先の日曜日に出た会合にはいろんな国の人がいた。夕方ご飯を食べているとき、次のようなことを聞いた。
某氏が、その国の軍事政権時代、受けた拷問の話。すでに捕まった人が挙げた名前から邪推され、突然引っ張って行かれて三日、いたぶられたという。すぐ全裸にして、両手でつりさげられて全身をぶたれたり、唐辛子入りの水を鼻に入れられたり、爪を傷めたり、水に顔を長くつけられたり、云々。そして拷問の際に、必ずといって行われるのが、性器への虐待なのだそうだ。拷問する者は、むろん命令でやってはいるが、たいてい自らいたぶるのを喜ぶようなサディズムになっており、それが性的な攻撃になる。拷問者自身の抱えている社会的抑圧やコンプレックスや緊張がそのように化けていくのだ、という。
聞いていた日本人が「そんなひどい事になったら、もう私なんか何でも吐いてしまうと思う」と言ったら、彼は「地下の密室で何かを認めろとか言えとかいわれる。が、それに従ったら、すべてが終わり。それはできない。しかし、その三日が一週間になっていたら、持たないから死んでいたかもしれない」とのこと。
何とも棒を飲ませられるような話だった。イラクの虐待のときに、なぜ虐待米兵があんなに楽しそうにしているのか、理解できなかったが、少しわかるような気がした。と同時に、知識人といっても、こういうところを経ているのだから、現代日本人の甘ちゃんなのとずいぶん違うのだな、と思った。
ただ、これもあまり強調すると「パッション」みたいな世界になっていく。それをあまり特別視すると、暴力性をふまえないなら発言権は無い、というような議論になる。すると、これはまた変である。そのような「リアリズム」や「実感」はかえって世界の一面化を来たし、あるいは、その反転(対抗物)を生んでしまう可能性がある。
別の言い方をすると、この拷問の話ほどではないにしても、人間は結局は性にも結びつくような「暴力」を小さな形でも始終体験しているのではないか。だとすると、「暴力はいつも問題」なのだ。そして、暴力作用はつねにあるのだから、その直接的、間接的な形をまず意識化することが大事であり、また、その上で、そこからどう抜けるのかが問題である。この意味で、暴力は「特別」なものとして見るよりも、まず日常的な問題として、その形を見出し、解きほぐすことこそまず重要である。
ガンジーもM.L.キングもそのいとなみは非暴力の社会運動である。これらは、暴力を振われても振わないということだ。それらはどういう条件のもとに可能でまた有効だったのだろうか。たんに圧殺された非暴力とどう違うのだろうか。(心理学では、「非暴力トレーニング」というのがある。これは暴力を奮う自己を変化させる、ということのようだが、まだ詳しく知らない。)
戦後日本もある意味で、非暴力社会あるいは暴力タブー社会だった。ただ、日本が現実に非暴力だったとは簡単にはいえない。一見非暴力のようでも、暴力性はしばしば別の形で働いていた。日本の平和は、南北東西問題の形での「構造的暴力」のうちにあり、つまり日本の平和は、韓国や東・南アジアを始めとする外部に暴力を転移したに過ぎなかったし、アメリカやソビエトに代わりをやらせているに過ぎなかった。
国内的にも、「成長」は生活世界を破壊しつづけた。少し身近なことをいうと、日本の「学校」が人間のcapabilityをどれだけ破壊したか、一応大学院まで行ったぼく自身でさえ思い出したくもないほどだから、どれほど犠牲者がいるだろうか。ぼくの知るところでは、現代の学校は、馬鹿らしい一つの基準で人間を決めて抑圧し、人に烙印を押し続けている。しかもその枠付けがある程度妥当であるならまだしも、80%ぐらいは知的にも行為的にも愚劣極まりないものであり、それを制度であるがゆえに施行し・行わせ続けている。そのような「悪」をそのままにして、他方、これまた愚以外の何物でもないようなレジャーを、学校の内外に生産して、バランスを取ろうとしている(その楽しみは「善」なのか「悪」なのか)。これほど馬鹿らしい世界だから、その外で?麻薬の類が蔓延したり、少し真面目なのが神経がおかしくなするのも必然性があると思う。そのような愚の極というべき「学校」に対する恨みは、ぼくはいくら言ってもキリが無いほどだ。(ぼくは学校制度を心底うらんでいたから、教師だけにはなるまいと思っていたのだが。。。)
