2004年06月05日

システムの外に踏み出す

荻野弘之氏が、例の六本木ヒルズの回転自動扉の事故にちなんで、これに限らず日本では生活の隅々まで猛烈な「自動化」が進んでいると指摘、そしてこの「生活の様々な局面での自動化を、欧米先進諸国にまさる勢いで推進してきた精神的土壌」は、「日本社会のパターナリズム的な風土」にほかならない、と述べている(「六本木ヒルズ自動扉の功罪」『人間会議』vol.10(2004夏)28頁、2004.6)。自動化・機械化・システム化……どういったらいいかしらないが、そうしたものが生活に浸透していることはたしかだ。それを「パターナリズム」としっかり結びつけた主張に出会ったのはぼくは初めてだったので、興味ぶかかった。そうだとすると、こうした事件は「パターナリズムが(与えた制度・装置が)人を(育むどころかむしろ)殺した」事件だということになる。

機械化あるいは人間の周囲を道具的な物で覆っていくという志向──それについては、オーウェル『1984年』のビッグブラザーなどと重なって、一種父性的な絶対権力による管理社会をイメージしがちである(この父性的な絶対権力というのが、オーウェル解釈としても妥当かどうかも一つ問題だが、いまは措いておく)。そのビッグブラザーは、ネオコンやブッシュ、ラムズフェルドといった人の顔を見ると納得しやすいが、それよりは、セーターを着たビル・ゲイツに相応しいのかもしれない。しかし、日本においては、ビル・ゲイツの顔すら消えている。管理するcomplex(複合体)というより、足腰を萎えさせるmatrix(母体)というべきかもしれない(とすればこれはパターナリズムというよりマターナリズムまたはパタマタナリズムとでもいうべきか)。ともあれ、ビッグブラザーなら、むしろ対抗しやすいとも言えるだろう。しかし、お節介でしかも目を光らせた母体的システムに対しては、それから自由になることにも、またその正しさその他を議論することにも、特有の難しさがある。荻野氏が「自動文明」と呼んでいるこの自動化・機械化・システム化された「パターナリズム」は、森岡正博『無痛文明』(トランスビュー、2003.10)での指摘にもつながっている。

ぼくも、「日本の現代社会では、このところ人間がだんだんシステムの繭に入ったみたいになっているな」と感じていた。よく若者の「引きこもり」をいうが、多かれ少なかれ程度や形はいろいろあるにせよ、「一億総引きこもり」みたいなところがある。永田町は永田町の、象牙の塔は象牙の塔の、霞ヶ関は霞ヶ関の、アカデミズムの「専門」は「専門」の、業界は業界の、会社の上司は上司の、平は平の、若者は若者の、中年は中年の、老人は老人の……。われわれは皆タコでありタコツボに住んでいる。そのタコツボ周辺をタコ網ならぬ「自動文明」「無痛文明」の組織がつなげて?くれている。(本当のタコがそんな存在なのかどうかは怪しい。これは比喩であることをタコに断わっておく)。

荻野氏は、その「生活の様々な局面での自動化」=「自動文明」を、「人間同士のコミュニケーションを堀り崩し、同時に自己責任、主体性、自立といった契機を蝕んでいく」ものと述べている。つまり、そういう自動化された道具や環境を「主体的な自己」の反対物だととらえ、前者に依存しない後者の復権を唱えているわけである(森岡氏の議論は複雑なのでまた別個に検討する)。ぼく自身は、半分ぐらいはそれに同意するが、じつはそういう主体的自己なるものがそもそも成り立つのか、と感じているところもある。だから、(荻野氏の文章でいうと)むしろその前半の「コミュニケーション」の部分をまず強調したい。そして「自然や他者との間のしっかりしたやり取りやコミュニケーションこそ大事だ。その中から互いの主体性や責任性が成り立っていくはずだ」というふうに考えたい。

道具や機械によって、人間のすることを置き換えていく、というのは、人間が有史以来やり続けてきたことでもある。しかし、当然、何かを他に委ねそれを自分でしなければ、その部分は人間から退縮していく。ヘーゲルが「主人と奴隷の弁証法」で述べたように、奴隷に仕事をしてもらう主人は、その果て、奴隷によって支配される存在になる。この場合でいうと、機械や物によって埋もれる人間は、じつは自分自身では何もできない存在になっていく。

が、そんなことは判っている。それでも、道具や機械は、人間の弱さを補ってくれるものだし、そのことによって、人間の従来抑圧されるほかなかった可能性を伸ばしたり、あたらしい人間の交わりが可能になることもあるだろう。またよい道具(の使い方)は、下手な道具や機械や社会やらによって退縮どころか破壊された生活や自然をむしろ存在させる可能性も逆にあたえる。だから、道具や機械の本末わきまえた人間的使い方こそ重要であり、その人間的な、つまり世界や自己・他者との対話的で仁智ある使用こそが、自然から生まれ言語や道具や観念を手にした人間の「教養」というものだろう(この「教養」はむろん、物知りという意味ではなく「自己形成」Bildungという意味である)。ところが、日本社会では、そういう展開が薄く、世間はシステム過剰(システム依存)で人々はますますタコになっている。これは、どうしてか。

これは結局は、明治近代以来の日本社会での「文明崇拝」みたいなものに関わるが、それは社会的には、極端な「公・私」分裂、「公・私二元」化の発展史につながっている。つまり、近代日本の文明キャッチアップ社会では、富と繁栄を与えることを黙契とする国家や企業がいわば親となって社会を「公」的に系列化し、そのパターナリズムに帰属するように「私」が方向づけられた。上位組織としての「公」は、社会的市民的自然的「公共性」を吸収・独占し、その残余として「私」が存在した。その公と私の間の、自然であれ地縁であれ血縁であれ、同業・同好団体であれ、教会・協会であれ、あらゆる自然的なものや中間集団やcommonsは解体されるか、残存しても自立性を失ってせいぜい国家・企業にもっぱら従属するものになった。

このようにして近代日本で、人々に準備し与えられる諸々の「システム」やそれにまつわる「グッズ」(モノ・商品)は、子どもが本当には成長しないために、その真に望むものとは違うものとして与えたいろいろな玩具の群れようなところがある。たしかにそれで生活は向上し便利になったようにみえるが、しかしそれが本当に「面白い」のか自分を「伸ばす」ものなのか。いや自己の心身の自然を破壊しこれとの繋がりをなくしてそれははたして「便利」ですらあるのか。高かろうと安かろうとどんなジャンルだろうと、そんなに「ブランド」を求め、そういう「格」に支配されてサイテーだと思わないのか。

日本の中にいると、そのことをあんまり何とも感じないが、一歩外国に出ると、いかに日本が公=公共であって、市民的な公共性がきわめて無いところであるか、孤立した個人が貧寒たるシステムによってつながれた場所であるかを実感する。そして序列化された奇妙な欺瞞的な玩具を与えられ、それに支配されて、驕ったり威張ったり恨んだりしている。それでも、というかそれだからこそ、みんな、何でもお上に期待し、商品に期待し、企業に期待し、有名性に、authenticとされるものに期待する。それ以外に為すすべが失われているのだ。

ただしこのような環境が、本当に「繭」なら、それでも、いいかもしれない。しかし、今や、その繭は枯れているし、幻想のなかにいるのでしかない。少なくともあと何年間かしたらこの繭は完全にザルのようになるだろう。お上によって「悪いようにはならないから付いてくるように」と(理性と感性の発揮と引き換えに)保証された無前提の理由である「富と繁栄と平和」(PHP?)は、じつは破綻していた。それが分かったことに現在の混乱の原因がある。昔は草もなびいていたが、今はなびかない。しかし、代わるハビトゥスは生まれていない。では、もう一度「繭」を作るか?──「よい子」「家族」「日本人」「ふれあい」こういった理念が筋違いだということは、はっきりしている。ましてITで教室や社会を「仲良く」? そんな教育や社会政策が誤謬であることは教育勅語が誤謬であるのと同じだ。では、「主体性」か?──うーん。どこにそれがあり/あったか。少なくとも従来の「卓越性」は、自己の力ではなく制度の力だったのではないか。

