2004年06月20日

「ひと」と「人間」

昔、ハイデガーを読んだとき、ひとは Daseinであり、いま・ここに実存している者である。しかし、それはしばしば周囲との関係によって埋もれている。その、Daseinを自覚させなくする一般的な人間がdas Manである、とされていた。そしてハイデガーでは、むろんDaseinが本来的で、das Manは頽落体なのだった。いま、もとの文に直接あたりもしないで書いているので違っているかもしれないが、大づかみなところでまあいいとして下さい。

で、その当時の版では、das Manは「ひと」、Daseinは「現存在」などと訳されていた。しかし、これはおかしいのではないか、と最近ある機会でふと気づかされた。Daseinの立場からいってひとを頽落させひとが空間化されるような存在者の地平とは、「ひと」ではなく「人間」ではないか。というのは、「人間」とは元来、仏教語でよく使われて、人という在り方、人の世みたいな意味である。また「人間(ジンカン)いたるところに青山あり」「人間万事塞翁が馬」というが、この場合も人の世というような意味である。こうした「人間」は「世間」という語とあまり違いがない。(面白いことに、その「人間」が日本では、人というものの一般名詞になった。「人」のことを「人間」と言っているのは、東アジア漢字文化圏では日本だけである)。「人間」が元来はそうした一般化・空間化された人なのであれば、das Manは「人間」でぴったりだといえる。

他方、「ひと」という言葉は、おそらくは、「ひ」(霊・日)と「と」(ポイント)の意から来るとも思われる。つまり「ひと」とは、存在のうちにおいてまさにいま・ここに止(とど)まり、それを機として生きるものである。それは、ハイデガーの言葉ではどちらかというとDaseinの方に近い。こうして、言葉に溯って考えるならば、Daseinに近いのは「ひと」の方、das Manに近いのは「人間」である。してみると、das Man, Daseinについての従来の訳語は、日本語の元来の意味からいうと、むしろ交差的に捻れてしまったといえる。

ただ、和辻が『人間の学としての倫理学』などでも言っているが、「ひと」は、他者のことを言い、さらに「人の目を気にする」などと世間的人々のことをもいうようになった。「ひと」もそうした展開をもつ。だから、「ひと」のそういう用法を考えるならば、das Manを「ひと」に当てるのも間違ってはいないといえる。が、そのような展開があるにせよ、もしも元来の語意を洗い出すならば、いま述べたように、das Manには「人間」を選ぶ方が相応しかった。ただし、「人間」という語の方には、他方、やがてhuman (beings)みたいな意味が展開し、それは普遍的人間とでもいった含みや重みも持ったようだ。それを思って、訳者たちは、人間はdas Manにはそぐわないと思ったのかもしれない。

「ひと」にも「人間」にもいわば世間化が起こった(詳しくいえば、「ひと」は世間化したが、「人間」はもと世間だったものが人にもなった)。ただし、和辻にとっては、その展開は、いずれにせよ否定的なことではなく、むしろ肯定的なことであった。つまり、das Man=世間的人間/世間的ひとは、実存の隠蔽ではなく、むしろその関係的在り方を示すものとして評価されるべきものであった。これに対して、ハイデガーのDaseinは、和辻にとっては、個人意識に傾き過ぎなのである。

で、ぼく自身の考えはといえば、確かにハイデガーのDaseinが「ひと」の様々なあり方を妙に個人意識に限り込んで狭く掘り固めているのは、納得できない。DaseinはDaseinであるにしても、そのDaはまた別のDaとやり取りする者である。生まれて「死に向かう」(Sein zum Tode)のだとしても、その死も別のDaに返され、それによって別のDaを生かしている。またそうしたものを介しての「ひとのいとなみの生成界」のようなものもある。そうした生成界がハイデガーでは「存在の家」といわれる「言語」なのかもしれないが、そこに様々な人々は息づいているのだろうか。そうとは思えない。(ついでながら、そもそも20世紀に起こったといわれる「言語」論的展開とやらは、私か公か、実存(個的主体)か世界かといった分裂反転構造を持っているようで、おかしい。ぼくは歪んだ枠組(選択)だと思われる)。しかし他方、和辻が、ひとの世間化をこれまた「人間存在の理法」などと妙に重視するのも納得できない。

