2004年09月09日

原稿/outputすべきものの滞貨をどうしよう

ブログがどうにも書き指しばかりになる。あれも書き次がねば、これも……と思っているが、それが出来ない。ブログがまるで現在の自分の抱えた原稿みたいになってくるな。原稿の方、ちゃんと原稿化して議論を展開したいトピックがいくつもあるのだが、蝸牛の歩みである。

10年ほど前までは、トピックがあるということと、それに追いついて喰らいついて書くということとが、何とかバランスシートが合っていた。別のトピックというのもあるが、それはバランスシートの外にあって、また取りかかることができるものとしてその傍に置いてある感じだった。しかし、現在は、8か9つぐらいのバランスシートがあって、滞貨しつつ、ゆっくり一つづつしか出来てない感じだ。これでは、この時間競争のうちで、積み残しのままでそのうちくたばってしまうな、と思う。展開すべき図式は自分のなかにあるのだから、それが死んでしまうのは、どうにももったいない。どうすればいいだろうか──。

65歳過ぎて暇になったらやればいい? それはそうだが、そのとき気力が落ち、手間をこなす環境がなくなっていたら、できなくなるだろう。若いときは、たくさん追われているようでも、時間があった=気力のようなものがあった。若いときは、むしろその気力が自家中毒することによる、陥没を避けて、水流をうまく流すことが大事だった。年をくってくると、そういう過剰エネルギーがなくなり、事と自分との間のマッチングは取れてくる。ところが、関わるものがあまりに複数化しすぎて、手が回らなくなってしまう。もっと年をくったら??

たぶん、ここで一方で、自分が何か構造変化することと、他方で、他の人に事を委任することができなければだめなのだろう。ひとによっては、抱えすぎが悪循環を生じて過労死する場合もある。他に譲るということは、世代交代の始まりである。ただ、世代交代も、委任できる人も、ぼくのまわりにはどこにも無い。たしかに専門業では、若い人が彼らなりにどんどん育ってくれていて、うれしいことだが、アイデアとして動いていることは委任できないし、ぼくの身辺そのものは、どうにも片付かない。改札口に立って切符を切りつづけているような感じだ。どうすればいいだろうか。


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