これをどうしたらいいか。この解答は、個々の仕方はともかく、筋道としては、ありふれているようだが、先の「自然や他者との間のしっかりしたやり取りやコミュニケーション……その中から互いの主体性や責任性」ということの延長上にしかない。蕩尽氏も「子ども時代に自然のなかで遊ばせることは決定的に大事……そのあれこれの体験が無意識のうちにその後の感覚や感受性が育つゆりかごになる。……ネット世界より自然のほうがはるかに複雑だ」と述べている(2004.6.5頃の掲示板)。こうしてぼくらは、「自然」へか、身近なまた地球上の、それ自身自然である「人間」へか、一歩を踏み出さねばならない。「智」「仁」「勇」をもってか、「真」「善」「美」を求めてか──。ともかく、そうした自然や生や聖に根ざしたものに歩を進めてこそ、システムはむしろ人間的なものとして用いられ、再定義できるものになるはずだ。このような意味では、人間は──というか日本社会の人間は、間柄や全体性によってというより、その外に立つことで実存(ex-sistere)しなければならないのだと思う。

無痛文明論
  
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2004年05月29日

「一神教」と「多神教」に含まれるもの

「一神教」「多神教」という言葉は、宗教を見るときの枠組としてよく使われる。それらは最近は時節柄、宗教学や神学の敷居を出て、文化論や政治絡みの議論にまで出て来る。ただ、この概念をめぐって世間でよく言われることが、ぼくとしては胸のうちであまりにすっきりしないことが多い。つまり「一神教」に批判されるべきものがあることには十分同意するにしても、「一神教は偏狭で、多神教は寛容だ」といった言説となると、簡単にそんなことが言えるのか、と思う。つまり、その論とは反対に「一神教から偏狭さを越えるような論理や実践が出てきたり、逆に多神教から偏狭と暴力が出てくる」といった可能性はないのだろうか。そうした可能性を全然検討しないで、「一神教は偏狭、多神教は寛容」といっていい気になるならば、そのような言説を述べる者(多神教論者)やその周囲が、却って偏狭になって排他性・暴力性を帯びることになってもそれに無自覚になり、少なくともナルシシズムに陥りかねないのではないだろうか。これはぼくの神経症か。そうかもしれない。が、そうだとしても、この言葉の周辺には、なかなか安閑とできない、哲学的・論理的な問題やその実践性といった問題が含まれているのではないか、とぼくには感じられる。

最近世間に流れて「一神教否定=多神教肯定」論で一番顕著なのは、たとえば岸田秀(『アメリカの正義病・イスラムの原理病−一神教の病理を読み解く』春秋社、2002年、『一神教vs多神教』新書館、2002年)だろう。けれど、養老猛司『バカの壁』もある意味では一神教否定論で出来ているといってもいい。(しかし、それに「皆がものすごく殺到する」ということはどういうことか。人々の良識を示すものか。それともそれ自身バカを示すものか)。あるいは、以前からある、「森の思想、砂漠の思想」というような文明論や、梅原猛、河合隼雄といった人の議論も、言い方はいろいろだけれど、同じ趣向だといえる。このモチーフは、歴史的に振り返ると、和辻哲郎以来の、あるいはそれ以前の本居宣長の「漢意(からごころ)批判」以来の、日本人の言説の続いて来たパターンのひとつだという面もあると思う。先にも少し示唆したように、ぼくは、その「一神教否定=多神教肯定」論が、半分は──つまり一神の専横に対する批判としては──当たっているだろうと意義を認めるが、しかしもう半分はピント外れで飛躍を含む「いい気な論」ではないかと思っている。「往相はいいとしても還相はよくない」ように思う。少なくとも、この概念とくにそれの実践的な適用について、粗雑な単純さをもう少し整理しなければいけないのではないだろうか。

少し、しち面倒くさくなるが、まず意味・定義について考えてみる。一神教と多神教は、辞書等では、それぞれ「唯一神への信仰」「多数の神々への信仰」などと定義されていることが多い。これは、一神教と多神教の原語、monotheismとpolytheismがふくむものを、mono=only one、 poly=many, multipleと敷衍したもので、文字通りはどうということはない。ただ、とくに一神教の場合、唯一(only one)が何を意味するかが問題である。というのは、現実には周囲にそのonly oneではない神威(たち)があるわけで、それをどう見るか・どんな態度を取るかによって、バリエーションが出てくる。つまり事は自己・他者・世界といった問題になりそれは当然実践的な問題に関わってくる。そのあたりさらに定義ができる。一神教には、
  (a)「この一神しかどこだって絶対あり得ない」
というのももちろんある。この場合、monotheismは、the belief in a single, universal, all-encompassing deityなど畳み掛けて定義される。いちばん勝義の一神教はこれだろう。しかし、もっと緩い態度のものもある。
  (b)「この一神を自分は信仰するが他の神々がいるかどうか関知しない(いても関わらない)」
としたり、
  (c)「他にもいるだろうが、この神こそが一番だ。他のものはランクが低い」
などとすることもある。それらは拝一神教(monolatry,monolatrism)、単一神教(henotheism)などというらしい。

すなわち、only oneというだけでは此処其処にわたる基準がまだ(十分には、とくに実践性を帯びた面では)定義されてないところがある。その点をめぐって、自己の神=絶対基準として、それを他にも無理やり押し及ぼすとき(a)になる。その基準の(適用の)絶対性は、実践的な無理矢理さ、肯定と否定のつよさになるわけである。他方、自己の神=基準とするが他をも低めながら秩序づけ・位置づけするのが(c)だといえる。これはonly oneよりnumber one という感じになってくる。これに対して、(b)は、いわば此処其処・自他にわたる基準をあまり立てないわけで、「無視」「我関せず」「それぞれ」「いろいろ」「自分はとにかくこうする」「立てこもり」「引きこもり」いろいろニュアンスが考えられる。日本人の用法でのonly one はだいたいこれである(──小泉流のいい加減と一徹を裏腹にするのもその間を適当に動かしているわけだ)。

ともあれ、一神教、多神教の論には、何らかそこで重視されるものの他への適用をめぐっての、同一性や複数性をめぐる論理がある。それが宗教的な人格やら世界をあらわす表象・制度・物語等に形づくられるときに、一神教・多神教といった諸形態になるといえる。もちろん後者の形に前者の論理が含まれているといっても同じことだ。そして、心理学や神話学の類型論を援用すると、(これは論理的に証明できるようなことではないし、具体例を挙げればきりがないが)一神教は男性性を優位にし、多神教は女性性を優位にするようだ。男性性は理・義・自由を原理として立つ・分ける・裁くなどの機能を重んじ、女性性は愛を原理として包む・結ぶ・育むなどの機能を優位とするという(これはユング派の説)。

一神教と多神教という分類論は、先にも述べたように、一定の宗教や文化に帰着してそれぞれ排他的に論じられることが多い。しかし、ぼく自身は、その教説の主観性の内部にとってはともかく、思想・宗教の現象として見るときには、「どちらかだけ」ということは実際あり得ないのではないか、と思っている。一神教の起源・典型とされている、モーセ五書にしてからが、紀元前数世紀頃のバビロン捕囚後にまとめられたようだし、むろんその前に伝承をつくったとして想定されるヤハウィストも紀元前900〜1000頃のことらしい。そして、その周辺世界は、文字通り多神教的な空間だったのだ。ユダヤのラビの息子であるE.フロムが指摘しているように、その一神教は、周囲の女神たちの世界を想定しそれとの戦いとその圧伏の中に、自らの宗教を形作ってきたのだった(『愛と性と母権制』ほか)。つまり、一神教とは、独立して存在し単独に定義できるものではなく、多神教を想定して立ち上がる宗教現象なのだ。