よくハイデガーと和辻は、逆の立場みたいに言われる。だが、両者は、メダルの裏を描いたか表を描いたか──私を書いたか公を書いたかみたいなもので、意外にも背中合わせの似た構造の中にいるのではないだろうか。さらにいえば、ぼく自身は、ひと/人間をめぐって、じつは
          ひと─人間─ひと─人間─ひと
とでもいった生成の在り方の中にとらえた方がすっきりすると考えている。そこからいうと、ハイデガーは「ひと」に、和辻は「人間」に中心をおいて他項を外部化したような仕儀になっている。しかしどちらも「存在」といったハコか実体かに嵌っている。もっと動的なあり方のうちに見ることはできないのだろうか。

ところで、日本で「人」はなぜ「人間」になったのだろうか。このことはちゃんと調べる必要がある。しかも「ニンゲン」と呉音でいうのは、仏教とのつながりを思わせる。溯ると、江戸時代の一般名詞用法には「人間」という語はあまり見ないように思う。明治初期の福沢には「人間交際」などという語があるが、これは人と人との交わりという意味である。ジンカンコウサイなどと言ったらしい。それにしても、福沢にとって「人」=「人間(人間)」ではなかった。実際、「天は人の上に人をつくらず」であって、「天は人間の上に人間をつくらず」だと間抜けである。福沢はそんな言葉遣いはしていない。

ところが、どこかで、たぶん仏教的用法をも引きずりながら、あるいは近代の翻訳と関係してか、おそらくは明治も少し経ってから、「人間というものは……」「私は人間だ」といった用法が生まれた。ちなみに、たまたま見た明治16年の松田敏足「人間生存の組立」では、こうした言い方に近いものが散見する。そこでは「人間」は、「人間界」「人間社会」「人類」といった意味でだいたい使われている。二字熟語にして「重し」をつけたかった面もあるのかもしれないし、当時の一種の生物学や進化論や社会学の影響もあるかもしれない。いずれにしても、「人間」という言葉には、人一般、人類、さらには世間という意味とが、重なるようにして、いわばひとの空間的定義として行われることになった。

それだけではない。これはもっと新しい語用だと思うが、現在、「人間的」というときは、それを重んじ認められるべきものだという外的なニュアンスに加えて、内容的には──ここが特徴的だが──「弱みがある」「立派(な聖人君子)ではない」という意味が含まれているようだ。しかもそれがどちらかというと肯定的に主張されるようである。「そういうところは人間的ですね」などというときは、たいてい弱みやくずれがあって、それがむしろ共感・承認されるべきもの、とされていることが多い。もちろん、humanにも、I'm human.=「私も人間だ(から間違いもする)」というような用法はある。「GodでもSaintでもない」ということだろう。が、「だから、同じじゃない、いいじゃない」といったところまでそこに意が込められているだろうか。どうもそうではなさそうだ。

これに対して、「ひと」は、「人となり」という。そして古語で「人となる」とは、一人前になる、大人になる、という意味である。つまり「ひと」とは、何らかの承認や認知をふくむ、ある成就した存在者のことである。古い用法では、その重心は身近な他者に向けられ、たとえば恋人、相手、従者などを「人」という。15年ぐらい前だったか、「わたし作る人! ぼく食べるひと!」というCMがあった。いまでも、「わたしはこういうひとなの」「わたしはこれはできないひとなの」などという(どうも女性がいう場合が多いような気がする)。そうしたとき、この「ひと」には、そういう存在なのだ、それ以外ありえない、さらには承認せざるえない存在だ、という意味が含まれているようである。むろん、この承認の契機が横に広がっていけば、「一般的なひと」が出てくるのではあろう。ただそれにしても、「ひと」には存在の主張──いわば「da」があるわけだが、しかし、それはあまり弱さの主張ではない。つまり、「人間」には弱さの一般化がかなり含まれるが、「ひと」はそうではない。世に人気のある相田みつをは、「にんげんだもの」といったが、「ひとだもの」とはいわなかった。そこには理由がある。相田みつをは、「同じ弱い人間じゃないか」と言っているわけである。

