「ぼくは自分自身の責任で生きていない。他の人に依存しながら、しかもそれに甘えている。そしてなすことも決して一人前ではない。要するにお前は弱いいい加減な存在であって、状況が少し変われば、浮き草のようにひどいことになりだろう。馬鹿にされても無理もない。。。。」
10代の後半から長い間、ぼくは、どちらかというと愚直に田舎者風の歩みをつづけたように思うが、その一方、どこかから聞こえてくる上のような言葉にしょっちゅう脅かされていたような気がする。「自分は、寄生・食客・部屋住みだ」。この感覚は自分がもと「次男」だったこととも関連があるかもしれない。また社会に出て担った仕事や環境の種類やその自分との適不適などといったことも当然関係するだろう。同じく脅かしを感得したとしても、担った人間関係や出会う状況によって、感じるものはまた違う様相になると思われる。が、ここでは一般的に考えみる。
〔脅かしの言葉が聞こえない条件〕
たとえそんな言葉がどこかにあるとしても、そもそも寄生者であることに安んじてどこかに完全に引きこり得たならば、その言葉はもう聞こえなくなるだろう。逆に、何か確かなものを自分は持っておりそれが他者たちから認められていると確信するときも、その言葉は消えるだろう。だから、ぼくにそんな声が聞こえたのは、ぼくがそのどちらの意識状態にもなく、寄生的存在圏から出た自立した存在になるべきだ・何かをなすべきだと思い、にもかかわらずまだ自分はそうなっていない・そうはしていないと感じていたからだろう。たしかに、何か小さな仕事でもなしとげたら、一時はそうした言葉を忘れる。そして仕事が厚みを増して承認してくれる人が増えると、少しはいい気持になる。けれども、そのような囁きはどうしても消えたとは思えない。
〔その言葉と人生〕
これは、「少年を脅かす言葉」であって、男というものは、容易にはそれから解放されないのではないだろうか。いや解放されているひともたくさんいるだろう。家族を養い資産を運用し人々を差配するような統率者は、そうした言葉は胸のうちに鳴らないだろう。というか、そんな言葉がどうのこうのということ自体、現実と切り結ばない、甘えていられる証しだというべきだろう。つまり、それは人生において、自己確信というものが成就してないか、懸命さを欠いたあるいは欠いていられることを意味することになる。だが、幸か不幸か、少なくともぼく自身は、まだ今でもそうした言葉の脅かしを聞き、そのことで葛藤を抱えているように思う。そして、このことは、たしかに、ぼくの仕事を「現実」から浮き上がらせ、ときには力や勇気を失わせる。その「内語」は、自己を肯定しエンパワーすることを妨げる。
〔言葉の克服と傷つきやすさ〕
そうならない在り方とは、もう少し端的に考えると、いったい何か。「脅かしの言葉を克服すること」で最も直接なものとして考えられるのは、自己が何らかの障害や敵に対して「勝つこと」、そして「勝ち誇(りう)ること」だろう。だが、やはりぼくは、今でもそうだが、子どもの時から、「勝負事」や「勝ち負け」というものが一番苦手で、嫌いといってよかった(勝ち負けの無いあり方は何かということにこそ関心があった)。
それをvulnerabilityといえば、いいようではある。たしかに、みながvulnerabilityを持ってくれれば、そうした脅かしの言葉や状況そのものがなくなる。これは「勝つこと」の反対の側の解決である。だが、そこに落とし穴がある。ちょうどよい例が本居宣長だ。
〔傷つきやすさと怒り〕
宣長は、vulnerabilityこそが人間的資質だとする、近代人にとって傾聴すべき人間論を説いた。しかしそれは大きな文脈においては、結局、奇怪なナルシシズムと服従の神学を呼び込んだのだった。そして、宣長は、一方で「繭」のような世界をつよくイメージしつづけ人間の「やさしさ」を説きながら、他方で、彼がやさしくないと決めた他者に対しては、粘りづよい怒りを投げ掛け続けた。たしかに、宣長の人間論は、とてつもなく重要な問題提起をはらんでいる。それはもっと立ち入って理解し検討すべきだ。にもかかわらず、彼の考えたソリューションは、あるべき筋道とはちがっている。