この点は、多神教の典型だとされるインド宗教においても、翻って見ることができる。
(続く)
  
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2004年05月23日

性-生と文化との関連

古来の宗教や哲学では、禁欲(ascesis)や独身制が強調されていた。おそらくそこには《性を抑圧ないし転化することで(日常性を離脱した)ヨリ精神的/普遍的世界をつくる》という力学があったのだろう。が、蕩尽さんが「ユーミン夫妻には子どもがいない。あきらかにそのぶんのエネルギーが仕事に注がれている」と述べている(昨22日のコメント参照)ことを追って考えてみると、そのような「離脱の力学」は、宗教や哲学だけでなく、音楽を始めとする芸術にも、また現代にも妥当する面があるのだなと思わされる。考えてみれば、古くは、芸術の生産と享受とは(現在のように個人的な趣味の領域に分類されるよりは)、もとより個人の私的内部への深い嵌入はあるにしても同時になおシャーマン的な営みに関わるものであり、それはガイストというか精神的普遍的な次元への参入・その勧請でもあった。その意味で、宗教も芸術も地続きであった。

古代・中世においては、哲学や宗教だけでなく芸術においても、「性エネルギーの個人的で通常の快楽・生理・生殖に向けた過程への使用」を「さらに別の次元への使用」に転化することは、当然あることだった。そこからいうと、ユーミンなどは、まさに現代の芸術・芸能をシーンとするシャーマンというべきで、古代・中世以来の芸術のそうした回路を現代に働かせているとも言えるのかもしれない。

これに対して、いまよく聞くワカモノのはやり歌では、一見新しそうでいて実はまるで昔の水前寺清子の人生歌と毛一筋も違わないような狭義の倫理道徳に収斂する芸能の類が意外に多い。そこにあるのは「シャーマン」的なものではなく、もっぱら既成性の中への(いじましい)回収と安心の動きのように感じられ、それにあまり多くのひとが喜んでいるようなのは却って悲しい。いかにも現代風なタレントの歌が、じつは武者小路実篤どころか相田みつをと親戚だったりする。しかもそれが大変な文化的な力をもつのだとしたら、それはなぜ・どこから生まれるのだろうか。がしかし、ユーミンの場合などは、そうしたものをはるかに凌駕したイメージや力を持っているようだ。それは、たぶん彼女のシャーマン性から来ているのであり、それと彼女の生活形態とも対応しているのだろう。

ともあれ「通常の(性的)生産」と「文化的生産」との間には次元の差異がある。文化の生産者は、言葉を上から下すのか下からこみ上げさせるのか、表出するのか孵卵させるのか知らないが、通常の生のプロセスとは差異をもつ次元をその身に媒介してもたらし、現実のうえに重ね合わせる。が、通常の性−生的生産と高次の文化的生産との関連あるいは差異のあり方になお踏み込んでみると、「芸術」的な文化生産においては、その両者の間に連続面も大いに見られる。これに対して、「宗教」や「哲学」では、少なくとも従来のものは、かなり非連続であったようだ。具体的には、禁欲や独身制は、芸術生産では必ずしも必然的ではなかったが、哲学や宗教では長い間必然的なものとされた。これはどうしてだろうか。

この問題は、おそらく従来の主流となった哲学や宗教が、logocentricだったせいなのだろう。「次元上昇」がただロゴス的なものなのであれば、性や生に対しては抑圧的になり──少なくともそれを直接的な自己からは完全に排除し、自身はもっぱら(インド哲学的にいうならば)サトヴァ(純質)的になるほかはない。が、それは、性や生を、他者に投影するか、自己の深層に投影物をつくるか、いずれにせよ、それらと奇妙な鏡像的な共軛関係に陥った生の形成をもたらすことになると思われる。そのような思想史の実践は、しかし、じつは自己言及どころか自己破壊また他者破壊にも至る。しかし、芸術においては、必ずしもそのような袋小路はなかった。というのも、芸術の生産はつねにエロスと東洋風にいえば「気」と共にあったから。それはいうなれば、世界を変えるにしても、エロスと一緒に動いていく。「つくられる」新しい世界は「うまれる」ものでもある。

ただ「ロゴス」といっても、(ぼくは正確なところは全然知らないが)、紀元後少したったころまでのロゴスは、現在みたいに痩せこけていたのだろうか。たぶんそうではないだろう。それはソフィアの女神と関係が果たして無かっただろうか──あったのではないか。プラトンのイデアにしても、美や愛の蔵のようで、だからこそ、それを認識することが想起することが憧れや愛にもつながっていたのだろう。蕩尽さんがさらっとだが次のようにぼくにはまさに「真実だ」としか思えないことを書いている(参照)。「私たちは近代哲学にだまされてプラトンの「想起」をもっぱら知的・思弁的なメカニズムだと思っている。しかし想起されるものとは知的な意味での真理であると同時に、性的かつ生命的な対象でもある。そこには濃厚なエロティシズムがある」と。つまり、想起は深々とした呼吸とともに訪れ、胸いっぱいになり、そのことによって自分の現在の「殻」が溶け出していくようなものであるにちがいない。まこと、そのような「愛」さえ充実してあればひとはこの肉体を失ってそこに行ってもいいのだ。そして翻っていえば、哲学のもつ憧れはもちろん、プラトンが「死に習う」ことも、浄土教が「往生」するのも、もとはそういうことだったのだろう。──ぼく(たち)はそこから遠く離れて来てしまったが。

しかしそうした究極の飛翔はできないとしても、人にはその生命体のなかにおいて「夢」のような形でそれがいつもあり、無いわけではない。そこからいうとやはり蕩尽氏がいうように「想起とはたんなるメカニズムではなく、人生を賭けた探究であり、くりかえされる悟達の体験でもある」(前同)。そうした心的な実質としてのピークあるいは深みを手がかりにしてこそ、じつはぼくらは生きようとしている。そして、それ以外の社会的構築物こそがむしろ「影」ではないだろうか。だとすると、もしも生や倫理にふれようというならば、それは社会秩序からではなく、そのような無意識に根差すような物語的流れからこそ導出されねばならず、社会秩序の方が「そのための方便」である。このような考えは転倒というべきか。いやむしろ現代的に形作られた「現実」の方が転倒しているのではないのか。
  
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2004年05月22日

生の世界の変化とそれに堪える物事・作品

小学校の何時頃だったか、年嵩の人が漱石の小説をめぐって話していて、ひとりが「漱石の作品は読む年齢によって変わるんだよね」といい、他の人が「そうそう」と言っているのを聞いた。「そんなものか、そういうことがあるのかな」と思った。

で、あとから思えば、年を重ねるとともに、やはり「そんなこと」はあった。漱石がそうだというだけではない。何につけ、「世界の変化」はあるものだ。その「世界の変化」は、客体的に変わっているというより、同じ物事であっても、主体の側にある時ある時なりのモノの相貌があり、それが人生の過程に応じて変わりながらつむぎ出されているということだ。世界は人生上の時間性・空間性に応じて現れている。

そのような相貌の変化を、しかし、「人の生」という物事の側はそれ自身一手に引き受けているのであり、それはバラバラであることもあろうが、たぶんある一貫した変容でもあろうから、そのような様相を紡ぎ出すという意味で、「人生」というのは大した物語だということになる。が、同様に、創造された作品・作者についても、そのものひとつでそうした相貌変化に堪えるというのは大したことである。だから漱石はやはりコイ・ユタカナものであって、一過性のドギツクてもウスイものあるいは一時の「流行」とは違うものがあるということだろう。(私自身はこのところ漱石自体については実験していないが。)

ある作品が、ある受け手の人生での相貌の変化に堪えられるのだとする。だとしたら、その作品は、たぶん、その一世代に享受されるのみならず、別の世代(時代)にもやはり享受されるだろう──世の中がすっかり入れ替わってしまわず、人生というものが依然としてある限り──。するとそれは要するに(ちょっと硬い言い方をすれば)古典とか名作ということになるし、まあ別にそんな権威を帯びないとしても、スルメのような味のある作品・言葉ということになるだろう。芭蕉の「不易」というのもそういう種類のことだろう。