「人間」は、認められるべきものという含意があるのだとしても、なぜそれがhumanityとかrightとかを越えて「にんげんだもの」になったのか。やはり、そこには、「人間」という語が「ひと」という語とは違って持つ空間性/一般性が関わっているのではないか。その点からして「人間」は「ひと」よりも共同性にまたパターナリズムに訴えやすい言葉なのだ。もちろんパターナリズムも共同性も、無くていいものではなく、あっていいものではある。しかし、あまり切り札的に訴えるなら、当然、陥穽にはまる。「人間一般」はひとをそこに入れたり・出したりする枠になる。そんなカテゴリーをわれわれは使い過ぎなのではないか。だから、これからは、あまり「人間」「人間」というよりは、「ひと」「ひと」といい、「ひと」であれといいたい。現在、ひとは「人間として認められる」よりもまず、「ひととして認められる」必要があるのではないか。
  
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2004年06月15日

日常性の意味

身辺のこと。自身も健康を一応保持していて家族や生きている限りの親きょうだいも元気でいる。また現在、(無茶な忙しさに苦しんでいるが)特別にどうしても困った難事にぶつかってはいない。そのことはとてもありがたいことだ。昔は、「無事是好日 実篤」などと書いた茄子の絵などが時々かかっているのを見ると、「何を馬鹿なことを」と思った。しかし、だんだん、そんな言葉があるのももっともだなと思うようになった。

最近は、実篤のそういう言葉をあまり見ない。その代わり、相田みつをの日めくりや色紙などがよく掛かっている。これは自己納得的というか人生論風ナルシシズムというべきものである。これについては「いいな」とはぼくはどうにも到底思えない。同様にして、相田みつをとは違うけれど、五木寛之が「生きるヒント」を書いたり、新聞に連載したりするエッセイも、本当のことを言って不愉快である。以前、五木のエッセイが「いい」というある先生とぼくは論争したことがあった。その先生は、五木のそれが「肩の力が抜けていていい」という。しかし、ぼくは、むきになってこんなことを言った──「こういうだらけた、しかし埒が明かないことを彼はしょっちゅう書いているが、本人は結局これで大儲けしているのじゃないか。現代のような時にそんなものを丸薬みたいにばらまいて人をだましている。それにあぐらを書いて平気なのはどういう気か知れない。退廃の極だ。若い五木を知る者からすると考えられない」と。すると、その先生は笑って「いや若いときから五木にはそんな受けねらいのとこはあったよ。それでもまた彼は彼のいいところがあるんだ」という。どうも、ぼくは怒りんぼうに過ぎるのかも知れない──。

日常に幸せを見いだすというのは、メーテルリンクの「青い鳥」のモチーフでもある。日本思想史にそれをさぐってみると、伊藤仁斎は、「米塩柴薪の細に至るまで、総て是れ道に非ずということなし」と言っている(童子問)。「俗の外に道無し。但し一点の俗気と雖も著け得ず」──これを読んだとき、ちょうどそのころ、観念の世界からたちもどると人間も鳥虫も生きている(という当たり前の)ことに驚くように気づかされていた。そこで仁斎にはいたく納得させられた。ただしかれは、ただhere and now にもどることを説いただけではなく、じつはあるラディカリズムを有している。しかし石門心学流の「知足安分」はどうだろうか。それはその頃のぼくにも、どうにもいやな思想の一つだった。けれど、いまはそういう生活というものがあるのだということは、少なくとも理解するようになった。

本居宣長は、さらに「ほどほどにあるべきかぎりのわざをして、穏しく楽く世をわたらふほかなかりしかば、今はたその道といひて、別に教へを受て、おこなふべきわざはありなむや」(直毘霊)と述べている。こちたく道・教えなどをいうことはない、あるべき限りのことをして楽しく穏しく世を生きるほかないではないか、というわけである。この言葉を読んだとき、「何かひどい、あんまりだな」とぼくは思った。が、しかし、年がたつほどに、惻々とおそろしいほどの言葉だな、と思うようになった。ぼくは今でもこの宣長の言葉もあまり認めたくない気持がどうしてもする。とはいえ、宣長の言葉は、いうまでもなく、メディアの上に寝そべっているような五木の言葉とは、掛けたもの・煮詰めたものが格段に違っている。

