が「こなれる」とか「成熟する」、「理性的である」あるいは「情緒がある」──そういったのに近いことだ。

これは「形成」の問題でもある。ヘーゲルは理性の狡知といった。それと重なるのか、いや重ならないかもしれないが、ともあれ──さまざまなアイロニーを越え、悪循環や膠着に陥らないで、物事を進める、そういう生を導いていくようなボン・サンスが人間の「よい営み」には働いてはいないだろうか(温和だという意味ではなく、過激であってもいいのだ)。もしそうしたものがあるとしたら、それは市民的公共性にとって必要であるにちがいない。
  
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