蕩尽さんが、ユーミンについて「その歌はいつまでも愛され、新しい世代のもとでも歌われつづけるだろう。それはいわば彼女の子どもたちとして私たちに愛され、きっと不滅の生を生きることになるだろう」と書いている(参照)。ぼくはじつはユーミンそのものについてはふれる資格がない。けれどここで言われている問題は考えてみると、面白い。つまり、そういう名作かスルメかは、その作品の側にたってみると、個々の人間より「長生き」なのだ。これが、古来、"Art is long"と言われていたことなのだな。

換言すれば、そのように人々に宿るものとして作品化されたものは、いわば「個」ではなく「種」になり「類」になるのだということになる。これはまたむろん物語論にもつながるし、そこにある「生」ということを考えていくと、西欧哲学流には「目的」という問題にもつながってくる。このあたり、どうも思想的にも面白い問題がありそうな気がする。
  
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2004年05月18日

暴力とその乗り越え

先の日曜日に出た会合にはいろんな国の人がいた。夕方ご飯を食べているとき、次のようなことを聞いた。

某氏が、その国の軍事政権時代、受けた拷問の話。すでに捕まった人が挙げた名前から邪推され、突然引っ張って行かれて三日、いたぶられたという。すぐ全裸にして、両手でつりさげられて全身をぶたれたり、唐辛子入りの水を鼻に入れられたり、爪を傷めたり、水に顔を長くつけられたり、云々。そして拷問の際に、必ずといって行われるのが、性器への虐待なのだそうだ。拷問する者は、むろん命令でやってはいるが、たいてい自らいたぶるのを喜ぶようなサディズムになっており、それが性的な攻撃になる。拷問者自身の抱えている社会的抑圧やコンプレックスや緊張がそのように化けていくのだ、という。

聞いていた日本人が「そんなひどい事になったら、もう私なんか何でも吐いてしまうと思う」と言ったら、彼は「地下の密室で何かを認めろとか言えとかいわれる。が、それに従ったら、すべてが終わり。それはできない。しかし、その三日が一週間になっていたら、持たないから死んでいたかもしれない」とのこと。

何とも棒を飲ませられるような話だった。イラクの虐待のときに、なぜ虐待米兵があんなに楽しそうにしているのか、理解できなかったが、少しわかるような気がした。と同時に、知識人といっても、こういうところを経ているのだから、現代日本人の甘ちゃんなのとずいぶん違うのだな、と思った。

ただ、これもあまり強調すると「パッション」みたいな世界になっていく。それをあまり特別視すると、暴力性をふまえないなら発言権は無い、というような議論になる。すると、これはまた変である。そのような「リアリズム」や「実感」はかえって世界の一面化を来たし、あるいは、その反転(対抗物)を生んでしまう可能性がある。

別の言い方をすると、この拷問の話ほどではないにしても、人間は結局は性にも結びつくような「暴力」を小さな形でも始終体験しているのではないか。だとすると、「暴力はいつも問題」なのだ。そして、暴力作用はつねにあるのだから、その直接的、間接的な形をまず意識化することが大事であり、また、その上で、そこからどう抜けるのかが問題である。この意味で、暴力は「特別」なものとして見るよりも、まず日常的な問題として、その形を見出し、解きほぐすことこそまず重要である。

ガンジーもM.L.キングもそのいとなみは非暴力の社会運動である。これらは、暴力を振われても振わないということだ。それらはどういう条件のもとに可能でまた有効だったのだろうか。たんに圧殺された非暴力とどう違うのだろうか。(心理学では、「非暴力トレーニング」というのがある。これは暴力を奮う自己を変化させる、ということのようだが、まだ詳しく知らない。)

戦後日本もある意味で、非暴力社会あるいは暴力タブー社会だった。ただ、日本が現実に非暴力だったとは簡単にはいえない。一見非暴力のようでも、暴力性はしばしば別の形で働いていた。日本の平和は、南北東西問題の形での「構造的暴力」のうちにあり、つまり日本の平和は、韓国や東・南アジアを始めとする外部に暴力を転移したに過ぎなかったし、アメリカやソビエトに代わりをやらせているに過ぎなかった。

国内的にも、「成長」は生活世界を破壊しつづけた。少し身近なことをいうと、日本の「学校」が人間のcapabilityをどれだけ破壊したか、一応大学院まで行ったぼく自身でさえ思い出したくもないほどだから、どれほど犠牲者がいるだろうか。ぼくの知るところでは、現代の学校は、馬鹿らしい一つの基準で人間を決めて抑圧し、人に烙印を押し続けている。しかもその枠付けがある程度妥当であるならまだしも、80%ぐらいは知的にも行為的にも愚劣極まりないものであり、それを制度であるがゆえに施行し・行わせ続けている。そのような「悪」をそのままにして、他方、これまた愚以外の何物でもないようなレジャーを、学校の内外に生産して、バランスを取ろうとしている(その楽しみは「善」なのか「悪」なのか)。これほど馬鹿らしい世界だから、その外で?麻薬の類が蔓延したり、少し真面目なのが神経がおかしくなするのも必然性があると思う。そのような愚の極というべき「学校」に対する恨みは、ぼくはいくら言ってもキリが無いほどだ。(ぼくは学校制度を心底うらんでいたから、教師だけにはなるまいと思っていたのだが。。。)

初等から高等にいたる学校や学壇それと社会政治秩序との結びつき、これに関わる人間の在り方、そこいは暴力の問題が深く刻み込まれている。が、それに深入りするのはまたにしよう。話をもとに戻すと、ともかく、戦後日本は暴力を外に発注してこれに依存していたし、内部にも人間を異常に均質化して統合しようとするそのブロイラー生産のような体制のうちにまたその上部にも下部にもとんでもない暴力をはらんでいた(一見すると、暴力が存在すること反対であるかのように見える「適応」もまた「放縦」も、じつは統制的な暴力とそれぞれ共犯関係にある)。このような欺瞞的な仕方で「無垢」を演ずることで、戦後日本は、むしろ暴力を意識化したりこれを抑止する道を却って失ったのではないだろうか。

原始仏典を読むと、そこには暴力を振るう在り方を乗り越えようとする努力が、性の力を昇華しようとする努力と一緒になって、基本衝動となってずっとある。ただし実際の歴史上の仏教では、祖師たち自身はともかく、社会的定着形態においては、暴力性は、体制と位における権威主義になり、そしてその体制と位の下部のところ(つまり末端の坊さん)は、禅修行の場合など非常にサディスティックな存在にしばしばなった(禅の作法は軍隊にも取り入れられた)。あるいは仏教は自身は暴力を持たないようでも外部的において暴力と結びつくことも少なくなかった。ブッダの意志は、そのような構造を乗り越えることにはまったく実現されず、むしろそうした暴力的構造の受容のために継承されたといえる。

アショーカ王の場合のように、またシャーカ族自身もそうであったように、仏教的であったが故に滅ぼされたこともあったようだ。が、このように(たぶん)暴力を拒否して破滅したというのでも、また先のように生きながらえたがじつは暴力を外部化または内制化したというのでもない、そうした在り方は、いかにあったのかなかったのか。これは「仏教は平和的」などといって問いを停止するのではなく、ちゃんと検討し考えていかねばならない。

「力」は、倫理的には、身心をしっかり作り、愛や正義や智恵を志向する意志や習慣(制度)になるべきもののはずである。そして「暴力」はそうならないような力の発露である。このような「力」そして「暴力」の問題に、フロイトはある程度、着手していたといえるだろう。またフーコーはまさにそのことに取り組んだといえる(ただ、フーコーは、彼自身、暴力に憑依されていたきらいもある)。アマルティア・センは、彼の角度から、暴力を生じないあり方を考えようとしたともいえるのではないか。先に少しふれたように仏教は、コンプレクスを解除しようとする「解脱」の考えのうちに非暴力の考えを持っていた(霊的にはともかく、社会的な展開においてはそれは限界や欺瞞を生じたのだったが)。そのことを考えると、さらには、西欧思想における伝統的な「自由」論も、束縛・抑圧からの解放・緩解をめざすという意味で、結局は、その裏側に「暴力」問題をいつもはらんでいたのだということに気づかされる。

とはいえ、理性であれ・ニルヴァーナであれ、整合的な状態をもっぱらモデルにすることだけでは、その反世界ともいうべき暴力を十分に扱えない。そればかりか、ここにある両極は、しばしば「対抗的な共犯関係」を生じてしまう(「理性」自身がしばしば「暴力」だと言われるように)。したがって、力−暴力の問題は、当然ながら、生やそれがはらむ複雑性をとらえながらでないと解けない。この意味で、暴力とそれを乗り越えることについての分析はまだまだ進んでいないし少なくとも総合されていないと思える。これまで、宗教論や心理論として、また社会や政治の論として、暴力についてどんな考えが展開されているのか、しっかり調べて考えてみる必要がある。
  
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2004年05月10日

笑いは硬い主体を揺るがすもの?