宣長はもちろん心学にもその他の過去の多くの考えにも、多くの人々が積み重ねてきた、普通に生きることの平淡にみえるが凝縮した意味が、大人しいがしかし動かし得ないように込められている。けれども、そのような思考があったことはもうあまり知られてない。そもそも、日常性というものに含まれた意味には、計り知れないものがある。中国古典の易や中庸はもちろん、デカルトやカントでさえ、常識や生の恒常性ということを生き方を考える出発点にしている。それは故ないことではない。そのことの意味はしかし、学問的にも忘却されている。学者はたいてい逆立ちしているから、忘却するのも当然かもしれない。しかし、一般人からそういう知恵のようなものが忘れられることこそ震撼すべきことだ。

日常性にはアルファ=オメガであるようなものがある。しかしたとえそうだとしても、それになおどんな態度をとるかという問題はやはり出てくる。宣長は、表立ってはもっぱら「回帰すること」を述べている。その考えは(その神学的枠組を取り払ってみると)「生活世界保守主義」とでもいうべきものである。それはそれであなどりがたい深みがあり、そのことはもっと考えていかねばならない。とはいえ、現在という時の問題は、そのような生活的保守主義が、どうもそのままでは成り立たなくなった、ということにある。それはやはり危機に違いない。たぶん、そのことともからんで、ぼくは、日常性を重んずるにもかかわらず、危機意識をどこかに孕んでないものを認めたくないらしい。アカデミズムであれ何であれ。。

ただ、何も危機が好きだとか、シュミット流の枠組に立ちたいというわけではない。その逆であり、まず生活世界を認めること・それを伸ばすこと。それが基礎であり目的なのではないか、とぼくは思う。だから、それ以外の権力もシステムも、本当なら全部いらないと言いたい。しかし今あるのは、その日常性の上にあるいは外部に人間が作り出したものが反転して日常性を掘り崩しているという「生活世界の危機」である。そして、その危機の意味を追っていくならば、「生活世界を守る、それを持続させる」ということを、たんに宣長風の随順主義とはちがった形での、知恵と人権をもち他者に開かれたものに転換していく可能性と課題とがあるのではないか、と思う。危機というのは、そのような思考・態度が要請されるという意味においてである。
  
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2004年06月13日

知の生成と人間の時

若い10代の人たちと話していると、つくづく「主体的な時の感覚」ともいうべきものが、50代も越えた自分とは違うな、と感じる。が、わたしと接した80代の人はまた、わたしとの間で違いを感ずるだろう。いずれにせよ、(5月22日にもふれたように)人生の「時、時において」物事の感覚や認知がそれぞれにある。むろん「処、処においても」──この「処」は、地理的な意味でも社会的な意味でも、その双方においても──、それぞれ主体的なパーセプションがそこにあって生成している。

時の問題を中心に考えてみると、そもそも若い人との違いなどということを感得する・察知するということ自体が、(自分でも)若い時には無かったことだ。むろん若い時にも「年をくうとこうだよ」とか「こうなるとこうだよ」といった話を聞かされると、「そんなものかな」とは思う。しかし、それは言葉の上であって、実経験ではない。だが、加齢後には、それが実経験になっている。そして前の経験は、記憶の中にある。その二つの経験が対比されることによって、なるほどこういうことかと考えさせられるわけだ。これに対して、若年においては、振り返るような記憶との参照はあまりなく、むしろ前に向かって認知をつくろうとしている。いや、認知をつくろうとしているというより、向かう現実のただなかに自分を身を持て余すかのように生かそうとしているようだ。

もちろん、中老年であっても、記憶が無い(意味づいていない)のであれば、その経験の二重性──もう一つの経験による照らし合わせ──がないのだから、考えさせられることもないことになる。それはボケなのか、意識がもっぱら先に向いてしまっているのか、それとも感傷その他のために物事が溶けてしまっているのか──「健忘症」の理由はいろいろあるだろう。がしかし、そうでないのであれば、ここでは現在に対比された記憶というものが認知を生じているわけだ。荻生徂徠は、人間がものを知ることは「巧者になる」(物事に習熟する)ことだが、「巧者とはだいたい老人である」と言っている。こうした場合、記憶はむろん一つならずたくさん蓄えられている。そうした綜合という意味でも、知が成立してくることになる。