そのような落とし穴に陥らない、しかしただ勝つというのではない、上の言葉の克服とは、一体どういう在り方なのだろうか。
〔怒りの行方〕
たとえば、「温厚な」?ぼく自身も、横暴な大小タイラントがぼく(たち)を侵害し縛り付けることに、どうしようもない怒りや憎しみを覚えることが少なくない。ぼくは他方で、怒りん坊なようだ。たしかに不条理な権力が大きすぎるのだから、怒り自体あって当然だし、それがよくないわけではない。だが問題は、怒りが、ちょうど子どもの怒りのように、ナルシシズムを強化する回路として働いてしまうことだ。そうすると、その怒りは、たとえ、雄々しいものとなり、そうした行動をもたらしたとしても、それでいいとは決して言えない。つまりそれは要するに「暴力」だからだ。もちろん、暴力しかない、といったことが人間にはどうしてもある。がその限界的事態を認めた上で、それにしても暴力をそのまま肯定することはできない。
〔怒りと傷つきやすさの新しい次元としての徳〕
怒りは、個人性を乗り越えて自他に関与するとき、勇気や責任といった徳を帯びながら(正)義の価値につながる。したがって、怒りの心的エネルギーは、それが、ほんとうの共生のための、創造のためのものとなっているかどうか、そうしたものとして働いているかどうかが問題である。が、そうした次元に関わってくるとき、怒りは、しかしもう別のものに変容しているはずである。人称論、対話論の地平で言えば、その変容は、そうした価値を他者との関連において自分自身にむすびつけるmissionとしておそらく感得されるのだと思われる。興味ぶかいのは、そうした次元においても、他者の受容という意味でのvulnerabilityがふたたび、反対物の一致のように現れていることだ。
考えてみれば、vulnerabilityとassertion(mission)は、人間が元来もつ両極性polarityかもしれない。ただ、それが、「傷つきやすく・怒りんぼ」なのか、「寛やかでかつ勇気をもつ」のか、どのように形成され働くのかが問題だ。
ひとは何かを集中することで、よろこびやたのしみを持つ。ぼくがとりわけ好きなのは、考えて何かが判ることであり、そして何かの真実や愛のもとで、ひとと相互にわかりあえることだ。その探求が、鬱屈した運命の打開や共生へと展開すれば、それこそがうれしい。自他のエネルギーがそのように流れるように自己形成できれば、その時ぼくは、「寛やかで勇気をもつ」ことになっているのではないか。
〔幸福の希求におけるひと〕
もう一度、最初にもどろう。その脅かしの言葉・声は、幼いとき、兄弟姉妹や友、父・母たちと一緒に団欒の中にいるときには、聞こえなかった。そこからぼくが出たときに聞こえ始めた。一般には、多くの他者たちからの承認や制度的位置づけを自己が得て安心や自信をもったら、そうした不安の言葉はなくなるのだろう。そのことは確かに望ましいことで、そうなる「幸福」をぼくは希求し続けていたし、いまも希求しているにちがいない。
だが、それにもかかわらず、その言葉はじつは他者承認や制度保障で必ず消えるとばかりはいえないようだ。というのは、先に述べたように、ある程度、自己が承認・保障されても、その言葉はやはり残っている。つまり、そこにはいわば「制度によっては解消されない」ものがあるのだ。またさらに、たとえ自己がそんな言葉を大体持たなくなったようでも、自分のなかで別の部分が、その言葉をやはりもつ。つまり、聞こえるその言葉は、たんに特定の自分だけによってではなく、「いろんな人(他者)の声が遠くからひびいている」のだ。
そのように不安が残りつづけ、むろん勝ち誇ることもできない。にもかかわらず、何によってぼくは、生きているのか。それは、昔の人の言い方を使えば、「ときどきイデアにふれるような気がたしかにするから」、また「道があるから」「道を歩いていると思うから」である。そのイデアや道は、ふれたり得たりするときたしかにぼくのものなのだが、にもかかわらず、ひとびとに開かれたよろこびであり真実、真理であるようなものだ。そのような在り方をしたものが与える、わずかな確かさと希望と、しかしつよい力とによって、ぼくは生きる。おそらくひとも──。