「トラックバックとは?」(2004年5月07日)にコメントが続くうち、「中間的な主体」(5月9日)で考えていることとじつは合流するような筋になっていることに気づいた。

詳しくはそこ(5月7日コメント)を参照してほしいが、蕩尽さんは、「安楽共同体」(藤田省三)がじつは他者恐怖や猜疑心にさいなまれている、つまり「安楽共同体と他者恐怖」がセットだと指摘している。ここから出てくるひとつの顕著な態度が、(「中間的な主体」の項で書いた)「傷つきやすさが反転、強面に」という在り方なのかもしれない。

で、「妙に傷つきやすい」「妙に強面」というそのどちらでもないものは何か、というわけだが、蕩尽さんは、
>笑いのなかで自他を肯定する哲学というものを(ベルクソンとバタイユの驥尾にならい)私は模索している
>ようするにユーモアという態度を倫理の根拠に据えてみようというわけです。
という。ふーん、なるほど。笑いにも哄笑とか、引きつった笑い、高笑いとかもあるけれど、そもそも笑いには、寛容ということや、自己対象化といったことともつながるものが含まれているようだ。面白い。

学生時代、ぼくは、哲学者の笑い論を2,3読んだけれど、何かよくわからず、忘れてしまった。しかし年を食ったから、ニュアンスが判るようになっているかもしれない。そういえば、ぼく自身、どういう笑いか知らないが、日常的にしょっちゅう笑っているし、会合などが硬直すると冗談をつい飛ばしてしまう。それは何なんだろう。

最近は少なくなったけれど、和顔愛語などと言われて、ニコニコ笑っているのがいいのだよ、という教えが昔からあった。またそういう人がよくいた。武士的エートスではそれはないが、庶民にはよくあった。外国と付き合うようになると、日本人の薄笑いというのが、気持ち悪いものということになった。

むかし新渡戸稲造を読んでいたら、「夫が死んだ妻がアメリカ人の前で、骨壺を抱いてはかなそうに笑ったら、アメリカ人が、夫が死んだのに笑うとはなんと残虐なという反応をした。笑いの意味がちがって解釈されたので、おどろいた」という主旨の話が出てきた。ここには一体、何があるのだろう。

他方、日本人のよくある習慣として、少し親しくなったら緊張をほぐす儀礼のように変な「じゃれ笑い」をすぐしたがるような気がする。TVのバラエティ番組など、ほとんどそれを増幅しているようなものである。これも妙な感じがする。少なくとも欧米のトーク番組などで笑わせているのとずいぶん質がちがう。ただ、その「じゃれている」のは、イエスをいたぶるローマ兵士の笑い──いまでいうと、イラク人を虐待するアメリカ兵士の笑い──と、どこかで繋がっているが、ちょっと違ってもいるようだ。

何かすっきりしない笑いばかり思い出してしまったけれど、ともかく、自他の関係において笑いの働きが面白い意味をもつのだということが何か判ってきた。笑いは構造が固定せず、ゆれるときの生命の振動みたいなもので、とにかくもとの安定性にしがみつくことから外に出ている。その意味で、「中間的な主体」?を生むのだろう。

ただし、いろんなハレーションやジャンプもあるので、だから超越的主体を生んだら、高笑いになったり、従属する主体になったら、卑屈な笑いになり、しかしそれでも何とかしてやるぞと奴が主たろうとするときは、イヒヒ笑いになるのだろうか。いろいろ考えさせられる。
  
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2004年05月09日

中間的な主体の生成

昨晩、台湾出身で日本国籍をとっていま官僚に近いような仕事をしている人と会った。35歳の人。この人は、様々なサイドの人たちと付き合いがあり、自身、単純な右とか左とかいった人ではない。

彼の言によると、日本人の35歳以下の人の多くは、関心が国内だけに閉じ、また総じて身辺・身近なことばかりに生きている。そのことを、日・中・台の複雑な間で生きてきた彼の体験からいうと、とても痛感するという。むろんそう内向きではなく、政治や国境を越えた事情のことに関心をもつ人もいる。しかしそういう人(の若い人)は8割方は「右翼」だ、と彼はいう。外務省の若手も、いまやときには防衛庁以上の軍備論者・強面論者になっている人が少なくない、と彼はいった。

もうひとつ興味ぶかかったのは、外務省の官僚などが中国等とやり取りするに当たって、「中国の方はとてつもなくしたたかだが、しかしこっちはこっちであまりに傷つきやすい。だから日中関係はなかなかうまく行かない」という話。そういう対外的なつきあいにせよ、外交政策にせよ、押さえの利いた粘りづよい言い方や態度が中国と持てるのは、もう70歳以上になってしまうようだ、と彼はいう。

彼の言がどれほど当たっているか、わからない。むろん彼自身の視点やサンプリングが何ほどか偏ってないはずはないから、簡単に「それが実際の傾向だ」とはいえない。右翼的・左翼的というのも、むろん俗な言い方にいま乗っているので、じつはむつかしい。とはいえ、その中に含まれた、「傷つきやすさ」が反転して「強面」になる──という、この両者のセット構造は、ぼくもやはり、現在の「右翼的」潮流の構造にどうもあるような気がする。もちろんそれは「左翼的」であってもいいわけだが。

(彼の話では、日本ではリベラル派のように見られている民進党は、台湾内では政権を取ったマルキシズムのように「強面」で、行政の中立性を無視すること甚だしく、自由を圧殺することも多いのだそうだ。むろん台湾独立派は、対中・対米関係的にはリベラルというべきだろうが、しかし対内的には別の文脈をもつ。また、対日的には日本の右派と結びついてく。事柄は何とも複雑性を帯びている。ただ、ともあれ、この場合も、従来の被抑圧グループが反転、強硬論者になる現象が見られる。)

似たような問題として、たとえば実際の軍人であったなど戦争を経験した人が、むしろ軍事的動きに対して抑制的であり、逆に、そういう暴力性を実際には知らず、頭の中だけで知っている人が、かえって過激な手法を取ろうとする──そうした例が、意外に多い。たとえば、前者の例として、アメリカだとパウエル、日本だと後藤田。後者の例として、アメリカだとネオコン、日本だと新世代の軍事増強論者。ちょっと喧嘩を知らない少年が却って「切れる」というような話にも近いが──。

この問題は、よく考えてみると、丸山真男の「実感信仰と理論信仰」という話にもつながるし、あるいは諺の「弱い犬は吼える」という話にもつながる。「力」にせよ「知」にせよ、何かが「有る」ことと「無い」ことのその両端は、じつは「共軛関係」にあり、「反対物が一致」している構造をもっていることが少なくない。