ところが、面白いことに、人間は「何かの表象に捉われてしまう」ことによって物事の認知が出来なくなることも多い。これは記憶であれ現在であれ将来感覚であれそうだ。たとえば、中老年では、一方で記憶により引っ張られ、他方でこれをリセットする将来感覚が乏しいか選択肢が狭くなってしまっており、その結果、認知がもう固定化してしまうことがよくある。いわゆる老年の「こだわり」や「頑固」というのはそれである。

これに対して、幼年や青少年では、そういう陥穽から元来は自由である。したがってそこでは、認知が(じっくり熟するというのではないにしても)新しい経験の側から次々に供給されて一種新鮮な認知が生成されるはずである。ところが、幼年や青少年でも、外部からのつよい刷り込みによって、そういう流れが止められることがある(それはほとんど大人や制度のせいで起こった、固定であるのみならず破壊であるから傷ましい)。また青少年では、何かをしよう/したいという将来感覚や欲動が強すぎて、逆に認知を縛ってしまっている場合も多い。それが上の外部からの刷り込みとリンクしていることも少なくない。青年であれ中年であれ「野心」に駆られている場合はたいてい視野狭窄になっている。志をもちかつ経験の複雑さを十分配慮するできるように、その心を野心ではなく大志に変えることはなかなか難しいことだと思う。

「捉われ」に対しては、「忘れる」ことの意義は大きい。むろん「全然忘却してしまう」のではだめである。同様に、始めから「何かをしよう」とも思わないでいわば「志」なく、「降りてしまっている」のでも、やはり認知は生まれない。しかしそうではなく、(諸々の)表象をある程度、前後にわたって把持しながらも、しかしその現場性への捉われからは放たれる、という意味である程度忘れるならば、物事の成り形がとらえられてくる。

「ミネルヴァの梟は夕暮れとともに飛び立つ」とヘーゲルも『精神現象学』で書いていたが、これはそのように(「もうその事の最中ではなく、それが少し済んだころ、しかしまだ覚えてはいるころ」に)知識が生まれるということを言っているのだろう。世阿弥の「離見の見」は、ことを演技の場において考え、演じ手が所作のただ中にあるだけでなくいわば「幽体離脱」するときに真実が見える場が生まれることを述べているわけだ。(この時の離見の「見」はたぶん観客とイコールではなく、その少し先にある。その意味でそれは「梟」のことだともいえる。) 近松門左衛門も、「虚にして虚にあらず 実にして実にあら」ざる「虚実皮膜の間」にこそ「慰め」があると説いた。「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの」だという(『難波土産』)。これは認知というよりカタルシス論だといえようが、しかし感情のこの昇華には同時に認知の構造が含まれてもいる。これらは、わたし流の問題意識からいうと、glocal論にもつながるものだ。

逆にいうと、以上にも見てきたように、まったく忘れることとまったく捉われることは──この二つはじつはある表象をめぐってのメダルの裏表であるが──ともに認知を生じない。そうした典型として、たとえば、状況からまったく離脱してしまうこと、瞬間瞬間の刹那に入ってしまうこと、ただ前へ前へ行動に没入すること、それらはそれだけでは認知に乏しい。それらは、それぞれ《超越的な世界》にいるといえるが、しかし、忘却によってか捉われによってか、いずれにせよ、近松的にいえば、「虚にして虚 実にして実」であって、真実についての認知を生成しない。そうではなく、つまり、「天」に上ってしまうのでも「地」に伏してしまうのでも、ニルヴァーナに入るのでも地獄に入るのでもなく、その間に「人」として生きることによってこそ、人は物事を知る。

