2004年06月13日

知の生成と人間の時

若い10代の人たちと話していると、つくづく「主体的な時の感覚」ともいうべきものが、50代も越えた自分とは違うな、と感じる。が、わたしと接した80代の人はまた、わたしとの間で違いを感ずるだろう。いずれにせよ、(5月22日にもふれたように)人生の「時、時において」物事の感覚や認知がそれぞれにある。むろん「処、処においても」──この「処」は、地理的な意味でも社会的な意味でも、その双方においても──、それぞれ主体的なパーセプションがそこにあって生成している。

時の問題を中心に考えてみると、そもそも若い人との違いなどということを感得する・察知するということ自体が、(自分でも)若い時には無かったことだ。むろん若い時にも「年をくうとこうだよ」とか「こうなるとこうだよ」といった話を聞かされると、「そんなものかな」とは思う。しかし、それは言葉の上であって、実経験ではない。だが、加齢後には、それが実経験になっている。そして前の経験は、記憶の中にある。その二つの経験が対比されることによって、なるほどこういうことかと考えさせられるわけだ。これに対して、若年においては、振り返るような記憶との参照はあまりなく、むしろ前に向かって認知をつくろうとしている。いや、認知をつくろうとしているというより、向かう現実のただなかに自分を身を持て余すかのように生かそうとしているようだ。

もちろん、中老年であっても、記憶が無い(意味づいていない)のであれば、その経験の二重性──もう一つの経験による照らし合わせ──がないのだから、考えさせられることもないことになる。それはボケなのか、意識がもっぱら先に向いてしまっているのか、それとも感傷その他のために物事が溶けてしまっているのか──「健忘症」の理由はいろいろあるだろう。がしかし、そうでないのであれば、ここでは現在に対比された記憶というものが認知を生じているわけだ。荻生徂徠は、人間がものを知ることは「巧者になる」(物事に習熟する)ことだが、「巧者とはだいたい老人である」と言っている。こうした場合、記憶はむろん一つならずたくさん蓄えられている。そうした綜合という意味でも、知が成立してくることになる。

ところが、面白いことに、人間は「何かの表象に捉われてしまう」ことによって物事の認知が出来なくなることも多い。これは記憶であれ現在であれ将来感覚であれそうだ。たとえば、中老年では、一方で記憶により引っ張られ、他方でこれをリセットする将来感覚が乏しいか選択肢が狭くなってしまっており、その結果、認知がもう固定化してしまうことがよくある。いわゆる老年の「こだわり」や「頑固」というのはそれである。

これに対して、幼年や青少年では、そういう陥穽から元来は自由である。したがってそこでは、認知が(じっくり熟するというのではないにしても)新しい経験の側から次々に供給されて一種新鮮な認知が生成されるはずである。ところが、幼年や青少年でも、外部からのつよい刷り込みによって、そういう流れが止められることがある(それはほとんど大人や制度のせいで起こった、固定であるのみならず破壊であるから傷ましい)。また青少年では、何かをしよう/したいという将来感覚や欲動が強すぎて、逆に認知を縛ってしまっている場合も多い。それが上の外部からの刷り込みとリンクしていることも少なくない。青年であれ中年であれ「野心」に駆られている場合はたいてい視野狭窄になっている。志をもちかつ経験の複雑さを十分配慮するできるように、その心を野心ではなく大志に変えることはなかなか難しいことだと思う。

「捉われ」に対しては、「忘れる」ことの意義は大きい。むろん「全然忘却してしまう」のではだめである。同様に、始めから「何かをしよう」とも思わないでいわば「志」なく、「降りてしまっている」のでも、やはり認知は生まれない。しかしそうではなく、(諸々の)表象をある程度、前後にわたって把持しながらも、しかしその現場性への捉われからは放たれる、という意味である程度忘れるならば、物事の成り形がとらえられてくる。

「ミネルヴァの梟は夕暮れとともに飛び立つ」とヘーゲルも『精神現象学』で書いていたが、これはそのように(「もうその事の最中ではなく、それが少し済んだころ、しかしまだ覚えてはいるころ」に)知識が生まれるということを言っているのだろう。世阿弥の「離見の見」は、ことを演技の場において考え、演じ手が所作のただ中にあるだけでなくいわば「幽体離脱」するときに真実が見える場が生まれることを述べているわけだ。(この時の離見の「見」はたぶん観客とイコールではなく、その少し先にある。その意味でそれは「梟」のことだともいえる。) 近松門左衛門も、「虚にして虚にあらず 実にして実にあら」ざる「虚実皮膜の間」にこそ「慰め」があると説いた。「芸といふものは実と虚との皮膜の間にあるもの」だという(『難波土産』)。これは認知というよりカタルシス論だといえようが、しかし感情のこの昇華には同時に認知の構造が含まれてもいる。これらは、わたし流の問題意識からいうと、glocal論にもつながるものだ。

逆にいうと、以上にも見てきたように、まったく忘れることとまったく捉われることは──この二つはじつはある表象をめぐってのメダルの裏表であるが──ともに認知を生じない。そうした典型として、たとえば、状況からまったく離脱してしまうこと、瞬間瞬間の刹那に入ってしまうこと、ただ前へ前へ行動に没入すること、それらはそれだけでは認知に乏しい。それらは、それぞれ《超越的な世界》にいるといえるが、しかし、忘却によってか捉われによってか、いずれにせよ、近松的にいえば、「虚にして虚 実にして実」であって、真実についての認知を生成しない。そうではなく、つまり、「天」に上ってしまうのでも「地」に伏してしまうのでも、ニルヴァーナに入るのでも地獄に入るのでもなく、その間に「人」として生きることによってこそ、人は物事を知る。

しかし、「忘れる」のも「捉われる」のも、じつはその背後に自己や他者が──「ひと」がいる。そうだからこそ人は捉われ、また忘れるのだ。この「ひと」は、ホモサピエンスという意味ではなく、人称的なものであり、伝統的なfolk etymologyによって「霊止」とでも呼びたくなるものだ。そしてこうした「ひとの境域」は、昔風・物語的に言えば、天使であるか悪魔であるか、ともかく様々な「霊」や「魔」が取り憑く時・処でもある。精神医学的に言えば、それは大いに分裂病的な時空でも躁鬱病的なそれでもありうる。たしかに、子どものような溌剌さをわたしたちにもたらすのは、時であるが、それを失わせるのもまた時である。わたしたちから健やかな生成の時を失わせるのは、世界に対する前夜祭(アンテ・ポストゥム)的な「期待」の歪みによってか、後の祭り(ポスト・フェストゥム)的な「終わってしまった」という桁の外れによってか、いずれにせよ時がわたしたちをとらえることによってである。だがそうした時のいとなみの背後には、結局やはり、時を構成する者=《時の主》としての「ひと」がいる。

わたしたちを「捉える」ものも、また「忘れさせる」ものも、実はそれ自体時を宿した「ひと」(霊魂)である。と同時に、そこからわたしたちを導き出されるのも、やはり「ひと」(霊魂)が時を生成してくれることによってである。その時を満たすものが、寛やかな愛の力なのか見通しのある理義の道なのか、いずれにせよ、わたしたちは他者と共に時をつくり、そして動き出す。

ついまた話がしつこくなってしまった。時における認知という話に戻る。(続) ──と思ったけれど、これはここでおしまい。また別項で始めます。(完)



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