しかし、望ましいのは、中間の道・徳である。内に生まれたvicious circleであるコンプレックスAを抜ける道は、notAではない。「中」のうちにある。アリストテレスだろうとブッダだろうとそういう「中」を言っている。それは、妥協的な「中程」などというのとはまったく違う。いうなれば、物事が「こなれる」とか「成熟する」、「理性的である」あるいは「情緒がある」──そういったのに近いことだ。

これは「形成」の問題でもある。ヘーゲルは理性の狡知といった。それと重なるのか、いや重ならないかもしれないが、ともあれ──さまざまなアイロニーを越え、悪循環や膠着に陥らないで、物事を進める、そういう生を導いていくようなボン・サンスが人間の「よい営み」には働いてはいないだろうか(温和だという意味ではなく、過激であってもいいのだ)。もしそうしたものがあるとしたら、それは市民的公共性にとって必要であるにちがいない。
  
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2004年05月03日

知覚媒体による統合・連想・失調

このところ山中に来ていて、一日に一度ぐらい電波が繋がるところでしか、メール・Webチェックが出来ない。しかし、住んでいる友人には、Yahoo!BBにつないで、アルジャジーラとやり取りしている人もいる。

このことは一般的にいうならば、物理的な時空のうえに、通信手段による時空が被さっており、その如何によってコミュニケーションの可能性が伸縮しているわけである。もちろん、身体をもった人間自体が、それによって伸縮するわけではない。しかし技術的な手段によって可能性が開け、マクルーハン的にいうと「人間/知覚の拡張」が行われているわけである。ただし、彼自身も指摘しているように、それは人間の知覚の「ある部分」が変容しているのであって、その部分があまりに拡張すれば、他の部分は退縮することも多い。むろん一部が伸びることで、他も連れて伸びるということもあるだろう。いずれにせよ、ここでは諸知覚が(仮に元の状態が安定していたとしても)元の範囲をさらに破って動くことになり、その組み直しが要請されることになる。しかし諸知覚の平衡あるまとまり──人間の全体性を適切につくることは容易ではない。その問題は、個人的のみならず、社会的次元においても問題になる。

こうしたことは、あらゆるジャンルの媒体についてもいえるのだろう。たとえば、従来の手書き画像が、写真により、映画により、また映画がさらにCGによって、「人間の拡張」を起こす。しかし、それは、いうなればその時その時なりの現代的な「魔法」でもある。それを経験したあとで、もう一度、現実の自己の肉体的あるいは社会的身体に「戻る」ことは簡単ではない。たとえば、魔法が直接の自分であるような気持が残ったり、逆に、魔法に比べると、実際上の肉体性・社会性が余計に陥落や閉塞に思えるかもしれない。

他方、実際の肉体性・社会性だと思い込んでいるものが、じつは錯誤や圧迫である場合、新しい媒体によってもたらされる知覚の次元は、そのような思い込み(ドクサ)を訂正する可能性もある。そして、人のあるいは人々の「より本当の」身体に結びついたコミュニケーション可能性が形成されるのであれば、そのような「魔法」は魔法というよりは、治癒であり解放であり、人間の正当な発展だといってよいことになる。このようなことは、もちろん、画像に限らず文字でも音でも同様である。「教養」と呼ばれているものは、元来は、そういう知覚の調整を含んだ発達なのだろう。
(そして知覚媒体の統合や歪みを含みこんだまま個人も社会も「発達」しているのだが。)

コンピュータの世界も、当然、そうしたことに関わっている。そのさい、日本人の一般的なPCユーザーのシーンでは、様々な感覚経験を連想的につなげ・発展させることは多いが、知覚情報を混乱なく秩序づけようとする志向は少ないように、ぼくには思える。たとえば、自分自身の作った種々のデータを一箇所にまとめたり、(エクスプローラーを利用して)フォルダー、ファイルを整理したり、その履歴を管理したりすることは、ぼく自身はPCを使い出してからやっと、必要から次第に覚え、そういう考えがPCの中にあることがわかってきた。そしてそれが、事務であれ図書館であれ、ドキュメンテーションの考えとして、過去からある伝統にもつながっているのだ、と遅まきながら気づいた。が、たぶん欧米の多くのユーザーはそんなことは当たり前なのではないだろうか。しかし、日本のユーザーの多くは、ぼくの知る限り、データーをまとめたり、これを階層化したりすること自体知らない人さえ少なくないのは驚く。それ以上に、売り手の方も、そういう部分はどこか無視していて、「感性的な面白さ」を前に出すようにしているのも、変な感じがする。

蕩尽氏のいうトラックバックや引用の作法もそうだ。これも、上の知覚情報をめぐっての、自他関係や対話の作法と明らかに結びついている。しかし、現実に学生さん(特に大学でも1,2年生)と付き合うと、「誰の言葉か」ということへの意識がとても希薄で、ただ内容を連想的に面白くしようとすることにだけ意識が注がれている、その程度は驚くほどだ。しかし、それで、体制的か反体制的かはどうであれ、「批判」的であることができようとは思えない。もちろん、最後のところで、書き手・つくり手(の著作権など)が問われない次元、つまりpublic domain があることには、可能性があると考えられるのだが──。

以上では、連想や感性的経験のプラスの意義をあまり述べてない(蕩尽氏のコメントが示唆してくれたとおり)。またたんなる歪みや鈍磨ではなく、文字通りの「統合失調」が起こる次元についても考えが足りないので、さらに論を続ける必要がある。(この段落、5月4日追記)
  
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2004年04月10日

人称的想像力の復権

 「人称」(person)という言葉にはじめて出会うのは、たいてい外国語を学ぶときである。対象を指すことばについて「ひと」を中心にして分けて数え上げ、一・二・三人称、またその単・複数などという。だが、そうした言(ことば)のあり方の背後には、そう捉えられる物(もの)や事(こと)がある。それは人称のいわば社会的・倫理的側面だといえる。その側面も考え入れていくと、人称は、たんに言語使用においてだけでなく、まさに人間を種々に捉え・これと向き合う際のカテゴリーであり、ひとがひと・ものと出会い世界を体験する位相となり結節点となっていることがわかる。

 鈴木孝夫氏は、一・二・三人称をそれぞれ自称・対称・他称というべきだとしている(『ことばと社会』岩波新書)。この自・対・他という言い方は、personの「立ち現れ方」を如実に示すという意味ではすぐれている。だが、いずれ、personはこの三つに限らない様々な現れ方・消え方をするのだし、person自身が相となって転じてそこから別の世界が開閉・生滅したりさえする。人の生活の意味や認知・実践は複雑な生成であり、それは「ひとがひと・ものに出会うかたち」としての人称に大きく掛かっている。

 簡単な例を考えてみよう。ひとは、誰かに真面目に接し、その人との間で内容のある言葉をちゃんと聞こう・言おうとするとき、「かれ」との関係を、いろんな媒介をへるにしてもより「直接に」しようとする。つまり「あなた」との関係で行おうとする。しかも、興味ぶかいことに、だからといってただ相手と一体になってしまうのでは「ない」ようにすることも多い。そうしたことのため、「(面と)向き合う」か、飲食をするかしないかなど、行為・ふるまいのあり方を選ぶ。これは明らかに、三人称だったひとを二人称──私・汝──関係にもたらそうと意志し、と同時に、自他を同化してはしまわない仕方をも考えているのだといえる。

 その逆の方向も想定できる。それがどうでもいいか・他に多大なことがあるなら、「かれ」をあえて「あなた」にしようとはしないか・またはできない。そしてそのことが重なれば「かれ」は「わたし」から離れて過去のあるいは遠い「距離をもったもの」になるだろう。それは二人称が三人称になる、あるいは無人称になることだともいえよう。たとえば、多くのひとが年末年始にたくさん年賀状を交わす。それは、そのような三・無人称化の方向に「ならない」ために、逆に「互いの二人称化」をはかっているのだとはいえまいか。