初等から高等にいたる学校や学壇それと社会政治秩序との結びつき、これに関わる人間の在り方、そこいは暴力の問題が深く刻み込まれている。が、それに深入りするのはまたにしよう。話をもとに戻すと、ともかく、戦後日本は暴力を外に発注してこれに依存していたし、内部にも人間を異常に均質化して統合しようとするそのブロイラー生産のような体制のうちにまたその上部にも下部にもとんでもない暴力をはらんでいた(一見すると、暴力が存在すること反対であるかのように見える「適応」もまた「放縦」も、じつは統制的な暴力とそれぞれ共犯関係にある)。このような欺瞞的な仕方で「無垢」を演ずることで、戦後日本は、むしろ暴力を意識化したりこれを抑止する道を却って失ったのではないだろうか。
原始仏典を読むと、そこには暴力を振るう在り方を乗り越えようとする努力が、性の力を昇華しようとする努力と一緒になって、基本衝動となってずっとある。ただし実際の歴史上の仏教では、祖師たち自身はともかく、社会的定着形態においては、暴力性は、体制と位における権威主義になり、そしてその体制と位の下部のところ(つまり末端の坊さん)は、禅修行の場合など非常にサディスティックな存在にしばしばなった(禅の作法は軍隊にも取り入れられた)。あるいは仏教は自身は暴力を持たないようでも外部的において暴力と結びつくことも少なくなかった。ブッダの意志は、そのような構造を乗り越えることにはまったく実現されず、むしろそうした暴力的構造の受容のために継承されたといえる。
アショーカ王の場合のように、またシャーカ族自身もそうであったように、仏教的であったが故に滅ぼされたこともあったようだ。が、このように(たぶん)暴力を拒否して破滅したというのでも、また先のように生きながらえたがじつは暴力を外部化または内制化したというのでもない、そうした在り方は、いかにあったのかなかったのか。これは「仏教は平和的」などといって問いを停止するのではなく、ちゃんと検討し考えていかねばならない。
「力」は、倫理的には、身心をしっかり作り、愛や正義や智恵を志向する意志や習慣(制度)になるべきもののはずである。そして「暴力」はそうならないような力の発露である。このような「力」そして「暴力」の問題に、フロイトはある程度、着手していたといえるだろう。またフーコーはまさにそのことに取り組んだといえる(ただ、フーコーは、彼自身、暴力に憑依されていたきらいもある)。アマルティア・センは、彼の角度から、暴力を生じないあり方を考えようとしたともいえるのではないか。先に少しふれたように仏教は、コンプレクスを解除しようとする「解脱」の考えのうちに非暴力の考えを持っていた(霊的にはともかく、社会的な展開においてはそれは限界や欺瞞を生じたのだったが)。そのことを考えると、さらには、西欧思想における伝統的な「自由」論も、束縛・抑圧からの解放・緩解をめざすという意味で、結局は、その裏側に「暴力」問題をいつもはらんでいたのだということに気づかされる。
とはいえ、理性であれ・ニルヴァーナであれ、整合的な状態をもっぱらモデルにすることだけでは、その反世界ともいうべき暴力を十分に扱えない。そればかりか、ここにある両極は、しばしば「対抗的な共犯関係」を生じてしまう(「理性」自身がしばしば「暴力」だと言われるように)。したがって、力−暴力の問題は、当然ながら、生やそれがはらむ複雑性をとらえながらでないと解けない。この意味で、暴力とそれを乗り越えることについての分析はまだまだ進んでいないし少なくとも総合されていないと思える。これまで、宗教論や心理論として、また社会や政治の論として、暴力についてどんな考えが展開されているのか、しっかり調べて考えてみる必要がある。