しかし、「忘れる」のも「捉われる」のも、じつはその背後に自己や他者が──「ひと」がいる。そうだからこそ人は捉われ、また忘れるのだ。この「ひと」は、ホモサピエンスという意味ではなく、人称的なものであり、伝統的なfolk etymologyによって「霊止」とでも呼びたくなるものだ。そしてこうした「ひとの境域」は、昔風・物語的に言えば、天使であるか悪魔であるか、ともかく様々な「霊」や「魔」が取り憑く時・処でもある。精神医学的に言えば、それは大いに分裂病的な時空でも躁鬱病的なそれでもありうる。たしかに、子どものような溌剌さをわたしたちにもたらすのは、時であるが、それを失わせるのもまた時である。わたしたちから健やかな生成の時を失わせるのは、世界に対する前夜祭(アンテ・ポストゥム)的な「期待」の歪みによってか、後の祭り(ポスト・フェストゥム)的な「終わってしまった」という桁の外れによってか、いずれにせよ時がわたしたちをとらえることによってである。だがそうした時のいとなみの背後には、結局やはり、時を構成する者=《時の主》としての「ひと」がいる。

わたしたちを「捉える」ものも、また「忘れさせる」ものも、実はそれ自体時を宿した「ひと」(霊魂)である。と同時に、そこからわたしたちを導き出されるのも、やはり「ひと」(霊魂)が時を生成してくれることによってである。その時を満たすものが、寛やかな愛の力なのか見通しのある理義の道なのか、いずれにせよ、わたしたちは他者と共に時をつくり、そして動き出す。

ついまた話がしつこくなってしまった。時における認知という話に戻る。(続) ──と思ったけれど、これはここでおしまい。また別項で始めます。(完)

  
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人生の時間による感覚の変化

10代終わり頃の若い人たちと話していると、つくづく「主体的な時の感覚」ともいうべきものが、50代もゆうに越えた自分とは違うな、と感じる。

そもそもそんなことを感得する・察知するということ自体が、(自分でも)若い時には無かったことだ。むろん若い時にも「年をくうとこうだよ」とか「こうなるとこうだよ」といった話を聞かされると、「そんなものかな」とは思う。しかし、それは言葉の上であって、実経験ではない。だが、加齢後には、それが実経験になっている。そして前の経験は、記憶の中にある。その二つの経験によって、なるほどこういうことかと考えさせられるわけだ。

もちろん、中老年であっても記憶が無い(意味づいていない)のであれば、その経験の二重性──もう一つの経験による照らし合わせ──がないのだから、考えさせられることもないことになる。それはボケなのか、意識がもっぱら先に向いてしまっているのか、それとも感傷その他の情念・感情のために物事が溶けてしまって認知が無くなっているのか、健忘症の理由はいろいろあるだろう。ともかく、ここでは、記憶というものが認知を生じているわけだ。

荻生徂徠は、人間がものを知ることは「巧者になる」(物事に習熟する)ことだが、「巧者とはだいたい老人である」と言っている。こうした場合、記憶はむろん一つならずたくさん蓄えられている。そうした綜合という意味でも、知が成立してくることになる。

瞬間瞬間の刹那系人間や、ただ前へ前へ行動系人間が認知に乏しいのは、忘却の大きさによる。「ミネルヴァのふくろうは夕暮れとともに飛び立つ」とヘーゲルもたしか『精神現象学』に書いていた。けれども、現在の飛び立っているのは、何なのだろうか。
  
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2004年06月05日

システムの外に踏み出す

荻野弘之氏が、例の六本木ヒルズの回転自動扉の事故にちなんで、これに限らず日本では生活の隅々まで猛烈な「自動化」が進んでいると指摘、そしてこの「生活の様々な局面での自動化を、欧米先進諸国にまさる勢いで推進してきた精神的土壌」は、「日本社会のパターナリズム的な風土」にほかならない、と述べている(「六本木ヒルズ自動扉の功罪」『人間会議』vol.10(2004夏)28頁、2004.6)。自動化・機械化・システム化……どういったらいいかしらないが、そうしたものが生活に浸透していることはたしかだ。それを「パターナリズム」としっかり結びつけた主張に出会ったのはぼくは初めてだったので、興味ぶかかった。そうだとすると、こうした事件は「パターナリズムが(与えた制度・装置が)人を(育むどころかむしろ)殺した」事件だということになる。