 その三・無人称化の方向は、もっと推し進めていくとどうなるだろうか。そう「なってしまう」ならば、おそらく、生き生きとした時空が失われ、ひとはいわば物化した世界に至るのではないか。では、二人称化の方向はどうか。これについても、たとえば深すぎる・または頻繁すぎる交誼が桎梏になることからもわかるように、ひとはそこに「とりこまれてしまう」ことがあり、それが反転、近接が反発を愛が憎を生む、といったこともある。その正負の陥穽に巻き込まれないような冷静さ・公平さは、三人称化によってもたらされるのだと考えられる。かくて二人称にも三人称にも、ひとの生のかたちの、それなりの産出性と限界とがあるのだろう。(一人称についても同じく考えられるが、複雑になるのでいまは省く)。

 いま三・無人称化で顕著に出てきた「物(化)」は、これをめぐって倫理問題が分節する。たとえば、わたしが誰かとひととしてまともに向き合いたいにもかかわらず、その人が自分を、(1)モノ・カネだけを介して接するものとして扱ったらどうか。それどころか自分を、(2)物=「それ」のように(たとえば「虫けら」のように、あるいは「路傍の石」のように)見たり扱ったりしたらどうか。これらでは、二人称として認められたい自己が、三人称ないし無人称さらには非人称として扱われているのだといえる──いま「非人称」とは(文法的には問題があろうが)元来人称的であるものの人称性が否定されたモードだと考えておく──。とはいえ、(1)の局面(物件としてのひと)自体がいけないのではない。経済や生命の活動において(1)の充足は重要であり、その条件すら欠くならば、そのひとはもう(2)の非人称化を生じたことになる。その回避と充足の実現はまず第一の倫理問題である(必要条件問題)。だが、その(1)を越えてひとはさらに、より人称性を充実した「人間的な」次元を作ろうとしているのだ、ということができる。これは第二の倫理問題になる(十分条件問題)。

 倫理的な判断・感情や関係の形成にはこうして諸種の人称の現れや消滅が関わっている。そのことを古来の思想はよくとらえていた。右にふれたように、ひとは自己中心的になると、他人のことをつい「物扱い」してしまいがちだが、それを「人扱い」すべきだと聖賢たちは説く。孔子は「終身これを行うべき者」として「恕」=「己の欲せざる所は人に施すこと勿れ」をあげたという(衛霊公)。イエスは「己の〔人より〕欲するところを人に施せ」と語ったという(マタイ7:12)。これら道徳的行為の黄金律とされるものは、いわば《人称性を侵害しないように/実現するように行為せよ》と述べるものだといえる。同様の論理は、カントの定言命法にも含まれている。
 
 人称の生成をめぐって興味深いのは、やはり無・非人称化されがちなものが三ないし二人称として立ち現れる場合である。たとえば、孟子は、井戸に落ちそうな幼児を見るとひとははっと胸が衝かれて救おうとする、それは子の親と仲良くしたためでも郷党から誉められたいためでもない、と述べている(公孫丑上)。イエスは、盗賊に半殺しにされて倒れていた旅人を、立派な聖職者や学者は見て見ぬふりをしたが、サマリア人は手当てし宿につれていって看病させた、という喩話をあげ、その強盗に襲われた人にとって「誰が隣人か」と問うている(ルカ10:25-37)。

 どちらも、通常の利害や共同体的な習慣や権威名声とはちがう、むしろそこから見捨てられたところに二人称を見出す、あるいは二人称的な営みを内閉することなく三人称的な存在者に及ぼす、そこに惻隠の心(仁)や愛があると説いているのだといえる。先の黄金律の場合と同様、その方向づけは、儒教では消極的ないし生成維持的、キリスト教では積極的ないし革新的だというニュアンスの差があるようだ。しかし両者とも、たんに私的利害や公的権威名声に固着せずそれを突破するところに、人称的関係の生成を開こうとしている点は軌を一にしている。

 人称をめぐるこうした思考や実践の成立は、「聖賢が言ったから」「学術の権威によって」「特別の悟りによって」初めて可能になるといったものではない。右のたとえの卑近さにもわかるように、人称的な想像力や行為は、いわば言葉の原義における「常識」「良識」として生活世界のうちに働くのであり、またそうして継承されて来たにちがいない。これを「仁」「愛」「おもいやり」「ケア」あるいはそのほか何というにせよ、それらは通常の人々の人間知や知恵・ふるまいにこそ育まれているのだろう。聖賢の言は、それをあらためて「目醒ませ」「及ぼす」ことを説いているに過ぎない。

 この誰もが知る人称の背後には、しかも、ひとの生死する領域がふかく隠れている。人称(person)すなわちペルソナは、歴史的には、文字どおり人格であり超越者・根源者の位格とも捉えられてきた。言語的にも、人称詞に親族名称や方向指示詞が用いられることがよくあるように、人称は、元来は父・母・子であったり友であったり、神・仏であったりし、またコ・ソ・アでもありうる。つまり、人称の背後には社会関係、世界との関係が多様に広がっている。そしてその大きな広がりのなかから、ひとは人称的世界を生死しつつ作り出しまた継承してきたのである。その際、人称が視点と世界の転換に関わることも当然重要である。それらは意識あるだれもが知ることである。にもかかわらず、それを平板な学問や知識はほとんど理解しない。人称をめぐっては、ひとびとの生活世界のうちに働く意識やその表現としての文学の方がよほど敏感だったのではないだろうか。

 以上では一人称の問題をあまり述べなかったが、これだけでもわかるように、人称には様々な働きがありまたそれぞれの生成や陥穽がある。人称をめぐる想像力が求められるゆえんである。けれども、人称をめぐるのびのびとした思考や実践は亡失させられることがある。なぜだろうか。それを考えるには、様々な人称の論理からだけでなく、そこに加わて見るべきものがある。孟子にとって、幼児を見つける心を忘却するのは、たぶん戦国の世における利害争奪の心・ふるまいだった。またルカ伝で、旅人を見捨てさせるのは、共同体や律法と結び付いた権威の自己保存的なちからだった。一般化するなら、「ひと」を見させなくするのは、個人や集団のエゴイズムや権威主義だといえようか。だが、現代においては、それらはきわめて媒介的なあり方をしている。

 現在の社会システムや客観的な知識・技術は、世に受肉している「人称としての者」(自己)を極度に単純化しただ論理的な実体か機能かのように捉える。その作業は、世界をある界面に投射するためには妥当性もある。が、そこに作られたものは、それ自体ひとの人称的努力による、特定面に厳密だがきわめて限定的・抽象的な世界図式である。それを、通常の「ひとが生きる具体的な世界」における認知や実践と単純に重ねてしまうなら、それは問題である。それは、生活世界において人々が培って来た、ひとをひととして扱う感覚・知恵やわざはもちろん、そもそも人と人とが向き合い・やり取りしつつ生きているという事実自体を忘れさせ、ときにはそれらを抑圧することになるからである。そこからは、むしろ無意識の形で、種々の人称の陥穽から起こる統御できない暴力が噴出することもありうる。

 とはいえ、人称を忘却した現代の学知や制度のシーンにも、その回復の兆しはある。法・倫理・医などとくに人間と接点のある局面で、「ひとを組み込んだ」パラダイムへの変換が起こっているようだ──物語(narrative)論のアプローチはそのひとつだろう。生態学や環境論についても同様である。また、人称の忘却と失調をもたらす現代のシステム自体が、他面で、遠きにあるひとの現場や肉体を近くに媒介し、内にあるものと外のそれとをつなぐ働きを大いにもっていることも重要である。
 
 このようなグローカルな可能性を、システムの自己目的のためではなく、人間のもの・エコロジカルなものに転換するという課題を、哲学はもつのではないか。その仕事は、外に物化した「公」と内に閉じた「私」の間に、人称的な想像力の領域を開くことだとも言える。「ひとを知る」ことは、古来から知恵の始まりだと考えられた。そのことは現代でも、いな、現代だからこそ、いっそう重要だといえる。

