この何ヶ月か時を見ては田中正造を読んでいるが、まったく感心することばかり。ぼくは昔、田中正造全集が配本されていたころ、買っていたのだが、反公害の原点とか、抵抗者の神様みたいに言われるのが、何かいやで、そのうち読みもせずにその全集を売ってしまった。
いま田中を実際に読んでみて、何と浅はかだったか──当時耳目にした持ち上げ方が、というより、そういうものかと思った自分がというべきだが──に気づいた。戦前、田中に義人伝説があったが、70年代にあったのも新しい義人伝説だったかもしれない。ところが、ところが、田中自身はそういうものではなかった。脱帽する。
田中は、近代的な自由や正義や法といった考えを正面から受け止めながらも、しかし近代的なものに寄生していい気になるのではなく、むしろ最低の生活の現場に立っていった。そこから、日本のさらに近代の国家・文明に対して根本的な批判をしている。今時の格好のいいとか、見かけがどうというような種類のものではまったくない。安っぽい虚無でいい気にもならず、勇気をもち、何よりもひととしての情趣と、ひろやかな厚い愛を失わない。身を捨ててこそ、浮かぶ瀬もあれ。昔はこんな人がいたのだ。名を残さなくても、他にもいろいろ居たのだろうな。
名利や功に駆られ官や威や文明を誇る者たちが、無数のひとや動植物のこころを潰していったのだが、それで天地に恥じないのか、と田中は言っている。平将門が祀られたように、田中霊祀が出来たのも宜なるかな。