機械化あるいは人間の周囲を道具的な物で覆っていくという志向──それについては、オーウェル『1984年』のビッグブラザーなどと重なって、一種父性的な絶対権力による管理社会をイメージしがちである(この父性的な絶対権力というのが、オーウェル解釈としても妥当かどうかも一つ問題だが、いまは措いておく)。そのビッグブラザーは、ネオコンやブッシュ、ラムズフェルドといった人の顔を見ると納得しやすいが、それよりは、セーターを着たビル・ゲイツに相応しいのかもしれない。しかし、日本においては、ビル・ゲイツの顔すら消えている。管理するcomplex(複合体)というより、足腰を萎えさせるmatrix(母体)というべきかもしれない(とすればこれはパターナリズムというよりマターナリズムまたはパタマタナリズムとでもいうべきか)。ともあれ、ビッグブラザーなら、むしろ対抗しやすいとも言えるだろう。しかし、お節介でしかも目を光らせた母体的システムに対しては、それから自由になることにも、またその正しさその他を議論することにも、特有の難しさがある。荻野氏が「自動文明」と呼んでいるこの自動化・機械化・システム化された「パターナリズム」は、森岡正博『無痛文明』(トランスビュー、2003.10)での指摘にもつながっている。

ぼくも、「日本の現代社会では、このところ人間がだんだんシステムの繭に入ったみたいになっているな」と感じていた。よく若者の「引きこもり」をいうが、多かれ少なかれ程度や形はいろいろあるにせよ、「一億総引きこもり」みたいなところがある。永田町は永田町の、象牙の塔は象牙の塔の、霞ヶ関は霞ヶ関の、アカデミズムの「専門」は「専門」の、業界は業界の、会社の上司は上司の、平は平の、若者は若者の、中年は中年の、老人は老人の……。われわれは皆タコでありタコツボに住んでいる。そのタコツボ周辺をタコ網ならぬ「自動文明」「無痛文明」の組織がつなげて?くれている。(本当のタコがそんな存在なのかどうかは怪しい。これは比喩であることをタコに断わっておく)。

荻野氏は、その「生活の様々な局面での自動化」=「自動文明」を、「人間同士のコミュニケーションを堀り崩し、同時に自己責任、主体性、自立といった契機を蝕んでいく」ものと述べている。つまり、そういう自動化された道具や環境を「主体的な自己」の反対物だととらえ、前者に依存しない後者の復権を唱えているわけである(森岡氏の議論は複雑なのでまた別個に検討する)。ぼく自身は、半分ぐらいはそれに同意するが、じつはそういう主体的自己なるものがそもそも成り立つのか、と感じているところもある。だから、(荻野氏の文章でいうと)むしろその前半の「コミュニケーション」の部分をまず強調したい。そして「自然や他者との間のしっかりしたやり取りやコミュニケーションこそ大事だ。その中から互いの主体性や責任性が成り立っていくはずだ」というふうに考えたい。

道具や機械によって、人間のすることを置き換えていく、というのは、人間が有史以来やり続けてきたことでもある。しかし、当然、何かを他に委ねそれを自分でしなければ、その部分は人間から退縮していく。ヘーゲルが「主人と奴隷の弁証法」で述べたように、奴隷に仕事をしてもらう主人は、その果て、奴隷によって支配される存在になる。この場合でいうと、機械や物によって埋もれる人間は、じつは自分自身では何もできない存在になっていく。

が、そんなことは判っている。それでも、道具や機械は、人間の弱さを補ってくれるものだし、そのことによって、人間の従来抑圧されるほかなかった可能性を伸ばしたり、あたらしい人間の交わりが可能になることもあるだろう。またよい道具(の使い方)は、下手な道具や機械や社会やらによって退縮どころか破壊された生活や自然をむしろ存在させる可能性も逆にあたえる。だから、道具や機械の本末わきまえた人間的使い方こそ重要であり、その人間的な、つまり世界や自己・他者との対話的で仁智ある使用こそが、自然から生まれ言語や道具や観念を手にした人間の「教養」というものだろう(この「教養」はむろん、物知りという意味ではなく「自己形成」Bildungという意味である)。ところが、日本社会では、そういう展開が薄く、世間はシステム過剰(システム依存)で人々はますますタコになっている。これは、どうしてか。