  
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2004年03月22日

vicious circleとしての賄賂と暴力

賄賂というものは、近代人が非難するほど、「悪い」ものか、という疑問をぼくは持ってきた。もちろん悪代官風の賄賂や、キックバックが「よい」というのではない。そうではなく、賄賂の類が、社会的なある制度になっていて、それによって、経済的な利潤がプールされたりフィードバックする、あるいは何かを保証するなど、一種の合理的機能も何ほどかあるのではないか、そんな側面も推測されるからだ。

たとえば、現在のような学校制度に保護されていない昔の教師は、生徒や周囲からの「束修」(付け届け)によって生活していた。それは羞じることではなかった。まあそれは賄賂というべきではなく、喜捨というか贈与というべきだろう。だが、一般に何かを人にしてくれと頼む際に、(特にそのポジションがはっきり決まっていないとかすることに流動性があったりする場合は)、「心付け」を個人的に渡すことはかつてはよくあった。ぼくの子供のころ、引っ越しのお兄さんに親が(支払いとは別に)ちょっとお金を渡して「よろしくね」と言ったり、宿の仲居さんに大人がちょっと百円札?!か何かを渡しているのを見たことがある。そういう「心付け」のような金品の流れは、何らかの仕事や協業を成り立たせるための仕組となっていることもあったようだ。ただ、その必要の度が甚だしかったり、それで特定の誰かが特に贔屓される、などといったことになれば、問題だろう。また、すでに十分な給与を他からもらっており、いわば満たされているのに、なおかつ「束修」や「心付け」を得る/得ようとするならば、それはおかしい。

現代でも、第三世界では、公務員だと思っている人から事を処理するときに軽く「ゆすられ」、お金を渡すことも少なくない。それはむろん賄賂といえるだろう。だが、ある程度社会的に制度化している面もある。それが権力を肥大させる面もむろんあるが、それが無ければ貧しい役人は食えない、あるいはそれでよりたくさんの人が食べている、などといった側面もある。そういう支払いを困った人から取るのは非道といえるが、金持ちの余所者から取るのは、個人的にはともかく全体としてはささやかな差別の是正であって、公正であり、それを払うのはnoblesse oblidge?かもしれない。(とは言え、それも、小さいとはすでに利権を持ったものがそれを「募る」もので、より貧しい者に対しては結局収奪になる可能性は大いにあるだろうが──)。

チップについてはどうだろうか。これはサービスを払った「後で」渡す場合が多いが、その「前に」渡す場合もある。日本でよくあるように、店が従業員を全体として管理している場合はチップは無くなる(ないしチップ自体が回収される)が、しかし、店を場所にして、個々人が営業しているのだと考えれば、チップはあって当然である。そして、もしも顧客とサービスする人との間の需給関係=権力関係において、後者が強いようであれば、「チップ」は「渡し金」になっていくだろう。

こう考えてみると、「賄賂」のように見えるものが、どこまでが不正であるかを(まずはその当の社会のあり方に照らして)考えることが必要である。また、かりにそれが当該社会にとっても不当だと感じられることがあるにしても、それを規制するのみならず置き換える制度を準備しようとしないで、ただ倫理的に批判するのでは、(まだそれが妥当性をもつ社会的基礎が残っている可能性があるから)批判として事柄に届いていないことになる。主観的倫理に帰着するだけでは未解決の部分があるからだ。だから、自分が「付け届け不要」の制度のうちにすでに居るからといって、自分はクリーンで、他がダーティーだとも言えない。武士は食わねど高楊枝は立派といえようが、制度的に十分食えている者が、純粋のきわめて廉価な贈与を受け取らないと突っ張ることは、じつは当該の制度への防衛的な立てこもりであることさえありうる。

といったことを考えていたのだが、いずれにせよ、金力・権力を公共的な制度によって担保したり批判的に吟味したりする制度がない社会においても、やはり「賄賂」と「お礼」「正当な依頼金」の類との〈区別〉(あるいは適正価格というか)はどこかで(曖昧であれ)線引きがあったはずである。そのことはさらに考える必要がある。賄賂のことを、protection moneyというが、所場代・みかじめ料とか、保険料みたいな意味があるようだ。税は、社会的にはもともとprotection moneyから生成したのではないのか。
また、上のみた例をみてもわかるように、賄賂の問題はあきらかに権力の形成と(その前であれ後であれ)連関しており、それが文字どおり賄賂的なものになるかそうではないものとなるかは、その支配が「公」的か「公共」的かといった問題にも関わってくる。

公共機関が現在ほど成立せずその支配が完全ではない場合を考えてみる。そこにはたいてい人々の仕事を守ってくれたり、よく按配してくれる、よい親分さんと悪い親分さんとがいるはずである。鬼平犯科帳で長谷川平蔵はしばしば「過分なもの」を受け取ったりする。だが、それはいずれ仕事にとって有益なものに転化され、鬼平が一人遊びに使っている訳ではない、という了解があって、読者はそれにまったく納得している。これに対して、「悪い親分」は何をしているのか。たぶん簡単に言えば、「余計に/不当に溜め込んでいる」のである。ということは、そこでは利益の互酬的な循環がうまく回らずに、不当に吸い上げられるようなことになっているのだと言えよう。言い換えれば、そこにはvicious circleが生まれているのである。

もちろん、vicious circleの問題は、ある個別ポイントについてだけでなく、それがずっと複数連関して構造になっているのだろうし、また、あるcircle内部では、きわめてよろしく公正に行われていて、まったくviciousではない、しかし、その外との関連を見ると、「溜め込んでいる」というようなこともある。

たとえば、日本近代の国民国家システムなどは、内部的には比較的浄化したと言える方だろうが、対外的にクリーンかどうかは大いに問題である。西欧の「民主主義」と呼ばれるものも、しばしば植民地的収奪に基づいている。とすれば、それらも、賄賂と収奪で溜め込んだ親分や子分たちが、自分たちの家族や親族の中でいい家を立ててコミュニティーを作ったようなものだとも言える。

早い話、外から見るからviciousなのであって、vicious circleであるものも内から見ればvirtuousであるかもしれない。内外が裏腹に反比例するなら、外から見てよりviciousであるほど、内においてはよりいっそうvirtuousである。だから、本当にviciousかvirtuousかは、内外を通約する地平を考えないと何とも言えないのである。が、そうであるゆえに、翻って、virtuousは必ずviciousを伴い、またそうであり続ける、とも必ずしも言えない、ということになる。たとえば、ある内部的なvirtuousが、外部にviciousを伴わない場合もあるかもしれないし、またたとえ伴っていても、そのviciousを食い破って、virtuousを外にも広げる、などということもあるかもしれない。これは、いわば「善意の輪が広がる」例である。孟子がよく説く非戦論や仁義論は、その類のものを喚起しようとしているのだと言える。

ぼく自身の感覚はというと、賄賂はもちろん個別な贈与のやりとりが周流することも、あまり好きではない。お祝いやお礼として、大っぴらな場所で、何かというと花束をやろうとする日本の習慣もぼくは好きではない。こういうのは、virtuousなものが広がっているというより、私的なものが流出している感じがする。そしてそれはたいてい、viciousなものをそれで見えなくしているような気がするのだ。贈与というものは大事だと思うが、それは、何かそれぞれの一回性を含み、そのことによって何か普遍的なものに繋がるようなものがほしいような気がする。そうでなければ、やり取りはお互いがシンプルに生きていけるだけで十分だ。

以上の賄賂問題ともうひとつパラレルと思われのは、暴力の問題である。賄賂自体は「金力」だが、たいていそこには「腕力」が伴っているものである。つまり、「悪い親分」は、暴力・権力についても、vicious circleを作っているだろうと考えられる。この問題は、むろん公共性の問題と関連がある。これについても継続して考える必要がある。

ある法哲学者の人と話していたら、賄賂研究というのも(事実のみならず理論として)ちゃんとあると教えられた。そのあたりももっと知りたい。金力のvicious circleの「輪」の成立をはっきりさせ、それを解くことは、「暴力」における同様の課題にもつながっているはずだ。

  
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