これは結局は、明治近代以来の日本社会での「文明崇拝」みたいなものに関わるが、それは社会的には、極端な「公・私」分裂、「公・私二元」化の発展史につながっている。つまり、近代日本の文明キャッチアップ社会では、富と繁栄を与えることを黙契とする国家や企業がいわば親となって社会を「公」的に系列化し、そのパターナリズムに帰属するように「私」が方向づけられた。上位組織としての「公」は、社会的市民的自然的「公共性」を吸収・独占し、その残余として「私」が存在した。その公と私の間の、自然であれ地縁であれ血縁であれ、同業・同好団体であれ、教会・協会であれ、あらゆる自然的なものや中間集団やcommonsは解体されるか、残存しても自立性を失ってせいぜい国家・企業にもっぱら従属するものになった。

このようにして近代日本で、人々に準備し与えられる諸々の「システム」やそれにまつわる「グッズ」(モノ・商品)は、子どもが本当には成長しないために、その真に望むものとは違うものとして与えたいろいろな玩具の群れようなところがある。たしかにそれで生活は向上し便利になったようにみえるが、しかしそれが本当に「面白い」のか自分を「伸ばす」ものなのか。いや自己の心身の自然を破壊しこれとの繋がりをなくしてそれははたして「便利」ですらあるのか。高かろうと安かろうとどんなジャンルだろうと、そんなに「ブランド」を求め、そういう「格」に支配されてサイテーだと思わないのか。

日本の中にいると、そのことをあんまり何とも感じないが、一歩外国に出ると、いかに日本が公=公共であって、市民的な公共性がきわめて無いところであるか、孤立した個人が貧寒たるシステムによってつながれた場所であるかを実感する。そして序列化された奇妙な欺瞞的な玩具を与えられ、それに支配されて、驕ったり威張ったり恨んだりしている。それでも、というかそれだからこそ、みんな、何でもお上に期待し、商品に期待し、企業に期待し、有名性に、authenticとされるものに期待する。それ以外に為すすべが失われているのだ。

ただしこのような環境が、本当に「繭」なら、それでも、いいかもしれない。しかし、今や、その繭は枯れているし、幻想のなかにいるのでしかない。少なくともあと何年間かしたらこの繭は完全にザルのようになるだろう。お上によって「悪いようにはならないから付いてくるように」と(理性と感性の発揮と引き換えに)保証された無前提の理由である「富と繁栄と平和」(PHP?)は、じつは破綻していた。それが分かったことに現在の混乱の原因がある。昔は草もなびいていたが、今はなびかない。しかし、代わるハビトゥスは生まれていない。では、もう一度「繭」を作るか?──「よい子」「家族」「日本人」「ふれあい」こういった理念が筋違いだということは、はっきりしている。ましてITで教室や社会を「仲良く」? そんな教育や社会政策が誤謬であることは教育勅語が誤謬であるのと同じだ。では、「主体性」か?──うーん。どこにそれがあり/あったか。少なくとも従来の「卓越性」は、自己の力ではなく制度の力だったのではないか。

これをどうしたらいいか。この解答は、個々の仕方はともかく、筋道としては、ありふれているようだが、先の「自然や他者との間のしっかりしたやり取りやコミュニケーション……その中から互いの主体性や責任性」ということの延長上にしかない。蕩尽氏も「子ども時代に自然のなかで遊ばせることは決定的に大事……そのあれこれの体験が無意識のうちにその後の感覚や感受性が育つゆりかごになる。……ネット世界より自然のほうがはるかに複雑だ」と述べている(2004.6.5頃の掲示板)。こうしてぼくらは、「自然」へか、身近なまた地球上の、それ自身自然である「人間」へか、一歩を踏み出さねばならない。「智」「仁」「勇」をもってか、「真」「善」「美」を求めてか──。ともかく、そうした自然や生や聖に根ざしたものに歩を進めてこそ、システムはむしろ人間的なものとして用いられ、再定義できるものになるはずだ。このような意味では、人間は──というか日本社会の人間は、間柄や全体性によってというより、その外に立つことで実存(ex-sistere)しなければならないのだと思う。

無痛文明論
  
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